この3週間で40枚あまりのチャイコフスキー「悲愴」のCDを聴いてきたが、ロシアのウラディーミル・フェドセーエフという指揮者の「悲愴」にかなり共振するところが大きい。
CDでは1981年と1991年のいずれもモスクワでの録音を聴いたが、今回、DVDで、ドイツ、フランクフルトのオペラ座での1991年のライブ録画を聴いてみた。
聴くだけでなく、観るのもいい。
完全に曲と同化した指揮。
とくに第4楽章の演奏は本物だと思う。
映像をよく注視してみると、フェドセーエフの目に光るものが見えた。
yOUTUBEにはこの録画はないようだ。
【追記202112260235】
小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏CDの解説に、こんな一節が記されていた。
甥に宛てた手紙の中で、「私は心の中でこの交響曲を作曲している間、なんども激しく泣きました。」
第4楽章はうつ病の苦しみから出てくる感情の表現に相違ないと思う。
辛い感情を心にいっぱいためこんできた状態に現れるものだ。
中間部で出てくる部分は、チャイコフスキーの過去のいっときの栄光、幸福だったときを回想するもので、とくに(自らの)死の直前に湧き起ってくるものだと思っている。
CDでは1981年と1991年のいずれもモスクワでの録音を聴いたが、今回、DVDで、ドイツ、フランクフルトのオペラ座での1991年のライブ録画を聴いてみた。
聴くだけでなく、観るのもいい。
完全に曲と同化した指揮。
とくに第4楽章の演奏は本物だと思う。
映像をよく注視してみると、フェドセーエフの目に光るものが見えた。
yOUTUBEにはこの録画はないようだ。
【追記202112260235】
小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏CDの解説に、こんな一節が記されていた。
甥に宛てた手紙の中で、「私は心の中でこの交響曲を作曲している間、なんども激しく泣きました。」
第4楽章はうつ病の苦しみから出てくる感情の表現に相違ないと思う。
辛い感情を心にいっぱいためこんできた状態に現れるものだ。
中間部で出てくる部分は、チャイコフスキーの過去のいっときの栄光、幸福だったときを回想するもので、とくに(自らの)死の直前に湧き起ってくるものだと思っている。
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