あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部浅一 「おい、林、参謀本部を襲撃しよう 」

2019年09月24日 06時03分18秒 | 池田俊彦


蹶起部隊と包囲軍

二十八日ははじめから険悪な日であった。
朝から混乱していた。
陸軍省や参謀本部の将校 その他多くの人々が、
入れかわりたちかわり、首相官邸にやってきて話をして帰っていった。
どうやら奉勅命令が下されたような雰囲気であった。
そして我々が守備する地域の周囲には他の部隊が逐次終結しつつあった。
そしてこの蹶起が不成功に終わったということがはっきりしてきた。
午前九時頃であったと記憶するが、
私の陸士予科の区隊長松山大尉が私に会いに来られた。
事件前、私が訪ねて行こうと思って雪のため果たせなかった方である。
松山大尉は門の所に私を呼んで、
これからどうするか、
こうなったらお前は自分の身をどう処するか分っているだろう
と 言われた。
私は
分っています
と きっぱり答えた。
栗原中尉が側によってきてこの様子を見ていた。
松山大尉は私に自決の決意を確かめに来たのである。
栗原中尉は松山大尉と一緒に出かけたが、後で聞くと陸相官邸に行ったそうである。

磯部浅一
昼近くであったと思うが、
磯部さんが血相を変えてすさまじい勢いで首相官邸にやってきた。
栗原中尉と  と私のいる所へ来て、
参謀連中は駄目だ、徹底的にやっつけなければいかんと言い、
林に向かって、
「おい、林、参謀本部を襲撃しよう
と 言った。
林は黙っていたが、
栗原中尉は、そこ迄やってはお終いです。
それは止めましょうと穏やかに反対していた。
私はこの時、
軍人をやめてしまった磯部さんと現役軍人としての栗原中尉との相違を見る思いがした。

・・・挿入・・・
維新運動ヲ阻害シ、軍淨化ヲ妨ゲルモノハ軍幕僚デアリマス。
之ヲ倒サネバ日本ハ直リマセン。
私ハ參謀本部ト陸軍省ノ全幕僚ヲヤッツケル覺悟デアリマシタガ、
外ノ同志ノ爲メ出來マセンデシタ。

・・・磯部浅一 訊問調書 1 昭和11年4月13日 「 真崎大将のこと 」 


栗原さんと磯部さんはこの事件を引き起こした最大の牽引力である。
しかし、栗原さんは磯部さん程徹底した破壊主義者ではなかったし、
現役軍人としての越えられない一戦ははっきりしていた。
まして この期にいたって部下の兵を犠牲にすることは出来なかったのだ。

この日の午後、
栗原さんは出て行き、首相官邸はひっそりしていた。
午後二時頃、
私が一人で官邸にいたとき、小藤聯隊長がやって来られた。
そして私に栗原中尉を呼んでくるように命じられた。
私は栗原中尉が安藤部隊に行ったことを知っていたので、
安藤部隊のいる料亭の幸楽へ出かけた。
この時、
攻撃軍は われわれの周囲をびっしりと取り囲み、
虫の這い出ることも出来ない状態であった。
部隊の中には戦車も見られた。
私は攻撃軍の前をよぎって行かねばならないので、
明らかに蹶起部隊の将校と見られ狙撃されることもあり得ると考え、
はっきりそれと判断しにくいように持参していたマントを着て出かけた。
幸楽の前に来ると、安藤大尉と丹生中尉がいた。
兵達は鉢巻をして前を睨み、攻撃軍と対決し、皆、非常に興奮していた。
私が近づいてゆくと
安藤大尉が進み出て、
貴様は誰だ、
と 怒鳴った。
丹生中尉が あわてて私を同志だと紹介したので、
安藤大尉の顔色は和らいだ。
丹生中尉でもいなければ、突きとばされかねまじき勢いであった。
私は安藤大尉を知っているけれども、先方は私を覚えていないから無理もない。
栗原中尉は先程迄いたが、帰ったとのことで、
私は急いで官邸に帰ってきたが、小藤聯隊長の姿はすでになかった。

しばらくして栗原さん達が帰ってきた。
この時いた者は 對馬中尉、中橋中尉、田中中尉、中島少尉と 林と私であった。
栗原中尉の顔には憔悴の色が漂っていた。
栗原さんは我々に向かって言った。
「ここまで来たのだから、兵は原隊に帰し、我々は自決しよう 」
皆、黙然として一言も発しなかった。
誰も自決に反対する者はいなかった。
首相官邸にいた者はこの時、全員自決を決心した。
私は林と向き合って、拳銃の引鉄を引けばそれで終わりだと思った。
不思議にさっぱりした気持ちであった。

それからしばらくして村中さんが来た。
村中さんもやはり兵を引いて自決しようと考えていた一人である。
この時、突然ざわめきが聞こえてきた。
攻撃軍が攻めて来るというのである。
我々は一斉に立ち上り、
急いで坂の下の方へ駆け下りて行った。
村中さんは抵抗してはいけない、討たれて死のうではないかと言った。
私は第一線をかけ廻って兵達に絶対に撃ってはならぬと厳命した。
私も、やはり村中さんの言った通り撃たれて死のうと覚悟をきめた。
しかし攻撃軍は動かず静かであり、じっとこちらの動きを見守っているようであった。
この頃、何処からともなく群衆が集まってきた。
私に対して話を聞かせてくれとしきりにせがんだ。
私は次のような話をしたことをかすかに覚えている。

「我々は天皇陛下の聖明を掩い奉り、
我が国の前途に障害をきたす奸賊を斬って、昭和維新のために立ち上ったのだ。
大化の改新の際も
中大兄皇子が奸物蘇我入鹿を倒して、
破邪顕正の剣を振るわれて大化の新政を実現したように、
奸賊共を斬ったのだ。
日本の歴史はいつもこのような正義の力によってのみ切り開かれてゆくのだ。」

このようなことを言って、
ちょっと言葉が途切れたとき、
一人の風采いやしからぬ四十位の人が私に近づいて、
「おっしゃることはよく解りました。
しかし、皇軍同志撃ち合うようなことにならぬようにくれぐれもお願いします。
私共はそれが一番心配なのです」
と 言った。

私は、
「そのようなことは絶対にありません。
私達はこちらから撃ったりするようなことはありません」
と 答えた。

後で聞く所によると栗原中尉も演説をしたというし、
その他の将校も何か一言ぐらい群衆に向かって話していたらしい。


池田俊彦 著
生きている二・二六 から


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