あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税の十一月二十日事件

2018年03月26日 16時39分48秒 | 十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 )

< 昭和九年十一月 >
二十日の日、私は兵要地誌班の部屋で池田純久と雑談していた。
そこに片倉が跳び込んできて
「 やった、やった、スバイを使ってやった 」 という。
二人がなにをやったのかときいたら、
「 村中、磯部をやった、これから大臣に報告にいく  」 
といって部屋を出て行った。
池田は、おなじ軍隊で、スパイを使ってやったのやられたのとは全く不愉快だとつぶやいた。
私は村中と原隊はおなじ旭川の二十六聯隊で、
村中が陸軍大学受験を志したとき、私が陸軍大学出というので、
個人教授 ( 教官、試験管のくせや問題について ) みたいなことを、
一週間に二日ほど村中にやったことがあるので、村中には特別の親しさをもっていた。
それに あの頃の情勢は十分わかっていたので、なにが起きたか、わかった。
二十分ぐらいして片倉がもどってきて、
「 さっきの話はきかんことにしてくれ 」  というから、
「 いやだめだ、もう耳に入っている。 しかし、いわんでおいてくれというなら、いっさいいわない 」 
と 答えたら 片倉は
「 それでいい 」 と いってでていった。 ・・・田中 清少佐
・・・幕僚の策謀 『 やった、やった、スバイを使ってやった 』

 
西田税 

十一月二十日事件ヲ何ウ思ツテ居ルカ
私ハ、所謂十一月二十日事件ナルモノハ、全然形モ無カツタモノト確信シテ居リマス。
村中等ニ依ツテ其ノ計劃ヲ立テタトハ、信ジラレマセヌ。
春秋ノ筆法ヲ以テスレバ、
今回ノ二 ・二六事件ハ、十一月二十日事件ニ依ツテ引出サレタモノト謂ヒ得ルト思ヒマス。
十一月二十日事件ニ依ツテ或暗示ヲ与ヘラレテ起ツタノガ、今回ノ事件デアルト観テ居リマス。
私ト青年将校トノ關係ハ不即不離デアリ、
私ノ改造運動ニ附テハ相當信用シテクレテ居ル様デアリマシタガ、
私ノ考デハ、早ク軍ノ將校ガ一體化サレテ貰ヒタイト念願シテ居リマシタ。
改造運動者ノ立場トシテハ勿論、國民トシテノ立場ニ於テモ、
軍内ニ幾多ノ党脉ガアル位危險ナモノハナイノデアリマス。
此意味カラ、私ハ林陸相當時、
所謂統制派幕僚ト云フベキ片倉、田中、池田各少佐等ニ會ツテ、此點ヲ力説致シマシタ。
青年将將校等ハ、私ノ此工作ニ大分期待ヲ掛ケテ居タ様デアリマス。
処ガ、突然十一月二十日ノ陰謀事件ヲ起シ、平地ニ波瀾ヲ巻起シタノデアリマス。
私ハ、以前陸相ヨリ出サレテ居タ問題ノ當案ヲ持ツテ行キ、
序ニ近ク臨時会議ガ開催ニナルノデ、財政農村問題ニ附テ話シタイト考ヘ、
同年十一月十九日陸軍大臣秘書官ト打合セヲ爲シ、
翌二十日陸相ト會見スルコト、
時間ハ當日朝更ニ打合ス事ニシ、
翌十一月二十日朝電話ヲ以テ打合セタ結果、
陸相ガ會見スルカラ 同日午後四時頃陸相官邸ニ來ラレタイト秘書官ヨリ傳ハレ、喜ムデ居タ位デアリマス。
後デ聞クト、秘書官ハ私ニ會見時間ヲ通知シテカラ一時間程經テ陸軍次官ニ呼バレ、
西田ハ陰謀ヲ企テテ居タノダガ、
君ガ會ツタ時顔色デ夫レガ判ラナカツタカ、ト言ツテ叱責セラレタトノコトデアリマス。
兎ニ角不審ニ絶ヘナイノハ片倉少佐ノ態度デ、
同少佐ハ常ニ私ト情勢ニ附話合ヒ、意見ノ交換ヲシテ居リ、
何カ事ガアレバ、直ニ電話ヲ掛ケテ私ノ意見ヲ求メラレテ居タノデアリマスカラ、
所謂十一月二十日事件ガ實際企圖サレテ居ル事ヲ知ツタナラ、
一應私ニ電話ヲ掛ケル位ノ事ヲセラレテ然ルベキダト思ヒマス。
ニモ拘ラズ、其ノ事件ノ時ニ限ツテ何ノ連絡モセズ、
深夜陸軍次官ノ許ニ走リ込ムデ報告セラレタト云フ事ハ、
其ノ心事ノ那辺ニ在ツタカ、諒解ニ苦シム処デアリマス。
私ハ夫レ迄、軍ガ一體ニナラナケレバ、
此文明社會ニ於テ國家改造ハ出來ルモノデハナイト思ツテ居リマシタガ、
此事件ニ依ツテ、私ノ此從來ノ方針ヲ放棄セネバナラナクナリマシタ。

彼等 ( 村中孝次と磯部淺 ) ガ粛軍ニ關スル意見書ヲ出シタ事ニ附、
被告人ハ其ノ信念ヨリ観テ何ウ思ツタカ
彼等ハ、十一月二十日事件ヨリ半年程後ニナツテ夫レヲ出シタノデアリマスガ、
私ハ斯様ナ物ヲ出スノガヨイトハ思ヒマセヌデシタガ、猥みだりニ平地ニ波瀾ヲ起シ、
刑務所ニ勾留シテ取調ベタノデアリマスカラ、
村中、磯部ノ如ク、アレダケ踏ムダリ蹴ツタリセラレタ者ガ奮イ起ツ其ノ気持ハ察シテ遣ラネバナラズ、
又抑ヘテ止マルモノデモアリマセヌ。
私トシテモ、夫レ迄ハ陸軍部内ガ纏ツテ貰ヒタイト云フ気持デ居リマシタガ、
此事件ヨリハ、
先ヅ惡イ分子ヲ軍ヨリ除カネバナラヌト云フ考ニモナツテ居マシタ。

夫レヲ出ス事ニ賛成シタノカ
十一月事件以後、陸軍首脳部デハ私ニ對シ自ラ會フノヲ遠慮シ、
青年将校ニハ西田ニ會ツテハイカヌト注意スル始末デ、軍ノ統一化ヲ計ルニモ話ス相手ガ無クナツテ了ヒマシタ。
私ハ、從來國民トシテ陸軍ノ一體化ヲ念願シ、手ヲ替ヘ品ヲ替ヘ、恥ヲ忍ムデヤツテ來マシタガ、
ヤレバヤル程逆ニ解セラレルノデ、最早斯クナル上ハ手ガ着ケラレヌト思ヒマシタ。
村中、磯部等若イ者ガ、
自分達ガ受ケタ気持ヲ以テ同情アル上司ニ
自分ノ心情ヲ理解シテ貰フ爲ニ出ス粛軍ノ意見書デアリマスノデ、
夫レハ陸軍自ラ陸軍ヲ清メル、所謂粛軍ダケガ目的デアリマスノデ、
夫レハ私ノ第一使命デモナク、範囲外デアリマスカラ、賛成モ反対モアリマセヌ。
何事ガアツテモ、直グ私ガ原動力ナルカノ如ク世間ハ考ヘマスガ、
若イ者等ハ相当ノ年輩デモアリ、相当ノ学問モアリ、
且皇軍ノ将校デモアツタモノデ、之等ヲ奴隷視シタクアリマセヌ。
・・・第一回公判 から
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西田は冗談に
「 君は奇妙な男だよ。十月事件のときもそうだったが、こんども事件の元凶でありながら、
なんともないんだからな。 君は無風帯にいるんだな 」
といって笑った。
冗談にもそういわれてみると、村中大尉らが拘留されているのに、
自分がのうのうと娑婆にいることはすまないような気がした。
が 村中大尉らと肩替りするために自首する理由もなかった。
東京が起つというから、あてにして人寄せをしていたのが、
 それが嘘だったので、もとにかえしだけだった。
具体的計画は何一つしたわけではなかった。
ただ千葉の動きが外に伝わって佐藤候補生をスパイにつかう動機となり、
架空な叛乱陰謀をデッチあげることになったとすると
私は西田税のいうように、
冗談ではなく、正しく元凶ということになる。
・・・末松太平 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」


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