ブログを開設して、今日で丸9年が経過した。
始めた当初、私は27歳だった。今よりも、不満を多く抱え込み、精神的に疲弊していた。
鬱憤を晴らしたいと思いつつ、その術を知らないで日々を生きていた。
あの日、私は風邪を引いて会社を休んだ。
大学時代からの友達である潤一くんがgooでブログをやっていて、彼のブログを読んでいるうちに左上のボタンを押していて、なんだか気づいたらこのブログを開設していたのである。
不平不満を抱え、楽しいことがあってもそれらを内面に抱えていて、世界に意見を発信するなんていう人はなんか特別な人だと思っていて、どうせ私のことなんか誰も分かってくれないし、もういいよ…別に…と思っていたのに。
「え?もしかして、開設しちゃったのか?」という顛末でこのブログは誕生したのである。
「世界の中心で吉熊が叫ぶ」は、当時流行っていた小説・及び映画「世界の中心で愛をさけぶ」より拝借した。
本当は同時期に流行っていたもので「電車男」の方が好きだったんだが。ブログタイトルが「熊女」では痴女っぽいので断念した。
9年間、ほぼ毎日書いていて、我ながら驚く。
習慣というものは恐ろしいもので、9年間ほぼ毎日ブログを更新していると、それが呼吸をするのと同じぐらい自然なことだと思える。
この月日のどれかが欠けても今の私がいない。
自分の歩んできた軌跡なのに自分でも忘れてしまっている、そんな些細な時間の記録に触れられて、今、改めてブログをやっていて良かったなと思える。
社内の些細な会話、飲み会、一人で過ごす休日、家族との出来事、食べたもの、仕事のこと、心療内科、旅行、季節の花、勉強のこと、空気の匂い、そして私の相棒・吉熊。
いとおしい私の日々を彩ってくれた全てのものに感謝だ。
読んでくださる皆様にも、感謝である。
これからも、そんな宝石たちを、密やかにそして大胆に、このブログという宝石箱におさめていきたい。
吉熊と一緒に。
10年目の「世界の中心で吉熊が叫ぶ」もよろしくお願いいたします。




始めた当初、私は27歳だった。今よりも、不満を多く抱え込み、精神的に疲弊していた。
鬱憤を晴らしたいと思いつつ、その術を知らないで日々を生きていた。
あの日、私は風邪を引いて会社を休んだ。
大学時代からの友達である潤一くんがgooでブログをやっていて、彼のブログを読んでいるうちに左上のボタンを押していて、なんだか気づいたらこのブログを開設していたのである。
不平不満を抱え、楽しいことがあってもそれらを内面に抱えていて、世界に意見を発信するなんていう人はなんか特別な人だと思っていて、どうせ私のことなんか誰も分かってくれないし、もういいよ…別に…と思っていたのに。
「え?もしかして、開設しちゃったのか?」という顛末でこのブログは誕生したのである。
「世界の中心で吉熊が叫ぶ」は、当時流行っていた小説・及び映画「世界の中心で愛をさけぶ」より拝借した。
本当は同時期に流行っていたもので「電車男」の方が好きだったんだが。ブログタイトルが「熊女」では痴女っぽいので断念した。
9年間、ほぼ毎日書いていて、我ながら驚く。
習慣というものは恐ろしいもので、9年間ほぼ毎日ブログを更新していると、それが呼吸をするのと同じぐらい自然なことだと思える。
この月日のどれかが欠けても今の私がいない。
自分の歩んできた軌跡なのに自分でも忘れてしまっている、そんな些細な時間の記録に触れられて、今、改めてブログをやっていて良かったなと思える。
社内の些細な会話、飲み会、一人で過ごす休日、家族との出来事、食べたもの、仕事のこと、心療内科、旅行、季節の花、勉強のこと、空気の匂い、そして私の相棒・吉熊。
いとおしい私の日々を彩ってくれた全てのものに感謝だ。
読んでくださる皆様にも、感謝である。
これからも、そんな宝石たちを、密やかにそして大胆に、このブログという宝石箱におさめていきたい。
吉熊と一緒に。
10年目の「世界の中心で吉熊が叫ぶ」もよろしくお願いいたします。




