あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税、澁川善助 ・ 暁拂前 『 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛込ンデ行ツテハナラヌ 』

2019年01月16日 05時30分08秒 | 前夜

・・・ここで思い当るのは澁川の手紙をよんだ西田が絹子さんに渡した澁川宛の封書のことである。
これを持って湯河原に引返した絹子さんは、内容を読んでいないから分るべくもないが、
おそらく早く東京に戻ってこいという西田の指令だったろう。
西田としては腹心の澁川にそんな突走り方をされては困るのである。
だが、澁川としては前からの行きがかりで牧野偵察は河野大尉に連絡する必要があったので、
横浜の出会いということになったのではあるまいか。
「 二十四日ごろ、私が西田を訪ねると、
『 決行には最後まで反対するがダメかもしれない。そのときは澁川を軍人としてもらっていきます』
と 彼はいった 」 ・・・大森一声
隊付将校だけの 「 蹶起 」 を目前にして、
民間人と軍人の接点にあった西田は、
自分と同様、もと軍人の澁川を自分の手もとにひき戻すため、
「 軍人として ( こっちに ) もらう 」
といったのだろう。 
松本清張著  ニ ・ニ六事件 第二巻
第十一章  奉勅命令 からの
・ 澁川善助と妻絹子 「温泉へ行く、なるべく派手な着物をきろ」 
・ 澁川善助 ・ 湯河原偵察 「 別館の方には、誰か偉い人が泊っているそうだな 」 

  
西田税               澁川善助   
翌二十五日午前中、私は来客と話シテ居ルト、
磯部淺一ガ來テ、一寸部屋ヲ貸シテ呉レ、此所デ落合フ人ガアルカラト申シ、
暫クスルト澁川善助妻ガ來テ別室デ話シテ居リマシタ。
私モ後カラ挨拶ノ爲其ノ室ニ行クト、
磯部ガ、澁川ニハ湯河原ヘ視察ニ行ツテ貰ツテ居ルト申シタノデ、
其ノ時澁川ガ妻君ニ手紙ヲ託シテ、視察ノ状況ヲ連絡ノ爲ニ來タ事ヲ知リマシタ。
澁川ハ二月二十日頃ヨリ突然私方ヘ顔ヲ見セナイ様ニナツタノデ、不思議ニ思ツテ居リマシタガ、
右ノ事情デ始メテ諒解シタノデアリマス。
然シ、澁川モ参加スルト思ツタノデ、磯部ニ對シ、
『 現役軍人ガヤルノダカラ、澁川迄引張リ出スノハ宜クナイ。 夫レダケハ止メテクレヌカ 』
ト申シタ処、磯部ハ承知シマシタノデ、
私ハ早速澁川宛
『 軍人側ノスル事ニ我々地方人ハ無関係デアリ、没交渉デナケレバナラヌト思フカラ、
 君ハ今日中ニ東京ニ歸ツテ貰ヒタイ。歸ツタラ直ニ電話デ連絡セヨ 』
ト言フ趣旨ノ手紙ヲ書キ、澁川ノ妻ニ宅シマシタ。


北方ニ電話ヲ掛ケ、
「 ソチラニ行ツテモ差支ナイカ 」 ト聞キマシタ処、
來イト云フ返事デアリマシタノデ、
同夜、即 二月二十六日午前一時頃、
家人ニハ 「 今夜は歸ラナイカラ 」 ト言ヒ置イテ、北方ニ行キマシタ。
北方ニ行ツテ間モナク、澁川善助ヨリ電話ガ掛リマシタノデ、
私ノ言ヲ容レテヨク歸ツテクレタト思ヒ、安心致シマシタ。
ソシテ私ハ澁川ニヨク歸ツテクレタト申シマシタ処、
澁川ハ、
「 歸ル汽車中デ、偶然豊橋ノ對馬中尉ヤ竹嶌中尉等ト一緒ニナツタガ、
 汽車中ノ事トテ詳シク話ハ出來ナカツタガ、豊橋ノ状況ガ変化シタ爲ニ上京シタ様デアル 」
ト申シマシタノデ、
豊橋部隊デ西園寺公ヲ襲撃スル計劃ニ齟齬ヲ來シタ爲、對馬等ガ上京シタノデアラウト想像シマシタ。
ソシテ尚澁川ニ對シ、
「 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛ビ込ンデ行ツテハナラヌ。
 明朝愈々蹶起スル様デアルガ、判ツタラ直グ知ラシテクレ 」
ト申シテ電話ヲ切リ、
北ニ對シ西園寺襲撃ヲ中止シタ様デアル旨ヲ話シマシタ。
処ガ二十六日午前五時頃、澁川ヨリ電話デ、
「 先程ヨリ歩一、歩三カラ軍隊ガ沢山出テ行キマス 」
ト通知シテ來タノデ、愈々始マツタカト思ヒ、感慨無量デアリマシタ。
夫レカラ澁川ニイッスン來テ貰ヒ、二人デ朝食ヲ食ベナガラ、
御互ニ無関係デモ平素ノ關係ヨリ唯デハ済ムマイト思フカラ、身邊ニヨク注意スルコト、
ヲ話シテ置キマシタ。

其ノ電話ガアツタ時、
私ハ澁川ニ 「 何処カラ電話ヲ掛ケテ居ルノカ 」 ト聞キマシタ処、
澁川ハ
「 青山ノ電車線路ノ邊ニ居ル 」
ト言ヒマシタノデ、電話ノ内容ト見合セテ、
私ハ澁川ハ部隊ガ出テ行クノヲ附近デ見テ居ルノダラウト思ヒマシタ。

澁川ノ電話デハ、唯沢山ノ兵ガ出ツツアルト云ツタダケデ、
夫レガ果シテ青年将校ノ率イル蹶起部隊デアルカ何ウカ確實デハアリマセヌデシタガ、
以前カラノ話モアリ、私ハ愈々彼等ガ蹶起シタモノト直観シ、
澁川ニ對シ
「 電話デハ話ガ遠イカラ、鳥渡來テクレナイカ 」
ト申シテ置キマシタ処、
暫クシテ澁川ハ北方ニヤツテ來マシタ。
ソコデ私ハ、
「 君ノ見タノガ本当タ゛ラウカ、彼等ガ蹶起シタトナルト従来ノ關係ガアルノデ、
今度關係ノ有ル無シニ拘ラズ御互ニ身辺ハ危険ダカラ、自分ハ当分引込ンデ居タイト身辺ガ、
君モ当分引込ムデ居テハ何ウカ 」
ト申シ、暫ク話ヲシ、朝食ヲ共ニした上、澁川ハ歸ツテ行キマシタ。

澁川ハ己レノ心ニ副ハヌニ拘ラズ、
人ヨリ頼マレルト身ヲ粉ニシテ其ノ人ノ爲ニ働クト云フ性質デアリマスノデ、
同人ガ牧野伸顕所在偵察ノ爲湯河原ニ行ツテ居ツタ時モ、
事ノ善惡ハ扨さて置キ、一旦偵察ニ出タ以上私ノ手紙位デ夫レニ応ジテ帰京シテクレルカ何ウカ、
万一歸ツテ來テモ、私ニ突掛ツテ來ルカモ知レヌト危ムデ居ツタノデアリマス。
処ガ案ズルヨリ産ムガ易ク、
澁川ハ私ノ意ニ從ツテ帰京シテクレタ計リデナク、極ク柔和ナ電話ヲ掛ケテ寄越シタノデアリマス。
澁川ハ一方ヨリ見ルト何事モ叩潰ス計リノ性格ノ様ニ見ラレ、反面ヨリ見ルト其ノ反對ノ性格ノ様ニ見ヘル男デ、
一徹ニ進ムデ行クカト思フト、途中デイカヌトナレバ直グ引返シ、今度ハ其ノ引返シタ方向ニ一徹ニ進ムト云フ急進直角的デ、
樫木ノ様ナ性格ノ持主デアリマスカラ、私ハ一旦私ノ言ヲ容レテ歸ツテクレタ以上ハ、
其ノ後ノ事ハ私ノ言フ通リニナツテクレルモノト信ジテ、左様ニ申シタノデアリマス。

澁川ハ、事実其ノ後行動隊ニ加ツテ居ルガ、被告人ガ澁川ヲ参加セシメザル如ク努力シタノハ何故カ
今度ノ事件ハ軍人ダケデヤルトノ事デアリマシタノデ、
私ハ最初カラ軍人ハ抑ヘテ抑ヘラレネバ已ムヲ得ヌ、
又村中 磯部ハ現在軍人デハナイガ、自他共ニ軍人ト同様ニ思ツテ居ルノデ、此両名ハ例外トシテ、
其ノ餘ノ民間側同志ニハ一人モ加ツテ貰ヒタクナイト思ツテ居リマシタノデ、
澁川ダカラ參加サセナイ様ニ努力シタト云フ譯デハアリマセヌ。
後、澁川ガ行動隊ニ加ツテ居タノヲ知リ、唖然トシタ次第デアリマス。

澁川ニ参加シテ貰ヒタクナイト考ヘタト言フガ、
同人ハ既ニ湯河原ヘ牧野偵察ノ爲行ツテ居タノデハナイカ

決行ハ現役軍人デヤルガ、
目標人物ノ所在ヲ調査スルノハ現役軍人ダケデハ手不足ダカラ、
澁川ヲ補助ニ使ツタダラウ位ニ思ヒマシタ。
法律的ニ申スト既ニ參加シテ居タト云フ事ニナルノデアリマセウガ、
私ハ素人考デ參加シタト迄ハ思ツテ居ナカツタノデ、引戻シタ譯デアリマス。

現役軍人ハ第一線ニ於テ行動シ、民間側同志ハ其ノ準備工作又ハ爾後工作ニ當ルベキダト考ヘ、
爾後工作ノ爲ニハ同志ヲ殘シテ置ク必要ガアル処カラ、澁川ヲ行動隊ニ参加セシメナカツタノデナイカ
左様デハアリマセヌ。
今回ノ事件ニ關係シタ人ノミヲ或鋳型ニ入レテ考ヘルト、其ノ様ニ思ハレ、
又事實ノ様ニ思ツテ居ル人ガ無イデモナカラウト思ヒマスガ、夫レハ事実ヲ知ラナイ人ノ言フ事デアリマス。
私ノ從來ノ運動ハ、今回ノ事件ニ關係シタ人ダケヲ相手ニシテ居タノデハアリマセヌ。
ダカラコソ十数年來涙ヲ呑ミ、苦心シテ來タノデアリマス。
若シ私ニ爾後工作ヲ民間側で担任スル考ヘガアレバ、
澁川等二、三人ノ者ヲ使ハネバナラヌ迄ニ人間ニ飢ヘテ居リマセヌ。
澁川一人ヲ、斯程迄力ヲ入レテ引止メル譯ハナカツタノデアリマス。
私ノ知ツテ居ルノハ、小笠原中将、山口大尉、亀川哲也ダケデハアリマセヌ。
眞ニ破壊行動ヲ採ル心意ナラバ、他ニ參加セシメ得ル團體モ、爾後工作ヲスル人モ澤山アリマス。

澁川善助モ被告人ノ留守宅ニ來リ、
福井等ト共ニ外部ヨリ蹶起軍ヲ支援スベク、策動シテ居タデハナイカ
二月二十六日夜澁川カラ電話ヲ掛ケテ寄越シタ時ノ話ノ様子デ、
澁川ハ方々飛廻ツテ居ル様ニ思ハレタノデ、
「 君ニハ無用ナ事ヲシテ貰ヒタクナイ。
 夫レヨリモ相澤、村中、磯部三軒ノ留守宅ニ行ツテ、慰メテ上ゲル方ガ宜イデハナイカ 」
ト申シマシタ処、
澁川ハ 「 サウシマス 」 ト言ツタ程デアリマスノデ、
澁川等ガ私方デ彼是策動シテ居ツタ事ハ知リマセヌ。
序ニ申上ゲマスガ、
世間デハ青年将校デモ民間側同志デモ、彼等ガ何カヤルト、
蜘蛛ノ巣デモ張ツタ様ニ悉ク西田、西田ト冠セタガルノガ普通デアリマシテ、
夫レモ賞メテクレルナラ格別、陥レムガ爲ニ彼是言ハレルノハ迷惑ノ至リデ、
私ハ之迄モ其ノ爲ニ何レ程苦シイ立場ニ置カレタカ知レマセヌ。
・・・予審訊問調書 から
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月二十五日ノ朝ハ、平生ヨリモ遅ク起床シマシタ。
ソシテ来客ト話シテ居ルト、午前十一時頃磯部ガ來テ、
「 會ヒタイ人ガアルガ、先方ノ人ハ自分方ヲ知ラヌ。
 此方ヲ知ツテ居ルノデ此家デ落合フ事ニシテ置イタカラ、室ヲ貸シテクレ 」
ト申シマシタカラ、別ノ一室ヲ貸与ヘマシタ。
スルト間モナク澁川ノ妻ガ見ヘ、磯部ト其ノ室デ話シマシタ。
澁川善助ハ二月二十日頃ヨリ私方ヘ見ヘマセヌデシタガ、
今度ノ事ハ軍人ダケデヤル様ナ話デアリマシタノデ、

村中、磯部ノ如キ準軍人トモ見ルベキ者ハ別トシテ、
澁川ノ様ナ民間ノ者ガ参加シテ居ルトハ全然思ヘヌノデ、

或ハ病気ニ罹かかツテ居ルノデハナイカト心配シタリ、
何ウシタカト不思議ニ思ツタリシテ居ツタ所ヘ澁川ノ妻ガ來マシタカラ、
同女ニ會ツテ澁川ノ様子ヲ聞イテ見ヤウト思ツテ、後カラ其ノ室ニ行ツテ挨拶シタ処、
磯部ハ
「 實ハ自分ノ用事デ會ツテ居ル澁川ニハ、湯河原ニ行ツテ貰ヒ、牧野伸顕ノ所在ヲ偵察サセテ居ルノデ、
今其ノ状況ヲ連絡ノ爲、妻君ニ手紙ヲ託シテ寄越シタノダ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ澁川ガ私方ニ來ナイ事情ガ判ルト共ニ、磯部ト村中ハ止ムヲ得トシテモ、
澁川迄参加サセラレテハ困ルト思ツタモノデアリマスカラ、
磯部ニ對シ

「 今度ノ事ハ現役軍人デヤルノダカラ、澁川迄引張リ出スノハ宜クナイ故、歸シテクレヌカ 」
 ト申シマシタ処、
磯部ハ

「 宜シイ貴方ノ思フ通リニサセマセウ。
 然シ、澁川ヲ歸スノハ難シイカラ、貴方カラ手紙一本妻君ニ持タセテ歸シテハ何ウデスカ 」
ト言ヒマシタノデ、
「 夫レデハ待ツテ居テクレ 」
ト言ツテ手紙ヲ書始メマシタ処、
磯部ハ
「用事ガアルカラ先ニ失礼スル 」
ト言ツテ出テ行キマシタ。
私ハ澁川宛ニ、
「 軍人側ノスル事ニ我々地方人ハ無關係デアリ、没交渉デナケレバナラヌト思フカラ、
 君ハ今日ノ最終ノ十二時ノ列車迄ニハ是非帰京シテ貰ヒタイ。歸ツタラ直グ電話デ連絡セラレタイ 」
ト云フ趣旨ノ手紙ヲ書イテ澁川ノ妻ニ託シマシタ。

此儘自宅ニ居テハ危険ダト云フ気持ニナリマシタカラ、
北ニ電話ヲ掛ケ、「 其ノ方ニ行ツテモ差支ナイカ 」 ト聞キマシタ処、
「 差支ナイカラ來イ 」 ト言ツテクレマシタノデ、真夜中過ニナツテ北方ニ參リマシタ。
ソシテ北ニ對シテ千坂邸ノ話ナドヲシテ居ル時、澁川ヨリ電話が掛リマシタ。
何デモ私方ニ掛ケテ、私ガ北ノ家ニ來テ居ル事ガ判ツテ、更ニ掛ケテ寄越シタトノ事デアリマシタ。
澁川ハ、
「 今歸ツタ。歸ル列車ノ中デ、偶然豊橋ノ對馬中尉、竹嶌中尉ト一緒ニナツタガ、
 詳シイ話ハ出來ナカツタガ、豊橋ノ状況ガ変化シテ上京シテ來タ様デアツタ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ澁川ガ歸ツテ來テクレタ事ヲ大変嬉シク感ジ、
「 ヨク歸ツテ來テクレタ。豊橋ノ方ハ、夫レナラ夫レデ宜イデハナイカ。
 君ハ決シテ彼等軍人ノ仲間ニ飛込イデ行ツテハナラヌ。
彼等ハ今朝愈々蹶起スル様デアルガ、御苦労ダケレド、彼等ガ営門ヲ出ルノガ判ツタラ、直グ知ラシテクレヌカ 」
ト申シ、頼ミマシタ処、
澁川ハ
「 何トカシテ調ベマセウ 」
ト言ツテ電話ヲ切リマシタガ、
私ハ此電話ニ依ツテ興津ノ西園寺襲撃ハ中止ニナツタノデハナイカト想像シ、其ノ旨ヲ北ニ話シテ置キマシタ。

私ハ北方デ卓上ニ電話ノアル室ニ寝台ヲ入レテ寝マシタガ、傷心デ眠レズニ居リマスト、
其ノ翌朝、即チ二月二十六日午前四時半カ五時頃、澁川ヨリ電話デ、
「 先程歩一、歩三ノ兵営カラ、沢山ノ軍隊ガ出テ行キツツアリマス 」
ト報告シテ來マシタノデ、
愈々彼等ガ蹶起シタトノ事ヲ確実ニ知ツタノデアリマス。
・・・第二回公判 から


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