あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

村中孝次 『 勤皇道樂の慣れの果てか 』

2022年12月22日 01時01分01秒 | 村中孝次

磯部が言う。
「 村中さん、おとなしくしていれば陸大を出て、今頃は參謀ですなあ 」
村中が答える。
「 勤皇道楽の慣れの果てか 」
一同は アッハッハと大笑いする。
(大西郷の言葉を借用していたので)

・・・村中孝次 「 勤皇道楽の慣れの果てか 」 


村中孝次  ムラナカ タカジ
『 勤皇道樂の慣れの果てか 』
目次

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・ 昭和維新 ・村中孝次 (一) 粛軍に關する意見書
・ 昭和維新 ・村中孝次 (二) 赤子の微衷
・ 
昭和維新 ・村中孝次 (三) 丹心錄 

維新の原理―方法論
一君萬民、君民一體、一國一家、共存共栄の原則に立つ日本國家の維新は必然、

此の原則によって發展されねばならぬ。
即ち天皇を至高中心とする君民一體の國家的躍進たるべく、
國家のものの理想と時勢の 進運に伴って實現せんとする
君民一體の國家意思の躍進的發動たるべきである。
維新は天皇を無視除外せる臣民的國民のみの大衆行動に非ず。
臣民的國民を除外せる天皇の独裁に非ず。
國民中の或る階級分子の専制であってはならぬ、一體的君民の國民行動である。
先覺的國民の先駆誘導による擧國的躍進行動で天皇は其中心指令者、
全國國民は是を協翼する本隊員である、
此の行動は國家原理維新原理に深刻正当な理解を把握して國家の格階層全分野より 起り
上下左右強力して進めることが必要である。
維新とは又より高き現実の實現である、
現實を否認すると共に此の否認する現實を基点としてのより高き明日の現實への躍進である
從って形式的復古でなく非現實的改革でないのは固よりである。
維新の具體的原則
1 政治的原則 一君萬民、君民共治、天皇親裁、 國民翼賛議会政党

 (自主的國民の政治的意見の自由は政党を作ることがあり得 )
國民の自由発展 (進化の原則である)
2 経済的原則 國民各自の自由發展の物質的基本の保証、自主的個人の人格的基礎の確立、
 國家の最高意思による私有財産土地企業の限度―経済的封建制の廃止
( 現政党の否認は財閥との結託により大政党を組織して居ることによる弊害大なるが故である )
3 軍事的原則 ( 國家最高意思による統一 )
 消極的國防の観念を排し建國の理想世界的使命の實現の爲めの積極的実力の充實、國家の國際的生存權の主張
二月十八日   村中孝次

・・・
村中孝次 ・ 同期生に宛てた通信

國防の本義と其強化の提唱に就て
陸軍が其総意を以て公式に 經済機構變革を宣明したるは建國未曾有のこと

昭和維新の氣運は劃期的進展を見たりと謂うべし。
( 水戸藩主が天下の副將軍を以て尊皇を唱えたるよりも島津侯が公武合體を捨て
尊皇統幕を宣言したるよりも大なる維新氣勢の確信なり )
陸軍は終に維新のルビコンを渡れるシーザーなり。
内容に抽象的不完全の點なきに非ずと雖も具體的充實化は今後の努力にあり。
我等は徹底的に陸軍當局の信念方針を支持し拡大し強化するを要す。
之が方策の一、二例左の如し。
イ、該冊子を有効に頒布し十分活用すること、將校下士官兵有志、在郷下士官兵有志、
 郷軍有志、民間有志竝農民關係其他所在の改造勢力方面
ロ、國防國策研究 ( 本冊子をテキストとして ) の集會を盛に行うこと
ハ、各種の方法を以て當局に對し本冊子に對する絶賛の意を表すると共に活行突破要請を具申建白すること
ニ、 農民其他一般に民間方面の當局に對する陳情具申等を陸軍に集中せしむること
一般情勢判斷に就て
イ、陸海軍軍事予算竝國民救濟豫算 ( 臨時議會提出及十年度分 ) 手呈的に支援し
要求貫徹を計ること
ロ、在満機関紙海軍軍縮廢棄通告の實現を促進すること
ハ、所在同憂同志諸士を正算結集し非常時におうずる準備を着々整うること
ニ、可能なる限り在京同志と密度なる聯絡をとること
ホ、冷鐡の判斷行動と焦魂の熱意努力とを以て日夜兼行り奔走を敢行すること
 「 一息の間斷なく一刻の急忙なきは即ち是れ天地の気象 」 とは吾曹同志の採って以て日常の軌道とすべきなり。
降魔斬鬼救世済人の菩薩が湧出すべき大地震裂の時は恐らく遠からずと想望され候
日夜不撓為すべきを爲し、盡くすべきを盡くし 以て維新奉公の赤心に活くべく
お互いに精遊驀往可仕候     十月五日  村中孝次
・・・
村中孝次 『 国防の本義と其強化の提唱について 』 

陸軍士官學校予科區隊長 ・ 村中孝次 
「 軍中央部は我々の運動を彈壓するつもりか 」 
「 粛啓壮候 」 と冒頭せるもの
 村中孝次 『 全皇軍青年將校に檄す 』 
改造法案は金科玉条なのか 

・ 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」
・ 村中孝次 「 カイジョウロウカク みたいなものだ 」 
十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 ) 
 ・ 所謂 十一月二十日事件
 ・ 十一月二十日事件の經緯
 ・ 法務官 島田朋三郎 「 不起訴處分の命令相成然と思料す 」
 ・ 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」
 ・ 村中孝次 「 カイジョウロウカクみたいなものだ 」
 ・ 士官候補生の十一月二十日事件
 ・ 栗原中尉と十一月二十日事件
 ・ 憲兵 塚本誠の陸軍士官學校事件
 ・ 十一月二十日事件をデッチあげたのは誰か
 ・ 十一月二十日事件 ・ 辻大尉は誣告を犯した
 ・ 辻正信大尉
 ・ 正面衝突 ・ 村中孝次の決意
 ・ 粛軍に關する意見書
 ・ 栗原中尉と齋藤瀏少將 「 愈々 正面衝突になりました 」
 ・ 三角友幾 ・ 辻正信に抗議
 ・ 候補生 ・ 武藤与一 「 自分が佐藤という人間を見抜けていたら 」
 ・ 荒木貞夫が見た十一月二十日事件
 
正面衝突 ・ 村中孝次の決意
 粛軍に關する意見書


教育總監更迭事情要点 ・村中孝次 
村中孝次 發 川島義之 宛 


野中大尉の決意書を
村中が之を骨子として、
蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の
人格、個性がハッキリとした所の大文章であった。
・・・磯部浅一 ・ 行動記  第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

吾人の蹶起の目的は 『 蹶起趣意書 』 に明記せるが如し。
本趣意書は二月二十四日、
北一輝氏宅の仏間、

明治大帝御尊象の御前に於て神仏照覧の下に、
( 村中孝次 ) の起草せるもの、

或は不文にして意を盡すと雖も、
一貫せる大精神に於ては
天地神冥を欺かざる同志一同の至誠衷情の流路なるを信ず。

・・・村中孝次、丹心録 「 吾人はクーデターを企図するものに非ず 」 


「 只今から我々の要望事項を申上げます 」 
・ 帝國ホテルの會合
・ 西田税、村中孝次 『 村中孝次、 二十七日夜 北一輝邸ニ現ル 』 
・ 村中孝次の四日間 1 

・ 村中孝次の四日間 2 

歯ぎしりする村中

この後の二時間近くを、私はどこでどう過したかを今となっては覚えていない。
二十七日の夜九時ごろ、
鐡道大臣官舎 ( 伊藤公の銅像のある西方約百メートル ) の 前で、バッタリ 村中孝次に会った。
彼は既に免官になっていたのだが、歩兵大尉の軍服を着て小柄な身体をマントに包んでいた。
兵隊を一人連れていたが巡察の途中だという。
あいさつもぬきにして、村中が私を見るなり、
「 おい、牧野 ( 伸顕伯 ) は どうした?生きたか死んだか ? 」
と 問いかけて来た。
牧野が無事脱出したことは、昼間見た社の情景で知ってはいたが
村中のこの決死の形相を見て私は事実を告げるわけにも行かなくなった。
といって、嘘もつけない。
モゴモゴ口籠っている私を見ると、
鋭敏な彼は早くも事の失敗を察知して、歯がみをして口惜しがった。
小さな体を震わして、
「 牧野を逃がしたのかウーム・・・・・失敗か 」
東北弁で歯ぎしりしながら語る村中のことばはよく聞きとれなかったが、
こうしている間も もどかしいという風に、私の手をグッと握ると後はもう何もいわず、
鐡道大臣官舎の門の中へ消えて行った。
後ろ姿は妙に寂しかった。
・・・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」 

・ 村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に從わねばならん 」 
・ 「 あの温厚な村中が起ったのだ 」 

裁判官は檢察官の陳述せる公訴事實
竝に豫審に於ける取調を基礎として訊問せらるる様なるも、
檢察官の陳述せる公訴事實には
前回迄に申述べたる如く蹶起の目的其の他に相違の點あり。
又、豫審に於ける取調は急がれたる關係上
我々の気持を十分述ぶる餘裕を与へられざりしを以て
我々は公判廷に於て十分なる陳述を爲し度き考なれば、
白紙となりて十分陳述の餘裕を与へられ度、
殊に當軍法會議に於ては弁護人を許されざるを以て
我々は自分で弁護人の役目も果たさねばならず、
而も弁護人と異なり身體の自由を有せざるを以て
弁護の資料を得ること能はざる不利なる立場に在り。
此等の点點を御諒察の上、陳述の機會及餘裕を十分に与へられ度し。
今回の行動は大權簒奪者を斬る爲の獨斷専行なり。
党を結びて徒らに暴力を用ひたるものにあらず。
我々軍隊的行動により終始一貫したるものなるを以て、
此獨斷専行を認めらるるか否かは一に大御心にあるものなり。
若し大御心に副ひ奉る能はざりし時と雖も反亂者にあらず。
陸軍刑法上よりすれば檀權の罪により處斷せらるるものたるを信ず。
・・・ 反駁 ・ 村中孝次 

村中孝次 ・ 丹心錄 
 ・ 丹心錄 「 吾人はクーデターを企圖するものに非ず 」
 ・ 続丹心錄 「 死刑は既定の方針だから 」
 ・ 続丹心錄 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり 」
 ・ 続丹心錄 ・第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」
 ・ 続丹心錄 ・第二 「 奉勑命令は未だ下達されず 」
 ・ 続丹心錄 ・第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起してはいけません 」
 ・ 続丹心錄 ・第四、五、六  「吾人が戰ひ來りしものは國體本然の眞姿顯現にあり 」
 ・ 村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」

 青年 村中孝次 「 自己を知り、自我を養ふ 」 
・ あを雲の涯 (三) 村中孝次
・ 村中孝次 ・妻 静子との最後の面會
・ 昭和12年8月19日 (三) 村中孝次大尉

「 勝つ方法としては上部工作などの面倒を避け、
襲撃直後すかさず血刀を提げて宮中に參内し、
畏れ多いが陛下の御前に平伏拝謁して、
あの蹶起趣意書を天覧に供え目的達成を奉願する。
陛下の御意はもとよりはかり知るべきではないが、
重臣らにおはかりになるかも知れない、
いわゆる御前會議を經ることになれば、
成果はどうなるか分からないが、
そのような手續きを取らずに、おそらく御許しを得て奏功確實を信じていた。
この方法は前から考えていたことだが、いよいよとなると良心が許さない、
気でも狂ったら別だが、至尊鞏要の言葉が怖ろしい。
たとへ 御許しになっても、皇軍相撃つ流血の惨は免れないだろうが、勝利はこちらにあったと思う。
飛電により全國の軍人、民間同志が續々と上京するはずだ。
しかし、今考えて見れば銃殺のケイ よりも、私らは苦しい立場に立つだろう。
北先生からも  『 上を鞏要し奉ることは絶對にいけない 』 と聞かされていた。
この方法で勝っても、その一歩先に、
陛下のために國家のために起ったその忠誠が零になるわけだ、矢張り負けて良かったとも考えている。
勝つ方策はあったが、あえてこれをなさざりしは、
國體信念にもとづくもので、身を殺しても鞏要し奉ることは欲せざりしなり。
・・・ 勝つ方法はあったが、あえてこれをなさざりし

いろいろと娑婆からここに来るまで戰つてきましたが、
今日になって過去一切を靜かに反省して考えて見ますと、
結局、私達は陸軍というよりも軍の一部の人々におどらされてきたことでした。
彼等の道具に、ていよく使われてきたというのが正しいのかも知れません
もちろん、私達個々の意思では、あくまでも維新運動に挺身してきたのでしたが、
この私達の純眞な維新運動が、上手に此等一部の軍人に利用されていました。
今度の事件もまたその例外ではありません。
彼等はわれわれの蹶起に対して死の極刑を以て臨みながら、
しかも他面、事態を自己の野望のために利用しています。
私達はとうとう最後まで完全に彼等からしてやられていました。
私達は粛軍のために闘ってきました。
陸軍を
維新化するためにはどうしても軍における不純分子を一掃して、
擧軍一體の維新態勢にもって來なくてはなりません。
れわれの努力はこれに集中されました。
粛軍に關する意見書 』 のごときも全くこの意圖に出たものでしたが、
ただ、返ってきたものはわれわれへの彈壓だけでした。
そこで私達は立ち上がりました。
維新は先ず陸軍から斷行させるべきであったからです。
幕僚ファッショの覆滅ふくめつこそわれわれ必死の念願でした。
だが、この幕僚ファッショに、今度もまた、してやられてしまいました。
これを思うとこの憤りはわれわれは死んでも消えないでしょう。
われわれは必ず殺されるでしょう。
いや、いさぎよく死んで行きます。
ただ、心残りなのは、
われわれが、彼等幕僚達、いやその首脳部も含めて、

れらの人々に利用され、彼等の政治上の道具に使われていたことです。
彼等こそ陸軍を破壊し國を滅ぼすものであることを信じて疑いません

・・・
「古ヨリ 狡兎死而走狗烹 吾人ハ即走狗歟 」