あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

安藤輝三 『 万斛の恨み 』

2022年12月07日 08時13分28秒 | 安藤輝三

長瀬ら昭和九年一月に入隊した初年兵たちは、
その年の七月、
富士裾野において第二期教育の総仕上げを行った。
そして、七月下旬、
滝ケ原演習場一帯において、聯隊長による第二期検閲が実施されたのである。
聯隊長は、山下奉文大佐の後任の井出宜時大佐であった。
また検閲補助官として、聯隊附中佐以下、各本部付の将校が任命され、
安藤もその中の一人として参加した。
・・・・
長瀬一等兵は、
この時期すでに下士官候補者を命ぜられていたが、演習間は中隊に復帰していた。
中隊命令によって将校斥候の一員に選ばれた長瀬は、三里塚附近の敵小部隊を駆逐し、
その背後の敵主陣地一帯を偵察するために、
約一個分隊の兵員に混じって中隊地の終結を出発した。
敵に発見されないように、地形地物を利用し、隠密に三里塚高地の側背に迫った長瀬ら一隊は、
着剣して一挙に突撃を敢行した。
長瀬は、錆止のため銃剣の着脱溝に、日頃から油布の小片を入れておいたのである。
それが思わぬ禍となって、
突撃後五〇メートルぐらい走った時に、銃剣が落失したことに気が付いたのであった。
失敗った! と 思った彼は、慌てて引き返し、必死で銃剣の捜索にかかった。
すでに長瀬らの隊は、敵陣地偵察のため遙か前方にすすんでおり、協力を頼むことも出来ない。
銃剣を落したと思われる一帯は、灌木と雑草が茂っていて、長瀬一人での捜索はなかなか大変だ。
しかも日没まであと一時間もない。
長瀬は、眼の前が真暗になった。
銃剣紛失は重大問題である。みつからなければ重営倉は間違いない。
もち論、下士官候補者もやめさせられるだろう。
それは自分だけでなく、班長や教官や中隊長までにも大変な迷惑をかけることになる。
話によると過去銃剣を紛失いたために、自殺した兵隊も出たという。
長瀬は、半分泣きべそをかきながら、遮二無二草原の中を匐はらばいまわった。
時折、富士特有の霧が視界をさえぎり、時間もどんどん経過して行くが、全く手がかりがない。
気丈な長瀬も、すっかり気落ちし、広い原野の中で茫然自失していた。
その時、長瀬の耳に、
「 おい !  そこの兵隊・・・・・・・どうしたんだ!  」
と 怒鳴るような声が聞こえた。
長瀬が振り返ってみると、審判官の白い腕章をつけた乗馬の将校が、自分の方を見ている。
「 第二中隊、長瀬一等兵 !  突撃の最中に銃剣を落失し、ただ今捜索中であります ! 」
と 長瀬は大声で報告した。
「 そうか、それはいかんなあ。よし・・・・俺も一緒に探そう・・・・」
と、その将校は馬から飛び降り、馬を近くの灌木の根っこに繋いだ。
そして長瀬の行動半径を聞くと、指揮刀を抜いて、逐次草を薙ぎ払いながら捜索を始めた。
長瀬は勇気百倍、突撃を開始した地点から、捜索をやり直した。
しかし広い草原の中で、一本の銃剣を探し当てるのは、まさに至難の業と言えた。
辺りはだんだんと薄暗くなってくる。長瀬の気持は焦るばかりだ。
それから、どのくらい時間が経っただろう。
突然とんでもない方向から、
「 あった !  あったぞ ! 」
と 叫び声が聞こえた。
その将校が、白く輝く剣身を高く挙げて、ニッコリ笑っているではないか。
途端に、長瀬の顔は涙でクチャクチャになった。
そして夢中で、将校の方に駈け寄った。
長瀬は、渡された銃剣を抱き締めて、大声で泣いた。
それは言いようのない感動であった。
「 よかったなあ・・・・では俺は急ぐから、これで失敬する 」
とひとこと言った将校は、再び馬に乗って東の方に走り去った。
長瀬は名前を聞く暇がなかったのだ。
ただ、丸ぶちの眼鏡をかけた、長身の優しそうな中尉だったという印象だけが残った。
長瀬は、中尉の後姿に両手を合わせて拝んだ。
そして茫然とした意識の中で、仏の姿を見いだしたように感じた。
・・・長瀬一伍長 「 身を殺し以て仁を為す 」 

二十二日の朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、

磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ
と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」


安藤輝三 
アンドウ テルゾウ
『 万斛の恨み 』
目次

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貧困のどん底 
・ 
打てば響く鐘の音のように 
・ 「 おい、早くあの兵を連れ戻せ 」 
長瀬一伍長 「 身を殺し以て仁を為す 」 
・ 「 曹長になったら、俺の中隊に来ないか 」 
・ 「 中隊長のために死のうと思っただけです 」 

第九 「 安藤がヤレナイという 」

・ 竜土軒の激論
 
西田税 1 「 私は諸君と今迄の關係上自己一身の事は捨てます 」
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』 

・ 昭和維新 ・安藤輝三大尉  
・ 安藤輝三大尉の四日間 
・ 命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」 

 
安藤部隊 ←クリック  ↓目次 )

 ・中隊長安藤大尉と第六中隊
 ・中村軍曹 「 昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり 」
 ・歩哨戦 「 止まれ!」
 ・第六中隊 『 志気団結 』

 ・堂込曹長 「 奸賊 覚悟しろ!」
 ・鈴木侍従長 「 マアマア、話せば判るから、話せば判るから 」
 ・奥山軍曹 「 まだ温かい、近くにひそんでいるに違いない 」
 ・安藤大尉 「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」
 ・命令 「 独断部隊ハ小藤部隊トシテ歩一ノR大隊長ノ指揮下ニ這入ル 」
 ・破壊孔かに光指す
 ・命令 「 我が部隊はコレヨリ麹町地区警備隊長小藤大佐の指揮下に入る 」
 ・「 一体これから先、どうするつもりか 」
 ・地区隊から占拠部隊へ
 ・幸楽での演説 「 できるぞ!やらなきゃダメだ、モットやる 」
 ・下士官の演説 ・ 群衆の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」
 ・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている 」
 ・町田専蔵 ・ 皇軍相撃を身を以て防止することを決意す
 ・「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」
 ・小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」
 ・安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」
 ・「世間が何といおうが、皆の行動は正しかったのだ 」
 ・「中隊長殿、死なないで下さい!」
 ・「 農村もとうとう救えなかった 」
 ・「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」
 ・伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 1  
 ・伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 2

・ 万斛の想い 「 先ずは、幕僚を斃すべきだった 」

あを雲の涯 (五) 安藤輝三

・ 「 前嶋君 君達にあひ度かつた 」 
・ 
「 君達にあいたかった、さらばさらば、さようなら 」

・ 昭和11年7月12日 (五) 安藤輝三大尉 

『 安王会 』 第六中隊下士官兵の安藤中隊長

二月二十六日の朝、運命の日を迎えたのであります。
私は、なんの迷いも ためらいもなく、黙って中隊長のあとに随いて行きました。
ただ、私は中隊長のために死のうと思っただけで、他には何も考えませんでした。
それは私だけではありません。
出動した全中隊員が同じ気持ちだったと思います。
安藤中隊長は、私にとって神様でありました。
いや、今でも私の神様なのです 

・・・「 中隊長のために死のうと思っただけです 」 ・・渡辺鉄五郎一等兵