あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

もう待ちきれん

2017年12月17日 19時22分05秒 | 大蔵榮一

  

昭和八年の盛夏のころであった。

ある日曜日、
村中、香田、安藤、磯部、栗原、私など七、八名が
青山の例のアジトに集まった。
この日はとても暑い日で、
私は着物を脱ぎ捨ててふんどし一つになっていた。
おのおの涼を入れながら 車座にすわったが、
部屋の空気は思いなしか重いものがあった。

もう待ち切れん、われわれはいつまで待つんですか。
躊躇すべきときではないと思います。
思い切って起ち上がれば暗い日本が一ぺんに明るくなるぞ、
どうだろうみんなそう思わんか

と、磯部がまず口火を切った。
そうですよ、磯部さんのいう通りです。
私は ちかごろ幕的に齋藤実、牧野伸顕、西園寺公望、池田成彬など、
奸賊の名前を張りつけて突撃演習を兵たちにやらせているのですが、
兵たちの目のかがやきが違いますよ。
やるなら早いほうがいいと思います
栗原がまっさきに同意した。
この即時決行論に対してだれも反対の意志表示はなく、
急進論に圧倒されたかたちであった。
村中も香田も安藤も、もともとおとなしい人たちで、
真っ向から反対するたちの人ではなかった。

オレは反対だなァ 

私は、きっぱりと反対意見を出した。

反対の理由は何ですか
磯部が、眼鏡ごしに睨んだ。

時期尚早だよ

革新に時期はありませんよ。
してい時期をいえば、こちらの準備のできたときが、時期ですよ。
奸賊どもをやっつける力は、いまの準備で充分です。
なんで躊躇するんですか

いや、どうみても時期じゃない

時期のことを云々する奴には、とかく卑怯者か臆病者が多い・・・・

貴様らが、何といおうが反対だ

私は、この場合反対理由をツベコベ述べたって、
かえって水掛け論となって面倒だから、
ただ、時期尚早の一点ばりで押し通した。
緊張した空気はちょっとした刺激ではち切れそうであった。

もし、どうしてもやるというなら、このオレをまず血祭りにあげてからやれ

私のこのタンカで、
さしもの緊張した空気にゆるみの出たのを感じた。
そして、やるともやらんとも結論の出ないまま 終わった。

私は、その足で西田を訪ねた。
西田は、一部始終をきいて真っ向から反対した。

ボクがさっそく手を打つから、君はしばらく黙っていたまえ

西田がどんな手を打ったか私は知らないが、
決行の話はいつか立ち消えになった。
その頃の決行論は、常に流動的であった。
しかし、このときの決行論は、
いつものと違って相当ボルテージの上がったものであった。
だが、凝固するには至らなかった。


大蔵栄一  著 
二・二六事件への挽歌 から 


この記事についてブログを書く
« 村中孝次 『 全皇軍靑年將校... | トップ | 村中孝次 ・ 同期生に宛てた通信 »