世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

乙女の祈り

2017年08月07日 22時04分56秒 | Weblog
先月、嶽本野ばら先生のイベントがあった。
開催地が京都だったのだが、行く気満々で参加の旨を申し込んだ。
すごく楽しみにしていた。しかし、諸事情で行けなくなってしまった。
残念というか、行けないことが信じられなかった。今でも信じられないでいる。

イベント会場は京都の「ライト商會」さん。
野ばら先生があの取材を受けた素敵なカフェーだ。

2度の逮捕を経て京都へ拠点を移した乙女のカリスマ、嶽本野ばらさんに会ってきた!



野ばら先生の縁で知り合ったお友達Kさんが、私にプレゼントを送ってくださった。
野ばら先生手作りのボダニカルスペシメン(押し花)だ。

しかもKさんが野ばら先生に頼んでくださったのでサイン入りだ。
クマの絵まで…。


イベント代金の中にワンドリンクのお金が含まれていたのだが、そのチケットも送って下った。

ありがとうございます。

そしてKさんのお手紙を読んで、涙が出た。




落ち込みがひどく、先日もすやすやと眠る甥っ子の寝息を聞きながら、「この子と立場を交換できたら」なんて思っていた。
でも、私は私で、とても幸福な人生を送れていると、プレゼントとお友達の心のこもったお手紙を胸に抱いて、そう確信した。
だって、大好きな作家さんと、素敵な仲間たち、そして自分の居場所があるのだから。

これ以上の幸せがあるものか。

嶽本野ばら先生は「乙女のカリスマ」と称されている。
私は全然乙女じゃないし、むしろオッサン属性だ。
しかし、2001年。
「下妻物語」で桃子が梅田の百貨店にあるBaby, The Stars Shine Brightでお洋服に一目ぼれをしたときのように、私もコスメ雑誌「美的」に寄稿されていた野ばら先生の文章と写真で一発即死。帰らぬ人となりましたのです・・・。
独特の感性と隙が無い理論展開、表現力に惹かれた。
野ばら先生が描く乙女は奥が深い。
孤高であったり、誇りを大切にしていたり、「お友達なんていらない」と言ったりする。
ロリイタのお洋服に袖は通さずとも、その乙女要素にならばとても共鳴できると思った。

また野ばら先生が紡ぎだす物、紹介してくださる物はかなりの確率で私の心をくすぐる。
作品はもとより、カフェーも、どんぐりブレスレットも、ボカロに至るまで、私の好きなものになっていく。また、ただのどんぐりも野ばら先生の手にかかるとダイヤモンド以上の輝きを生み出す。そういうところがとても好きだ。



以前は、一人でコソコソとサイン会に行き、コソコソと帰ってきた。
整列をしているとロリイタなお嬢さんたちに前後をサンドイッチされることも多々あった。ロリイタではない自分をこの場では分不相応な存在なのかなと思っていた。ずっと孤独だった。
でも、今はたくさんの仲間がいる。居場所がある。
野ばら先生は作品以上に私に素敵なものを与えてくださった。ありがとうございます。

これからも、野ばら先生の紡ぎだす物に浸っていたい。
野ばら先生が紡ぎだしてくださった縁を大切にしていきたい。

そう祈る2017年夏。



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キラキラ夏休み

2017年08月07日 22時01分04秒 | Weblog
今朝、起きた瞬間の窓から入り込む日差しの強さから
「今日はヤバい」
と思っていた。
何がヤバいって、差すような日差しと暑さである。
今日は本当に暑かった。とろけるかと思った。出勤時、暑さで息が苦しくなるほどであった。
夏が好きという人の気がしれない。
母も暑がりなのだが、でも今年は涼しいと母は言う。
35℃をあまり超える日が少ないし、確かにそうなのかもしれない。
毎年思うことなのだけれども、どうして子供って夏でも元気なのだろう。
小学生時代の自分を思い返してみても、夏バテを起こした記憶が無い。
居間にエアコンがなかったので、扇風機だけで過ごせていた。
当時は朝が涼しくて、ラジオ体操をして納豆ご飯を食べたあとに「ひらけ!ポンキッキ」を見てから「夏休みの友」に取り組んでいた。
算数・漢字ドリル、図工の作品作り、読書感想の作文、絵、など、小学生に課せられる宿題は今思い返しても多いなと思う。
それと、母の指導で私は絵日記を書かされていた。あと新聞の「かわら版」を切り取って画用紙に貼るという謎ルーチンまで・・・!!
昼になると母がじゃがいもとトウモロコシを茹でたもの、或いは素麺を茹でてくれ、「怪奇特集 あなたの知らない世界」を見ながら食べた。怖いので、ぬいぐるみを抱きながら見た。
昼過ぎになると
「りょうこっこ、遊ぼう」
と、ノンちゃん、マイコちゃんやケーちゃん、わたが遊びに来てくれ、外で元気いっぱい遊んだ。
中線踏みが好きだった。
アスファルトが熱くなって、如雨露で引いた線がすぐに消えてしまっても。あの単純明快なゲームが大好きだった。
その他、ゴム飛び、高鬼、雑木林散策、昼か夜か電信柱か・・・など。知恵と工夫でなんでも楽しめた。

今なんて少しでも汗をかいたら塩が吹くけれども、当時はべたべたした汗なんてかかなくて、かいてもすぐに皮膚から蒸発した。
また、近所のおばさんが麦茶やアイス、スイカなどをご馳走してくれた。
いい時代だった。
そうこうしているうちに蚊に刺されて夕方になったことを知る。
毎日友達と会っているのになぜだか毎日バイバイするのが寂しい不思議現象@夕方。

夕食を取りながらテレビを見て、お風呂。
父が仕事帰りに花火を土産に買ってくれば、夜にそれに興じる。
寝る前に母監視のもと絵日記を描いて、21時ごろ、就寝。
夏用のパジャマと夏用のタオルケットに身を預けて、蛍光灯の紐の揺れる様を見いる。
蚊取り線香のにおいが充満する2階の寝室はエアコンなしでも涼しい風が通り抜けるのであまり寝苦しくなかった。
そしてまた朝が来て、ラジオ体操へ・・・。

こうやって夏休みを思い出しても、「暑くて嫌だった」という記憶が無い。
暑さをも忘れるほど毎日がキラキラして楽しかったからなのかもしれない。


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