あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田はつ 回顧 西田税 1 五・一五事件 「 つかまえろ 」

2017年08月22日 12時32分59秒 | 西田税


  西田はつ
五・一五事件の日は、よく晴れた日曜日でございました。
この日は、青年将校の大蔵栄一さんが遊びにみえていましたが、
あいにく夫婦喧嘩のあとだったものですから、
二人ともプンプンしていたのでございましょう。
大蔵さんはお夕飯の時分どきなのに、
「こんな犬も喰わない空気で御飯なんか御馳走になれない」
そう言って帰ってしまわれたのです。
川崎(長光)は、外で客の帰るのを見張っていたのですね。
大蔵さんが帰るとすぐ主人に会いたいと訪ねて参りました。
七時頃のことです。
わたくしは初対面でございます。
西田は来客の多い人でしたから、二階の座敷へ通しました。
二階で主人と川崎が話をしている、
わたくしは階下で食事をしておりましたら 「ドタン」 と二階で大変な音がしました。
瞬間、地震かと思うほどの烈しい音でした。
紫檀のテーブルを挟んで対談中、川崎が突然拳銃を出す。
西田が防壁にしようとテーブルをひっくり返す。
川崎が後退りながら拳銃を射つ。
西田は右手で心臓をかばおうと押えたのですね。
それで右肩、右腕、腹部と右半身に五発の弾丸を受けながら、
川崎を追ってドドドド と 階段をなだれおりる。
川崎は玄関から逃げました。
「つかまえろ」
と強く申しますので、
一度は玄関から植込みの先まで走って出ましたが、
男の足ですから追いつけやしません。
全身血まみれの主人が心配で、追うのはやめて引返して参りました。
あいにく日曜日のため、どこへ電話をかけましてもお医者さまが留守なのです。
やっとお爺さんの医師が来てはくれましたが、
傷をみまして
「警察の許可がなくては手当は出来ない」
と、どんどん出血している怪我人をそのまま、帰ってしまいましたのです。
北先生が手配して下さって、
救急車でやっと御茶ノ水の順天堂へ入院しましたが、
射たれて二時間も経っておりました。
右肩に一発、腹部に一発 盲管している弾を取出さなければいけないのですが、
時間はたっている、
出血もひどい、
陸士在校中と任官後にひどい肋膜をやっておりまして、
あまり丈夫な人ではございません。
手術中いのちがもつかどうか保証出来ないというのです。
北先生が
「それでもいい」
とおっしゃって下さって、それで手術を受けることが出来ました。
輸血は手術中に三回、血液型はO型でした。
ようやく下腹部に止まっていた弾丸を取出せましたが、
腸は五、六ヶ所穴が明き、一寸三分程切除してつなぎました。
川崎は六発射ち、
一発は外れ、五発当ったうちの二発が体内に残っておりましたが、
腹部の手術しか出来ず、肩の弾は改めて摘出手術を受けております。
手術後一時危篤に陥りました西田が命を拾いましたのは、奇跡的であると言われました。
あの日、昼食をとっておりませんで、夕食前に川崎に会っております。
そのため腸が破れてもほとんど内容がなく、
それで腹膜炎を起さずに済んだのだそうでございます。
北先生がずっと付添って下さいました。
事件を知って夜のうちに病院に駆けつけた
村中孝次、渋川善助、山口一太郎、安藤輝三、栗原安秀、菅波三郎、大蔵栄一など、
皇道派青年将校とみられていた方たちは、お顔馴染みの方ばかりでございます。
そのほとんどが、
二・二六事件で銃殺され、禁固刑に処されて陸軍を逐われることになりました。
西田が狙われましたのは、
事情に通じていながら参画しない情を憎まれたのか、
陸軍側の行動を押えた張本人と思われたせいなのか、いろいろ言われますが、
本当のところは はっきりいたしません。
犬養首相や牧野内大臣と並んでの斬奸目標にあげられたのでした。
西田は一週間にはベッドの上に坐って、新聞を読むようになりました。
療養のために退院してすぐ夫婦で湯河原へ参りましたが、
水の美しい渓流の岩の上で撮った写真がございます。
まだ髪は長くしたままですが、
軍人さんの坊主頭にまじると目立つからと言って、後には坊主にいたしました。

 
昭和7年8月・湯河原

湯河原の宿で、
「政治運動を捨てられない人生ならば別れてほしい」
そう わたくしが申しましたとき、
西田はハラハラと落涙いたしました。
五・一五事件の後には、
西田は青年時代の向うみずな血気は沈潜したようですが、
青年将校運動との縁は切れず、
わたくしはそういう西田の将来に不吉な予感を覚えながら別れられなかったのでございます。
この世で夫婦の縁がこんなに短いと知っておりましたら、
別れ話など どうして持出しましたでしょうか。
あの日の西田の涙を思いますと、
心残りな気持ちがいたしまして、つい涙ぐむこともございます。

西田はつ聴き書き
妻たちの二・二六事件  澤地久枝 著から
リンク→ 五 ・一五事件 ・ 西田税 撃たれる 


この記事についてブログを書く
« 西田はつ 回顧 西田税 2 二... | トップ | 大蔵栄一 ・ 大岸頼好との出... »