ただでさえお疲れモードの木曜日なのに、雨が降っちゃったりしたもんだから、モチベーション下がりまくり。
今日は人事部の女子と仕事をした。
11歳年下の子である。
きゃぴきゃぴしてて、眩しかった。きゃぴ子ちゃんと命名。
新卒で入社し、すぐに地方転勤を経験しているのでバイタリティが半端ない。
私が11歳のときに生まれたのか、この子。
ついまじまじと見つめてしまう。
髪なんかつやつやしてるし肌なんか搗きたての餅みてーのな。
しょうがない。11歳差だもの。
11歳のとき・・・私が小学校5年生~6年生のころか。
1989年。
平成になり、消費税導入。世間はバブル真っ盛りだった。
ボディコン、アッシー君、・・・今となっては幻のものがテレビを通して田舎の小学生だった私を刺激した。
個人的なことでは、5年生から6年生になるときだった。生徒数が増えて、急遽クラス替えが行われた。臨時教員採用試験をパスした新米先生が担任になった。塾の講師を辞めて東京から帰ってきたという彼は悉く「先生は東京に彼女を300人ぐらい置いてきたんだぞ」とか言うので、多感な女子からは引かれていた。
箱根・鎌倉への修学旅行。芦ノ湖のホテルで班が分裂とか、女子特有の問題に直面した。
当時、私はテレビっ子で、「教師びんびん物語2」「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「おぼっちゃまくん」を欠かさず視聴していた。
学習塾に友達がウォークマンを持ってきてて、聴かせてもらった宮沢りえの「ドリームラッシュ」に衝撃を受けたのもこの頃だ。
プールから帰ってきて、夕方の薄暗い茶の間で見たニュースの宮崎勤の顔の怖さに失禁しそうだったこととか、今田勇子の手紙とか、我ながらよく覚えているなと思う。
あの頃生まれた子と一緒に仕事をすることの不思議さよ。
きゃぴ子ちゃんに「あなたは『東京ラブストーリー』の赤名リカにそっくりだね」と言ってもおそらく通じないだろう。
逆に、吉熊上司は私より10歳年上だ。
宮沢りえの「ドリームラッシュ」が流行ったとき、私はランドセルを背負っていて、彼は就職してバブリーなスーツを着用していた。
彼がジェネレーションギャップを私や後輩男女に抱いているのかは不明。
合わせてくれているのだろうか。
無論、私も彼世代の人と話すときは彼らが謳歌したバブル時代の知識を総動員させている節がある。
気遣いの一環として。
私が先輩たちとカラオケに行くとき、「よくこんな歌知ってるね」と言われる所以はこんなところにあるのだ。
てか、最近の歌、知らない。
Youtubeで「恋するフォーチュンクッキー」でも研究すっかなー。