緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

山陰・山陽・大和地方小旅行記(7)

2021-12-24 21:01:25 | 旅行
(12月12日付け記事からの続き)

佐用駅で14:36発、播磨新宮行きの1両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗る。乗客はまばらだった。
15:05,播磨新宮着。ホームの向かい側に停車していた15:07発、姫路行き2両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗り換える。



今日はずっと晴天に恵まれ、絶好の鉄道日和だ。
昨夜起きた例の忌まわしい出来事も殆ど記憶から遠ざかっていた。

15:37、姫路着。けっこう大きな駅だ。
駅の改札を出た所のすぐ近くにある土産物屋で、姫路で最も古い酒蔵だという「八重垣(やえがき)」という純米酒、300ml入り瓶を買う。
駅の外に出て銀行に向かう。人手は多い。結構都会だ。
JR姫路駅近くのデパートと直結した山陽電鉄に乗る。



飾麿駅で乗り換え、広畑駅で降りる。意外に小さな駅。
改札を出て今日の宿への道順を確認するが、なかなか見つからない。
ようやくそれらしき道を見つけ、徒歩3分のところにあるビジネス旅館に入る。

6畳の和室で、部屋にトイレ・バスの無い部屋を予約していたが、宿のおかみさんが親切にもサービスでバス・トイレ付の部屋に変更してくれた(料金は変わらず)。





宿の近くにどこか食べる所はないか訊いてみたら、いくつか店を教えてくれた。
その中の1つ、はなまるうどんに行くことにした。
部屋に荷物を置く。
部屋はわりに広く、綺麗だった。畳は青々している。
日が暮れないうちにはなまるうどんに向かった。

はなまるうどんで、かきあげ+なす天+ぶっかけ+たまご+ライスを注文した。
勘定したら、意外にも千円近くになってしまった。
なるほど、こういう具を選んでバイキング形式で注文すると、料金があらかじめ分からないから勘定のときにびっくりする程の値段になってしまうというわけだ。上手く考えたもんだ。

はなまるうどんを出たらもう日が暮れていた。
宿に着いて、姫路駅で買った八重垣を飲む。



静かだ。
そうだ、智頭で買った「ひょうたん杉」を見てみよう。
袋からひょうたん杉を取り出して、畳の上に置いてみる。









色がいい。年輪の模様の具合もいい。誰が作ったのか。職人か素人か。
誰が作ったにしても気に入った。ずっしりと重い。セーム皮で磨くともっとつやが出るだろう。

バスはユニットバスだった。
カーテンは綺麗だった。
昔、盛岡で泊まったビジネスホテル(受付がひどく不愛想なじいいさんだった。今でも憶えている)のユニットバスのビニールカーテンが黒カビだらけだったのを思い出す。

明日は早い。今日は早く寝ることにしよう。
コメント

社会人マンドリンクラブ練習再開

2021-12-19 23:25:44 | ギター
今日、東京某町で来年の定期演奏会に向けた社会人マンドリンクラブの初練習があった。
今回の演奏曲のうち、1曲は学生時代、もう1曲は3年前の母校マンドリンクラブ50周年記念演奏で演奏した曲。

今日の初練習で殆ど弾けなかったのは、中野二郎編曲のイタリア人の曲。
中野二郎編曲の曲は演奏不可能な箇所が随所に出てくるので困ったものだな。

練習後は有志で飲み会。
今日は車で来ていたのでウーロン茶のみ。

飲み会で一緒になった方が言っていたが、「合奏はたのしい!」。
私も同じ気持ちで帰路につく。

これからちょっと忙しくなってくるかな。
「悲愴」の鑑賞も気が済むまでずっと続くであろう。

帰宅後、日本酒を飲みながら、ギター1っ曲を弾いてみた。
指慣らしはせずぶっつけ本番なのでミスアリ。

合奏練習後に充実した気持ちをギター演奏に置きm変えて録音してみた いつものワンパタ^-ン曲「アルハンブラの思い出」2021年12月19日23:00録音
コメント

悲しみの極み クリニック火災

2021-12-18 22:20:35 | 時事
大阪の雑居ビルのクリニックで起きた火災。
普段、こういう内容の記事は書いたことはないが、あまりに悲痛なのでかかざるを得なかった。

このクリニックの院長が火災に巻き込まれ、今でも安否不明だと言うが、多くの患者から慕われ信頼されていたという。
それだけでなく、「自分の人生で大きな存在だった」、「先生は自分の人生を変えてくれた」、「先生がいなくなって心に穴があいた」など、多くの声が寄せられているという。

このクリニックは心の病を抱えながらも耐えながら働いている人のために、夜10時まで診療していたという。
ある関係者は、彼が一体いつ寝ているのだろうか、と不思議に思うほど働いていたという。
また、院長は復職に向けたサポートに問題意識を持っており、「リワークプログラム」と呼ばれる講座を開いたり、職場に近い環境に慣れるためのグループワークも行っていたという。

私も遠い昔、鬱病を患い、薬物療法を受けたことがあった。
その時の診療時間、2,3分。
症状のみならず薬の副作用で苦しめられた。
結局で薬で治らず、その後数年間どん底の極致を味わった

その時のクリニックは多くの患者が流れ作業のように入れ替わり立ち代わり出入りしていた。
精神科医ほど堕落した心の専門家はいないと、それ以来確信していた。

心の専門家には誠実な人もいれば、狡猾で弱い人を食い物にして金儲けしか考えていない人もいる。
内科、外科などの医学とは天と地ほどの差がある。
それは心の療法に確立された明確な客観性が無いからである。
実力が無くても、非誠実でも淘汰されないのが現実。
実際、誠実な人の方が少ない。悔しいけどこれが現実だ。

心の専門家は、人間性、人間力で決まる。人間性に欠陥があるとまずクライアントの問題に真正面から向き合うことすら出来ない。
安否が分かっていないこの事件に巻き込まれた院長の無事を心から祈らずにはいられない。

【追記202112202248】

ニュースでこのクリニックの院長が亡くなられたことを知りました。
とても無念です。
最近このような事件が多いです。
加害者はかつてとても優秀な板金工であったと聞いています。
何が彼の人生を狂わせたのか。そこを追求していかないとまた同様の事件が繰り返されるでしょう。
加害者だって生まれながらにして悪人ではないのです。
私は弱い立場の人、傷を負った人に平然と冷たい仕打ちをする人間環境や価値観が背後にあるように思えてなりません。
一旦その渦に入ってしまうと、どんどん悪い方向に向かっていくような気がします。人間全てを敵とみなすようになっていきます。
院長をはじめ、亡くなられた方々の冥福を祈ります。
コメント

チャイコフスキー作曲 交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(3)

2021-12-17 22:39:29 | オーケストラ

12月3日に久しぶりにチャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」を聴いて、30数年前の20代半ばのあの時代の記憶が蘇ってきた。

この2週間で37枚の「悲愴」のCDを聴いた。

寝る間も惜しんでよく聴いたものだと思う。 この鑑賞、まだまだ続きそうだ。マンドリン合奏の練習もそっちのけだ。 まるで本能が求めているかのように。

この2週間で買いあさった中古CDの解説を読むと色々なことが分かってきた。 ベルナルト・ハイティンク指揮のCDの解説から抜粋してみたい。

「1893年2月22日、弟のアナトールに宛てた手紙の中で、チャイコフスキーは初めて<悲愴>交響曲についてふれており、更に次の日ウラディーミル・ダヴィドフに宛てて一層詳しくこの曲について記述している。

「(1892年12月)パリ訪問の旅に出発しようとしていた時、新しい交響曲のアイデアが浮かんだのです。今度は標題つきです。その標題はすべての人に謎のままであるべきで、想像できる人はすればよいのです。曲は”プログラム・シンフォニー”と名付けるつもりです。この標題は全く主観的なものです。

旅行の間、私は頭の中で作曲しながら、何回となく涙を流しました。今再び家に戻って、曲のスケッチを書き下ろしていますが、とても熱が入って第1楽章は4日間で仕上げてしまいました。残りの楽章もすっかり頭の中に出来上がっています。」」

初演は1893年10月28日、作曲者自身の指揮により行われた。 リハーサルの時、オーケストラのメンバーはこの曲を理解できず、冷たい対応だったという。 また初演時の聴衆の反応もチャイコフスキーの他の作品が受ける熱心な反応にはとても及ばなかったと言われている。

そしてこの曲の初演の9日後の1893年11月6日、コレラと肺気腫により死亡する。 このコレラの感染も初演から4日後に行われた観劇後の会食時に周囲が止めるにもかかわらず生水を飲んだことが原因だとされている。

1970年代の半ば頃だったと思う。たしかクリスマスのお祝いのあと、夜遅くにある映画がテレビで放映されていて、家族で見た。小学校5年生か6年生のときだ。 その映画はチャイコフスキーの生涯を描いたものだった。今でもかなりストーリーは覚えている。 チャイコフスキーは彼の熱烈なファンの女性と結婚したが、破綻し、その女性が精神病院に入れられたことや、自信を持って作曲したピアノ協奏曲第1番をアントン・ルービンシュタインから酷評されたこと、同性愛者であることが支援者の金持ちの夫人にばれて失望されたこと、最後はコレラに感染し、熱湯の風呂に入れられたが甲斐なく死んでしまったシーンが浮かんでくる。

チャイコフスキーは長きに渡って鬱病をわずらっていたという。 この「悲愴」から、鬱病特有のもがき苦しむような辛さが伝わってくる。 経験した人でないと理解できない苦しみだ。 反面、人生の幸福の極致のように感じられる音楽も描かれている。それは第1楽章や終楽章のあるフレーズに現れている。この部分を聴くと、物凄く脳が覚醒してくる。

思うにチャイコフスキーは長きに渡っていやというほどの精神的苦痛を味わってきたと同時に、作曲活動を通して自己の才能の全てを表現し、世間に問うという普通の人では体験できない喜びも感じてきた。 「悲愴」は彼の生き様そのものを表したものだと思う。

「悲愴」は決して絶望ではない。 この曲はチャイコフスキーという人間の人生の二極性を表現したものに違いないと思う。

私はこの曲を聴くと、もがき苦しんだあの時代の感情や光景がよみがえってくるとともに、幸せだった思春期までの頃に味わった感情も湧き起こってくる。 そして聴き終わったあとに、何とも言い難いが、一種のカタルシスを得たような感覚を得る。

この2週間で聴いた録音のリストを中間報告として挙げておく。 黄色表示の演奏がとくに印象に残ったものであるが、今後鑑賞を重ねていくうちに変わっていくかもしれない。 そしていつになるか分からないが、自分で選んだベスト盤を記事に取り上げたいと思っている。

指揮者 楽団 レーベル 録音年 録音形態 録音場所 視聴年
ユーディ・メニューイン ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団 mcps 記載無し スタジオ 記載無し 2021-12
ヴァレリー・ゲルギエフ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 PHILIPS 2004.09 ライブ   2021-12
エーリヒ・クライバー パリ音楽院管弦楽団 LONDON 1953.11     2021-12
ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1984.01 スタジオ ウィーン 2021-12
小澤征爾 パリ管弦楽団 PHILIPS 記載無し スタジオ 記載無し 2021-12
シャルル・ミュンシュ ボストン交響楽団 RCA 1962.03   ボストン 2021-12
アルトゥーロ・トスカニーニ NBC交響楽団 RCA 1953.01   ニューヨーク 不明
ロヴロ・フォン・マタチッチ チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 コロンビア 1968.02   プラハ 2021-12
ヴァレリー・ゲルギエフ サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇管弦楽団 PHILIPS 1997.07   フィンランド 2021-12
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1976.05   ベルリン 2021-12
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1960.09   ウィーン 2021-12
グィード・カンテッリ フィルハーモニア管弦楽団 EMI 1952.11   ロンドン 2021-12
ヨーゼフ・ウィレム・メンゲルベルク アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 LYS 1937     2021-12
カルロ・マリア・ジュリーニ ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 記載無し   記載無し 2021-12
レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック グラモフォン 1986.08 スタジオ ニューヨーク 2021-12
朝比奈 隆 大阪フィルハーモニー交響楽団 CANYON 1990.12   大阪 2021-12
クルト・ザンデルリンク ベルリン交響楽団 DENON 記載無し   記載無し 2021-12
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 メロディア 1949.04   レニングラード 2021-12
クラウディオ・アバド シカゴ交響楽団 CBSSONY 1986.10 スタジオ シカゴ 1988.??
クラウディオ・アバド ボストン交響楽団 グラモフォン 1973   ハンブルグ 2021-12
イーゴリ・マルケヴィッチ ロンドン交響楽団 PHILIPS 記載無し   記載無し 2021-12
エフゲニー・スヴェトラーノフ ソ連国立交響楽団 メロディア 1967   記載無し 2021-12
小澤征爾 ボストン交響楽団 エラート 1986   ボストン 2021-12
アントン・グター リビュリアーナ・ラジオ・シンフォニー・オーケストラ DDD 記載無し   記載無し 2021-12
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ビクター 1982.11 ライブ レニングラード 1989.??
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 メロディア 1950.2 ライブ 記載無し 1989.??
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ジョイサウンド 1938     1994.??
ジャン・マルティノン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン 1958.04   ウィーン 1989.??
ヘルマン・アーベートロート ライプツィヒ放送交響楽団 Deutschc schllpatten 1952.01 スタジオ   1989.??
ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ダイソー 1948   記載無し 1994.??
ユージン・オーマンディ フィラデルフィア管弦楽団 RCA 1968.05     1989.??
リッカルド・ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 ANF 1982.09   ロンドン 1989.??
円光寺 雅彦 仙台フィルハーモニー管弦楽団 DIGITAL 1989.5   東京 1989.??
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1964.02   ベルリン 1989.??
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1951.04 ライヴ カイロ 2021-12
ピエール・デルヴォー アムステルダム・フィルハーモニック協会オーケストラ Audio Fodelity 1959 ライブ   2021-12
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 EMI 1971.09 スタジオ   2021-12
セルゲイ・クーセヴィツキー ボストン交響楽団 RCA 1930     2021-12
フェレンツ・フリッチャイ ベルリン放送交響楽団 グラモフォン 1959 スタジオ   2021-12
セルジュ・チェリビダッケ ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団 EMI 1992.11   ミュンヘン 未(注文中)
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ALTUS 1975.6 ライヴ 東京 2014頃
サー・ゲオルグ・ショルティ シカゴ交響楽団 LONDON 197505   シカゴ 2021-12
ロリン・マゼール クリーヴランド管弦楽団 CBSSONY 1981.10 スタジオ クリーヴランド 2021-12
ベルナルト・ハイティンク ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 PHILIPS 1978.10   アムステルダム 2021-12
アンタル・ドラティ ロンドン交響楽団 Mercury 1960.06 スタジオ ロンドン 2021-12
マリス・ヤンソンス バイエルン放送交響楽団 SONY 2004.06 ライヴ   2021-12
ドミトリー・キタエンコ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 OEHMS 2010.01 スタジオ   2021-12
ヘルベルト・フォン・カラヤン NHK交響楽団 グラモフォン 1954 ライヴ 東京 未(注文中)
エリアフ・インバル フランクフルト放送交響楽団 DENON 1991.02   フランクフルト 2021-12
ウラジーミル・フェドセーエフ モスクワ放送交響楽団 JVC 1981.06 スタジオ モスクワ 2021-12
クルト・マズア ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 シルヴァーレーベル 1986 スタジオ   未(注文中)
オットー・クレンペラー フィルハーモニア管弦楽団 EMI       未(注文中)

【追記202112180154】

ウラジーミル・フェドセーエフ指揮、モスクワ放送交響楽団の1986年、東京公演の録画がYoutubeにありましたので、貼り付けさせていただきます。

非常にレベルの高い演奏です。

[1986 Live] Tchaikovsky : Symphony No.6 / Fedoseyev & Moscow Radio Symphony Orchestra

 

コメント

山陰・山陽・大和地方小旅行記(6)

2021-12-12 22:46:47 | 旅行
(12月5日の記事からの続き)

9:41総社駅着。
ここから桃太郎線(吉備線)、岡山行9:58発に乗り換える。
2両編成のワンマンカー、ディーゼル、総オレンジ色だ。





車内放送やホーム表示板では、桃太郎線という名前でのアナウンスで「吉備線」とは言わない。
単線なので次の駅(東総社)で早くも列車待ち合わせ。

10:35、岡山着。30分ほどの待ち合わせ。改札わきのパン屋でコーヒーを飲む。
11:10発、津山線、津山行き快速「ことぶき」、2両編成ディーゼルのワンマンカーに乗車する。
総オレンジ色の古い車両だ。単線。



2駅目を過ぎたあたりから上り坂となり、右側が渓谷、左側が山となり景色が変化する。
列車のスピードもかなり落ちている。
こういう路線はまず電化は出来ない。しばらくはディーゼルカーが残るだろう。だがいつかは充電式の電車に置き換わっていくのかもしれない。
(そのときは、あの独特のディーゼルカーのエンジン音は聴けなくなってしまう。寂しいものだ)

この路線も含めて、今回乗った沿線及び車窓から見た家屋の「特徴」を列挙してみよう。

・屋根は瓦葺。
・家の壁は短冊状の黒い板(木材)かトタン製。
・壁に、〇の中に「寿」の文字が入ったマークが描かれた家が結構ある。
・石垣を積み重ねた土台上に建設した家も結構見かける。
・蔵を持っている。
・玄関の戸は引き戸。
・窓枠が木製の家も結構多い。

とにかく昔ながらの造りの家が多い。
疲れのせいか、居眠りをする。
12:17に津山着のところ2分くらい遅れる。急いで12:22発の佐用行き、1両編成のワンマンカー(ディーゼルカー)に乗る。乗り換えの列車は十分待っていてくれた。



乗客は少ない。
このときふと、嫌な予感が頭をよぎった。
昨日、智頭→津山間のワンマンカーに乗車した際に、恐ろしい形相で私を罵倒してきて心的外傷を被ったあの運転手がまさかこのワンマンカーの運転手として乗車しているのではないかという不安が蘇ってきたのだ。
前方にいる運転手を恐る恐る観察したが、あの運転手ではなさそうだった。

この路線は姫新線の津山→佐用間となる。
因美線や津山線ほどローカルな感じはしない。
どこまでものどかな風景が続く。快晴。
こののどかさがいつまでも続くといいなと思った。

13:17、佐用着。





次の列車まで1時間20分程ある。ここで昼飯を食べることにした。
あらかじめスマホで調べておいたが、駅前のマップで駅から近そうな店として、「一平」というホルモン焼きうどんの店に行ってみることにした。
駅周辺は商店が点在するくらいで、観光するようなところは無い。

一平に入ると店内は真昼なのに暗かった。
客1人がカウンターで水割りかチューハイを飲みながらなべ焼きうどんを食べ、店の女主人と話していた。
一瞬、営業していないのかもしれないと思って、女主人に今の時間営業しているか聞いてみたら、やっているとのこと。
ほっとしてカウンターの一番奥の席に座った。

目の前の貼り紙に、ホルモン焼うどん(この土地の名物か?)があったので、これを注文することにした。
次の列車の時刻に間に合うか不安を感じながら、注文した品が出てくるのを待っているとほどなくして ホルモン焼うどんが出てきた。
鉄板の上の焼うどんにホルモン焼きがいくつか入ったものであった。
ホルンモンが苦手でなければなかなかおいしいうどんだ。

ホルモンは何度噛んでもちぎれないから、消化に悪そうだ。おまけに歯が悪いときたからなおさらだ。
食べ終わってしばらくしてから、女主人が1枚のパンフと分厚い雑記帳のようなものを持って来た。
パンフはスタンプラリーの応募用紙だった。
スタンプ1個でも申し込みできるので良かったら、名前、住所等を書いて行ってはどうかと薦めてくれた。
「この雑記帳はおもしろいでしょう」と女主人がうれしそうに言った。
何冊ものノート重ね合わせ、表紙はお手製の布張りにしたものだった。
膨大な量のかつてこの店を訪れた客のコメントが書かれていた。
あとは古い新聞記事の切り抜き(新聞でこの店が紹介されたようだ)が貼り付けてあった。

「どこから来たの?」と女主人は言った。
「〇〇から来ました」と答えたら、「ガクトが出ている映画が〇〇だったね」と女主人は言う。
ガクトのことが分からなかった私は、「ガクトって、あの戦争時代の学徒のことですか?」と聞いたら笑われてしまった。ガクトとは音楽のグループらしい。
「そういう方向は全く疎いんです」と返した。

スタンプラリーの応募用紙に必要事項を記入し、女主人に渡して勘定を済ませると、アメを何個かくれた。「かわいいアメでしょう」と言う。
「旅行ですか?」と聞かれたので、「ローカル線の旅をしています」と答えたら、知人からもらったという「鉄道ジャーナル」を見せてくれた。
「しかしこの地方はディーゼルカーが多いですね」と聞くと、「そう、昔ながらのディーゼルカーがこの土地らしいところなの」。
すると私以外にもう一人いた老人の男性客が初めて私に話かけてきた。
「帽子とか鉄道に関する物を集めているのか」と訊いてきた。
「いやグッツはやりません。ただいろんな路線を乗って楽しむだけです」と答えた。
その客は昔、国鉄職員だったという。切符切りのハサミを今でも持っているのだそうだ。
意外にこの客の目が優しかったのに驚いた。

小さな町ということもこともあるのだと思うが、とにかく庶民的で素朴な人たちという感じがした。
観光地では無いのでよそ行きのふるまいではないだろう。

女主人にお礼を言って店を出て、昼下がりの強い陽射しを浴びながら、からっとした暑さの、のどかな静かな街並みを満足感に浸りながら駅に向かった。
こんなのんびりしていると、毎日退屈してしまうのではないか。まあ田舎は大概そうなのかもしれないが。



(次回に続く)
コメント