ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

大阪・新歌舞伎座の柿葺落(こけらおとし)

2010年09月22日 | 一寸そこまで
     
          ↑   大阪・新歌舞伎座のチラシ     ↓ 客席と緞帳


9月21日(火)新歌舞伎座に行ってきました。…と言うと望んでいったと思われ
るでしょうが、実は大失敗の末、京都・南座と新歌舞伎座を間違ったと言う、言
うも涙聞くはバカらしい話があるのです。

今月が誕生日であることは前に書きました。そのプレゼントとして「南座の券」
をプレゼントしてもらうことにしたのです。そして自分の行ける日を書いて息子に
渡しました。数日して「券」が手渡されました。

私は大喜びで「券」の日付けを確かめ、封筒の上に赤いマジックで大きく書き、
冷蔵庫の扉にはり、その日の来るのを、一日千秋の思いで待っていました。

当日、坂東玉三郎が観れると期待にわくわくしながらシートに座っておりまし
た。開場10分前ご婦人方が5人入ってきました。「あの~、席はお間違いで
はないですわね」私はチケットを見せました。「アラ!間違っていませんね。
それに買われた日にちも同じですね。これってダブルブッキングかしら、一寸
聞いてきますね」リーダー格の人が聞きに行かれました。

係りの方が来られて「チケット拝見できますか?」私は差し出しました。「お
客様、これは大阪の歌舞伎座のものでございます」「えっ!」私はビックリし
ました。もぎりの方も気づかなかったようです。よく見ると確かに「新歌舞伎
座の切符」です。

そういえば息子に頼む時「歌舞伎の切符くれる?」「うん、いける日を書いて
…」と言う会話で、京都の南座とは言わなかったように思います。歌舞伎に興
味のない彼は歌舞伎=大阪の歌舞伎座と思ったらしいのです。でもチケットが
来た時点で、私がよく(目を1cm上に向ければ)見れば、間違いはわかって、
買いなおす事もできたのです。

思い込みの激しい年齢になった私は、見たい南座と信じて、日にちだけをチェ
ックしたのでした。取り返しのつかないことをしてしまったわけです。すごすご
と南座を後にしました。

もう見る気が失せて家に帰ろうかと思いました。でも折角1万5千円もする切
符を買ってくれた息子にすまないと思い、やっぱり新歌舞伎座に行くことにし
ました。

開演は此処と同じ11時です。1幕目は1時間ほどで終わり、幕間が30分お
弁当の時間があるから、今から行ったら2幕目に間に合うかもしれない。私の
頭はフル回転です。

運の悪い時はこんなもの、私がプラットに降りたときに特急電車はテールラン
プを見せていました。此処で又20分ロスしました。次の特急の中で次の行動
を考えました。

果て「新歌舞伎座は何処にあるの?」今月が杮落としと言うことは新しい場所
なんです。私は場所さえ知らないのです。タクシーを張り込むことに決めまし
た。

ですが「待てよ!大阪駅のタクシー乗り場って何処にある?」今度はタクシー
乗り場がわからない。エイッ!成り行きに任せよう!と腹を決めました。

梅田に着きました。まずJRに向かって歩こうと階段を降りました。天の助けか? 
目の前にタクシー乗り場があったのです。私は駆け寄りました。でも新しい場所
です、タクシーの運転手と言えども知らないかも知れない。「すみません、今月
から始まっている新しい新歌舞伎座後存知ですか?」「ええ。昨日お客様に教
えてもらいましたから…」私は安心して乗り込みました。

「ビルの中ですからね、歌舞伎座と言う感じはありませんよ」と運転手さん。
確かにビルの6階ですから、道路わきに幟が4本はためいているだけでした。

いり口で聞きました「今、幕間ですか?」「そうですが、もう始まりますよ」
私は切符の正しい座席に座りました。

新しい歌舞伎軍団ですから、皆さん若くて美しかったです。でも、玉三郎さん
のように華がないのです。贔屓の引き倒しかもしれませんが…。

どうにか切符を無駄にしないですみました。でも南座への未練を断ち切ること
は出来ませんでした。

夕刊を見て、又悔しい思いをしました。私が切ない思いをしている日に「義経
千本桜の『吉野山』の部」の忠信の海老臓と静御前の玉三郎がどんなに綺麗
だったかの記事が載っていたのです。『吉野山』の部は昼の部では1ヶ月興
行のうち7日間しかないのです。(夜の部は毎日。歌舞伎は夜の部が良いと
いわれていますだから)その日を取ってと頼んだのです。その場面なら玉三
郎が、舞台に立つ時間が長いと踏んでいたのです。

勿論、新歌舞伎座のチケットを無駄にするつもりで「どんな席でもいいですか
ら、空席はありませんか?」と聞きました、特別の日ですからね「今日は満席
です」と悲しい返事でした。

帰宅後、主人に話しますと「よその切符で座っていて、それが判った時は恥ず
かしかったやろ?」「がっくり来て、悲しくて人のことなど考えられなかった。
『すみませんでした』と言うのが精一杯だったよ」

「柿葺落を観ると寿命が延びる」そうですから、これを信じて、「めでたしめ
でたし」といたします。考えられないようなへまをやった、一日でした。


     
       ↑   本当は見たかった 京都・南座の題目     ↓   館内と緞帳
コメント (2)
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