緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ヘルマン・アーベントロートという指揮者

2021-12-24 23:17:57 | オーケストラ
「悲愴」の聴き比べもあいかわらず続いている。
恐らく過去に録音された演奏を全て聴くまで続くに違いない。

今日聴いたのは今回新たに購入した録音ではなく、30数年前の今だから言える、あのもがき苦しんだ時代に聴いた「悲愴」の中の1枚だった。
意外にも、30数年前には殆ど印象に残らなかった演奏であったが、今日30数年振りに聴いたらこれがなかなかの演奏。
ヘルマン・アーベントロート指揮、ライプツィヒ放送交響楽団。1952年録音。

1883年、ドイツ、フランクフルト生まれ、1956年没。
「悲愴」は感情の起伏が激しく、また経験した人でないと感じることのできない深く複雑な感情が潜在的に隠されている曲だから、作曲者の曲に託した思いを再現することは非常に難しい。
だから第3楽章のような曲は上手く表現できても第4楽章が物足りない演奏も多い。
この3週間で40枚ほどのCDを聴いたが、心の深いところから感情が引き出された演奏はわずかである。

ヘルマン・アーベントロート指揮の演奏はどうだろう。
第1楽章で、12月3日にムラヴィンスキーの1960年の録音を聴いて以来の感情が起きてきた。
もう少し繰り返し聴き込んでみないと、未だその真価を正確に評価できないが、今日2回聴いた限りでは悪くない。
第4楽章はかなりのスローペース。
楽譜の指定速度はアダージョだが、初演時の自筆譜はアンダンテだったという。出版されるまでに別人の手により改ざんがなされたようだ。
しかし私はあまり速度の違いは気にしていない。
どれだけ、チャイコフスキーの人生過程での、癒し難い、どうすることも出来なかった精神的、心理的な苦しみが共感として感じられるか、そのことだけが私にとっては重要なポイント。この感情が伝わってくるかが。
この曲にチャイコフスキーの生き様の全てが現れているように思える。


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山陰・山陽・大和地方小旅行記(7)

2021-12-24 21:01:25 | 旅行
(12月12日付け記事からの続き)

佐用駅で14:36発、播磨新宮行きの1両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗る。乗客はまばらだった。
15:05,播磨新宮着。ホームの向かい側に停車していた15:07発、姫路行き2両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗り換える。



今日はずっと晴天に恵まれ、絶好の鉄道日和だ。
昨夜起きた例の忌まわしい出来事も殆ど記憶から遠ざかっていた。

15:37、姫路着。けっこう大きな駅だ。
駅の改札を出た所のすぐ近くにある土産物屋で、姫路で最も古い酒蔵だという「八重垣(やえがき)」という純米酒、300ml入り瓶を買う。
駅の外に出て銀行に向かう。人手は多い。結構都会だ。
JR姫路駅近くのデパートと直結した山陽電鉄に乗る。



飾麿駅で乗り換え、広畑駅で降りる。意外に小さな駅。
改札を出て今日の宿への道順を確認するが、なかなか見つからない。
ようやくそれらしき道を見つけ、徒歩3分のところにあるビジネス旅館に入る。

6畳の和室で、部屋にトイレ・バスの無い部屋を予約していたが、宿のおかみさんが親切にもサービスでバス・トイレ付の部屋に変更してくれた(料金は変わらず)。





宿の近くにどこか食べる所はないか訊いてみたら、いくつか店を教えてくれた。
その中の1つ、はなまるうどんに行くことにした。
部屋に荷物を置く。
部屋はわりに広く、綺麗だった。畳は青々している。
日が暮れないうちにはなまるうどんに向かった。

はなまるうどんで、かきあげ+なす天+ぶっかけ+たまご+ライスを注文した。
勘定したら、意外にも千円近くになってしまった。
なるほど、こういう具を選んでバイキング形式で注文すると、料金があらかじめ分からないから勘定のときにびっくりする程の値段になってしまうというわけだ。上手く考えたもんだ。

はなまるうどんを出たらもう日が暮れていた。
宿に着いて、姫路駅で買った八重垣を飲む。



静かだ。
そうだ、智頭で買った「ひょうたん杉」を見てみよう。
袋からひょうたん杉を取り出して、畳の上に置いてみる。









色がいい。年輪の模様の具合もいい。誰が作ったのか。職人か素人か。
誰が作ったにしても気に入った。ずっしりと重い。セーム皮で磨くともっとつやが出るだろう。

バスはユニットバスだった。
カーテンは綺麗だった。
昔、盛岡で泊まったビジネスホテル(受付がひどく不愛想なじいいさんだった。今でも憶えている)のユニットバスのビニールカーテンが黒カビだらけだったのを思い出す。

明日は早い。今日は早く寝ることにしよう。
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