世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ALWAYS 3丁目の夕日

2005年11月20日 23時51分53秒 | Weblog
「どうせあの時代は良かったよね~みたいな作品なんでしょ?」

「蝉しぐれ」でこの作品の予告を観た時、そう思った。
昭和33年に思い入れがない私。
はっきり言って興味が湧かなかった。
同じく予告で流れていた「春の雪」の甘美さに惹かれていた。

先日、この映画を観た母から「良かった!観るべき!」との連絡を受け、「行ってみっか~」と期待しないで、本日観に行った。

裏切られた。
心って、ここまで温かくなれるんだ…。
しかも、映画で。

昭和33年。
私が生まれる20年前。
太平洋戦争終戦から13年。

フラフープ
集団就職
「もはや戦後ではない」
テレビに群がる人々
「♪お~い、中村君」

そして、着々と出来上がる東京タワー
未完成のその姿は、人々の夢と希望を背負い込んでキラキラ輝いていた。
…その麓に自然に存在する下町の風景。
戦後、何も無い焼け野原の状態から13年しか経っていないのに、ここまで人々が元気になれた要因って何なんだろう?
1枚のセーターを継接ぎするなどの倹約をしながらも、冷蔵庫やテレビを購入するワクワク感だろうか。

私は嫉妬する。

昭和53年、私が生まれた時、家電は何でも揃っていた。
一つの建造物を皆で待ち望んだことも、無い。
六本木ヒルズもいつの間にか建設されていたし。
強いて言えば、任天堂の「ファミリーコンピューター」だっただろうか。
(アーバンライフを送る同じ歳の従兄弟が所持していて、大層羨ましかった。)

嫉妬しつつも、心はホンワカした。
人と人との繋がりや人情というものに背を向けて上京した私だが、この映画に出てくる人々の「人間臭い」関係性が素敵に思えた。

口角下がりっぱなしのブスな私。
日常のイライラ。
そんなモノが嘘のように浄化されていった。
金曜日に言われたことなんて「どうでもいいですよ~」と思えてきた。

最後、夕日を見ながら鈴木ファミリーが発した会話がスンバラスィ!!
当時の人々に恥じない生き方をしないと、同じ夕日を見ても美しく感じないんだろう。

明日からも頑張ろう!!

涙を宝石に変えて

2005年11月20日 23時47分27秒 | Weblog
パサついた私の心。
口角も下がりっぱなし。
鏡に映る顔を物凄く醜く感じた。

気付かぬ内に、私はしっとりした「美」のエッセンスを求めていた。
吸い込まれるように、「パール展」(上野国立科学博物館)に足が向いた。


宝飾品大好きマダムから「宝石なんて興味ねぇよ」という殿方まで楽しめる内容だった。
パールは、貝の中に異物が混入して、貝が「痛いよ~」と流した涙が固まったもの。
養殖の真珠は、貝の中にピース(貝殻を丸く削ったもの)と他の貝から取り出した外套膜を人の手によって貝に挿入させ、痛がる真珠を二年間も海に放置した挙げ句、浜揚げして、真珠を取り出す。

さすがは科学博物館。
前半は貝殻貝殻貝殻…で、アコヤをはじめ、鮑や蛎でも真珠ができることなどをインテリジェンスに披露していた。

一番衝撃的だったのはどっかの国のポスターである。
真珠が採れる川は王様のもので、その川で勝手に真珠を採った者は手首チョンパの刑に処されたとのこと。
ポスターはそれを知らしめるものなんだが、これまた…。
まさに斧で手首チョンパ寸前の様子だったりする。
こえーよ。
東京タワーの蝋人形館で拷問されて苦しんでいる人々を見た時と同じぐらいの衝撃だった。
最後は今回の特別協賛企業であるミキモトのコーナー。
五千個のパールで編まれたストールは壮観であった。

パールは使用後、湿らせたガーゼで拭いて自然乾燥させなければいけない。
ティッシュで包むとその漂泊剤でパールが痛む…云々の手入れの難しさを知っていたが故、「め、めんどくせ~」というマイナスの印象が強い。
よって、「お高く留まってんじゃね~よ、ゴルァ!」という強い嫌悪感を抱いていた。
だが今回の展示会で、その神秘性や人々の血の滲むような研究の歴史を知り、見方が変わった。

真珠のように、涙を宝石にできる強さを持ちたい…。