緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

NLPによって対人恐怖症は改善されるのか(続き)

2023-08-22 21:24:07 | 心理
(前回からの続き)

30代の初めころ、日本における心理療法の草分け的な存在と言われていたある方の心理療法を受けていたことがあった。
その方は以前は催眠療法主体のセラピーを行っていたが、私が受けていた頃にはすでに催眠療法をクライアントに適用することはやめていたようだった。
採用していたのは「3点セット」という、独自の自己暗示による恐怖症解消のアプローチであった。

まず恐怖(場面)を感じる→その恐怖を「大事」だと認識する→プラスのイメージを連想し、恐怖場面のイメージ変換を行う、という手順により行われた。
プラスのイメージをしやすくするために、自律訓練法の習得が課題とされた。
その方は、恐怖症を初めとする心の問題は、「暗示」によってしか治らないとまで断言していた。
この療法も基本的にはNLPによるイメージ操作と変わらない。
なので、NLPによる記憶の書き換えは何もNLP特有の画期的手法ではなく、それ以前から催眠療法やイメージ変換療法などですでに採用されていたということであろう。

ただ先の、30代初めに受けた心理療法家の方法がNLPと比較して重点の置き方が異なると感じたのは、プラスのイメージを連想する前に、「恐怖を大事」と感じるプロセスがあることだった。
ある時この先生に質問した。「恐怖が苦しくて、一刻も早く無くしたいと思っているのに、何故、恐怖を大事だと思わなければいけないのか?」。
先生曰く、「恐怖が無くなったら大変なことになる。危険に対し無感覚になるため、より恐ろしい体験をするリスクが増大する」と。

恐怖症は辛い。持続的な強い恐怖は生きるエネルギーを奪い、消耗させ、さまざまな他の心の苦しみや問題を派生させる。
しかしこれほど苦しい恐怖が何十年も持続するということは、それだけ長い期間に渡って、人間を強く恐れるほどの体験をしたということなのだ。
それも全ての人間が等しく恐ろしい存在とまで認識し、それが固い信念となって心に定着するほどにまでになったのである。
だから、この恐怖はその意味において極めて正常な感情であり、必然的に起きているのが当たり前のことだと言える。
おかしな、異常な感情ではないのだ。

それゆえに、まずはこの「恐怖」を嫌ったり、排除しようとせず、理解し、受け止めてあげるべきなのである。
心の中で、「死ぬほど怖いよー、助けて」と絶えず叫んでいるのである。
この叫びを自ら聴いてあげ、そのまま丸ごと肯定してあげるのである。
恐怖症がなかなか治らない最大の理由は、恐怖を悪者とみなして、それを無くそう、消滅させようと働きかけるからなのである。それをすればするほど恐怖は抵抗し、増大していくであろう。

私の対人恐怖が解消に向かった分岐点がこのことに気が付いてからであった。
この世の中全て、人間全てが敵で自分を絶えず攻撃してくるとまで認識、生きる上での信念となるまで強化された体験があったんだ、とまずは自分の心を理解してあげることがスタートとなる。
そしてこの人間に対する認識を変えていく必要がある。
この人間に対する認識や強化された信念を変えることは、イメージ変換などといった小手先の手法では全く歯が立たない。
物凄く時間がかかる。多分、一生かかると思う。
この信念を変えることが出来るのは、人間の心以外にないのではないだろうか。
恐怖を植え付けたのも人間の心であり、その恐怖の元になっている人間に対する認識を変えられるのも人間の心以外にないと今では思う。
つまり、人間の心から出た心理的エネルギーほど、心に変容に強力な作用を持つものはないということだ。

人間に虐待された犬だって、人間に心を開くようになるまでに長い年月を要した、というテレビ番組を昔見たことがあった。
その犬は、優しい飼い主に引き取られた後でも、警戒し、長い間心を開かなかったという。それほど心に破壊的な影響を受けていたということだ。

(次回は自己否定と対人恐怖との関係とNLPの有効性についての考察を書く予定です)



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