世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

あいさつの魔法

2014年02月22日 21時03分59秒 | Weblog
NHKみんなの歌をなんとなく見ていたら「日々」という歌が流れてきた。
おじいさんとおばあさんが過去を振り返るという歌詞だった。
歌詞に男尊女卑思想が漂っていて、嫌だと思った。


「泣かせた日 家を出て行った日 抱き合えた日 背を向けて眠った日
 希望を持たせた日 それを恨んだ日 溢れる涙よ やけにデコボコな日々」

泣かせた日って、…どんな原因があったわけ?

うちの両親。
昔、両親の喧嘩が勃発すると私はどちらの方にも付かず、おろおろするばかりだったが、最近では専ら母だ。
内容は色々。
なので母の苦心を考えると、おじいさんが「泣かせた」という部分にナーバスに反応してしまう。
泣かせてるんじゃねーよ、ゴルァ!と。

この歌は、夫婦間のいざこざを乗り越えることの美徳を歌(謳)っているのだろうが、母の涙を知っている私は、そこに同調できない。
酔っ払って帰ってきてしかも客も連れてきて、寝ている母をしつこく起こし、応じないと凶暴化する父…喧嘩勃発。
あのときの恐怖が蘇ってきて私を若干強張らせる。母の苦悶にリンクする。
いざこざを乗り越えようとして、傷を負い、後々まで引きずることの残酷さを知っている自分には理解不可能だった。



一番違和感を感じたのは、おじいさんがおばあさんに「ありがとう」と言わないことである。
おじいさん、コミュ障なの?

「挨拶ができないのは動物と一緒なんだよ」
と生前の大正生まれの祖父(母方)が言っていた。
私は彼の言葉を胸に刻み、会社で「こいつ大嫌い。早く辞めないかなー」と思う人にでも一応「お疲れさまです」と言っている。
また、吉熊上司や勿論、会長であっても社長であっても、書類作成後は一主任である私に対し「ありがとう」って言う(副社長は言わない)。

うちの両親だって、喧嘩で冷戦中でない限りは、些細なことでも「ありがとう」と言い合っている。

このおじいさんはおばあさんが編んだニット帽を貰っておいて尚且つそれを愛用しているにもかかわらず、おばあさんに「ありがとう」と言わないらしい。これはかなり衝撃的であった。
物品を貰っておいて、そりゃないぜ、おじいさん。
まあ、この夫婦がそれでいいとして、夫婦の関係性が確立しているならば別にいいけど。
私には関係ないし。
私は嫌だな。挨拶できない人。
照れているとか、そういう問題じゃない。挨拶は大切なコミュニケーションツールである。

挨拶をしなくても「心で通じ合える」という期待を全ての人に求めるような世の中にはなってほしくない。


あいさつは大切だ。
魔法なんだぜ?

ぽぽぽぽーん。