あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」

2019年01月15日 13時03分24秒 | 前夜

十月事件の余波を受けて、
陸士区隊長から大尉昇進とともに、満洲へ追われた岩崎豊晴は、
高田歩兵第三十聯隊の凱旋で帰国し、
旅団副官をへて、昭和九年三月に戸山学校教官となり、
昭和十年三月には陸軍士官学校付となっていた。
岩崎は東京に来ると、相変わらず連日のように西田の家を訪れていた。
また新宿百人町にあった歩兵第一聯隊の山口一太郎大尉の家も近かったので、
よく立ち寄ったものである。
昭和十一年一月中旬、岩崎は柴有時大尉を誘って山口の家へ行った。
玄関をあけると柴が、
「 ワンタは、いるか ? 」 と 声をかけた。
ワンタとは、一太郎をワン太郎からもじった綽名である。
柴は山口と同期の第三十三期生だ。
夫人が留守のようなので、二人は勝手に二階へ上がって、
いきなり襖を開けると、栗原、磯部、香田、村中の四人が地図を拡げ、
赤鉛筆で印をつけながら何事か相談中であった。
四人は慌てて地図をたたんだが、岩崎は栗原しか顔を知らないので、
柴に聞いて、他の三人の名がわかった。
柴と岩崎も彼らには同調的態度だったので、別に敵意はもたれなかったが、
四人はさぞびっくりしたろうとは、岩崎の回想である。
この夜、その足で西田の家へ行った 柴と岩崎は、
西田を誘って新宿の宝亭で飲むことにした。
宴たけなわの最中、
春子という宝亭の女中がそっと来て、岩崎に憲兵が見張っていることを知らせた。
さらに春子に調べさせると、数名の私服憲兵が三ケ所にいることがわかった。
別に珍しいことではなかったが、
時には二階の屋根越しに、西田だけ逃がしたこともあったという。
西田税 と柴、岩崎のつきあいも、思えば妙な関係である。

二月二十四日、
この夜の寒さは格別だったので、
岩崎は珍しく外出せず、自宅で晩酌を楽しんでいた。
すると十時過ぎになって、西田税がぶらりとやって来た。
早速二人で飲みはじめると、
西田の表情がいつになく憔悴したように見えたので、
岩崎が問い詰めると、西田がようやく重い口を開いた。
「 近く、どうしてもやらなければならなくなった 」
「 やるというのは、実力行動か ? 」
「 う む、これまでのいきさつからいっても、今度ばかりはどうしても止められない。
 無理に止めようとすれば、彼らは俺を殺してでも蹶起するだろう 」
「 だが、そこが先輩の責任だ。貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」
「 いや、それでは、俺も職業革命家とか、西田は命が惜しいのだと非難される。卑怯者にはされたくない 」 ・・・( 註 )
「 馬鹿をいえ。今やって成功すると思うか。磯部や栗原に引きずられてどうするのだ 」
「 もう、俺も引くに引けないところまできてしまった。 それで今夜は貴様に別れに来たのだ 」
酒が冷えてしまった。
西田の沈痛な表情には、すでに、覚悟の色が歴然と現れていた。
岩崎は西田の表情から、今度は本物に違いないと思った。やがて熱燗がくると、
再び飲みはじめたが、いかにも苦い酒であった。
・・・・・・・西田ほどの奴が、これほどまでに決心したのだから、恐らくもう止められないだろう。
と 岩崎は察した。
しかし西田の言葉の中から、竹嶌という名を聞いて、今度は岩崎が驚く。
「 なに、嶌が仲間になっていると。あいつは確か豊橋のはずだが・・・・」
これには岩崎が愕然となった。
竹嶌継夫中尉は、岩崎が陸士区隊長時代の教え子であったからだ。
竹嶌は幼年学校以来陸士卒業まで、同期生中つねにトップであった第四十期生の逸材で、
岩崎がその将来を最も嘱望していた男だった。
岩崎は膝を乗り出していった。
「 西田、頼む、せめて竹嶌だけでも止めてくれ。今東京に来ているのか ? 」
西田は淋しそうに首を横に振った。
「 俺にも計画の内容はわからないのだ 」
「 そんな馬鹿な。貴様にろくな相談もせず、奴らは一体何をやろうとしているのだ 」
岩崎はどうしても竹嶌中尉だけは助けたかった。
「 西田、それで一体いつやるんだ 」
「 それだけは聞いてくれるな。いずれ近いうちだ 」
西田もさすがにそれだけはいわなかった。
あとは陸士時代の懐かしい話になった。
西田税が帰ったのは深夜一時頃であったという。
岩崎は翌日陸士へ出勤してから、それとなく竹嶌の居所を当ってみたが、ついにわからなかった。
しかも西田がいった蹶起の時機は、一体いつなのか。
岩崎は二十五日の夜を、胸騒ぎを鎮めながら、明日はもう一度西田に会って、
竹嶌継夫中尉のことを確かめてみようと思っていた。


竹嶌継夫
秩父宮と二・二六 芦沢紀之 著から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 註 )  
私ハ 西田カラ右ノ事ヲ聞キ、蹶起後ノ事態収拾ニ附陸軍上層部及中堅將校方面ニ、
事前ニ聯絡提携ガ出來テ居ルノカ不明デアリマシタノデ、
其ノ點ヲ西田ニ尋ネマシタ処、西田ハ
「 ソンナ聯絡ハ出來テ居ラヌ様デアル 」
ト申シマシタノデ、
心ノ中デハ左様ナ事デハ蹶起シタ場合、面白クナイ結果ヲ生ジハシナイカト一抹ノ不安ヲ抱キマシタガ、
秘密保持ノ爲聯絡シテ置カヌノカ、
或ハ蹶起スレバ當然相呼應シテ彼等ノ希望ヲ達成シテクレル目途ガツイテ居ルノデ 敢テ聯絡シナイノカ、
彼等ノ意思ガ判斷出來カネタノデ、私ハ突込ンデ尋ネル事モシマセヌデシタ。
尚 西田ニ對シ、
「 君ハ何ウスルノカ 」
ト尋ネルト、西田ハ悲痛ナ顔色ヲシテ、
「 今度ハ私ヲ止メナイデ下サイ 」
ト申シマシタ。
五 ・一五事件ノ時、
其ノ一ケ月半程度前ニ私ガ西田ニ忠告シテ、彼等ノ仲間カラ手ヲ引ク様ニシタ爲、
西田ハ遂ニ裏切者ト見ラレテ川崎長光カラ狙撃セラレ、重傷ヲ受ケタノデアリマス。
爾來西田ハ、同志カラハ官憲ノ 「 スパイ 」 ノ如ク見ラレ、
此事ヲ非常ニ心苦シク感ジテ居ツタ様デアリマシタ。
其ノ後ハ、西田が起タヌカラ靑年將校ガ蹶起シナイノデアル、
西田サヘ殪セバ靑年將校ハ蹶起スルト云フ風ニ同志カラ一般ニ思ハレテ居ツタ様デアリ、
西田ハ妙ナ立場ニ置カレテ苦シンデ居リマシタ事ハ、私モ承知シテ居リマシタノデ、
西田ハ右ノ如ク 「 今度ハ止メナイデクレ 」 ト悲壯ナ言ヲ發シタ時、
私ハ胸ヲ打タレタ様ニ感慨無量トナリ、非常ニ可愛サウナ氣持ニナリマシタ。
此氣持ハ 西田ト私トノ關係ヲヨク知ツテ居ル者デナケレバ、諒解の出來難イ點デアリマス。
私ハ 只 「 サウカ 」 ト言ツテ彼ノ申出ヲ承認セザルヲ得ナカツタノデアリマス。
ソシテ 西田ハ遂ニ靑年將校ノ大勢ニ動カサレテ、
彼等ト合流シテ行カザルヲ得ナイコトニナツタカト考ヘ、
斯様ニナツタ上ハ、私モ只西田ノ行動ニ從ツテ、
唯々諾々トシテ西田ニ從ツテ行ツテヤルヨリ外ナシト覚悟ヲキメタノデアリマス。

・・・北一輝予審訊問調書から


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