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世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

東京でたった一人の肉親

2009年02月11日 | Weblog
週の半ばに休みがあることがこんなに素敵なことだなんて知らなかった。

昼間はのんびりと過ごすことができた。
夕方からは新宿を徘徊。

夜は妹・芋子と飲み会。
休みの日も自宅で仕事をしている彼女。
転職をしてからずっとそうらしい。
その息抜きも兼ねて…。
私の誕生日の翌日も一緒に飲んだのに。
この仲良しっぷりはどうだろう。
小さい頃は喧嘩ばっかりしていた。
今や「今日の夜、飲まない?」「OK」というメールで度々会っている。

今日は東口の「ごまや」にて飲んだ。

ごまを使ったメニューが多く、どれも大変美味しかった。
中でも黒ごまの豆腐がデザートぽくてほっぺが落ちまくり!


また野菜は新鮮な狛江の野菜を使っているらしく、キャベツの炒めものなんて、まさに絶品であった。


隣の席では合コンが開催されていたもよう。
彼らから発せられる独特の嬌声とか雰囲気を懐かしく思う。
昔はあんな時期もあったわね。

そんなことを染々と語った。


仕事が忙しくて凹んでいた妹。
先日某レストランで食事をしたとき、自分の仕事が形になったものをたまたま見たそうな。
それで元気になったという。

そんな妹を誇らしく思うと同時に、私もがんばらないと、と思う。

東京でたった一人の肉親、妹。

こうやって、これからも支えあって生きていくんだろうなあ。
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割りきり

2009年02月10日 | Weblog
心療内科デー。

今日は5時ぐらいに●●●ィ~(部長)から仕事を依頼された。
6時少し前に結果を報告。
「いいですねー。ではこの件についてもう少し深く調べてクダサイ」
と言われた。
しかし、6時に会社を出ないと心療内科に間に合わない。私の通院する心療内科は受付終了時間になるとエレベーターが停止してしまう世知辛いトコなんである。
パキシルも底をついた。
パキシルあっての私、私あってのパキシルみたいなとこ、あんじゃん?
離れられない二人、みたいな。
前世は一対だった、みたいな。
金曜日の夜など、ごく稀にパキシルを飲み忘れることがあるんだが、翌日は必ずシャンビリが発生し、やる気がなくなる。
だからパキシルだけは切らせるわけにはいかないんである。

6時まで全力を尽くし、6時になったと同時に心療内科に電話をした。
受付の青年曰く、少しの時間ならば大丈夫とのこと。でも早く来いとさりげなく催促をされる。

●●●ィ~に「今日はちょっと残業できないんです」と言ったら、木曜日でもいいとのことだったのでマッハで帰社。

早足をしつつ、急に情けなくって泣きそうになる。


心療内科は、結局2時間30分待ち。

隣の隣の女が飴を音を立てて舐めていてとても煩かった。

カチカチ…ジュ…クチャ…ジュジュッ。
咀嚼音だけでも不快なのに、飴の甘い香りまで漂ってきた。
ああ、この匂いは、あの女の口内で唾液と絡まったものが蒸発してここまで漂ってきたんだなぁ…と思うと吐きそうになった。

疲れてしまい、後半30分はひたすら瞑想。

待合室に流れる音楽は、いつもは癒し系のホワワ~ンとした曲なんだが、今日はクラシックの詰め合わせだった。
4回目のゴールドベルグ変奏曲のアリア(バッハ)が流れてきた頃、診察室に呼ばれた。

「お待たせしました。…って、いつもですよね。アハ」
と、クマ医師にしては珍しく、笑顔でウェルカム。

私の症状は良くなっているようだ。
そういえば、無駄なことをあまり考えなくなった。
先日観た映画「禅 ZEN」と認知行動療法により、「あるがままに」(裏を返せば「どうでもいい」)というポリシーが我が身に根付いた気がする。
やることをやって、その上でどうしようもないことに遭遇したら、「あるがままに」と心で唱えるようにしているのがいいのかもしれない。

今日だって、もし●●●ィ~に良い顔をしようと無理して残業していたって、たぶんイライラしてしまい仕事にならなかったんじゃないかと思う。
●●●ィ~が私のことをどう思うのかは若干不安だが。私にも私の都合があるわけで。それに頭も心も体もストロングゥ~ッなエリート●●●ィ~には私の症状なんてたぶん理解不可能だろう。

心療内科に来る前のそのことをクマ医師に報告したら、大絶賛してた。
「とにかく、割りきるようにしてください」
とアドバイスをされ、無理をしないように重ね重ね言われた。

めでたし、めでたし。

追伸
クマ医師の眼鏡はさりげなくヲサレ眼鏡であった。…今まで余裕がなくて観察できなかった。
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31歳プロローグ ~シトラスの香に包まれて~

2009年02月09日 | Weblog
私には後輩女子が二人いる。二人ともいきいき栃木っ子(同郷)。
一人は期間限定で他部署に行ってしまった。
今日はもう一人の後輩女子から誕生日プレゼントをいただいた。
癒しをコンセプトにしたプレゼントの数々が東急ハンズの袋から続々出てきた。
体を洗うスポンジ、洗顔用ミトン、入浴剤…ありがとう。



スティック状のルームフレグランスは前から欲しかったので大変嬉しかった。
ボトルに入った液体に棒を差すと、シトラス系の香りが部屋を包んだ。
さわやか~。
これぞ女子の部屋だわ。…目を瞑れば。


後輩というものができて何年か経つが、本当にみんな可愛い。
ムツゴロウさんが「ンォーッ、よしよしー…」と犬やらクマを可愛がる様子に同感できる。

販売員時代、先輩が「後輩が仕事をできるようになると嬉しいのよ。その子を可愛いと思えるのよ」と言っていた。

吉熊上司や●●●ィ~(部長)に、可愛いと思われたいと思っていたんだけれども、それより「どれだけ気遣えるのか」ということに集中し重点を置いた方が物事が上手く行くということに気づいた。

私の座右の銘は
「仕事とは人に喜んでもらうこと」
である。
壁に貼り付けた文字。
首筋に香水を振りかけながら、何とはなしに自分のポリシーを確認している。

私の座右の銘が世間に通用するのかは実践中なのでよくわからない。
でも、ただ言えることは、今、とても幸せだということだ。
これからも、信頼や人間関係、そして自分や人生を大切にしていきたい。

31歳プロローグ。
シトラスの香りに包まれた私は、そんなことを思った。
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時は無限のつながりで

2009年02月08日 | Weblog
昼下がりのゆったりとした光が射す中、木々が生い茂る実家の庭を偵察。




我が家は無駄に木々が多い。
無秩序に植えられたそれらからは、センスとか風情とかはまるで感じられない。
でも、季節ごとに咲く花などは可愛らしくて好き。






その後、煙草を買うついでに、近所を散歩した。

まずは中学校を目指してみた。
通学路。

川沿いの道を歩く。
川っていっても、せせらぎとは無縁で、団地の中心を流れる人工的なものである。
でも思春期の3年間、私はこの川の流れを見ながら通学し、色んなことを思っていたのである。

雀宮中学校。



校内で一番好きだった場所。
校舎と体育館の連結部分。


体育館に怪しい看板を発見!


「宮っ子の誓い」だってさ…。宇都宮の『宮』を使用したのだろうか。
私なんて『3、「宮っ子」は美しいものを愛する心持ってます』しか該当しない。残念ながら。

中学時代ほど規則や時間に縛られていた時期はないと今になってから思う。
嫌いな体育とか数学の授業によく参加していたよなあ、と染々と思うんである。
でも当時の私は、風紀検査で爪や靴下の種類を統制されることについて、何も疑問に思わなかった。
今なんて好き放題やらせてもらっている。
煙草を吸おうが、化粧をしようが、爪を伸ばそうが、鞄にクマを忍ばせていようが、誰も何も言わない。
これって、とても素敵なことではないか。
大人になるって、あんがい良いことだらけなのかもしれない。


北校舎は取り崩し作業の真っ只中!

中学の3年間は、北校舎で過ごしてきた。
それが、取り崩されている…。
その様子は私に大きなショックを与えた。
校舎のあちこちが朽ちていたから仕方がないんだが。

当時の私に笑顔や涙をもたらした空気も時間もすべて取り崩された気分になった。

時は無限のつながりで
終わりを思いもしないね

…とは、中学1年生のときの合唱コンクールで歌った「想い出がいっぱい」だが、まさにあの当時は、今がずっと続くと信じていた。
毎日、塾と恋と受験のことしか考えてなくて、明日の自分のことなんて考えてもいなかった。

今もそうなのかもしれない。

自分が過ごしていた校舎が取り壊されることなんて想像もしてなかった。だからぶらりと寄った母校の様子の変貌にショックを感じるのだろう。

でも、思い出は心の中にしっかりと刻印されている。
どんなに大型のブルトーザーでも壊すことはできない。
だから、いいや。

半壊状態の母校にサヨナラをした。

スーパーに寄り、栃木名物レモン牛乳を購入。

これ、ひたすら甘いんだよな。レモンと銘打ってながら無果汁だし。
今や餃子と並ぶ栃木名物になっているが、栃木に22年間住んでいた私には当たり前すぎる飲料なので「別に」って感じなんだが、後輩男子タイスケくんと吉熊上司へのお土産にしてみた。


帰宅すると母がハンバーグとじゃがいもの煮物を作ってくれた。



ハンバーグは中にも上にもチーズがあり、大変美味しかった。
じゃがいもは、芋の内部にまで味が染み込んでいるTHE・おふくろの味である。

8時近くの快速ラビットで東京に帰る。



「秒速5センチメートル」に出てきそうな東北線にひたすら揺られる。寒さも相成り、まさにあの映画の世界炸裂。


二日間、美味しいものを食べ、両親とじっくりと話すことができた。
今の私、元気玉の一つも作れるぐらい超元気。
私が毎日元気でいられるのも、故郷や両親があるからなのかもしれない。

明日から仕事。

がんばるん♪
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実家・雑感

2009年02月08日 | Weblog
夕御飯は、お鍋♪

葱、白菜、鮟鱇、豆腐と肉をコネコネしてボール状にしたもの、くず切り…美味しくいただいた。
乏しい食生活をしている身としては、このような食事ができる実家というものを非常にありがたく思う。ちょっとしたライフラインである。

母は9時過ぎに寝てしまい、父とじっくりと話すこと5時間。
学生時代から就職、そして今に至るまでの彼のヒストリーを聞いた。
父の赤裸々な過去や私が生まれたときの話など、とても楽しく聞くことができた。
父は仕事の話をするときは敬語になる。
「私はこう思うんですよ。というのは…」
というように。

組織の中で働いている父は、同じく組織の中にいる私に親近感を持つらしく、仕事のこと、特に人間関係についてをよく喋る。
一緒の話題があって、なんとなく嬉しかった。

彼にも苦悩があるらしく、顔つきが急に神妙になったり、そうかと思えば泣きそうになったりする。
忙しい表情の持ち主である。父は。

父の腰を揉んであげたら、そのままウトウトして寝てしまった。
父に毛布を掛け、夕御飯の片付けをし、風呂に入り…今に至る。
実家というものは、安らぎの場所だと思っていたんだが、次第に気を遣うものになってきた。親の老いを感じるのとまさしく同じタイミングで、それは訪れてきた。
でも、育ててもらった恩義を考えると相当、いや、それ以上のものだとも思う。

クマのように丸まって寝ている父の鼾が大きくなってきた。
さあ。
私も薬を飲んで寝ましょうか…。
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むっくり帰省

2009年02月07日 | Weblog
夕方、むっくりと支度をし、むっくりと帰省。
(帰省という名の静養…?)

もう少しキビキビと動ければいいのだけれども。それができない。
つい、ぼんやりとしているとマッハな早さで夕方になっている。休日の時空はいささかSFちっくだと思う。

電車は激混みだった。この時間帯、東京から宇都宮への在来線は1時間に1本。しかも快速ラビット号だったりするので混み具合が尋常でない。
分かっているのに、でもいつもこの時間帯の電車に乗ってしまう。
起きてご飯を食べ、まったりして掃除してまたまったりして本なんて読み始めちゃって。…そうこうしているうちに夕方になってしまうんである。

帰省するのは正月以来、31歳になってからは初めてだ。

母の手料理に甘え、湯船にゆっくりと浸り、帰省を謳歌するつもり。


我が故郷・宇都宮はもうすぐ。
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ハロッズ

2009年02月06日 | Weblog
誕生日に会社の先輩からいただいたニューフェイスのクマ。
ハロッズのクマである。

名前は…ハロッズ(←そのまんま)。
首のリボンの位置がセンターから微妙にずれていたり、顔が少しアレなんだが、そこはかとなくブサかわいい。


吉熊と何やら話しているもよう。
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萌的歯科通院

2009年02月06日 | Weblog
歯医者デー。

先日治療した右下の奥から2番目の根幹治療。
今日も真田先生(←真田広之に似ているから勝手に命名)は、爽やかであった。
そういえば、あのマスクの下はいったいどんな風になってんのだろう。口許とか見てみたい。

歯科医さんといえば、以前、歯医者さんと合コンをしたことがあった。勿論不発に終わったんだが。
お医者様の仕事・治療は、病を治したり痛みから解き放つ素晴らしいものだ。治すからにはその部位に触れることが前提である。「手当て」という語源もそこに由来している。

尊い行為・治療が口内で展開されていると頭では分かっているのに、今日はやたら変な妄想が頭にべっとりとこびりついて離れなかった。
ゴム手袋を介しての真田先生の指の温もりが、我が口内で上下する。
口内を弄繰り回されるあの感触…改めてよく考えるとエロティシズムを感じてしまう。

根幹治療はとても痛い。痛熱いという表現がぴったりだ。
その痛さは前触れもなく急に来るので体が反応してしまう。
特に妄想途中で痛みが来ると、あろうことか、膝なんてM字開脚気味になってしまうんである。

ああ、私ったら。
男日照りが長いからこんな風になってしまったのね…と、改めて思った。
かといって、彼氏とか欲しくないんだよなー。
「萌え」は、歯医者の会計が終わったら、もう別に不要なんである。お腹いっぱい。「萌え」のリアリズムは生活圏内に持ち込みたくはない。

歯を治療してもらうために通院しているのだが、私にとっての歯医者デーは、継続する「非萌え」生活に射す一筋の明るい光のようなものなのかもしれない。
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巻き巻き巻き返し

2009年02月06日 | Weblog
2/5

今日こそは!
今夜こそは、妹・芋子と飲むぜ!
…朝から息巻いていた。息巻いたついでに髪を巻いてみた。


本来ならば誕生日である昨夜、芋子と飲むはずだった。しかし、転職したばかりの彼女は忙しくて、誕生会は今日にズレてしまった。

今日はワイン色のベルベットスーツを着ていたので、若干夜の人っぽくなってた。
後輩男子タイスケ君に
「スナックの人みたいです」
と言われた。
キャバ嬢と称して欲しかったお。

さて、飲み会はお馴染み新宿のザ・ワインバー(住友ビル50階)。
景色も良いし、ワインの種類も豊富で重宝している。

久々に会う芋子。最近髪型をボブにしたいらしく、サイドの髪を伸ばしているせいか、少し大人びて見えた。昨日急遽会えなくなったのもあり、なんだかとてもいとおしい。
話を聞くと、仕事はやりがいがあるし、人間関係も良好。だけれども、仕事量が半端ないらしい。
あえて「がんばれ」とは言わなかったけれども、姉・亮子はちょっと心配だ。

壮大な夜景を眺めつつ、いつものようにお喋りをしつつ、美味を堪能。ロゼダンジュとチーズホンデュのコラボがたまらん!






いきなり照明が落ち、花火が刺さったジャンボシュークリームが運ばれてきた。
見ず知らずの他のお客さんが「ハッピーバースデー♪」を熱唱してくれ、スポットライトに包まれた私は少し照れた。そして、かなり嬉しかった。生きていてよかったとさえ思った。

妹・芋子が店の予約の際に画策してくれたらしい。ありがとう。


31歳。
色々なことを諦めるにはまだ早い。
諦めるなんて、今後も私の人生ではあり得ないのかもしれない。
髪のように、巻き返しOKのはず。巻き巻き~。

そして、楽しいことは探せば必ずあるはずだと確信した。

来年の誕生日、32歳もクリアな気持ちで迎えたい。いや、迎えよう。

そんなことを思い、終電に揺られていた。

★コメントをくださっている皆様、のちほど必ず返事します。少しお待ちを。
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31歳

2009年02月04日 | Weblog
誕生会を開催してくれる予定の妹・芋子が急遽仕事でこれなくなった。
仕事ならば仕方がない。
デザイナーとして転職したばかりの妹には頑張ってもらいたい。

でも飲みたい。
誕生日だもの。
飲みたいわ。

ということで、新宿でソロ飲み決行★
場所はオーキッド倶楽部
ドラマ「ハゲタカ」(最終回)で鷲津政彦が大空電気の加藤さんを説得した場所。
しかも、ドラマのあの鷲津シート。
(客は私だけだった)

もうね、自分。
腐ったこの国を買い叩いていた気分になってた!
ジントニックを飲みながら。








きっと35歳の私も40歳の私も、ずっとこのままなんだろうなあと思った。
好きなドラマや映画のロケ地を訪ねて、ひたすら萌える私。勿論、吉熊と。

今年もたくさんのメールやメッセージをいただいた。
これらは、私にとって最高のプレゼントだ。

31歳の亮子&吉熊もどうぞ宜しくお願いします。


いただいたプレゼント


後輩男子タイスケくんからはイヤホンと電動歯ブラシをいただいた。…電動…(笑)


他部署に奉公に出ている後輩女子Cちゃんからは、アナスイのネイルとヤスリをいただいた。メッセージカードを読んで少し泣いた。
絵柄は我々の象徴「パォーン」!
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Happy birthday!

2009年02月04日 | Weblog
1978年2月4日4時2分

厳寒の宇都宮。
小さな産婦人科で女の子が産まれた。

その子は亮子と名付けられ、その後もスクスクと育っていったとさ。

で、今。
31歳の私がここにあり。
あの女児がこんなになっちゃった。

生まれる前の晩、飲み会に出席していた父との初対面は、アルコール臭に包まれていたらしい。
いかにも私と父を象徴するかのような初対面である。


陣痛発生から12時間。
初産、しかも3500グラムの身を携えて出ようとする私を産んだ母は、相当痛かったと言っていた。
そして寒かった。

痛い
寒い

でも最後には
「生んで良かった」
と言ってくれる母に出会えて良かった。


いつも心のどこかにある
「私は生まれてきて本当に良かったのか」
という苦しみが、その一言で寛解される気がする。

さて、31歳最初の日。
この日がいったいどんな一日になるのか、楽しみだ。


ちなみに31歳になった瞬間は、デーモン小暮閣下について、ひたすら考えていた。

★メールをくれた皆様
ありがとうございました!
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春よ、来い

2009年02月03日 | Weblog
2月3日、節分。

後輩女子が期間限定で他部署に行っていて、その皺寄せがジワリジワリと私にまで来ている。そんな中、1月の経費の締め。

ヘトヘトだったが、帰宅途中で恵方巻を購入した。
この恵方巻という食文化を知ったのは3年ほど前だ。私にとっては、新しい文化である。

スーパーでは恵方巻特設売り場が設けられて、お客さんが群がっていた。
並んだ恵方巻はけっこう強気なお値段が付けられていた。
ちょっと贅沢して海鮮巻きをチョイス。
イクラ、玉子、マグロなどが入っている。
今年は東北東を向いて食べると良いらしい。
クローゼット&壁に向かい、さっそくクマたちと食べた。
食べるときは目を閉じて無言状態を保たなければならないのに、吉熊が
「このイクラ、いくら?」

なんて発言し、おじゃん。
おバカクマである。
(余談だが、イクラってロシア語らしい。高校時代、クイズ研究会の人が言ってた。)

なにはともあれ。
この賑やかなクマたちとの生活がずっと続けば良いと思う。
それだけを願い、喉に詰まらないように気を付けながら食べた恵方巻はとても美味しかった。

明日はいよいよ立春。

春はもうすぐ。
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ランドセルを背負っていた頃

2009年02月02日 | Weblog
中山式のキョウセイベルトを身に付けて出勤した。
つい猫背になりがちな仕事中も、肩を後ろに引いてもらっている感じがする。しかも肩こりが軽減された。おそるべし。中山式。
猫背になろうものならば、両肩にベルトが食い込み、少し痛い。

装着中は、常になんだか懐かしい気分に陥る。
そうだ。
これはランドセルを背負った感触に似ている!

ランドセルといえば、先日デパートにて販売されているのを目撃した。
今のランドセルの色ってカラフルでびっくりした。
黄色に青、緑や紫。
色とりどりである。
私が小学生のときは、男子は黒、女子は赤という暗黙の何かが存在していた。

歌手の華原朋美こと朋ちゃんは、赤のランドセルを背負いたかったのに、私立小学校に通学したために学校指定の黒のランドセルを背負っていたらしい。
私の育った地域では私立小学校など皆無に等しかった。
私立小学校の存在を知ったのは小学5年生のときだ。
担任の先生が私立中学校の入試問題を出し、できないと下校できなかったんである。
そのとき先生は言った。
「お前らがぼっけ~と毎日を生きている間にも、東京の小学生はこんな問題を解いているんだぞ?え?いいのか!?」

…随分熱心な先生だといまだに思う。
あの先生にお世話になったのは1年間だったが、私の人生形成に彼は大きな影響を及ぼした。

一番怖かったのはノアの箱船の話。
彼の話によるとオゾン層が破壊され、地球はそのうち滅亡するとのこと。
地球滅亡の日、各種の生物で最も優秀な雌と雄のツガイだけがノアの方舟に乗ることができる、そして助かるというものであった。

私、駄目じゃん…。
このクラスのランキングでも中の下って感じなのに…。

暗い表情をしている児童を前に、彼は続けて言った。
教室の中心で叫んだんである。

「お前ら、エリートにならなければ、死ぬしかないんだぞ?死ぬ気でやれッ」

下校しながら、私はノアの方舟を思いだし、悲嘆にくれた。
あのとき背負っていたランドセルの脇の部分がほんのりと湿るほどに、地球の今後や己の今後について深く考えたんである。


キョウセイベルトを身に付けて、こうやって小学校時代を振り返る人って私だけではないだろうか。

感慨に耽りながら、つい猫背になる私の肩に、ほらまたベルトが食い込んでいく…。
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赤い電車は羽田から 僕らを乗せて ひとっとび

2009年02月01日 | Weblog
「吉熊さー、飛行機見たことなかったよね?」
私は鞄の中にいる吉熊に尋ねた。
せっかく鮫洲まで来たのだから、羽田空港まで足を伸ばし、吉熊に飛行機を見せてあげたくなった。
「飛行機?見たい!」
とコーフン気味の吉熊。

何年ぶりだろうか、羽田空港。

展望デッキに出ると、海からの強い風が我々にアタックしてきた。

寒い。
寒すぎる。

数分おきに出る飛行機。
見入る吉熊。







増していくスピード、
勢いよく体勢を整え、
…数々の飛行機が夕闇に溶けていった。

いつか、飛行機に乗せてあげるからね、吉熊。
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赤い電車に乗っかって 僕はどこかへ行ってしまいたい

2009年02月01日 | Weblog
免許証の更新へ行った。
あまり信じてもらえないのだが、私は運転免許証を持っている。二十歳の時に取得した。卒検以来、運転していない。いわゆるペーパードライバーだ。そしてゴールド。
三年に一度の更新…超ウルトラ面倒くさい。日曜日に更新できるのは都内では3ヶ所。前回も鮫洲試験場で更新したので、今回もそうすることにした。
京急線にお世話になるのは、この免許の更新のときだけだ。
くるりの「赤い電車」という曲がある。
あの曲に出てくる赤い電車は京急線のものらしい。



赤い電車は歌い出す
ファソラシドレミファソ~♪

鮫洲駅到着。
駅前の通りを歩いていると店の中から老人が「免許の更新ですかぁ~?」と出てきて若干驚いてしまう。書類などを整えてくれる店らしい。
荒れ狂う暴風の中、ひたすら歩く。
証明写真のためのばっちりメイク&ブローも台無し寸前である。とほほ。

鮫洲試験場に到着。
なんともレトロな建物である。


古いドラマに出てきそうな様子が、冬の夕日に映えていた。

流れ作業に乗る。
写真撮影や更新料の支払い…。極めつけは狭い部屋に押し込まれて、交通安全啓蒙ビデオの鑑賞である。
周囲を見渡すと、みんなけっこう真剣に観ている。
違反者は2時間の講習で、原田龍二と里見浩太郎の重くて暗い啓蒙ドラマを観るらしい。
けっこう好評とのこと。
観てみたいが、如何せん、ペーパードライバーな私には一生縁のないものに違いない。残念だ。

無事、IC免許証をGET。
本籍が記載されていない。

3年後。
免許証を更新するとき、私はどんな私になっているんだろうか。

そんなことを考えながら、とてもレトロな鮫洲試験場をあとにした。
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