非国民通信

ノーモア・コイズミ

迷惑を掛けるのは誰ですか?

2008-03-18 23:19:32 | ニュース

「靖国」の上映を取りやめ 「テナントに迷惑」と映画館(共同通信)

 靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」について、都内の映画館1館が、予定していた上映を取りやめたことが18日、分かった。映画館側は「問題が起きると、映画館が入居するビルのテナントに迷惑を掛ける可能性もあり、総合的に判断した」と説明している。取りやめを決めたのは「新宿バルト9」。映画は4月12日から都内4館のほか、大阪や福岡で上映される予定だった。

 話題になった割には、上映されるのは都内4館と大阪、福岡だけのようです。6館+α程度ですか、これでは人目に触れる機会も少ないような気がします。そんな数少ない上映予定の映画館の内、1館が上映の取りやめを決定しました。こういうほんの一握りの映画館でしか上映されない作品にとっては、1館といえど影響は小さくなさそうです。

 10日ほど前にこちらでも取り上げたわけですが、問題の映画の上映を巡っては稲田朋美一派が事前試写を求めるなど、暗に圧力をかけていました。実態はともあれ稲田議員らは検閲ではないと主張し、「一種の国政調査権で、上映を制限するつもりはない」と主張しました。この結果がどうなったでしょうか? 確かに検閲による上映の制限は行われなかったようです。しかし、早くも上映を取りやめた映画館が出てきたわけです……

 日本と中国の最大の違いは、上から抑え込まれた結果としてそうなっているのか、抑え込まれたわけではないのに結果的にそうなっているのか、そこにあります。いまだに絶対王政の続く中東諸国では日本式教育の評価が高く、他には中国などでも導入実績があるわけですが、これは力ずくで抑え込まないと権力を維持できない国の指導者が、力ずくでなくとも一党支配を続けられる日本の政体を羨んでのことかも知れません。

 少なくとも表向きは圧力がなかったにもかかわらず、ある映画館は自ら上映の中止を決定しました。自民党政府は自分の手を汚さずに済んだわけですが、こうした状況を中国政府は羨望の眼差しで見つめるのでしょうか? 支配者にとって、武力を用いて相手を黙らせるのは汚名を被るリスクが高いものです。そうではなく、向こうが勝手に政府の意向を汲んで、自らに規制をかけてくれる、権力にとってこれほどまでに望ましい状況はないのです。

 ちなみに映画館側は上映中止の理由として「映画館が入居するビルのテナントに迷惑を掛ける可能性」を挙げています。これは一方的に契約を破棄して日教組の集会を拒否したプリンスホテルの言い分と似ていますね、「周辺に迷惑を掛ける」とか何とか。しかし「迷惑を掛ける」と言いますが、「誰が」迷惑をかけるのか、そこを省略してはいけないでしょう。誰が迷惑を掛けるのか、映画館にしろプリンスホテルにしろ、その「誰が」の中身は具体的に思い描いているはずで、その中身は我々にも容易に想像できます。しかしその「誰が」の中身をきっぱりと公言できる勇気が、この映画館やプリンスホテルにはあるでしょうか?

 どのみち、「迷惑を掛ける」のが理由なら、その迷惑を掛けている輩をどうにかすべきであって、迷惑を掛けられている側を追い出せば済むものではないはずです。それはもう、時には余計な争いを避けて逃げることも必要ですが、圧力も何もない段階から勝手に何らかの「脅威」を思い描き、仮想の脅威を過大に煽って危機を訴えるのはいかがなものでしょうか? そして仮想の脅威に基づいた危機を理由にして、通常の場面では許されないことを正当化する、こうした振る舞いが我々の社会ではあまりにも常態化しています。

 

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コメント (4)
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