あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

長瀬一伍長 「 身を殺し以て仁を爲す 」

2017年10月14日 18時47分38秒 | 安藤輝三

第二中隊所属の長瀬一伍長も、安藤に心酔し、命を賭けた男の一人であった。
彼は、二・二六事件勃発に際し、
安藤の蹶起を知るや、その慰留にもかかわらず、自分の中隊の下士官・兵十八名とともに、行動部隊に参加した。
全体的な編成上、安藤中隊に入ることが出来なかったが、坂井直中尉の指揮する第一中隊主力に合流し、
内大臣齋藤実邸及び教育総監渡辺錠太郎邸の襲撃に加わったのである。
事件後、軍法会議での厳しい審問に際しても、断じて信念を曲げず、
銃殺刑に処せられた安藤大尉に殉ずるように、
歩三関係下士官としての最高刑である禁錮十三年の実刑に服した。
予審裁判で係官が彼に対し、安藤観を聞いた時、彼は大声でもって
「 身を殺し、以て仁を為す 」
と禅問答のような発言をして、係官を驚かした。
また、本法廷で裁判長から、
「 もし、このような事件が再び起きた場合は、お前はどうするか・・・」
と 尋ねられた時、
「 もち論、再び銃を執って参加し、奸賊どもを誅戮します 」
と 然と言い放ったことは、今でも同席した戦友たちの語り草になっている。

国を思ふ心に萌えるそくりようの
心の奥ぞ神や知るらん
・・・リンク→反駁 ・ 長瀬一伍長 「 百年の計を得んが為には、今は悪い事をしても良いと思ひました 」

『 被告人長瀬ハ、入営前ヨリ国体ノ研究ヲ志シ、且ツ居常維新志士ノ言行ヲ敬愛シアリシガ、
入営後 昭和九年七月頃、安藤輝三ヲ知ルニ及ビ、深キソノ人格ヲ敬慕シ、
同人ノ指導ト相俟ツテ、遂ニ国体ノ顕現ノ爲ニハ、一身ヲ犠牲ニシテ、
直接行動ヲ為スモ 敢テ辞セザルノ信念ヲ固ムルニ至り・・・・』
・・長瀬一の判決文の冒頭

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長瀬は、大正二年十月、埼玉県北足立郡三橋村で生まれた。
生来、頭脳明晰で、積極進取な長瀬は、県立浦和中学校に入学するや、
抜群の成績を示し、終始クラスの主席を押し通したという。
中学を卒業すると、当然一流の上級学校に進学すると見られていたが、
日頃から尊敬していた吉田松陰や明治維新の志士たちの影響を強く受けていた長瀬は、
自ら独学の道を選ぶことになった。
すなわち、親たちの希望に反して、国学書を読み漁ったり、その道の大家に直接師事するなど、
生なまの国体研究と人間修練に乗り出したのである。
その三年後の昭和九年、現役兵として歩兵第三聯隊第二中隊に入隊することになった。
そしてその年の七月、宿世の因縁ともいうべき安藤輝三という男と、奇しき結び付きを持つに至った。
 
安藤輝三

長瀬ら昭和九年一月に入隊した初年兵たちは、
その年の七月、
富士裾野において第二期教育の総仕上げを行った。
そして、七月下旬、
滝ケ原演習場一帯において、聯隊長による第二期検閲が実施されたのである。
聯隊長は、山下奉文大佐の後任の井出宜時大佐であった。
また検閲補助官として、聯隊附中佐以下、各本部付の将校が任命され、
安藤もその中の一人として参加した。
・・・・
長瀬一等兵は、
この時期すでに下士官候補者を命ぜられていたが、演習間は中隊に復帰していた。
中隊命令によって将校斥候の一員に選ばれた長瀬は、三里塚附近の敵小部隊を駆逐し、
その背後の敵主陣地一帯を偵察するために、
約一個分隊の兵員に混じって中隊地の終結を出発した。
敵に発見されないように、地形地物を利用し、隠密に三里塚高地の側背に迫った長瀬ら一隊は、
着剣して一挙に突撃を敢行した。
長瀬は、錆止のため銃剣の着脱溝に、日頃から油布の小片を入れておいたのである。
それが思わぬ禍となって、
突撃後五〇メートルぐらい走った時に、銃剣が落失したことに気が付いたのであった。
失敗った! と 思った彼は、慌てて引き返し、必死で銃剣の捜索にかかった。
すでに長瀬らの隊は、敵陣地偵察のため遙か前方にすすんでおり、協力を頼むことも出来ない。
銃剣を落したと思われる一帯は、灌木と雑草が茂っていて、長瀬一人での捜索はなかなか大変だ。
しかも日没まであと一時間もない。
長瀬は、眼の前が真暗になった。
銃剣紛失は重大問題である。みつからなければ重営倉は間違いない。
もち論、下士官候補者もやめさせられるだろう。
それは自分だけでなく、班長や教官や中隊長までにも大変な迷惑をかけることになる。
話によると過去銃剣を紛失いたために、自殺した兵隊も出たという。
長瀬は、半分泣きべそをかきながら、遮二無二草原の中を匐はらばいまわった。
時折、富士特有の霧が視界をさえぎり、時間もどんどん経過して行くが、全く手がかりがない。
気丈な長瀬も、すっかり気落ちし、広い原野の中で茫然自失していた。
その時、長瀬の耳に、
「 おい !  そこの兵隊・・・・・・・どうしたんだ!  」
と 怒鳴るような声が聞こえた。
長瀬が振り返ってみると、審判官の白い腕章をつけた乗馬の将校が、自分の方を見ている。
「 第二中隊、長瀬一等兵 !  突撃の最中に銃剣を落失し、ただ今捜索中であります ! 」
と 長瀬は大声で報告した。
「 そうか、それはいかんなあ。よし・・・・俺も一緒に探そう・・・・」
と、その将校は馬から飛び降り、馬を近くの灌木の根っこに繋いだ。
そして長瀬の行動半径を聞くと、指揮刀を抜いて、逐次草を薙ぎ払いながら捜索を始めた。
長瀬は勇気百倍、突撃を開始した地点から、捜索をやり直した。
しかし広い草原の中で、一本の銃剣を探し当てるのは、まさに至難の業と言えた。
辺りはだんだんと薄暗くなってくる。長瀬の気持は焦るばかりだ。
それから、どのくらい時間が経っただろう。
突然とんでもない方向から、
「 あった !  あったぞ ! 」
と 叫び声が聞こえた。
その将校が、白く輝く剣身を高く挙げて、ニッコリ笑っているではないか。
途端に、長瀬の顔は涙でクチャクチャになった。
そして夢中で、将校の方に駈け寄った。
長瀬は、渡された銃剣を抱き締めて、大声で泣いた。
それは言いようのない感動であった。
「 よかったなあ・・・・では俺は急ぐから、これで失敬する 」
とひとこと言った将校は、再び馬に乗って東の方に走り去った。
長瀬は名前を聞く暇がなかったのだ。
ただ、丸ぶちの眼鏡をかけた、長身の優しそうな中尉だったという印象だけが残った。
長瀬は、中尉の後姿に両手を合わせて拝んだ。
そして茫然とした意識の中で、仏の姿を見いだしたように感じた。
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 歩兵第参聯隊 営舎

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昭和十一年二月二十五日夜、
長瀬伍長は一人で第六中隊長室に呼ばれた。
その頃、長瀬は渡満前の兵を訓練するために寝食を忘れて頑張っていたが、
一方で昭和維新決行のただならぬ雰囲気を、肌で感じとっていたのである。
安藤大尉が遂に蹶起に踏切ったという情報も、すでに耳に入っていた。
「 安藤さんが起つ時は、俺も起つ 」
という 長瀬の気持ちには、全く迷いがない。
部屋の中に入ると、安藤は立ち上がって、長瀬を迎えた。
中には、もう一人の将校が静かに椅子に坐っていた。
一瞬張りつめた空気を感じとった長瀬は、何かあるなと思った。
そして、弓にたとえれば、「 会 」 から 「 離れ 」 に 移る直前の気魄とでもいうか、
そんな雰囲気を敏感にさとった。
安藤は、在室の将校を指して、
「こちらは、所沢飛行学校の河野寿航空兵大尉だ・・・・」
と 紹介したあと、
「 我々は明朝蹶起するが、貴公は残って勉強せよ 」
と 言った。
長瀬は弾かれたように、
「 私も出ます・・・・」
と 答えた。
「 君は優秀な人材だ。今度は残って陸士予科の受験勉強に専念してくれ。
 そして必ず立派な将校になるんだ。俺は後事を託したい。
我々は第一線部隊として突っ込むが、君らを第二線部隊として控置して置きたいのだ。
どうかこの気持を分ってくれ・・・・」
と 安藤は長瀬の眼を食い入るように見ながら頼んだ。
それは、死を決して湊川に出陣してゆく楠正成が、
我が子 正行を呼寄せて諭した時の心境とでも言うべきか・・・。
長瀬の心は、すでに富士裾野で安藤に会った時から決まっているのである。
しかし、安藤の気持ちを尊重して、
「 お気持ちはよく解ります。どうか暫く考えさせて下さい。ではご武運を祈ります・・・・」
と 答え、安藤の手を固く握り締めた。
長瀬の眼の異様な輝きを、見てとった安藤は、
「 そうか・・・・君の気持ちは変りそうもないな。
 やむを得ん・・・・その時は、坂井の指示を受けてくれ。くれぐれも武運を祈るぞ 」
と、長瀬の手を強く握り返した。

二・二六の礎 安藤輝三  奥田鑛一郎 著から


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