rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

無駄を省く罪悪

2008-05-29 00:45:08 | 社会
 昨今、企業においても官公庁においても「無駄を省く」ことが叫ばれている。人員整理、余分な公務員の削減、医療においても入院期間の削減、医療費の削減ととにかく全てにおいて出費を抑えることが「是」とされている。一見「無駄の削減」は絶対的に正しいことであるとして、有無を言わさず進めて良いものと考えがちであるけれど、本当にそうであろうか。

 日本の伝統的な雇用形態は「終身雇用制度」と「年功序列賃金」であった。同期で入社した人達は特別なことがなければ定年まで同じ会社にいる。当然出世する者とそうでない者が出る。出世街道に乗れなくても「閑職」「窓際」などと言われるものの、それなりに職が与えられていて安定した給与が保証されていた。若い時は安い給与で人一倍働かされるのだけれど、年を取ればそれなりに安定した給与と地位が保証されていると思うから、安心して激務に耐えることができたのではないか。出世街道から外れた者も、出世した同僚の足を引っ張ったりせずに、彼らを尊敬し、時に愚痴をきいてやり、人が足りなければ助け、若い人の相談にのることで立派に役に立ってきた。

 一億の日本人が中流の生活を維持するには大量の無駄な人事が必要なのである。10人いると2-3人は非常に良く働く、5-6人は普通、残り2-3人はサボり気味であるというのは小中学校の掃除当番の時から学ぶ「人間社会」というものの常識である。しかし給食は掃除をどのように行おうと皆同様に食べる。これは社会でも同じなのである。

 成果主義により、良く働く者は給与が増え、閑職にある者は解雇される。能率があがり、経費が削減されて会社の利益率が上昇する。株式の配当が増える。これは短期的には正しいことに見えるが、このような会社は100年持たない。100年持たない会社は文化と呼べるブランドが育たない。そんな会社ばかりだと結果としてその国の文化が育たず、みすぼらしい貧相な国になってゆく。

 不要な所に人を配置するのはまさに無駄であり、必要とされる部署に人を多く配置するべきだが、忙しく働く人間以外を人員カットするのが無駄を省く事だという考えには断固反対である。日本の社会には無駄な人員も必要なのである。

 少し見方を変えて、医学の世界の無駄を考えてみる。成人病の元として悪名高い「高血圧」であるが、ヒトには高血圧遺伝子なるものが存在すると言われる。これは人類が進化する過程で塩を十分に採る事ができない内陸の居住者達が塩分を体内に保持する目的で獲得した遺伝子であると言われている。つまり生きてゆく上での必要性から出てきた物であり「無駄」な遺伝子ではないのである。

 同様に「肥満」遺伝子は度々おこる飢饉を生き延びるために獲得してきた遺伝子であろうと考えられ、黒人に多い、血栓症を起こす「鎌状赤血球」」遺伝子はマラリアの発症を抑えるために獲得されたものと言われている。

 人間には他人を押しのけて「自分さえ良ければ良い」という自己中心的な卑怯者、いわゆる「やな奴」がいる。一方で他人の犠牲になって死んでゆくような素晴らしい人もいる。恐竜が絶滅した様な地球規模の天変地異、大災害が起きた時に、皆が「良い人」ばかりであったら人類は滅亡してしまう。しかし他の人間を押しのけて自分だけ助かろうという人は、天変地異を生き抜いて人類を絶滅から救うことになるかも知れない。

 平時において皆に嫌われているような「こいつは本当にやな奴だ」という人間に会う時、人類を絶滅から救うのはこんな奴かも知れないと思う事にしている。人知の及ばぬ天の配剤とはそのようなものであると思う。私が遺伝子治療に疑問を持つのはそのような理由からであるが、社会においても無駄を省くということが本当に良い事なのか、無駄と有用が正規分布の両端に入る範囲に収まっているならば、それ以上の操作は却って社会を不安に貶めるのではないかというのが私の主張である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体験的くるま論 ホンダフリーウエイ250

2008-05-28 21:29:29 | くるま
体験的くるま論 ホンダフリーウエイ250

 今日は自動車ではなくスクーターの話し
 私は大学の時に原付きの免許を取って、その後小型自動二輪、中型と二輪の免許を取ってきました。その度にホンダベンリイ50cc、ヤマハベルーガ80、ホンダフリーウエイ250ccと大型のバイク(スクーター)に乗り換えて来ました。ホンダベンリイ50は実用車でロータリー変速、クラッチ付き、チョーク付きというクラシックな原付きでした。メカをいじるのは嫌いではないので大学1年の時に中古で5万で買いそれなりに楽しみました。
仕事で通勤に使うためにはバイクよりスクーターが靴や服の制限を受けないし、二人乗りが出来るのが良いと80年代以降のスクーターブームの走りであるヤマハベルーガ80を発売と同時に購入しました。当時は80ccでも5馬力で50Km出すのがやっとなスクーターでしたがまあ満足。しかしホンダから250のスクーターが出た時はやはり衝撃でした。

 中型の免許を取って即購入。125cc位のボディに250のエンジンを積んだフリーウエイはとにかく早い。駐輪にも場所を取らず非常に使い勝手の良いスクーターでした。都内の病院に勤務していた時はアパートからスクータで通勤、一方通行や狭い路地が多い世田谷五本木あたりの生活には大変重宝しました。

 初代フリーウエイに10年以上乗って、タイヤも2回すり減って取り換え、さすがに少し古いかなと買い替えを考えましたが、他の大型スクーターを見てもあまり魅力が沸かないんですね。ガタイが大きくて取り回しが面倒であったり、ブレーキも両手使用で、フリーウエイの後輪フットブレーキに慣れているとどうもしっくりこない。結局バイク屋のおじさんといろいろ相談して、そのバイク屋に置いてあった中古の(といっても2代目)のフリーウエイを購入。古いのを5万で売って中古を15万で買ったので10万の出費だけど満足。

 バイク屋のおじさん曰く、「初代のフリーウエイのエンジンの方が、今のホンダの250に付いているやつより性能いいんだよね。壊れないし。」うーん確かに初代フリーウエイは一度も壊れた経験がないけど、中古のフリーウエイは時々エンジンが走行中止まる事があった(またすぐかかるが)。

 現在フリーウエイは製造中止で、後はフォルツアが継いでいるようですが、私は是非フリーウエイを復活させて欲しいと思います。確かに車輪が排気量に比して小さく、高速道路を走るには不安定な所もあるし、二人乗りも重心の面で少し危険でしたが、無理せず安全運転をすれば良いのだし、他のバイクも無理すると危険なのは一緒です。

 ところでバイクは10年位乗れば大体危ない目に会わない安全な乗り方ができるようになりますが、そうなるまでに何回かは「おしっこがちびりそうな怖い目」に必ず会うはずです。私も車の衝突2回、低速でしたが転倒数回して、どのような状況は危ないとか、予測運転で早めにブレーキとか、大型トラックの死角に入らないようにとかが無意識の内にできるようになりました。私は幸いどの事故も怪我することなく済んでよかったと思います。医師をしているとバイク事故で両足切断とか、片腕麻痺で若くして慢性胃潰瘍の女性とか、頚椎骨折で四肢麻痺とかいろいろ悲惨な事例を目にするので、この事故を経験する時期をいかに無事に乗り越えるかが大事なのだといつも感じます。これは原付きも今はスピードが出るようになったから一緒です。バイクはそのつもりで乗るよう若い人には話していますが、危険を回避して乗れるようになると実に快適で便利な乗り物であることは間違いありません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I 君のこと

2008-05-27 19:20:34 | その他
 患者さんのことをブログに書くというのは個人が特定されたり、誹謗する内容だったり、またその人の今後に不利な状況が起こる可能性があるようなことは絶対あってはならないと自覚している。しかしもう大分時間も経過したこともあり、しかも昨今の若い人達が自らの命を絶つ、或いは自分を大事にしていないと思われるような軽率な行動から犯罪の犠牲者になる報道に接すると、自らは生きたいと必死に癌と戦ったのに亡くなっていったこの患者さんのことをどうしても記して置きたいと思うようになった。

 医者をやっている上で忘れられない患者さん、心に残る患者さんというのがいる。I君もそんな一人だ。I君は16歳、高校一年である。初めの出会いはまだ真冬の1月下旬、病院の忙しい外来のさ中、看護師から「処置室のベッドで患者さんが痛くて苦しんでます。」という一言からだった。

 「また結石の発作が運ばれてきたか。」と思いながら、近所の病院からの紹介状を読んで驚いてしまった。精巣癌、肝転移、肺転移、後腹膜リンパ節転移、脊椎、脊髄転移、乳酸脱水素酵素(LDH)4千台、αフェトプロテイン700、人絨毛性ゴナドトロピン(HCG)6万6千、しかも無治療とある。「ひええ、これは初診で末期の睾丸腫瘍でもう助からない。」2年前位から睾丸に異常を訴えていたようだが放置、数カ月前から腰痛が出てきたが整形外科では単なる腰痛と言われて放置され前病院を受診した時にはこの状態でCTだけとってこちらに回されてきたのだった。しかし同じ総合病院の泌尿器科医として、せめて連絡をしてこちらの受け入れを確認して送るのが礼儀ではないか、まるで「この子を宜しく」と手紙をつけて赤子を乳児院の玄関に放り込むような送り方である。

 後腹膜の転移が脊椎の何倍もの塊になり、激しい痛みを起こしていて脊髄転移が脊髄本体を圧迫して下半身麻痺が既に起きかかっていた。「これは100%助からない、えらいのが来てしまった。」新患は外来をしている3名の医師が順にみてゆくことになっていた。これから起こるであろういろいろな面倒や不幸な結末を思うと隣で診療している同僚医師のカルテの山の下にそっとこの患者のカルテを入れたい誘惑にかられるが看護師に「どうしましょう」とせっつかれていまさら人に押し付ける訳にも行かず。私の若いときの恩師は「俺が診なくて誰が診る」という気質の尊敬すべき医師でどんな面倒な患者も嫌がらず診ていたことに薫陶を受けていた私は「俺が診ないで誰が診るのだ」と覚悟を決めた。

 精巣癌でも精上皮腫というタイプならば進行していても助かる可能性があるがHCGを出す絨毛癌を多く含むタイプは極めて予後が悪い。精巣腫瘍の経験はいままでも年に数人はあったがここまで進行し、しかもHCGの高い例は初めてだった。同伴してきた母親に「まず10中9助かりません。このまま痛み止めだけで様子を見るか、化学療法死を覚悟で一度退院することを目標に治療してみますか。」と厳しい話しから始めなければいけなかった。

 泌尿器科医をしていて感ずるのは睾丸腫瘍になる男性は決まって「ナイスガイ」である、ことだ。見た目だけではなく気立てが良く、所謂男気のある付き合っていて気持ちの良い「漢」が多いという印象を持っている。女々しい卑怯な奴は見た事がないのである。睾丸腫瘍の患者さんと結婚した看護師もいる。このような性格やホルモンの値と腫瘍とが関係があるのかどうかは定かではないが、この印象を持っている泌尿器科医はどうも私だけではないようだ。このI君も16歳にして例外ではなかった。背が高く、鼻筋の通った色男で性格も極めて良い。本人に「もう駄目です」とはさすがに言えなかったが、癌があること、転移があること、厳しい化学療法をして、少なくとも半年は入院生活になることなどを話し、彼は冷静に受け止めた。この先彼とは長い付き合いになるのだが辛い時にも彼は主治医の私についぞ愚痴めいたこをを言った事が無かった。

 翌日から治療が始まった。片側尿管がリンパ節転移で閉塞していたから皮膚から鉛筆の芯ほどの太さの腎瘻を入れた。化学療法には腎機能が保たれていることが必須である。痛みのために横を向くのがやっとでうつ伏せにはなれなかった。全身麻酔で腫大した精巣を摘除した。転移の割に正常の1.5倍程度にしか大きくない。小児頭大になることもあるのにこの大きさでしかなかったのは発見が遅れた原因の一つでもある。原発巣を取るのは病理組織を確認するためである。下半身麻痺が進行してきている、完全麻痺になる前に、傷が癒えるのを待たずに緊急で病理組織を確認してもらい早々に化学療法を開始した。

 予想通り初回の化学療法は命がけであった。投与量はレジュメ通りPVBである。全身状態が悪かったが手加減せず全量投与で行った。モルヒネが注射で一日量200mgを超えており、毎日40度の発熱が続く。食事は取れないので中心静脈栄養で全て治療する。抗生物質もγグロブリンも使った。できることは何でもした。顆粒球刺激因子を大量に使っても白血球が200-300のまま上がってこない。血圧が50を切り夜中に呼び出される事もあった。しかし若い体力と本人の気力が勝った。倍以上の時間がかかったが熱が引き、白血球が上がり出した。

 休薬期間をおいて2コース目に、2コース目は初回に比べると楽であった。化学療法が劇的に効いたのである。麻痺した下肢の感覚がもどり歩けるようになった。痛みが少しずつ引いてきて痛み止めが不要になり、食事も取れるようになって尿管閉塞もなくなり腎瘻も抜去できた。4コース目が終わる頃にはCT上の肺、肝の転移が消失し、後腹膜で大きく一塊になったリンパ節も二分の一位の大きさに縮小した。LDH、αフェトプロテインもほぼ正常になった。しかしHCGだけが10位を維持して正常の0.2以下まで下らない。癌はまだあるのだ。

 ここまで来ると「もしかしたら」という欲が出る。もしかしたら治るかも知れない。家族や本人が思うのは当然だが、我々も何とかなるかも知れないと希望を持ち始める。しかし既に化学療法は4コースしており、使える抗がん剤も一個体に使える量の限界に近くなっているものもある。もう一押し決定的な化学療法ができないか。そこで「別の化学療法レジュメを用いた末梢血幹細胞輸血」を行うことにした。この末梢血幹細胞輸血は血液の癌治療の分野では骨髄輸血に次いで広く行われており、本人の末梢血から白血球の元になる幹細胞を採取しておいて増やし、大量の化学療法後白血球がゼロになった際に戻してやることで抗がん剤使用後の回復を早める治療である。

 既に半年近く学校を休み淡々と抗がん剤治療を繰り返してきた彼も体調が良くなってどこも痛くないのだからもう退院して学校に行きたいだろう。高校1年の3学期に入院してから2年になって一度も登校していない。体調が良くなった夏休み頃には時々友達は面会に来てくれるが、頭髪も眉も全て抜け落ちた姿は痛々しく、やはり長居はしにくいらしい。末梢血幹細胞輸血を行うにはもう一回化学療法を行って白血球が上昇する時に白血球をフィルターで採取しないといけない。都合あと2回化学療法をやる。しかも2回目は今までで一番辛いかも知れない。彼はこちらの申し出を納得してくれた。

 新しいレジュメを用いて化学療法を行った。血液内科の協力を得て末梢血幹細胞の採取も行った。そして本番の強力な化学療法を行った。白血球が500を切り、100、殆どゼロに近くなり本人の末梢血幹細胞を戻す。幸い危機的状況は短時日で戻り始めた。大事なのは効果である。癌マーカーのLDH、αフェトプロテインは既に正常化していたが、問題のHCGが1の辺りまで下るが完全には陰性化しないのである。これでは治ったと言えない。画像診断では腹部のリンパ節だけが少し大きい塊として残っていたが、これは線維化した塊かも知れず、他の転移巣が肝臓も含めて全く消えていたので全体としては悪くない状況であった。いろいろ文献を調べるが、ここまで酷いとやはり完全に治癒した例は殆どなかった。しかし6回の化学療法に黙って耐えて我々の治療に付いてきてくれた彼に、自覚症状が何もない状態であるのにこれ以上のことを要求する事は無理であった。精神的にも限界だと思った。「帰るのは今しかないかも知れない。できるだけ長くこの状態が持って欲しい。」そう願って一度退院とした。1月に入院してから既に10月を回って冬が近づきつつあった。


 I君が激しい腰痛を訴えて救急外来を受診したのは退院してから2週間が過ぎた頃であった。8ヶ月以上の苦しい入院生活の後である。いろいろ遊んだり、運動も少しずつ始めたこともあるだろう。急に動きすぎたから腰を痛めたのだろうか。それでも尋常でない痛がり方であった。取り合えず再入院として血液検査、骨のレントゲン検査を行う。何れも特に大きな異常は認めない。ガンマーカーのHCGは退院した時よりもやや高値になって3くらいである。2週間で既に3倍は早い。しかしこの腰痛に関係するほどの値ではない。

 数日入院してもどうしても痛みが取れない。整形外科に相談して腰椎のMRI検査を行う。そこで原因がはっきりした。骨転移である。骨の形は崩れていないが、腰椎のいくつかに脊椎の形に正常と異なる濃度の陰が広がっていた。何とか痛みを取るために放射線治療ができないか。実は高校2年の冬にI君の高校では沖縄に修学旅行がある。高校2年になってから通学は殆どしていないから留年はやむを得ないけれど、1年の時からの仲間で修学旅行には行きたいというのがかねてからの彼の願いであった。そうこうするうちに、他の癌マーカーもじわじわと上がり始めていた。このままでは旅行がある1月中旬には再び動けなくなる程癌が悪化してしまうことが予想された。

 ご両親に骨の転移の状態、癌マーカーが再び上がり始めていることを率直に報告した。「何とか修学旅行だけはいけないだろうか。ずっとそのことを楽しみにして話しながら、入院中も頑張ってきたんです。」それは主治医である私も知っていたし、何とか修学旅行には行かせてあげたいというのは親ならずとも同じ思いであった。しかもこの調子では来年の春頃には再発のために酷い状態になっていて、夏頃には恐らく不幸な転帰を遂げていることは間違いない状態であった。それはご両親にもその通り話さざるを得なかった。何という残酷なことを平気で話すのだろうと私は思った。自分も3人の子供の親なのに。

 「修学旅行に行くために、今までに一番効果のあった化学療法をもう一度やろう。正月は帰れなくなるけど修学旅行には間に合うように体力回復ができる。」放射線治療で痛みが少しずつ改善していたI君に私は話した。それ以上詳しい話しは本人にはしていない。本人も詳しい事を私に質問してこない。いろいろ聞きたいことがあるだろう。こんなに頑張っているのに何故痛みが起こったり、また化学療法をやろうなどと言うのか。私ならば相手が困るほど質問していただろう。しかし彼は私の説明に黙って頷いた。両親を困らせるような言動もない。大した男であると感心する。

 医者をやっていると神は存在すると思わせる場面に多々遭遇する。離れた所にいる孫が無事生まれた直後に亡くなって行く老人、海外に行っている息子が帰ってきてから息を引き取る意識不明の癌末期の患者、その他よくこのような巡り合わせがと思うことは多い。「何とか修学旅行にだけは行かせてあげたい」という願いを神は聞いてくれた。途中体調が悪くなったら現地の病院に行って診てもらえるように手紙なども持たせ、入院中外泊という形で、何かあったらいつでも病院にもどれる体制をとって修学旅行に送り出した。学校側もかなり気を使ってくれただろう。そして友人達も彼が参加するについては大変協力してくれたようだ。荷物は友達同士で持ち合って、頭髪も眉もまつげもない痩せた病み上がりの彼を快く受け入れて旅行に参加させてくれた。

 旅行は無事終了した。本当に楽しい旅行だったと言う。皆でカチャーシーを踊ったらしい。家に戻った翌日、彼は両親に連れられて病院に戻ってきた。また腰痛が出始めていた。

 それからは坂道を転がり落ちるという表現の通りであった。癌マーカーの増加速度が一週間ごとに倍々に増えてゆく。前回の化学療法で骨髄も体力も限界でとてもこれ以上積極的な治療は行えない状態であった。痛みが強くなり、モルヒネが開始され、使用量も倍々に増えていった。

 3月には既に目を開けているのがやっとという状態で、血液検査の値も今まで見た事もないような異常値を示していた。神は一瞬やさしいと思わせるけれどとても厳しい。死相が現れていることが分ってしまうのが医師としての辛さである。ある朝、私は彼のベッドを訪れて黙って右手を握った。「よく頑張ったな」と心でつぶやいた。彼は僅かに握り返してきて、私の目を見つめて少し唇を動かした。「ありがとうございました」と言ってくれているように思った。まるで何かのドラマのような話しだが、真実であるから忘れられないのである。

 翌日の未明に、I君は17歳の短い生涯を閉じた。私は遠方の他の病院に出張の日で、病床に駆けつけることはできなかった。前日の別れが彼との最後であった。出張先の病院の医局で一人になった時、私ははらはらと涙が出た。受け持ちの患者さんが亡くなっても涙を流すことはないのであるが、やはり彼は特別であった。自分の子供の年齢に近いし、この1年以上殆ど毎日顔を見てきた。16-7の少年が大人でも感心するような対応をずっと示してくれたのである。人間として私よりも彼の方が上だ、だから早く神に召されたに違いない、そう考えざるを得ない。

 数ヶ月してI君のご両親と会う機会があった。辛い思いをされて、特に病気が酷くなってからは精神的にもかなり参っておられた。しかしお二人とも我々医療者に対しては頭を下げてくださった。頭を下げたいのはこちらも同じである。こちらの治療によく付いてきて下さり、またI君を精神的に支えてくださったのは家族の力であると思う。

 1年以上に渡り、殆ど入院し通しで、できる限りの医療を行ったので医療費は毎月かなりの額であった。勿論高額医療であり、若年者への医療保護の対象でもあり、患者さんの負担は多くないのであるが、毎月高額医療で査定されないよう、病状経過を詳しく保険機構に症状詳記として提出した。修学旅行に参加し、亡くなるまでの経過も毎月報告した。医療費の査定を行った医師も状況を把握し、よく理解してくれたものと思う。亡くなるまでの彼の医療費は一円たりとも減額されることはなかったのである。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダヤ人は何故嫌われるのか

2008-05-26 21:17:12 | 社会
 映画シンドラーのリストはヒトラーの時代のドイツにおけるユダヤ人への迫害を扱った記録に残る名画である。しかし、「人種差別と迫害ありき」の前提で話を追うのみで、その奥にある「何故ユダヤ人が嫌われるのか」「嫌われ具合はどの程度なのか」といったことを理解して鑑賞した日本人はそんなに多くないのではないかと思う。実は私もシンドラーの映画を見たときは感動する部分もあるのだけれど、見た目で区別が付かないユダヤ人を何故迫害しないといけないのかがわからないので今ひとつのめりこめない印象でした。

 ヨーロッパの歴史を語るときは宗教を知らなければならない、特に一神教について知らなければ彼らの対立や物の考え方について理解できないことになります。本来同一であるヤハウエ、エホバ、アッラーを信じていながら何故対立しないといけないのか。仏教にもいろいろな宗派はありますが、あそこまで根深い対立はないように思います。日本など神と仏がごちゃまぜになって仏教も道教が混在して「適当」な状況になっています。

 ユダヤ教は一神教の元祖ともいえる宗派なのに何故あんなに嫌われるのか。私は一つの理由としてユダヤ教の許容性のなさに一つの原因があるように思います。神ヤハウエとの約束を守ることによってユダヤの民だけが救われることになっているようですが、古代エジプト・メソポタミア文明あたりの古い信仰からユダヤ教が生まれるにあたって、何故もう少し寛容な皆が救われるような教義にしなかったのか。その辺を解説している文献があったら調べてみたいと思っています。キリスト教にしろイスラム教にしろ、深いところではユダヤ教に対する嫉妬というか後ろめたさのようなものがあるように見えるんですね。しかも救われるのは自分たちだけとユダヤの人たちが固く信じているものだから後からできた2宗教としては面白くないのだと思います。

 東洋の宗教は救われる道は説いても、自分たち以外の宗派は地獄に落ちるというような意地悪なことをあまり言わなかったから宗教的対立で殺しあうことはしてこなかった。これは非常に誇れる文化だなあと思います。昨日のブログの結語で共産主義も行過ぎた資本主義もともにユダヤ人の思想であると言いましたが、寛容性がなく、周りの者も救われるという思想がないところはユダヤ的なのかも知れません。もっともこれは多神教の文化と一神教の文化の違いなのかも知れませんが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手段が目的になる時

2008-05-25 18:02:47 | 政治
ブログを書くときにはいろいろな情報にあたって、inspireされながら書く事が多いのですが、その中に他の方のブログが参考になることも沢山あります。「無党派日本人の本音」様のブログもその一つです。80台のご高齢の方と思えないコンピュータの使いようで、立派なブログを書いておられますが、その内容も実に正論、正鵠を射るという内容で素晴らしいと思います。

その無党派様のブログで、昨今のファンドの先物取引への関与による原材料、燃料、食料品の値上がり。実態経済に基づかない株取引による株価操作による利潤追求は、本来の先物取引の存在意義や健全な資本主義の発達に資する株取引のあり方から外れているので何らかの規制が必要である旨述べておられます。
(http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/e/eaacf18a5b2c0022e971f7c6cb6fb819)

上記の件は先物取引や株という手段を本来の目的以外の「単なる金儲け」のために誤用している例と言えますが、そもそも「金を儲けること」の目的は「幸福になる」ための「手段」なのですから、金儲け事態が目的になり、金儲けした結果社会が不幸になったのでは何の意味もないことになります。

同様に政府や国家の存在もそこで生活する国民が「幸福」になるための手段にすぎないのですから、「政府や国家の存続」のために「国民が不幸」になるようなことがあればそれは本末転倒、手段が目的になっていると言えます。

様々な歴史の教訓から現在は「民主主義」が最も優れた政治形態ということになっていますが、真に国民が幸福であるならば独裁国家でも哲人政治でも手段としては構わないと思います。もっとも、アジアの近隣諸国の実態を見るとやはり民主主義が良いと思わざるを得ませんが。昨日の話題の大きな政府(重税)か小さな政府(税金を軽く)かの議論も、国民が幸福になるのであれば手段としての重税は必ずしも悪でないと結論づけました。

経済体制も「資本主義経済」「共産主義経済」を考えた時、どちらが絶対的に正しいというものではなく、経済体制は「手段」なのですから、人々が幸福になるという目的を達するものであれば「良い体制」であると言えましょう。

ここで100人の人が1円ずつ持ち、合計100円の経済圏を作っているとします。共産主義では個人の財産を認めませんから、売り買いをしても、最終的には皆が1円ずつになるように調整されてしまいます。人間には「欲」があり、「人より良くなりたい」と考えること自体を否定する事はできません。どんなに頑張っても常に1円ずつの所有が変わらないのであれば頑張ろうというインセンチブが失われて経済が活性化せず、社会も発展しません。結果として共産主義体制は20世紀の終わりに否定されました。

ではいくらでも儲けて他人に差をつけても良いとして、最終的に一人が100円持って、残り99人が一円も持たない結果になったらどうでしょう。これも回るべき金が無くなって経済社会が成り立たなくなってしまいます。現実の経済は経済規模が拡大して合計が100円から150円になり、富が集中しても残りの人が0円になることはないのでしょうが、結局一部の金持ちと多数の貧者を作るというのは経済の停滞を招く「誤った資本主義」であると結論づけて良いでしょう。要はほどほどにデコボコのある中間層が豊かな経済というのが社会全体を幸せにする「目的」に適う最も進んだ優れた経済「手段」であるという結論です。

日本や北欧などの欧州諸国はこの中間層重視の経済を目指して「いた」といえるでしょうし、アメリカ、中国、ロシアなどは富の一極集中を是としています。私は富の一極集中というのは、結局「社会」も使い切れない程金を持っている「本人達」も幸福にはしないだろうと考えます。それは経済が本来の「目的」を達成できない未熟な経済である証拠であり、自分たちが考えるほど良い社会ではないと早く気付くべきでしょう。一獲千金の夢がある活力ある社会と言えるかも知れませんが、犯罪率の高さや社会不安から来るドラッグや神経症の蔓延などを見る時、「社会・文化の成熟」、「国民全体の自覚的幸福度」の視点を考えると「富の集中を是とする社会は誤りである」と言うべきではないかと思います。

共産主義経済も極端な資本主義経済も共に国家を持たない「ユダヤ人」の思想であることが興味深いと思います。日本人には寄るべき「日本という国」があるのですから、国家を持たない人達の思想に傾倒する必要などないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重税は悪か

2008-05-24 21:21:38 | 政治
 昨日のブログで各国国民の自覚的幸福度比較というのを見ましたが、日本は低順位にあり、デンマークなどの北欧諸国が高順位にあることがわかりました。国民全体が幸福であると感ずる上で重要な要素は「健康に金がかからず」「国が経済的に豊かであり」「教育が充実していること」があげられました。

 北欧諸国のもう一つの特徴は税率が高いことです。消費税も20%近い国が多くあります。日本では重税というと封建時代のただ搾取されるだけの税を連想して税は安ければ安いほど良いと考えがちですが、もし払った税金がそれなりに自分たちの生活にプラスとなって帰ってくるのならば必ずしも重税は悪といえないものかも知れません。いわゆる「大きな政府」の考え方です。

 デンマークの大学生は「学費も医療費もただで、年をとれば年金があり、毎年5週間の休みを取ってバカンスに行けるのだから税金が高くても不幸ではない」と感想を述べたという記事がありました。コペンハーゲンに行くと運河には個人所有の多くのボートやヨットが泊めてあり、市内のアパートは大きくはありませんが、非常に外観が整っていてきれいです。夏場の公園では夜10時くらいまで明るいため平日でも家族連れが思い思いにお弁当を広げてゆっくりと夕食を楽しむ姿が見られます。田舎の景色も道路は日本のようにはありませんが、のどかな田園風景と至る所に風力発電の風車が見えます。救急医療も整っているそうですが、医師もしっかり休みを取るので病院に通っても同じ医師に続けて見てもらうことは難しいといいます。

 日本人はよく働き、貯金もしますが、それは老後のためであったり、子供の教育のためであったり、家を買うためであったりで、日々の生活を楽しむために働いている人は少数派かもしれません。もし「老後の心配はなし」、「教育費は一切なし」、「医療費もただ」であることが保証されていたら税率60%でもよいと思いませんか。日本人全員が毎年一ヶ月連続で休暇を取ってバカンスを楽しめば地方はもっと活性化するでしょう。老後や死んだ時を心配して高い生命保険に入っていますが、それらの金はアメリカの国債やファンドの購入にあてられて日本の経済の活性化には役立っていません。貯金も同様で日本の国債はまだ日本の経済に使われますが、外国の投資に使われてしまうと日本の経済に還元されません。重税であってもそれが確実に日本で使われ、将来に不安がなければ日本人も日々の暮らしを楽しむために所得を使い、結果として日本の経済が繁栄することになります。

 先般ガソリンの暫定税率の問題が日本を賑わせましたが、ガソリンが高いことの本当の問題は税金ではなく、投資目的で先物相場が値上がりしてガソリンが高騰していることに問題があります。結果として日本人が払うガソリン代が投資のための外国のファンドに吸い上げられてしまい、結局日本の経済に還元されないことに問題があります。つまり単に「体の良い搾取」を受けていることが問題なのです。それくらいなら無駄であっても税金で道路やマッサージ機になっていればまだ日本の経済が回ることになる。

 小さな政府というのは個人の努力や才能によって豊かな生活もできるし、チャンスを生かすという点で優れています。また管理社会を嫌い、行政の個人への干渉を少なくすることもできます。しかしそれはある意味、国家を持たないユダヤ的な発想であって、人々が平等に豊かに暮らすよりも、資本が国家の枠を超えて自由に移動し、より多くの資本を集めやすくするしくみになるとも言えます。ファンドの先物買いによる燃料や食料の高騰は世界の人々を等しく豊かにするためのしくみと正反対の働きしかしていません。

 日本の医療問題は経済問題であると以前のブログで書きましたが、後期高齢者医療の問題も単に経済問題であることは明白です。少子化の問題も子育てに金がかかることが原因です。私は思い切って日本も重税国家になり、その代わり老後、医療、子育てに一切の心配のない社会を作ることが「自覚的幸福度世界一」になる道ではないかと考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主観的幸福度の国際比較

2008-05-23 19:54:32 | 社会
「あなたは幸せか?」と聞かれて、即座に答えることはその時の気分である程度できると思うが、「どのくらい幸せか?」と聞かれるとなかなか答えられないと思う。ましてそれを国際比較してどの国民が一番幸せと感じているか(客観的に幸せかということではない)を調べることは面白いと思うが難しそうである。

「主観的幸福度」というのを心理学的に計数化する指標というのが考えられている。(http://www.psych.uiuc.edu/~ediener/hottopic/hottopic.html)

要は強く同意を7点、同意6点、少し同意5点、どちらとも言えない4点、やや不同意3点、不同意2点、全く同意できない1点として、

1) 私の人生はほぼ自分の理想通りであった。
2) 人生の環境条件は整っていた。(健康とか家庭とか友人とか)
3) 現在の生活に満足している。
4) 今までに人生で大切と思う物を得てきた。
5) 今後今の人生を変えるつもりは無い。

以上の5問について同意か不同意かで点数化して

35-31 とても満足(幸せ)
26-30 満足
21-25 やや満足
20    どちらとも言えない
15-19 やや不満足
10-14 不満足
5-9   実に不幸

という結果を導くらしい。

昨年英国Leicester大学のAG White氏らはユネスコ、WHO、その他の資料を分析して、国民の幸福度の国際比較表というのを作成、発表した。(http://www2.le.ac.uk/ebulletin/news/press-releases/2000-2009/2006/07/nparticle.2006-07-28.2448323827)それによると、国民の幸福度は健康(0.7)、富(0.6)、教育(0.6)(カッコ内は相関)の順に重要であるという。また総じて人口の多い国の国民全体の幸福度は低い結果である。

主な結果を見てみると
幸福な国民上位20は
1 - Denmark
2 - Switzerland
3 - Austria
4 - Iceland
5 - The Bahamas
6 - Finland
7 - Sweden
8 - Bhutan
9 - Brunei
10 - Canada
11 - Ireland
12 - Luxembourg
13 - Costa Rica
14 - Malta
15 - The Netherlands
16 - Antigua and Barbuda
17 - Malaysia
18 - New Zealand
19 - Norway
20 - The Seychelles

その他注目すべき結果は
23 - USA
35 - Germany
41 - UK
62 - France
82 - China

90 - Japan

125 - India
167 – Russia

不名誉なラスト3国家は
176 - Democratic Republic of the Congo
177 - Zimbabwe
178 – Burundi

となっている。ちなみにイラクや北朝鮮は解析不能で番外である。
どうも日本は順位が低い。日本は世界一の長寿国でGDPも上位にあり、大学進学率もトップクラスなのにあまり国民が幸せだと感じていないようだ。上位に北欧の国が多いのは税率は高いが社会保障が充実しているからだという分析もある。日本人は将来を心配する余り現在の生活を楽しむゆとりがないから幸福感に欠けるのかもしれない。この手の比較は評価の段階で多分にバイアスがかかっていて本当にそうかと思わせるところもあるが、けっこう謙虚にその通りかもしれないと思わせる所もあるものである。誰が検討しても同じ結果になる自然科学とは異なるものであろうが、それなりに大切なことを示唆している場合も多いと感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外科医の喜び

2008-05-22 00:35:24 | 医療
今日の内容は分る人は少ないとは思いますが、自画自賛的覚書として。

何が面白くて外科医をしているかと言えば、手術がうまくいった後の達成感を味わう事くらいしかないのではないか。うまく行っても患者さんや家族には「予定通り終わりました。ご安心下さい。」と報告して、後は病気の様子などを説明するだけで、我ながら苦労したけどこのようにうまくやりました、などと説明するわけでもないし、「大変よくできました」と褒めてくれる人がいるわけでもない。まあ一緒に助手で入ってくれた同僚や後輩がうまく行ったなと感想を述べ合う位か。

手術で苦労した、ということは患者さんの立場からすると危ない目にあっていたということで、あわよくば予期せぬ出血や合併症を起こす可能性があったということになります。どんな手術でも必ず「山」つまり「難所」と言える所があります。簡単に思える手術も舐めてかかると痛い目に合うことは外科医ならば分っているはず。それが分らないうちはまだ未熟者ということです。まして数時間はかかる大手術になると必ず二山か三山あると思ってかからないといけません。

若い頃の尊敬する外科医像は「手術が上手い先輩」であることは当然ですが、手術がうまいというのは教科書通りのきれいな手術をすることも一つですが、この難所の乗り越え方が上手い、俗に言う「修羅場に強い」事が重要な要件です。「予期せぬ出血で術野がどんどん血であふれてゆく」外科医ならば誰でも経験したことがある恐怖の瞬間です。ここで落ち着いて止血処置を適切に行ってゆける度量が一人前の外科医には求められます。人の血液は体重の7%、50キロの人でたかだか3.5L位です。大きな血管が切れると1分位ですぐ数百ミリリットルの出血が起こってしまいます。5分適切な処置を怠れば確実に死亡してしまう。だから出血の怖さは外科医ならば身にしみて分っているはずです。

昔(といっても30-40年位前)はtissue totと言って手術台の上で死亡するということは珍しくなかったと聞きます。それくらい医学が遅れていたとも言えます。現在予定手術(事故などの緊急手術でなく)中に手術台の上で死亡したらまず医療事故として大事件になるでしょう。民事訴訟や場合により刑事訴追を受ける可能性もあります。私は手術死亡(手術後30日以内の死亡)の経験はありますが、幸い手術台上での死亡というのは経験ありません。しかし予期せぬ出血というのは外科医をしている以上どうしても経験します。「ああ、これで外科医生命も終わりか」と一瞬考えたものの、何とか無事終了、輸血も殆ど使わず家族には「予定通り終わりました」と報告でき胸をなで下ろしたこともあります。

今回の手術は膀胱全摘、日本で年間行われる膀胱全摘は1、500例位であり、日本の泌尿器科医の総数は7、000名位なので平均すると泌尿器科医一人につき数年に一度しか行わない計算になりますが、私は昨年3例行い、以前もっと大きな施設にいた時には月1例位やっていたので泌尿器科医としてはactivityが高い方と自負しています。経験に基づく自信もありますが、やはり大手術の前は緊張して目覚めます。

今回の「山」の第一は骨盤が深く、脂肪が厚く膀胱のウイングと呼ばれる血管を含む結合組織と前立腺の先端から尿道のあたりが良く見えずに剥離しにくかったこと。大病院ではないので若い助手と二人で手術をせねばならず、何が起こっても自分で全て処理しないといけない。これは大病院で一人前の泌尿器外科医が複数いて、Helpすればいつでも若手と変わって入ってくれる施設との大きな違いです。どうしても慎重になって時間もかかる。しかし一番出血しやすい場所も乗りきって数百mlの出血で膀胱尿道を取り終えた。患者さん自身の「自己血」が1L取ってあるから他人の輸血をしなくても済む。

第二の「山」は、この患者さんの膀胱癌が上皮内癌といって粘膜に沿って広がってゆく癌が尿道や両側の尿管にも浸潤していたこと。陰茎の先まで尿道は取ってしまうので問題ないのですが、尿管は回腸導管につないで尿を出さねばならず、ある程度の長さが必要。右側は多めに切除して断端を病理迅速診断に出した結果が「癌陰性」の返事。しかし左側からは「まだ癌があります」と言われ、追加切除に。既に尿管は腸骨部まで切除しています。

左尿管を4センチ腎臓方向に追いかけて剥離切除して再度迅速病理に、なかなか返事がこない。「先生、深スライスでほんの少し癌細胞があるんです。もう少し切れませんか」彼らもこれが「山」であることは十分承知してくれている。また尿管が短くなれば導管につなげなくなることも分っている。ここはプロ同士の会話である。「あと1センチでいいですか。それ以上は無理です。」「まず大丈夫でしょう、もう一回迅速に出して下さい。」

勿論また癌が出たら腎臓ごと切除、或いは回腸導管でなく結腸を使った導管という手もある。しかし既に夕方5時、手術時間も6時間をまわってこれから術式変更は辛いものがある。病理のドクターは大学の後輩で病理医の腕(眼)も信頼できる、ここは彼を信じて小腸の処理にかかる。まず虫垂を切除、小腸の腸間膜を処理して導管部分を切る直前に病理から電話「先生、癌はありません!」。思わず「よーし!」と叫んで気合いを入れる。麻酔医、介助ナースの顔も明るくなった。「皆疲れているのに付き合ってくれて悪いね。」心で詫びながら手術を進める。

腸切除は自動吻合機を用いる。これは15年前NYに留学していた時に流行っていたのを私は覚えて帰ってきた。今ではどこでも使っているが、かつて手縫いで行っていたのが1/3の時間でできるようになった。泌尿器科医は消化器外科医のように腸の手術も行う、また血管外科医のように透析のシャント手術も行う、副腎や副甲状腺の手術もする、そのマルチぶりが魅力で泌尿器科を選ぶ医師は多い。

そして今回最後の「山」は「短くなった左の尿管を右側にある導管につなげるか」である。通常左の尿管は後腹膜腔のS状結腸の後ろを通して右側に持ってきてそこで切離した回腸につなぐのである。だからもともと右にある右の尿管よりも左尿管は長くないといけない。できるだけ腎臓の近くまで剥離して右に移動させて、結腸の背後から少しでも見えれば導管を通常よりも内側上方に持ち上げて繋げるかもしれない。

結腸の後ろを指でトンネルを掘るのは何も見えないし大きな血管もあるので緊張する。右の結腸間膜の外側から後腹膜を開いて左から入れた指を迎えにゆく。何とか出た。次に鉗子を通してできるだけ剥離した左の短い尿管を、尿管に付けた糸を頼りに右側に持ってくる。後腹膜腔の奥に尿管の先が1cm位覗いた。「やった、これなら導管につなげる。」神霊手術のように腸の後ろを何も見ずに10分以上指でぐりぐりしていた私を心配そうに見ていた助手が叫ぶ。

9時間30分、飲まず食わず尿出さずで手術を終え、家族に説明。「これこれの理由で時間がかかりましたが、予定通り終わりました。」とさらっと説明。家族には「予定通りできた」ことで十分である。患者が若いこともあって麻酔の醒めも早く、術後すぐに家族と会話。術後は大丈夫そうである。手洗いに行って濃い尿を出す。ジュース位飲んでから家に帰ろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうそろそろ方針転換をしてはどうか

2008-05-19 19:00:36 | 政治
韓国外相「直ちに修正を」 「竹島は日本領」文科省方針
2008年05月19日12時53分(asahi.com)
 【ソウル=牧野愛博】文部科学省が中学の改訂学習指導要領の解説書に、韓国と領有権を巡って争いがある竹島(韓国名・独島(トクト))について「我が国固有の領土」と明記する方針を固めた問題で、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は「事実である場合は厳重に対応するように」と韓国外交通商省に指示した。(中略)
 これに対し、重家大使は「今後の方針で決まったものはない。外相が表明した韓国政府の立場を直ちに日本政府に報告する」と語った。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

 日本が日本のものを日本の物だと言ったことに対して略奪した側が「けしからん」と言い、日本の代表が「そう言おうかなと思っただけです。」と答えた記事です。略奪した韓国には韓国の立場があり、「日本が生意気にもこんなこと言ってますぜ、どうします親分?」と言われれば「それはけしからんなあ。」と言わざるを得ないものです。

 80-90年代のようにマスコミの言論で日本の全ての言論を代弁しているふりができた時代は、「日本が全て悪である」と言い続けていれば日本に対する大抵の「国家がらみの我が儘無理強い」は通ったのですが、現在は「違法は違法」と日本人も発言するようになり、政府、マスコミもインターネットを中心とする日本人のマジョリティの意見を無視できなくなっています。

 ネットウヨクなどと無意味な言葉を造って、街宣右翼のネガティブなイメージで普通の日本人が発言することを封殺しようと試みたようですが、思想統制などうまくいかないことがそろそろ分ったはずです。

 私は中国韓国とけんかするのは馬鹿げていると思いますし、個人レベルでは親しい友人もいます。というよりも個々人においてはそれぞれの国家が我々に対するほど「反日本的」ではないことも知っています。しかし日本とこれらの国が、国レベルで付き合う段階になると奇妙な上下関係でしか成り立たないような状況を特定の人達が作り上げてしまったことに根本的な問題があるのです。

 中国も韓国も20年後にはどうなっているか分らない国です。だからこそ戦争で消滅せずに国民国家として確固として存在し続け、しかも経済大国にまでなってしまった日本が羨ましくてしかたないのでしょうし、国が不安定だからこそあらゆる虚勢を張らざるを得ないのは分ります。目先の効く国民ほどそのような不安定な国からは逃げ出すわけで、どちらの国も今現在を含めて外国への移民の多さは異様なほどです。

 そのような事も勘案した上で、私は提案として日本はこれらの国との付き合い方を少しずつ変えてゆくべきではないかと提案します。相手の立場もあるでしょうから、事務レベルでよく調整しつつ今までのように強面で脅迫まがいの外交方針を取るべきではないと説得するべきだと思います。「日本はあなた方と喧嘩するつもりはありませんが、理不尽な行動要求を一方的な理屈で日本人に通せる時代ではない」ことを説得するべきでしょう。中韓が親日的な国ならば外国人参政権も遠の昔に実現していたでしょうが、現在の反日政策下で日本人の贖罪意識を居丈高に命令しながら高めようとしても日本人が納得するはずがないというくらいのことは「余程の低能」でないかぎり分るはずですがね。

 戦後、右翼や政界の黒幕と言われる大物が存在していた時には、日本の政治的立場や発言は殆どこれらの人たちが背後で操作し、周辺国との付き合い方もこれらの人たちが決めていたと思われます。しかし現在はこういった大物の黒幕と言われる人たちはあらかた亡くなって不在になっているように思います。その分表にいる政治家や官僚がしっかりしないといけないのですが、どうも小粒の人間ばかりであちこちから突かれると右顧左眄、軸足が定まらないようです。

 全共闘世代という日本の戦後に特有の「反日を唱えることで自らのアイデンティティを確立してきた世代」がいましたが、その年代が定年引退した現在、相手国の方々にも日本との付き合い方を変えてもらう必要があることを説得しないといけないし、相手国のリーダーも「自分たちに都合の良い連中」がいなくなったからには少し方針を変えてゆこうという機転位は持つべきだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

領土問題を教科書に書く意義

2008-05-18 15:31:53 | 政治
竹島は「我が国固有の領土」…新指導要領解説書に明記へ
(5月18日3時2分配信 読売新聞)

 文部科学省は17日、中学校社会科の新学習指導要領の解説書に、韓国と領有権を巡って争いのある竹島を「我が国固有の領土」として新たに明記する方針を固めた。

 これまで指導要領や解説書には北方領土に関する記述はあったが、竹島の記述は日韓関係への配慮などで見送られてきた。
(以下略)

 日本のものを日本のものと記述することがニュースになること自体がおかしな話である。この手の話題はひたすら中韓の言いなりになるのが左翼、楯突くのは右翼という誰が定義づけた訳でもない暗黙の色分けがなされてきた。中国韓国の強烈な国粋主義者達はこの定義からゆくと右翼なのだが、中国では共産党員だったり、韓国では韓国という国家を絶対視するのでなく朝鮮民族を絶対視していたりして右翼だか左翼だか民族主義者だかわからない。

 北方領土にしても竹島にしても、日本固有の領土であることを中高生達に教えることは大切である。それは左翼反日工作員の方達が期待するような「日本の領土を不法占領する悪の国々を懲罰するために君たち若者は戦わなければならない」という教育をするためではなく、「国家や領土とは何か」、また「何故これらの島々は日本の領土であるのに他国が軍事侵攻してまで占領しているか」を考えさせる材料になるからである。

 世界の国々で領土問題を抱えない国は殆どない。それ以上に一国一民族でない国、宗教で国内同士で対立している国家など種々の問題をかかえる国は多い。我々日本人が外国に行ったときに、こういった微妙な問題を殆ど理解していないことから国際感覚のなさを痛感することが多いと思う。

 ちなみに竹島は韓国が占領した上で「もともと自分の物だったもん」と言い張っている以上返す気はなく、また帰ってくることもないように思う。しかし「対馬ももともと韓国のもの」等と言い出していることから「竹島がもともとは韓国のものでなかったのを自分のものだと言って軍事占領したという経緯」は認めているのだと証明される。

 私は、韓国人が国連事務総長をしている間に国際裁判所へ提訴することが最も有効な手立てであると思う(勝ち目がないから韓国は嫌がっているが、平和的な国際紛争の解決の困難さについても中高生達にしっかり教えなければならない)。慰安婦決議のお返しにアメリカの下院に不法占領を非難する決議をしてもらうのも金はかかるけれど一つの手である。これ位のいやらしさをもたなければ戦争を放棄して国際問題を解決するなどという高尚な理想を掲げる資格はない。国際問題というのはいやらしいものなのである。

 北方領土は第二次大戦終末期にソ連が占領して立ち退かなかった経緯をアメリカはじめ世界中が知っているからさすがにロシアも「もともと自分のものでした」とは言ってない。その分粘り強く交渉すれば中露の交渉で領土を半々で分け合って解決したようにwin-winの決着をつけることは可能のように思う。その際には、かつて二島返還で話が進んだときにアメリカが横槍を入れてきて四島返還に方針転換させ、話をぶちこわしたような内政干渉を許さない決意も必要ではないかと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画 「空軍大戦略」1969年 に見る大英帝国の衰亡

2008-05-17 23:18:04 | 映画
映画 「空軍大戦略」1969年 に見る大英帝国の衰亡

監督 ガイ・ハミルトン 製作 ハリー・ザルツマン
出演 ローレンス・オリビエ マイケル・ケイン クルト・ユルゲンスほか

当時映画「007シリーズ」の収益のすべてを注ぎ込んで製作されたと評判の映画。1940年夏、破竹の勢いでヨーロッパを席巻したドイツ第三帝国がその勢いのままイギリスに襲い掛かり、まず英空軍を無力化してから英本土上陸を目論んだ作戦(あしか作戦)に対して、700機のイギリス空軍で2600機のドイツ空軍と戦い、見事打ち負かした3ヶ月に渡る空の戦いを描いた作品である。

1960年代にはすでに希少となっていた第二次大戦当時の機体を実際に飛ばして撮影され、特に英空軍のハリケーン、スピットファイアとメッサーシュミットとの空戦を実機を飛ばして撮影(撮影はB25の改造機を使用)したところが貴重な映像になっています。ドイツ軍機(メッサーシュミット109とハインケル111爆撃機)は当時スペイン空軍でまだライセンス生産されて使用されていた機体を買い上げて用いたため、実にふんだんに登場します。

航空ファンの私にとって小学生の時初めて見たこの映画はバイブルに匹敵します。多くの航空映画のみならずフライトシミュレーションゲームもこの映画に感化されています。10年ほど前英国の友人が「毎年この時期(7月終わり頃)になるとこの映画をテレビで恒例のようにやるよ」と話していたのを思い出します。

英国は陽が沈むことがない帝国であったのに、第二次大戦を機会に多くの植民地を失い没落しました。あろうことかここで描かれる時はまさに新興ドイツに本国が負けそうであったのです。この映画でも「我々は敗ける」という台詞が何度も語られるのですが、当時の英国人は100年以上語る事のなかった台詞でしょう。第二次大戦の戦勝国なのに没落した国としての忸怩たる思いを戦後の英国人達は持っていたはずです。この戦いでは少数の英国空軍パイロットの活躍で窮地を脱するのですが、映画の節目節目で出てくるスピットファイアの勝利の旋回(victory roll)はこれを見ている1970年の英国人達にそれとなく「我々はやれる」という過去の栄光を復活させる勇気を与えようとしているかに見えます。(1回目は今はそれどころではない、2回目はまだ早い、そして3回目は?)ドイツを悪や卑怯者として描かず、どちらも正々堂々の勢力として描いた目的もそのあたりにあるのかも知れません。

中西輝政氏の著した「大英帝国衰亡史」PHP文庫2004年 刊 によると、この栄光に満ちたバトルオブブリテンこそが、大英帝国の終焉を飾る最も輝かしいステージであったと評しています。そのステージの指揮をとったのがウインストン・チャーチルですが、この映画はそのチャーチルの死(1965年)を機に製作が本格化したのではないかと推察されます。

第一次大戦の疲弊により大英帝国の衰退は誰の目にも明らかになり、代わりにアメリカが経済産業の中心的役割を担うようになってきました。しかしイギリス人であれば誰でも帝国の衰退を何とか防ぎたいと考えるのは当然であり、ヒトラーがドイツ帝国を再興しつつあるときもチェンバレン率いる英国は自国の国力衰退につながる全面戦争を極力避ける方針を続けていました。ドイツがポーランドに侵攻し、英国がドイツに宣戦布告してからも「まやかし戦争」と言われたように全力でドイツと戦うことを避けてきたというのが本当でしょう。しかし、ダンケルクの撤退からバトルオブブリテンに到ってチャーチルは全面戦争を決断、帝国の滅亡やむなしと「ふっきれた」わけです。

輝かしい40年の暮れには英国の外貨準備は殆ど底を付いていたとされ、41年のアメリカとの「レンド・リース法」によって無尽蔵に武器や食料を調達して全面戦争が続けられる見通しがついたものの、45年の終戦時には三十三億ポンドの対外債務に膨れ上がり、続く「英米金融協定」によって容赦なく大英帝国の経済ブロックにアメリカが自由参入できる、つまり帝国がおわりを告げることになったと解説されています。

第一次大戦以来英国の政治中枢でその衰亡を実感してきたチャーチルは帝国の消滅を既に悟り、消滅にあたっては英国を次の時代を象徴する自由への戦いの立役者として位置づけることを選んだのだと思います。この映画はそのような位置づけを再確認する意味で当時のイギリス映画界が全力を挙げて製作したのだと考えるとまた感慨深いものがあります。

映画公開の後71年に英国はECに加盟します。政治的にはアメリカと同盟して欧州の一部になることを拒んできた英国も、今はユーロ圏への参入を検討する段階にあるように思います。現在のユーロ圏は第三帝国の版図に近いものがあるように見えますが、ヨーロッパの西端の国になることを拒み続ける英国の意地をこの映画は象徴しているのかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 「甘えの構造」 

2008-05-15 00:09:01 | 書評
書評 「甘えの構造」 土井健男 著

私は大学時代に読んだのだが現在の日本がやはり日本独特の「甘えの構造」にはまっているのではないかと感じて再度購入した。60年代から刷数を重ねているロングセラーの本であり、今読み返しても内容に古さを感じさせない。

大略は「甘え」なる語彙は日本語独特のものであり、欧米にはこれに相当する概念がない。キリスト教的な「奪う愛」と「与える愛」の関係とも異なり、「甘え」には相手を甘えさせる「我」の方にも「見返り」の期待が内在する。

「甘え」の概念は日本ではあまりに日常的になっているから日本人はつい世界でも通用すると思ってしまい外国人から誤解を受けたり、独りよがりの禅譲をして損をする。「甘え」は精神分析においても有用な概念であり、外国人にもこの概念を当てはめると理解しやすい場合がある、といったものだ。

日本的な行動すべてを「甘え」で説明しようとするやや強引なところもある本だが、精神科医としての分析的手法で論を積み上げる著者の論理は説得力がある。私には最近日本で問題になっている多くの事も「甘え」が土台になっているように感ずる。

以下は私見ですが、例えば医療ミスで医師がカルテを改ざんする行為は、「普段は一生懸命医療を行っていて、たまたま失敗してしまった事は次の患者さんに生かせばよいだろうから」許されるのだ、と理由づけて行われるものだ。この普段身を削って、寝る間も惜しんで医療に挺身しているのだから失敗を隠匿することを許されてもよいだろうというのは「甘え」である。

普段安月給で家庭も十分省みず、ボロい官舎に住んで日夜国民のために身を危険にさらしているのだから警察の捜査費用を一部交際費に流用しても許されるだろう、というのも「甘え」である。基本的に警察官は真面目で熱心であるからこそ「仲間うちで自由に使える金」を国が困らない程度に捻出することは、悪い事と自覚していても罪悪感はないのである。

中国や朝鮮のしつこい戦争責任追及に対して、「心から謝罪すれば、恨みは水に流してくれる」と考えていることも「甘え」にほかならない。謝罪されて恨みを忘れるのは日本人だけである。

中国では「謝罪される」とは相手の首を掻き切って高々と上げる行為を言う。歴史書を見ればわかる。だから中国人は絶対に「謝罪」などしないのである。日本人は歴代の首相が毎回謝罪の言葉を述べるのにその後も謝罪を求められることでかえって中国への反感を高めているが、それは日本人が言葉の上での謝罪に対して「きっと恨みを水に流してくれるだろう」という期待を持っているからである。謝罪しているのに許さない態度を日本人は「無礼」とみなすが中国人は謝っているのに首を差し出さない(ありていに言えば中国の属国にならない)から謝っているとは認めないのだろう。

私には中国、朝鮮とうまくやってゆくには謝罪など金輪際せずに丁々発止、利を求めて渡り合うことで相互の理解を深めてゆくのがよいと思っている。中国には程々に勝つ、程々に負けるという考えがある。また弱みを見せると「水に落ちた犬を叩く」という考えもある。政治経済研究家の副島隆彦氏は著書で「アジア人同士戦わず」とことあるごとに主張しておられる。それは正しい主張だと思いますが、その本意は「欧米を利するためのアジア人同士の戦争をせず」という意味であると私は解釈している。相手と喧嘩することは殺し合いの戦争とイコールではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国四川大地震に思う

2008-05-14 19:10:10 | 政治
5月12日に発生した中国四川省の大地震は、死者1万名を超え、行方不明も2万人以上と地震被害としては未曾有の規模です。日本の阪神淡路震災において死者が多数出たのは神戸の老朽化した家屋が倒壊して下敷きになった人が多数出たからですが、今回の四川の地震でも学校や病院が倒壊して犠牲になった人たちが多いと聞き痛ましい限りです。

<災害時医療について>
大規模災害における医療には概ね3つの段階があります。初動の数日間はとにかく怪我をした人の救急医療が喫緊の課題です。外傷の処置と感染予防、埋もれた人の救出、数日間が勝負であり、緊急部隊をいかに手早く効果的に配置するか、医療環境の整った施設にいかに搬送するかに為政者(行政)の力量が示されます。今回温首相が陣頭指揮ということですが、指揮される部隊が10万人単位(10個師団)位いて、有機的に連携して活動しているのならば良いけれど、多分にパフォーマンス的な要素が強いようにも思います。

第2期は倒壊した家に帰れず、外や避難所で生活する人々が起こす急性疾患の発生です。風邪、肺炎、衛生状態の不良による伝染病の発生など、1週間前位から本格的な公衆衛生的対応が必要になります。また水や食料が十分でなければ治安も悪くなり暴動が頻発する可能性もあります。神戸では暴動的なものが全く無く、住民達の秩序立った助け合いの精神は各国から称賛されたことが素晴らしい。

第3期はそれまでの疾病に加え、もともともっていた持病や慢性疾患が悪化してくることによる疾患の増加です。私は阪神の震災の時に、神戸で3ヶ月間災害時医療を経験する機会を得ましたが、幸い1-2ヶ月位で通常の病院が立ち直ってきたので、第2期を乗り越える事でそれ以上病気の人たちが増えずに済みました。

<支援について>
我々が出来る事は、人と物の支援だと思います。金は物に変える事によって初めて価値が出ます。また物は被災者に届く事によって初めて価値が出ます。医薬品は使える医療者がいて初めて価値が出ます。今から日本ができることは第2期以降に役立つ支援だと思いますが、輸送手段と配布する手段が確保できるのならペットボトルの清潔な水、レトルトの食品などが一番役に立つように思います。人については14億人もいることですし、中国語ができる日本人は少ないですからかなり特殊技能を持った人に限られるでしょう。また人の支援について言える事は、自己完結能力(食べる、寝るを全て自分で賄う上で援助もできる)を持たない限り中国の奥地で支援などできないということです。ということは軍隊に限られるということで、確かに共産党としては容易に受け入れられないでしょう。

また支援について考えねばならないことは、中国は民情も行政の対応も日本とは全く異なっていることです。本来避難所になるべき学校が真っ先に倒壊し、空母やミサイルには金をかけても環境対策には日本の金をおねだりする国柄です。日本がこうだから中国も同じだろう、は100%誤りだと思います。災害対応をどこまで本気でやるか、情報公開をどこまで真剣に行って各国の支援を有効に受けてゆくか、がオリンピックなどより中国の国としての成熟度を見分けるポイントになると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心理療法はあてにならない

2008-05-12 18:29:42 | 書評
書評「フロイト先生のウソ」 Rolf Degen 著 赤根洋子 訳 文春文庫2003年刊

何か大事件が起こるたびに被害者や家族の心理的「トラウマ」への公的対処が議論されるようになりました。まるで「心のケア」という科学、社会的概念全てが完成しているように感じますが本当はどうなのでしょうか。今回紹介する「フロイト先生のウソ」は、少し心理学に興味を持った人ならば常識とされるような既成概念の殆どが実は科学的根拠のないでたらめであり、古色蒼然たるフロイト理論をもっともらしく焼き直ししただけの場合も多数あることを数多くの心理学分野の論文を示しながら証明しています。

心理療法について述べた所では、心理療法は「プラセボ」(治療効果がないとされる偽薬、偽治療)以上の効果は証明されず、人は治療を受けようが受けまいが精神の自然治癒力によって治ることを示しています。例えば神経症患者の66%は2年以内に自然治癒し、90%が5年後には精神の健康を取り戻していて、これは治療を受けて治った患者の比率と変わらないと述べています。「心理学産業は市場と顧客の拡大を図るために日常のささいなことに無理にでも病名を付けるしかないのである。ただの疲れが「慢性疲労症候群」となり、つらい思いでは「心的外傷後ストレス障害PTSD」と呼ばれる。遂にはちょっとでも心に不調があれば専門家に相談すべきだということになる。」と心理業界の本音を暴露しています。

他にも「幼児教育が生涯の能力を決めるなどという科学的根拠はない」、「人は無意識の世界に完全な記憶を持っていて催眠によって再現できるなど嘘である」、「催眠術は被験者の自覚があるないに関わらず協力にすぎない」、「幼小児期のトラウマによって成人してから苦しむことなどない」、「多重人格は存在しない」、「右脳、左脳分担説の嘘」といったその道でメシを食べている人たちが読むと卒倒しそうな内容の真実が科学的根拠を示しながら次々と明らかにされて行きます。この本が明らかにしたことは環境によって犯罪がおきたのであって本人が悪いのではないという風潮の法曹界にもかなり厳しい現実をつきつけることになるでしょう。

「心のケア」は「悩みを聞いてあげる」だけで8割は治ったようなものだと言います。家族や友人がその役割を果たせば十分であると筆者は述べます。昨今の何でも公的ケアを求める風潮は本来責任を負うべき家族や教員の「責任転嫁」に過ぎないことは明らかで、それに心理業界の思惑が一致しているということでしょう。現在医療心理師と臨床心理士の二つの国家資格があり、混乱を生じているようですが、利用する側から言えば呼び方などどちらでもいいじゃん、と思うのはそもそもこの分野がどうでもよい分野だからかも知れません(ああ言ってしまった)。

ちなみにこのRolf Degenという著者はドイツ心理学会から科学出版賞を授章しているそうです。心理学会というのは懐が深い。訳者が後書きで述べているように内容にやや強引、日本の現状と異なると感ずる所はあるのですが、淡々と事実を積み重ねて示す事で皆があえて指摘しようとしない既成概念に挑戦するこの本は「心理学分野の副島本」とも言えましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国公安ウイグル人弾圧の内幕

2008-05-11 18:11:57 | 政治
中国公安ウイグル人弾圧の内幕

会員雑誌「選択」の5月号に「中国公安ウイグル人弾圧の内幕」と題するレポートが掲載された。チベットに対するあからさまな弾圧とその抗議への執拗な抵抗が明らかになり、中共政府の現実がようやく世界に知られるようになってきたが、チベットと同様建国後に中共が侵略征服したウイグル自治区(住民900万)の現実について報道されることは少ない。今回ウイグル人でありながら中国公安警察に勤務し、住民弾圧に直接加担した後、同胞への虐待に耐えられずに国外に亡命し、現在ウイグル人亡命者の国際組織「世界ウイグル会議オランダ支部長」となったバフティアル氏への取材から、弾圧の実際が具体的に紹介されている。

記事をそのまま載せるわけにはいかないので概要を紹介する。

<住民への公安の監視制度>
治安上要注意人物は3年間観察対象とする。
反政府活動で逮捕された者は一生観察対象とする。
地域で共産党に協力的な者4人を選び定期報告をさせる(四保一戸)。
注意人物の周囲住民10戸を協力家庭として定期報告させる(十保一戸)。
公安警察が市民のスパイを数人雇い、反政府活動の情報収集をする。

<97年2月の「イリ事件」について>
地域の文化活動を目的に集まった「マシュラップ」を反政府活動として解散させたことに不満を持った青年700名がイリカザフ州の首都グルジアで反政府デモを行った。公安警察が直ちに動員され、デモ参加者を拘束、グルジアの監獄に収監した。

収監者達は膝を抱えた姿勢で手足を縛られ、レンガを積み上げるようにトラックに積載されてその上に漢人の警官が座り監獄に運ばれた。トラックからは荷物を投げ下ろすように放り投げられ骨折する者も出た。取調べでは拷問が行われ、棍棒で頭蓋骨を割られる者、爪を剥がされる者、手指から足先に電気を通される者、裸で雪の上に座らされる者、女性には性的暴力も行われたという。

その後3ヶ月、グルジャ市は戒厳令が敷かれ、警察の報告で2万5千名の市民が逮捕された。裁判で実刑判決が出された者を運ぶトラックに集まった市民から激励の言葉がかけられた時、戒厳令下に武装した兵士が発砲、3人の市民が死亡、30数名が負傷した。

<チベットでも同様のことが>
バフティアル氏はイリ事件の後、同胞への弾圧に我慢できず亡命したのであるが、これがほんの10年前の事件であることに衝撃を受ける。現在チベットでデモに参加したとして大量に拘束されている人々が同じ運命にあることは間違いない。

以降は私見ですが、拙ブログ5月2日の書評「歴史とは何か」でも述べたように中国は国民国家の成立を目指していると思われるが、その国民とは「漢人のための国家」に過ぎないことがウイグル、チベットの現状を見てよくわかる。中国は19世紀型の侵略と圧制による帝国を夢見る国家である。

日本のマスコミ、政治家、経済界もすでに帝国主義中国に間接侵略され、アメリカの覇権が消えればすぐにでも中国に飲み込まれるのではないかという危惧もある。ウイグル、チベットの姿は明日の日本かも知れない。しかしそれに対抗することは戦争ではない。戦争をすれば14億を敵にまわすことになりまた確実に敗戦である。拙ブログ4月28日の書評「中国の闇」に示したように、帝国主義中国もその内情は磐石ではない。我々が注目する中国とは経済発展の恩恵に浴する上澄み2億人の中国であり、発展に乗り遅れた残り12億人については無視していないだろうか。2億人が日本人と同じ生活をしただけで経済規模は日本を上回る。我々が帝国主義中国に飲み込まれないための方策は、現状に不満を持っているであろうマジョリティ12億人をいかに味方につけるかということに思える。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする