今日、あるきっかけで以前からずっと探し続けてきた楽譜を発見した。
その曲とは、R.サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「アンダルーサ」である。
この曲のことは以前記事にしたが、初めて聴いたのが高校3年生に上がる前の春休みにFMラジオから録音したホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏だった。
サーインス・デ・ラ・マーサ作曲の「ソレア」とともに、この演奏に衝撃を受けた私はどうしてもこれらの曲を弾きたくなり、楽譜を探した。
「ソレア」の方はまもなく、好楽社から取り寄せることが出来たが、アンダルーサについてはカタログを探しても見当たらなかった。
「ソレア」しか楽譜を入手出来なかったが、それでも満足で大学1年生の夏くらいまでこの曲を練習して弾けるようになっていった。
当時私は全くの独学(今でもそうであるが)で、周辺にもクラシックギター独奏をやる人が皆無だったので、楽譜についての情報を得る手段が無かった。
ただ今から思うと、現代ギターの広告をたよりにギタルラ社や好楽社などの洋譜輸入商に手紙などで問い合わせてみる、ということは出来たと思う。ただそういうことをやってみるということすら思い浮かばなかった。
サーインス・デ・ラ・マーサの「ロンデーニャ」が「アンダルーサ」の改作であることを知ったのがずっと後のことだった。
就職で東京に出てきてからだいぶ経ってからであるが、とにかく楽譜を手に入れて弾いてみたけど、随所でアンダルーサとは異なる。しかもアンダルーサよりも音楽的には悪くなっているとさえ思えた。
「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」を聴き比べると「アンダルーサ」の方が構成的に整っているし、舞曲としての性格もよく表現されていると感じる。
ただ、「アンダルーサ」には「ロンデーニャ」の後半部に出てくる「コプラ(歌)」という美しいフレーズが無い。
「コプラ」はロンデーニャで追加されたものだ。
ホセ・ルイス・ゴンサレスはアンダルーサにこのコプラを追加して録音している。
しかしイエペスのアンダルーサはコプラが無く、当然オリジナルの楽譜どおりの演奏になっている。
このコプラが曲にあるのと無いとでは随分曲の価値に差が出るように思う。
だからホセ・ルイス・ゴンサレスは他の部分はアンダルーサの方が優れているのを認めつつ、ロンデーニャの「コプラ」を追加したのではないかと思われる。
イエペスは原曲を忠実に演奏することを選択した。
イエペスもホセ・ルイスも「アンダルーサ」の方が音楽的に優れているから録音に採用したに違いない。
私はロンデーニャを手がけた後も、この「アンダルーサ」を弾きたくてずっと楽譜を探し続けてきたが見つけることは出来なかった。
そして今から15年くらい前だと思うが、インターネットである外国のサイトで、この「アンダルーサ」とこの曲の前作と思われる「アンダルシアの素描」という曲の2曲が、MIDIで聴けるようになっているのを偶然発見し、この2曲のファイルを入手した。
そしてMIDIを楽譜に変換できるというフリーソフトを見つけ、ダウンロードして早速実行してみたが、変換されたファイル(PDF)はとても判読できるものではなかった。
そんなことで残る手段はレコードコピーしかないかなと思っていたが、今日、全く予期せず偶然のきかっけからコピー譜を入手することが出来た。
絶版となった入手困難な楽譜は、あきらめずにいたら、案外、別目的で何かを探しているなかで偶然発見されることもあるのだと思う。
今までも、鈴木静一のギター独奏曲「哀唱」、エドワルド・ピュッツの「バラード」などが同じような形で見つかったことがある。
今日発見した「アンダルーサ」はコピー譜であるが、印刷状態が非常に悪く、判読するのが困難だ。
時間はかかるけど手書きで写譜して見やすくしようかと思っている。
それが終ったら練習に取り掛かりたい。
その曲とは、R.サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「アンダルーサ」である。
この曲のことは以前記事にしたが、初めて聴いたのが高校3年生に上がる前の春休みにFMラジオから録音したホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏だった。
サーインス・デ・ラ・マーサ作曲の「ソレア」とともに、この演奏に衝撃を受けた私はどうしてもこれらの曲を弾きたくなり、楽譜を探した。
「ソレア」の方はまもなく、好楽社から取り寄せることが出来たが、アンダルーサについてはカタログを探しても見当たらなかった。
「ソレア」しか楽譜を入手出来なかったが、それでも満足で大学1年生の夏くらいまでこの曲を練習して弾けるようになっていった。
当時私は全くの独学(今でもそうであるが)で、周辺にもクラシックギター独奏をやる人が皆無だったので、楽譜についての情報を得る手段が無かった。
ただ今から思うと、現代ギターの広告をたよりにギタルラ社や好楽社などの洋譜輸入商に手紙などで問い合わせてみる、ということは出来たと思う。ただそういうことをやってみるということすら思い浮かばなかった。
サーインス・デ・ラ・マーサの「ロンデーニャ」が「アンダルーサ」の改作であることを知ったのがずっと後のことだった。
就職で東京に出てきてからだいぶ経ってからであるが、とにかく楽譜を手に入れて弾いてみたけど、随所でアンダルーサとは異なる。しかもアンダルーサよりも音楽的には悪くなっているとさえ思えた。
「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」を聴き比べると「アンダルーサ」の方が構成的に整っているし、舞曲としての性格もよく表現されていると感じる。
ただ、「アンダルーサ」には「ロンデーニャ」の後半部に出てくる「コプラ(歌)」という美しいフレーズが無い。
「コプラ」はロンデーニャで追加されたものだ。
ホセ・ルイス・ゴンサレスはアンダルーサにこのコプラを追加して録音している。
しかしイエペスのアンダルーサはコプラが無く、当然オリジナルの楽譜どおりの演奏になっている。
このコプラが曲にあるのと無いとでは随分曲の価値に差が出るように思う。
だからホセ・ルイス・ゴンサレスは他の部分はアンダルーサの方が優れているのを認めつつ、ロンデーニャの「コプラ」を追加したのではないかと思われる。
イエペスは原曲を忠実に演奏することを選択した。
イエペスもホセ・ルイスも「アンダルーサ」の方が音楽的に優れているから録音に採用したに違いない。
私はロンデーニャを手がけた後も、この「アンダルーサ」を弾きたくてずっと楽譜を探し続けてきたが見つけることは出来なかった。
そして今から15年くらい前だと思うが、インターネットである外国のサイトで、この「アンダルーサ」とこの曲の前作と思われる「アンダルシアの素描」という曲の2曲が、MIDIで聴けるようになっているのを偶然発見し、この2曲のファイルを入手した。
そしてMIDIを楽譜に変換できるというフリーソフトを見つけ、ダウンロードして早速実行してみたが、変換されたファイル(PDF)はとても判読できるものではなかった。
そんなことで残る手段はレコードコピーしかないかなと思っていたが、今日、全く予期せず偶然のきかっけからコピー譜を入手することが出来た。
絶版となった入手困難な楽譜は、あきらめずにいたら、案外、別目的で何かを探しているなかで偶然発見されることもあるのだと思う。
今までも、鈴木静一のギター独奏曲「哀唱」、エドワルド・ピュッツの「バラード」などが同じような形で見つかったことがある。
今日発見した「アンダルーサ」はコピー譜であるが、印刷状態が非常に悪く、判読するのが困難だ。
時間はかかるけど手書きで写譜して見やすくしようかと思っている。
それが終ったら練習に取り掛かりたい。