緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

R.サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「アンダルーサ」の楽譜見つかる

2021-12-05 21:50:28 | ギター
今日、あるきっかけで以前からずっと探し続けてきた楽譜を発見した。
その曲とは、R.サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「アンダルーサ」である。

この曲のことは以前記事にしたが、初めて聴いたのが高校3年生に上がる前の春休みにFMラジオから録音したホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏だった。
サーインス・デ・ラ・マーサ作曲の「ソレア」とともに、この演奏に衝撃を受けた私はどうしてもこれらの曲を弾きたくなり、楽譜を探した。
「ソレア」の方はまもなく、好楽社から取り寄せることが出来たが、アンダルーサについてはカタログを探しても見当たらなかった。
「ソレア」しか楽譜を入手出来なかったが、それでも満足で大学1年生の夏くらいまでこの曲を練習して弾けるようになっていった。

当時私は全くの独学(今でもそうであるが)で、周辺にもクラシックギター独奏をやる人が皆無だったので、楽譜についての情報を得る手段が無かった。
ただ今から思うと、現代ギターの広告をたよりにギタルラ社や好楽社などの洋譜輸入商に手紙などで問い合わせてみる、ということは出来たと思う。ただそういうことをやってみるということすら思い浮かばなかった。

サーインス・デ・ラ・マーサの「ロンデーニャ」が「アンダルーサ」の改作であることを知ったのがずっと後のことだった。
就職で東京に出てきてからだいぶ経ってからであるが、とにかく楽譜を手に入れて弾いてみたけど、随所でアンダルーサとは異なる。しかもアンダルーサよりも音楽的には悪くなっているとさえ思えた。
「ロンデーニャ」と「アンダルーサ」を聴き比べると「アンダルーサ」の方が構成的に整っているし、舞曲としての性格もよく表現されていると感じる。
ただ、「アンダルーサ」には「ロンデーニャ」の後半部に出てくる「コプラ(歌)」という美しいフレーズが無い。
「コプラ」はロンデーニャで追加されたものだ。
ホセ・ルイス・ゴンサレスはアンダルーサにこのコプラを追加して録音している。
しかしイエペスのアンダルーサはコプラが無く、当然オリジナルの楽譜どおりの演奏になっている。

このコプラが曲にあるのと無いとでは随分曲の価値に差が出るように思う。
だからホセ・ルイス・ゴンサレスは他の部分はアンダルーサの方が優れているのを認めつつ、ロンデーニャの「コプラ」を追加したのではないかと思われる。
イエペスは原曲を忠実に演奏することを選択した。
イエペスもホセ・ルイスも「アンダルーサ」の方が音楽的に優れているから録音に採用したに違いない。

私はロンデーニャを手がけた後も、この「アンダルーサ」を弾きたくてずっと楽譜を探し続けてきたが見つけることは出来なかった。
そして今から15年くらい前だと思うが、インターネットである外国のサイトで、この「アンダルーサ」とこの曲の前作と思われる「アンダルシアの素描」という曲の2曲が、MIDIで聴けるようになっているのを偶然発見し、この2曲のファイルを入手した。
そしてMIDIを楽譜に変換できるというフリーソフトを見つけ、ダウンロードして早速実行してみたが、変換されたファイル(PDF)はとても判読できるものではなかった。

そんなことで残る手段はレコードコピーしかないかなと思っていたが、今日、全く予期せず偶然のきかっけからコピー譜を入手することが出来た。



絶版となった入手困難な楽譜は、あきらめずにいたら、案外、別目的で何かを探しているなかで偶然発見されることもあるのだと思う。
今までも、鈴木静一のギター独奏曲「哀唱」、エドワルド・ピュッツの「バラード」などが同じような形で見つかったことがある。

今日発見した「アンダルーサ」はコピー譜であるが、印刷状態が非常に悪く、判読するのが困難だ。
時間はかかるけど手書きで写譜して見やすくしようかと思っている。
それが終ったら練習に取り掛かりたい。

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山陰・山陽・大和地方小旅行記(5)

2021-12-05 21:29:55 | 旅行
(11月27日の記事からの続き)

9月21日(火)
5:00起床。
昨日の出来事があって、夜遅くではあったがJR西日本のホームページを検索し、お客様センターに昨日の出来事を書いて送った。
やはり運転手の度を超えた態度や危険行為に対する未然の対応に釈然としない気持ちがあったので、このままにしておかない方がよいと思った。
一方で事前に知らなかったとはいえ、行ったことに対する罪悪感も感じ心境は複雑であった。

宿を出るときおかみさんが玄関に顔を出してくれた。



こういう古くて小さな旅館で、過去に客が私一人のみだったということが何回かあった。
記憶に残るのは輪島、横手、松本、あと名古屋だったか静岡だったか(この時はおかみのおばあさん一人だけで、風呂入れますよと言っていたのに、お湯が出なかったし、学生時代に住んでいたお化け屋敷風超おんぼろアパートほどではなかったが、部屋の畳が上下に激しく波打っていた)。

今日は新見→総社(そうじゃ)→岡山経由で姫路まで行く。
新見行き6:11発、2両編成のディーゼル、ワンマンカーに乗る。単線だ。





下は津山着のディーゼルカー。この型のディーゼルカーが最も多く走っている。



乗客はまばらで、殆どが通学の高校生だ。天気は霧がかかっており良くない。
この路線は姫新線と言うが、霧で景色がよく見えない。

そういえば、鳥取から津山までの人々の言葉は関西弁ではなかった。どっちかというと標準語だ。
霧が少しずつ晴れて来た。今日は晴れになるであろう。
明日の天気の方が気になる。雨の予報だ。

坪井(つぼい)という駅で列車行き違いのため2分停車。反対方向から走ってきた列車は、昔のオレンジとクリーム色の古いディーゼルカーだった。
(私が就職で上京する時、旧千歳空港駅まで乗ったのがこのタイプの列車だった。この頃は北海道でもまだ走っていた)
ホームは荒れておりボロボロ。因美線もこの姫新線も近代化から取り残されている印象だ。
しかしだからこそ、こういうところを訪れてみたいという気持ちにさせるのだ。
風景は因美線と同様、山と山の間の谷間を縫うように進んで行く。
点在する民家の殆どが古い昔ながらの造りの家だ。

霧がまた出て来た。高校生たちの話し言葉を聞いているが、関西なまりは無いようだ。美作落合という駅で高校生たちが大量に降りた。
昨日の出来事がトラウマになったのか、カメラを取り出す気にはなれない。
また大きな汽笛を聴くと恐怖を感じる。これはまずい。

久世で4分の列車行き違いのための停車。ホームで待つのは高校生だけだ。反対側からやって来た津山行きは総オレンジ色のディーゼル2両。
ここからゆるやかな下りとなる。景色も山あいの農村という感じから工場などが点在する景観に変化する。
中国勝山で10分ほどの待ち合わせ。
奈良方面の明日の天気はくもりと出ていた。明日は奈良にしようか。
ここから街並みを外れ、山あいの路線に戻り、トンネルの連続となる。
トンネルを抜けると少し開けてきた。しかし駅は無人で、ホームも粗末。
ホームに木が生え、こけが生え、落ち葉が大量に積もっていた(月田駅)。
無人駅だから誰も手入れや掃除をしないのだ。だけど私が普段通勤で使う関東の某駅のように、線路に空き缶やらマスクやらアイスクリームの容器やらが落ちたままになっているのとは全く違う。
再び視界は快晴となる。この3日間の睡眠不足がたたって居眠りをしてしまった。
刑部(おさかべ)という駅で6分の待ち合わせ。ここで高校生が大量に乗ってくる。

新見駅、8:07着。次の列車乗り換えまで30分あるので、途中下車することにした。



新見駅周辺は小さな町という感じだ。鍾乳洞や美術館があるくらいだ。
ここの人は関西弁だった。ここは岡山県なのだ。
山陰と山陽、これらの地域の言葉の境界線はどこなのだろう。
山陰の方が言葉が美しい。
駅前のベンチに座って缶コーヒーを飲む。明日は奈良にするか。奈良にするなら宿を今から探しておく必要がある。スマホで和室の安宿が見つかった。(しかし旅程表を確認したら、宿泊は必要ないことが判明)

総社方面は播州赤穂行きの2両編成のワンマンカー(電車)で、伯備線という路線になる。





この地方は瓦葺の屋根の家が多く、学校も瓦葺だった。
ワンマンカーだけど、途中から女性車掌が車内で乗り越し精算をしにやって来た。
これも関東ではもはや見かけなくなった光景だ。しかしのんびりしている。
私もこういう土地でのんびりと暮らしたい。仕事リタイアしたら移住しちゃおうかな。
この路線の駅名に「備中」という名前が付くものがいくつかあった。
右側には渓流が見える。その横は山だ。人一人いない。
めずらしい駅名、「美袋」と書いて「みなぎ」と読む。

9:41総社駅着。

(タイムオーバー。続きは次回書きます)
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