公約18
・財務省は解体し、政策決定には一切関与させないようにします
・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)と菅直人は全くの無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので極左党です
公約18
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アマゾン読み放題、人気本消える 利用者多すぎが原因?(朝日新聞)
今月3日にスタートした通販大手アマゾンジャパンの電子書籍読み放題サービスで、人気のある漫画や写真集などがラインアップから外れ始めた。サービス開始に合わせて多くの書籍をそろえようとしたアマゾンが、出版社に配分する利用料を年内に限って上乗せして支払う契約を締結。しかし想定以上の利用が続いて負担に耐えきれなくなり、利用が多い人気本をラインアップから外し始めたとみられる。
同サービス「Kindle(キンドル) Unlimited(アンリミテッド)」は、洋書約120万冊のほか、国内の数百の出版社と契約を結び、小説やビジネス書、雑誌、漫画など和書計約12万冊が月980円(税込み)で読み放題になるとしてスタート。電子書籍のダウンロード数に応じて出版社に利用料の一部を配分するとした。
複数の出版社によると、アマゾンは一部の出版社を対象に、年内に限って規定の配分に上乗せして利用料を支払う契約を結び、書籍の提供を促したという。
ところが、サービス開始から1週間ほどで漫画やグラビア系の写真集など人気の高い本が読み放題サービスのラインアップから外れ始め、アマゾン側から「想定以上のダウンロードがあり、出版社に支払う予算が不足した」「このままではビジネスの継続が困難」などの説明があったとしている。アマゾン側は会員数を公表していない。
そういえばどこかで、大学で受講できるコマ数に制限を設けようなんて提言がありました。大学側が言い出したのだか財務省に求められて文科省が言い出したのだか記憶が定かではありませんが、自分のように卒業に必要なコマ数を大きく超えて受講する学生が増えたら大学経営なんて成り立たなくなっちゃうんだろうなぁと、当時は思ったものです。どれだけ受講しても学費は同じなら、最低限の受講に抑えてくれる学生の方が、無闇に勉強する学生よりもずっと優良顧客なんですよね。
……で、こちらに引用しました記事によりますとアマゾンの読み放題サービスが、想定を超える利用のために早くも躓きを見せているとか。普通の小売りなら利用者が増えれば増えるほど儲かっても良さそうですが、これは定額制のサービスですから単に利用者が多いだけではなく一人当りの利用量も多かったものと推測されます。卒業に必要なギリギリのコマ数しか受講しない学生みたいな利用者ばっかりであったなら、アマゾンの思惑通りだったのかも知れませんが、意外や日本人は読者家だったようです。
かくいう私も、先月は正規に買えば3万円分くらい、このサービスで読みました。アマゾンも出版社側の取り分を圧縮して自社の利益を捻出しようと頑張っているはずですが、私との間に限ればどう足掻いてもアマゾンの大赤字と推測されます。このままレパートリーが十分に拡充されないどころか逆に縮小されてしまうようであれば事情も違ってくるかも知れませんけれど、少なくとも私にとっては「お得な」サービスなので当面は継続しようと思っています。せっかくですからアマゾンが嫌いな人も、このサービスは積極的に利用してはいかがでしょう。使えば使うほど、アマゾンの持ち出しが増えますから!
「あんなに混雑しているのに高速道路の利用料金は高すぎる」みたいな意見は筋違いだ、という話を何かの本で読みました。高いのではなく、安すぎるのだ、と。料金が安すぎるから利用者が増えて混雑するのであって、文字通り高速で通行できるくらいに利用者が減るまで料金が引き上げられて初めて釣り合いが取れるもの、にもかかわらず値上げされない、ゆえに利用者が減らない、その結果として混雑が続いているわけで、そこに「料金が高い!」と文句を言うのは非合理だ、みたいな話でした。ではアマゾンの読み放題サービスの場合はどうなのでしょうね。
引用ばかりが長くなっても仕方がないので省きますが、元記事の後半部によりますと出版社側からも不満が続出しているのだとか(提供している書籍を引き上げるそうで、その辺はラインナップを減らそうとするアマゾンと結果的に歩調が合っているような)。まぁアマゾンと出版社との取り分の多寡はさておき、アマゾンの想定を超えた利用があればそれだけ出版社側にも利益はありそうな話、どうにも不満の声ばかりをピックアップしているだけで、新サービスに乗じて販路拡大に成功した著者/出版社の声は無視されているような気もします。ただ書籍は他の商品と違って再販制度の中で保護されてきた、製造元と小売り事業者との争いに不慣れな業界ですから、対応できるところと対応できないところとで命運は分かれそうです。
上述の再販制度を巡っても昔から賛否両論があるものでして、この辺は両論併記的になりますが再販制度にも良い面もあれば悪い面もあるわけです。それが電子化によって、行政ではなく民間企業の主導でなし崩しになりつつあるのが現状と言えるでしょうか。個人的には、電子書籍ほど薄利多売が似つかわしいものはないと思わないでもありません(出版部数は減っても出版点数は増える時代なら尚更)。牛丼が半額になったからと言って牛丼を二杯食べたりはしませんが、置き場所にも困らない電子書籍なら話は別ですから。特にアマゾンの想定を覆す要因になった「漫画やグラビア系の写真集」のように「サッと読める本」なんかは、価格を維持するよりも薄利多売に舵を切った方が儲かる出版社は多いでしょう。
公約17
・子供や若者と同じくらい中高年も大事にします
・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)と菅直人は全くの無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので極左党です
黒板の落書き?トゥオンブリー作品に約87億円、史上最高額(AFPBB News)
【11月12日 AFP】素人の目には黒板に描かれた落書きと大差ないようにしか見えない絵画作品に11日、米ニューヨーク(New York)で開かれた競売大手サザビーズ(Sotheby's)主催のオークションで7053万ドル(約87億円)の値が付いた。陸軍の暗号解読者から転身した米芸術家サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)が手掛けたもので、同氏作品の落札価格としては史上最高額という。
「Untitled(無題)」と題されたこの作品は、グレーのキャンバスに自家製の油性絵の具とワックスクレヨン、鉛筆を使ってぐるぐると6本の線が描かれている。トゥオンブリーの代表的な連作「Blackboard(黒板)」の一つで、1968年に描かれたものだ。著名な米国人コレクターが所有していたが、ロサンゼルス(Los Angeles)にある寺院の改装費用に充てるため売りに出した。
清掃員がゴミだと思って廃棄したら、それは貴重な現代アートの傑作であった――みたいなニュースは何年かに一度は目にするものですが、まぁ素人目にはゴミと区別が付けようのない代物でも、時には「芸術品」として高値で取引されていたりするわけです。今回の件も、典型的でしょうか。もっとも庶民でも背伸びすれば手が届くくらいのブランド品でも、そんなものを持って外に出るのは恥ずかしいんじゃないかと思えるような酷いデザインは珍しくありません。結局は、その作品に込められた権威を認めるか認めないかが重要なのだと思います。
先日は、国会図書館に「亞書」と題された1冊6万4800円の本が78巻納本されたとかで話題にもなっていましたけれど(参考)、トゥオンブリー氏の「無題」に比べれば可愛いものです。「亞書」だって現代アートの一つとして誰かが高値を付けるようになれば、国会図書館が著者に支払った136万円余りなど安いものと受け止められることでしょう。後世に名を残した大芸術家でも生前は作品が売れずに極貧の中で死んでいった人はいます。例の「亞書」だって100年後にはどうなっているか分かりません。結局は、高値を付けてくれる人が現れるかどうか、です。
ピカソは晩年に「やっと子どもらしい絵が描けるようになった」と言い残したそうですが、ピカソの後期作品を本物の子供が高く評価することはないと思うわけです。まぁ、実際に玄人になって初めて味が分かるものはありますし、良き解説者の登場によって初めて真価が理解されるようになる作品だってあります。ぱっと見、ゴミと区別が付かないとしても無価値であるとは言い切れません。自分の作品が世に評価されずに不遇を託っている人も、希望を持ちましょう。トゥオンブリー氏の「無題」ですら87億円の値が付くのです。今は一銭にもならないあなたの創作も、100年後には21世紀を代表する芸術として100億、200億で取引されているかも知れないのですから!
しかしまぁ、大半の人から見れば無価値なのに、ある種の人々の間では高額で流通する辺り、現代アートってパチンコ屋の特殊景品に似ていますね。
この頃は本を買っても置く場所がないと言いますか、本棚を買う金はあっても本棚を無理なく増設できる広い部屋を借りる金はないので電子書籍で買えるものは電子書籍の方を選んでいるわけです。まぁ時に不便を感じつつも徐々に電子書籍メインになりつつあったりします。とはいえ世間の電子書籍の伸びは必ずしも大きくない、というより書籍というビジネスモデル自体が黄信号なので電子書籍が今後どれだけ広まっていくかについては懐疑的なところもないでもありません。
それはさておき、とりわけ場所を取るマンガ本を電子書籍販売サイトで漁っておりましたら、あるマンガの売り文句に「連載開始から十周年」などと書いてありまして、色々と感慨深いものを感じました。10年以上の長きにわたって連載を続けているマンガは珍しくありませんがしかし10年以上もの連載期間を最初から現在に至るまで追いかけ続けている読者は、果たしてどれだけいるのでしょうね。少年少女の頃はマンガ好きでも、学校と同じでマンガも「卒業」してしまう大人は少なくないはずです。10年も同じタイトルで連載を続けていれば、初期のファンなんて大半は失せてしまっているのではないかな、と。
会社の寿命は30年、なんて俗説もあります。現実には3年と保たない会社もあれば30年など遙かに超えて長く存続している会社もあるだけに、実態に近い表現に改めれば「事業の寿命は30年」くらいでしょうか。トヨタだって創業当初から車を作っていたわけではありません。富士フイルムの現在の主力製品は写真用のフィルムではありません。そして富士フイルムのライバルであったコダックは破綻してしまいました。私が昔バイトしていた家電量販店(当時)は倒産しそうになりましたが、中国人観光客向けの土産物店に業態を変えて随分と盛り返していたりします。まぁ、会社に寿命があるとは限りませんが、事業には寿命がある、変えていかねば生き延びられないものなのかも知れません。
……で、マンガの場合はどうなのかな、と思ったわけです。ある古株マンガ家が、今時のマンガ家志望の若者はキャラの設定を考えるばかりでストーリーを作れない云々と嘆いていたのを聞いたことがあります。でもまぁ、今時の編集部の要求に応えるには、それで正しいのではないかという気がしますね。元からできあがったストーリーでマンガを書けば、連載できる期間もストーリーに左右されてしまうものです。しかし「人気がある間は連載を続ける」という編集方針に合わせるためには、変にストーリーを練るよりもキャラ設定だけで話を作った方がやりやすいでしょう。
一方で、それ故に「無駄な引き延ばし」と感じる展開を見るのは人気漫画の常となっているわけです。緻密に校正されたストーリーに基づいて話が進んでいくよりも、「人気がある間は連載を続ける」ためにダラダラと無駄に話が引き延ばされていく、そんなパターンが普通になってしまっているよなぁ、と。引き延ばしを止めて本気で話を作っていけば、もっと面白いマンガができあがるのではないかと、そう惜しまれることもあったりします。しかし、それをやってしまえば遠からず話が完結してしまう、人気があるのに連載が終わるという、編集サイドからすれば許容できない未来が待っているのでしょう。マンガ家からしても下手に新作へ乗り出して失敗するよりは……みたいなところもありそうですが、マンガ家あるいは連載作品の寿命はどれほどのものなのやら。