深夜にこだまする奉勅命令
二十八日午後より夜にかけては必死の説得がつづけられていた。
だが、彼らは頑としてこれをうけつけなかった。
兵隊たちはいきりたった将校や下士官の気合に支えられ、
決死の覚悟で前面の包囲軍と相対峙し、その志気はいやが上にもたかぶっていた。
その夜
幸楽や山王ホテルにはこんなビラが貼られていた。
尊皇討奸ノ義軍ハ如何ナル大軍モ兵器モ恐レルモノデナイ。
又 如何ナル邪智策謀ヲモ明鏡ニヨッテ照破スル。
皇軍ノ名ノツク軍隊ガ我ガ義軍ヲ討テル道理ガナイ。
大御心ヲ奉戴セル軍隊ハ我ガ義軍ニ對シテ
全然同意同感シ、我ガ義軍ヲ激励シツツアル。
全國軍隊ハ各地ニ蹶起セントシ、全國民ハ萬歳ヲ絶叫シツツアル。
八百萬ノ神々モ我ガ至誠ニ感應シ加護ヲ垂レ給ウ。
至誠ハ天聽ニ達ス、
義軍ハアクマデ死生ヲ共ニシ昭和維新ノ天岩戸開キヲ待ツノミ。
進メ進メ、一歩モ退クナ、
一ニ勇敢、二ニ勇敢、三ニ勇敢、
以テ聖業ヲ翼賛シ奉レ
昭和十一年二月二八日 維新義軍
陸将官邸にあった蹶起部隊首脳が
部隊の志気を鼓舞するために、この夜ガリ版ずりのこのビラを配ったものであった。
・
この間にあつても包囲軍の説得使は、
彼らの抵抗にも屈せずなお執拗にその帰順をうながしていた。
なかでも、その夜の山王ホテル前における桜井徳太郎少佐の説得は悲壮なものだった。
桜井少佐は歩兵学校戦術教官だったが、
第一師団増加参謀として臨時に師団に配備せられていたのである。
福吉町の警備についていた歩三新井中尉のところに一台の自動車がすべり込んだ。
桜井少佐である。もう一人の大尉を連れている。
彼は新井中尉に大隊本部の所在をたずねた。
新井が大体本部に案内すると、
桜井少佐は、
「 実は、本物の奉勅命令を持って来たのです。
兵隊たちは何も知らないのですから、今からこれを見せに行こうと思うのですが、
大隊長の意見はどうですか 」
「 異論はありません、むしろ、こちらから希望するところです 」
新井は桜井少佐の案内役を引きうけた。
そして最初の目標、山王ホテルに向かった。
ホテルの前で車を降り まず新井が歩哨に近づいて、
「 新井中尉が、写しでないホンモノの奉勅命令を持った方をお連れしたから、
将校の誰かに来るように伝えてくれ、できれば、丹生中尉が自分で出て来るように 」
兵は ホテルに駈け出した。
だが、その返事は拒否であった。
「 中隊長命令! その必要なし 」
と 伝令は大きな声で叫んだ。
新井は丹生と同期生だった。
その丹生の態度に心の煮えかえるのを抑えていた。
丹生部隊の兵隊たちが剣付鉄砲で取りまくように見守っている。
桜井少佐は
「仕方がない」 と 吐き出すようにつぶやいたが、
一段と声をはりあげ、
「 それでは、ここにいるものはみんな聞け、奉勅命令が出ているんだ。
早くここを引きあげて兵営へかえれという奉勅命令が出ているんだ。
これをきかなければみんな陛下のご命令にそむく逆賊として討伐される。
しかし攻撃開始前に兵営にかえれば逆賊ではない。いいか、よく聞け ! 」
少佐はうやうやしく奉勅命令を取り出して姿勢を正した。
随行の大尉は少佐の左にならび、新井はその少し左後方に不動の姿勢で立った。
狙いうちには絶対のチャンス、またとないよい目標である。
この危険に身をさらしながら少佐は街灯のうす明りの下で厳粛に読み上げた。
戒嚴司令官ハ 三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲモッテ
速ヤカニ現姿勢ヲ撤退シ各所属部隊長ノ隷下ニ歸セシムベシ。
勅ヲ奉ズ、參謀總長 戴仁親王
一語一語、
ゆっくり読みあげる少佐の声は山王ホテル附近の夜のしじまにひびきわたった。
だが、山王ホテルではなんの反響も示さなかった。
・・・新井勲 「日本を震撼した四日間」 による
その頃、第一、近衛師団ではその攻撃命令はすでにその末端にまで伝達されていた。
攻撃開始は別命するとあるが、明朝午前五時が予定されている。
もう、あと数時間もすればお互いが血を流しあわなければならない。
反乱部隊を目の前にして、今やこれを攻撃しなければならない第一線の将兵にも憂色はあった。
事の是非善悪は別としても、昨日までの戦友を討つことは耐えがたい苦しいことだった。
皇軍同志が打ち合いすることは、いくら上官に命令されても出来ないことだと洩らす将校もいた。
討たれるものはいさぎよく真白い雪に血を染める覚悟はしているが、
討つものは、この流血に心は動揺し、うちに、ためらいを感じていた。
・
死戦か屈服か
その夜 坂井直中尉とともに陸軍省附近にあった高橋太郎少尉の一隊は、
包囲軍がいよいよわれわれを攻撃すると聞いて、
その愛する兵隊たちと一緒に警備線上に死ぬことを誓った。
部隊を宮城の方角に向けて整列せしめ、
厳粛に 「捧げ銃」 の部隊礼を行って一同、この維新戦線に倒れるのを覚悟を新たにした。
だが、死戦を誓った若い将校にも懐疑はあった。
この夜半より農相官邸で出て半蔵門附近を守備していた歩三の清原少尉は、
攻囲軍が着々その準備を進めている状況を眺めて思い悩んだ。
二十六日以来大臣告示に感激し 戒厳令で麹町地区警備隊となって
維新の来るまで占拠をつづけようとしているが、状況は全くわれわれに不利である。
幹部たちは どうかんがえているかわからないが、
連れてきた兵隊たちは自分の責任で解決をつけねばならない。
明け方近くなると、青山の方角からスピーカーの音が聞こえてくる。
よくわからないが、
「 勅命が下った、今からでもおそくない、すぐ原隊にかえれ 」
と いうことをくり返し言っているようだ。
勅命が下ったのが本当だとすると一大事である。
すべては水の泡だ。
清原はここまで考えてくると幹部の意見を求めるため幸楽に走った。
来て見るとみんな山王ホテルに移っていた。
さらに山王ホテルに足をのばすと、
そこでは安藤中隊の兵隊たちが元気よく軍歌をうたって景気をつけているが、
電車線路をへだてた向側には攻囲軍が厳重に対峙している。
勅命は下ったのですか
いや、そんなことはない、あれは謀略だ
攻囲軍はドンドン攻撃準備をしているようですが
そんな心配するな、皇軍が相撃つなどということは絶対にない。
このまま時をかせいでいるうちに維新はできて行くのだ
それでも兵隊はどうします
下士官も兵に最後まで頑張るのだ !
清原は納得のゆかぬままに山王ホテルを出た。
一人でトボトボ溜池の坂を上ろうとしていると、
白みかけた電車道をかけ足で居って来る人がある、振りかえると見知らぬ少佐の人だった。
「 勅命が下ったのだ、逆賊になってくれるな、すぐに原隊にかえってくれ 」
と 手を握りしめて、ボロボロ泣き出した。
清原もわけもなく泣けてきた。
「 安心して下さい、兵隊は返します 」
急いで彼は自分の部署にもどった。
そして、兵隊たちとともに雪の上で朝食の乾パンをかじった。
頭上を飛行機が飛んでビラをまく、
兵隊たちはヒラヒラと落ちて行くビラを見つめているが拾おうともしなかった。
午前九時頃、一台の戦車が突進してきた。
清原部隊は、サッと機銃を構えてこれに応ずる。
戦車はとまって中から藤吉少尉が飛びおりて来た。
藤吉は清原の同期である。
「 おい! 勅命が下ったぞ! 」
「 ほんとうか 」
「 うん、武装解除を開始したところだ、捕虜にならんよう早く原隊にかえれ 」
いうだけ言うと藤吉は行ってしまった。
清原の決心はきまった。
歩哨を撤して全員を陣地から堀端に集合せしめた。
原隊帰還の勅命が下ったようであるから中隊は只今から勅命を奉じて聯隊にかえる
ついては天皇陛下に対し奉り至誠奉公を誓って宮城を遙拝する
捧げ銃 !
朝の静かな しじまを破って
君が代のラッパは朗々と半蔵門から三宅坂にいたるお堀端にひびきわたっていた。
( 本項 「 清原手記」 による )
こうして帰順の動きは出はじめたが、なお、各所に反乱軍は攻囲軍と対抗していた。
・
磯部は二十八日夜は農相官邸で仮眠していたが、夜中の三時頃鈴木少尉にたたきおこされた。
鈴木少尉は興奮の色を現わしながら、
磯部さん、すぐおきて下さい。
奉勅命令が下ったらしいですよ、ラジオがさかんに放送しているんですが。
なに、奉勅命令が出た?
跳ねおきた磯部は表にとび出した。
じっと耳をすまして青山の方向に注意を向けた。
たしかに何か放送しているらしいが、はっきり聞きとれない。
ちょうど、そこへ下士官がとんできて
「歩哨線の附近に斥候らしい者が現れましたが、すぐ引き返しました」 と 報告した。
磯部は攻囲軍が攻撃してくる兆候かなと思って見たが、
「なあに、いくさになるものか」 と 独りぎめして、また自室に戻ってきた。
彼も安藤と同じように、いくら攻囲軍が押し寄せてきても、断じて撃ち合いにはならないとたかをくくっていたのだ。
だんだん夜が明けて来た。
磯部のところには、奉勅命令が下って攻囲軍がいよいよ攻撃してくるとの報告がひんびんと入ってきた。
前面の各所から戦車のごう音が聞こえてくる。
下士官兵の間にははげしい動揺の色が見える。
近づく戦車には、
「謹ンデ勅命ニ従イ武器ヲ捨テテ我方ニ来レ、惑ワズ直グ来レ」
と大書した紙をはりつけている。
そして、 そのごう音とともに、さかんに 「下士官兵ニ告グ」 というビラをまき散らす。
磯部はこんな状態を見ても、なお合点がいかないのだ。
昨日来のいわゆる奉勅命令がわれわれには未だ下達されていない。
だから、それがどうした内容のものかもわからない。
軍が奉勅命令によってわれわれを攻撃するというのが本当なら、
その奉勅命令は賊徒討伐の勅命であるはずだ。
われわれは戒厳部隊にあって依然警備の任にある、賊徒ではない。
それを攻撃するということは腑におちない
こうした磯部の考えも無理からぬことだった。
彼らは依然小藤部隊として警備に任じ、その任務は解除されていなかったのだ。
戒厳司令官は小藤大佐の指揮は解いたが、これは彼らに知らされなかったのである。
だから、彼らが当面の攻撃に考え込むのも無理のないことだった。
ひどい指揮上の失態だといえる。
・
こんなことを考えていた磯部は、
思い余って一応同志と連絡して彼らの意見を聞いて見ようと、栗原のいる首相官邸に走った。
栗原は憔悴した顔で沈痛に考えこんでいた。
オイ、どうしたことになったのだ、ぼくにはわからない
奉勅命令が下ったようですね、どうしたらよいでしょう
やつぱり奉勅命令が出たというのは、本当なのか
下士官兵は一緒に死ぬといっています。
自分たちを助けるために弱気をおこしてくれぬなと諫めてくれる下士官もいます。
しかし彼らを一緒に殺すことは可哀想でしてね、
どうせ、こんな十重二十重に包囲されてしまっては戦をしたところで勝目はないでしょう
磯部は栗原のこの悲痛な言葉にうなだれて聞き入っていた。
どうでしょう、下士官が死んでも残された下士官によって第二革命ができるのではないでしょうか。
それに実をいうと、中橋や兵隊は帰隊させましょう
そしたら、われわれ部隊の兵が昨夜から今朝にかけて逃げかえってしまったのです。
この上他の部隊からもどんどん逃走するものが出たら、それこそ革命党の恥辱ですよ。
中橋部隊というのは近歩三の出動部隊である。
六十名ばかりの兵隊は二十八日の夜暗にまぎれて脱出したが、
逃げおくれた八人は引きとめられて一晩拘留されたが、
今朝方になってこれも逃げかえってしまったのだ。
磯部は実力部隊の中心だった栗原が状況ゆむなく戦闘を断念するという以上、
兵力を持たない自分がいくら強いことをいって見たところでどうにもならない。
残念なことだが致し方がないと思った。しかし彼はまだ降伏する気はなかった。
やっと重い口を開いて、
「 しかし、それは同志将校全部の生死にかかる重大問題だから、君ひとりで事をきめてしまってはいかんだろう 」
「 そうです、これから部隊本部にいって、村中さんや野中さんに会ってきましょう 」
栗原はそういうと一人で官邸を出て行った。
29日の誤認記事写真
村中は今朝未明 野中部隊と一緒に新議事堂に移っていた。
まだ夜は明けきっていないのに、遠くに拡声機をもって何事か放送しているのがわかる。
じっと耳をすまして聞くがよく聞き取れない。
しかし確か奉勅命令という言葉が二度ほど聞き取れた。
奉勅命令というところを見ると、一昨日の奉勅命令が下ったのではあるまいか、
すると軍はいよいよ奉勅命令をもって、われわれを討伐するのだろう。
彼の心のうちは悲憤に煮えくりかえって 思わず涙が頬を伝わってきた。
八時頃になると飛行機から 宣伝のビラがまかれ、議事堂附近にもヒラヒラと舞いおりる。
兵の拾ったものを見ると、
下士官兵ニ告グ
一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ
二、抵抗スルモノハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
二月二十九日 戒厳司令部
それは明かに下士官兵に帰営をすすめているものだった。
村中は、野中と話合って 兵を返すことにした。
野中大尉は部隊の集合を命じた。
傍らにいた 一下士官は、
「 中隊長殿、兵隊を集合してどうするのですか、我々を帰すのではないでしょうね 」
と 泣きながら訴えた。
「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に従わねばならん 」
村中は、よこから、こう諭した。
下士官は、
「 残念です。私は死んでもかえりません 」
と、その場に号泣した。
次頁 兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」 に 続く
大谷敬二郎 二・二六事件 から