人を殴ったら犯罪か──というと時と場合によるもので、少なくとも学校であれば不問に付される、スクールカーストの「上」から「下」への暴行であればコミュニティの間では許容されがちです。社会人になってもブラック企業の閉鎖的な人間関係の中では一方的な暴力が存続している可能性は否定できませんが、ただやはり大人になると許されないケースが増えていくものでしょう。市中で見知らぬ人にいきなり殴りかかったら、米軍兵士でもない限りは捕まります。
ただ人に危害を加える方法は暴力だけに止まるものではありません。相手を殴打せずとも、例えば「病気をうつす」ことによって他人の身体を罪に問われることなく害することは出来ます。新型コロナウィルスの感染拡大が(一部の人々の頭の中で)終了して以来、世の中にはコロナだけではなくインフルエンザ、マイコプラズマ肺炎、百日咳やノロウィルスが再び蔓延するようになりました。昨今では「はしか」も感染例が相次ぎ、日常生活における感染リスクは高い状態が続いています。
一方で「マスクは任意」という価値観が幅広く浸透した結果、何らかの感染症の症状が客観的に現れていても尚、外出や出勤を厭わず人混みの中で憚ることなく元気いっぱいに咳き込む人々が目立つようになりました。昔から「辛くても休めない自分」をアピールすべく、「インフルじゃないから」と言い張って強行に出社を続けて周りを巻き込む人はいたものですが、そういう性質を持った人にとっては生きやすい時代が到来したと言えるでしょうか。
当然ながら、感染症に罹患した状態で他人に接近しウィルスをまき散らす人々は周囲に被害を及ぼす、無関係なはずの第三者に重大な健康リスクを及ぼすわけですが、こうした人々を取り締まる仕組みは実質的にありません。シートベルトやヘルメットの着用を義務化することは出来てもマスクは任意、食品を扱う店舗であってすらマスクは任意です。誰かがウィルスをまき散らすことで他人に危害を加えたとしても、善良な人間はそれに黙って耐えるしかない、これが我が国の現在なのでしょう。
「コロナ対策不十分」 従業員が感染死、飲食店に7000万円賠償命令(毎日新聞)
東京・歌舞伎町の中華料理店で働いていた男性が新型コロナウイルスに感染して死亡したのは、店の感染対策が不十分だったためだとして、男性の遺族が店側に約8000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、店側に約7000万円の賠償を命じた。大須賀寛之裁判長は「客にマスク着用を求めず、会話や人数の制限もしていなかった」と指摘した。
判決によると、男性は店に住み込みで勤務しており、政府による新型コロナ対策の「まん延防止等重点措置」が取られていた2021年7月、新型コロナの感染が確認され、2カ月後に死亡した。
「上司の帯状疱疹から感染、意識障害に」 京都地裁が因果関係認める(京都新聞)
帯状疱疹(ほうしん)にかかった上司からウイルスをうつされたことで水痘(水ぼうそう)や別の病気を発症したとして労災保険の給付を求めた30代女性が、労災認定をしなかった京都下労働基準監督署の処分を不服として国に処分取り消しを求めた行政訴訟で、京都地裁(植田智彦裁判長)は22日、業務と病気との関連があったとする女性側の訴えを認め、取り消しを命じた。
判決によると、女性は京都府内の金融機関に勤務していた2018年6〜7月ごろ、帯状疱疹を発症した上司と約2メートル離れた席で書類や決裁のやりとりをし、自身も水痘を発症した。さらに意識障害が出て、てんかんと、過度の眠気が出る「ナルコレプシー」の診断を受けた。
一方で、僅かながらも明るい話題がこちらです。病気をうつされることが被害であると司法に認められるケースが出てきました。ただこれはあくまで裁判に訴えた結果でもあります。他人を殴れば現行犯ですが、感染症を抱えた状態で他人に接触するのは加害行為とは見なされない、まだまだ法が感染症から市民を守るにはほど遠いのが現状です。被害者が泣き寝入りしてしまえばこのような判決には至らず、強い意志を持って訴え出ることで漸く補償が得られる、重要な一歩ではあるものの、まだまだ小さな一歩に過ぎません。
新型コロナウィルスへの警戒感が強かった頃は、無節操に外出して咳をまき散らす人も少なく、そうした人から正しく距離を置こうとする世間の理解もありました。今はどこもかしこも感染症対策を放棄して、いつでもどこでも誰かは病気に感染しているのが当たり前となったわけです。私の勤務先でもコロナ対策は終わりましたが、その代わりにコロナ感染で休む人は珍しくなくなりました。まぁ、休んでくれればマシな方、中には何らかの感染症に罹患した状態で出勤を楽しんでいる人もいることでしょう。
新型コロナウィルスの流行は、一時的に我々の社会を進歩させました。公衆衛生の水準を一時的に向上させ一時的にコロナ以外の感染症を激減させた、一時的にリモートワークを普及させ一時的に満員電車を激減させました。これはGHQ占領以来の変化だ、アメリカに負けて日本が民主化したように、コロナに負けることで日本社会は新たなステージへと進むのだと私は期待したものですけれど、現実はコロナ前への退行を見せています。
リモートワークで自宅から出ないなら、感染症に罹患していても誰かに迷惑をかけることはありません。それは至って合理的なのですが、世間の流行は出社回帰であり、偉い人ほど合理性を嫌い社員を通勤させたがるわけです。そして偉い人に同調して出世の階段を駆け上がるような人ほど出社勤務に戻りたがる、何かに感染していても元気いっぱいに咳き込みながら、満員電車に乗って通勤し、オフィスでもマスクは付けずに周囲に自分の顔を披露している、これが我が国の現在地なのですね。