今日も一日凌ぎやすく快適だった。雨は厭だけれども、カンカン照りよりは断然過ごしやすい。そういえば2014年の8月も雨が多かったような記憶がある。東北旅行で一番楽しみにしていた弘前観光が一日中雨だった。また五能線は旅行前の大雨による土砂崩れで途中不通に・・・。幸い、雨でも楽しめるぐらい弘前は魅力的な街だったし、五能線もバスによる代替え運転があったので支障はなかった。そして2014年はそのまま涼しいまま終わったような記憶がある。
今朝もガラガラの電車に揺られて出勤。なんせ世間はお盆。実家でも親戚の家にお線香を上げに行ったり、逆に来てもらったりしているらしい。
以前はこの時期に一斉に夏休みに入っていた。お盆の時期に広島を歩いていると、不思議な光景に出会う。それは、カラフルな墓地だ。広島ではお盆に盆燈籠というものを墓地に飾るらしい。最初、なんだろう?って思っていたのだけれども、後日観た映画「夕凪の街 桜の国」のパンフレットで盆燈籠だと知った。
「夕凪の街 桜の国」の原作(漫画)は、10年前、広島の原爆資料館で買った。装丁が綺麗だったので手に取って気付いたら会計を済ませていた。尾道までの電車の中で読んでいたら、涙がとめどなく流れてきた。戦後何年もしてから原爆症を発症した主人公の心の中の言葉が突き刺さり、胸が痛んだ。ページを閉じては涙をぬぐい、開いて読み進めて、また涙する。
嬉しい?
十年経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て
「やった!また一人殺せた」と、ちゃんと思うてくれとる?
ひどいなぁ。
てっきり私は、死なずにすんだ人かと思ってたのに。
…この主人公・皆実の悲痛で悲しい叫びは、読了後10年が経過するのに、ずっと胸に在る。
私は戦後33年に生まれた。
こう書くと、けっこう戦後すぐに生まれたのだなと思う。
高度経済成長真っただ中に生まれ、生まれた時から家には車があり、衣食住に困ったことはない。戦争を身近に感じさせるものはなかった。
でもどうしてだろう。
戦後72年が経過した今の方が戦争を身近に感じる。
恐らく私の年齢が39歳で、「33年」を超越したからだろう。
父方の祖母が語った空襲の話。
母方の祖父が宮古島で終戦を迎えたこと。
今はもう聞くことができない祖父母たちの「声」が、聞こえてくる。
夕御飯は、そば。
お腹いっぱい。幸せ。
今朝もガラガラの電車に揺られて出勤。なんせ世間はお盆。実家でも親戚の家にお線香を上げに行ったり、逆に来てもらったりしているらしい。
以前はこの時期に一斉に夏休みに入っていた。お盆の時期に広島を歩いていると、不思議な光景に出会う。それは、カラフルな墓地だ。広島ではお盆に盆燈籠というものを墓地に飾るらしい。最初、なんだろう?って思っていたのだけれども、後日観た映画「夕凪の街 桜の国」のパンフレットで盆燈籠だと知った。
「夕凪の街 桜の国」の原作(漫画)は、10年前、広島の原爆資料館で買った。装丁が綺麗だったので手に取って気付いたら会計を済ませていた。尾道までの電車の中で読んでいたら、涙がとめどなく流れてきた。戦後何年もしてから原爆症を発症した主人公の心の中の言葉が突き刺さり、胸が痛んだ。ページを閉じては涙をぬぐい、開いて読み進めて、また涙する。
嬉しい?
十年経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て
「やった!また一人殺せた」と、ちゃんと思うてくれとる?
ひどいなぁ。
てっきり私は、死なずにすんだ人かと思ってたのに。
…この主人公・皆実の悲痛で悲しい叫びは、読了後10年が経過するのに、ずっと胸に在る。
私は戦後33年に生まれた。
こう書くと、けっこう戦後すぐに生まれたのだなと思う。
高度経済成長真っただ中に生まれ、生まれた時から家には車があり、衣食住に困ったことはない。戦争を身近に感じさせるものはなかった。
でもどうしてだろう。
戦後72年が経過した今の方が戦争を身近に感じる。
恐らく私の年齢が39歳で、「33年」を超越したからだろう。
父方の祖母が語った空襲の話。
母方の祖父が宮古島で終戦を迎えたこと。
今はもう聞くことができない祖父母たちの「声」が、聞こえてくる。
夕御飯は、そば。
お腹いっぱい。幸せ。