それは、
昭和十一年二月二十三日の日曜日のことであります。
すなわち、
事件の起こる三日前でありました。
第一師団の満洲派遣の準備命令が出てから初めての日曜日であったのと、
初年兵から二年兵になって間もないという解放感も手伝って、
私は外出して思う存分羽根を伸ばしました。
朝から雪が降っていましたが
午前中は大したことなく、私は行きつけの飲み屋の座敷に腰を据え、
昼前からじっくりと酒を飲み始めました。
飲んべえの私は、
日頃から平気なのと、雪の日に飲む酒は格別なので、
この日はなんとなく量を過ごしてしまいました。
午後になると雪はだんだんと勢いを増し、
そのうちに東京は、何十年振りという大雪になってしまいました。
しかし私は 閉め切った座敷にいたので、外の模様には全く気がつかなかったのです。
例によって、帰営時刻を腕時計で確かめながら、時間一杯楽しもうと思い、
いつものつもりでのんびりと盃を重ねていました。
そして、予定の時間がきましたので、帰り支度をして外に出ますと、
さあ大変・・・・・物凄い大雪なのです。
道にはすでに三〇センチ近い雪が積もり、空は激しく吹雪いていました。
雪の中を大急ぎで市電の停留所まで行きましたが、
そこには市電が立往生しており、人々は下車して雪の中を歩いていました。
車掌の話では、東京の市電は完全にストップしているらしいとのことでした。
私は、一度に酔が冷めてしまいました。
もうタクシーで帰る以外方法はありません。
ところが、そのタクシーに、麻布までと言うと、
運転手はとてもとてもと手を振って、相手にしてくれません。
万策尽きた私は、全身から血が引く思いで、雪の中をよろめくように歩いていました。
暫らくすると、一台のタクシーが私の横で急停車し、
中から運転手が大声で、
「 こりゃ大変だ。ぼやぼやしていると、帰営時間に遅れますぜ・・・・。
とにかくお乗りなさい。行けるところまで行きやしょう・・・・」
と 言ってくれました。
私は、地獄に仏と・・・・・大急ぎで車内に跳び込みました。
話を聞くと、その親切な運転手は、
昨年十二月に赤羽の工兵隊を除隊したばかりだそうで、
しかも バリバリの江戸っ子だということでした。
それでも 赤坂の溜池まで来ると、
「 ここから六本木の方へはもう行けません。
この積雪では六本木の坂は到底登りきれませんよ。
兵隊さん・・・・とにかく早く走ってでも、営門にたどりつきなさい・・・・」
と、運転手は気の毒そうに言いました。
私は半分諦めながらも、
必死で溜池----今井町----六本木の道を、雪を掻きわけ走りました。
六本木の坂上に漸く着いた頃は、すでに帰営時刻を過ぎていました。
どんな罰を受けても構わない。
私は夢中で歩兵第三聯隊の営門に向かって走りました。
途中、歩兵第一聯隊の営門前を通ったが、門はすでに固く閉ざされていました。
自分たちの聯隊もまた、
門を閉じているでろうと思ったが、そんなことはどうでもよかったのです。
私はただ、あの親父のいる中隊に帰りたい一心で、遮二無二近づこうとしていました。
ハッと気がつくと、
私は自分の聯隊の営門の前でうずくまっていました。
前を見て、私はまさかと思いました。
閉ざされているはずの営門が、開いているではありませんか。
私は何度も自分の眼を疑いました。
しかし、間違いなく開いているのです。
私は無我夢中で営門を通り抜けました。
衛兵所の前まで来ると、
真白い雪だるまのような人の像が、
仁王立ちになっているのにぶつかったのであります。
それは紛れもなく、私の中隊長でした。
「 アッ・・・・中隊長殿!」
と、私は思わず叫び声をあげ、
その場に棒立ちになりました。
中隊長は手を振って、
「 内務班で、皆が心配して待っているぞ・・・・。とにかく早く中隊に帰るんだ 」
と ひとこと言っただけで、
いつものやさしい眼で私の顔をジーッと見つめました。
そこには、よく帰って来たという安堵の表情が、ありありと滲み出ていました。
中隊の前では、班長の渡辺春吉軍曹と戦友たちが、
泣きそうな顔で雪の中に立ちつくして、私を待っていてくれました。
「 渡辺!中隊長殿はなあ、お前が必ず帰って来ることを信じて、
ああやって営門を開けたまま、一晩中お前を待ち続けるつもりだったのだぞおー 」
と、班長は私の頬ぺたを叩きながら、オイオイ泣きました。
同年兵も、初年兵も唇を噛みしめて泣いていました。
私はあたり構わず声を張り上げて泣き崩れました。
私はその夜毛布の中で、
雪だるまのようになって私を待ち続けてくれた中隊長の姿を追い求めながら、
思いのゆくままで哭きました。
そして、
「 この中隊長(オヤジ)のためなら、
いつでも命を差し出そう。地獄の底までお供するんだ・・・」
と、心に誓いました。
その翌日も、
さらにその翌日も、
中隊長から何の沙汰もありません。
当然のことながら、私は重営倉はおろか、軍法会議までも覚悟していました。
しかし、中隊長は週番司令の責任において、私を不問に付したのでありました。
そして三日後の二月二十六日の朝、運命の日を迎えたのであります。
私は、なんの迷いも ためらいもなく、黙って中隊長のあとに随いて行きました。
ただ、私は中隊長のために死のうと思っただけで、他には何も考えませんでした。
それは私だけではありません。
出動した全中隊員が同じ気持ちだったと思います。
安藤中隊長は、私にとって神様でありました。
いや、今でも私の神様なのです・・・・」
・・・・渡辺鉄五郎 一等兵
二・二六の礎 安藤輝三 奥田鑛一郎 より