rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

名古屋高裁「イラク違憲判決」について

2008-05-04 23:45:46 | 政治
名古屋高裁「イラク違憲判決」について

先日の名古屋高裁における航空自衛隊がイラクにおいて米軍兵士などを輸送していることは戦闘行為であり憲法違反であるという解釈について、すでに数多くのブログで議論されている。

「司法のしゃべりすぎ」井上薫 著 2005年2月刊 新潮新書 に指摘されたごとく、裁判の判決である主文と、その判決が導かれた理由を述べた判決理由欄の要部以外の部分はいわゆる蛇足であり、判決とは関係ない裁判官の感想にすぎないものだから本来述べるべきではないというのは正論であると思う。

今回裁判を起こしていた市民グループというのはもともと賠償金目的ではなく、自衛隊の活動が憲法違反であることを認めさせることが目的だったのだから、裁判官の判断は実質目的達成で「勝訴」であると大喜びした訳である。また裁判官もそのことは十分承知の上でこの判決を出したものと思われる。

私は今回の空自の活動が憲法違反であるという判断自体にはあまり感想をもてない。というか自衛隊の存在自体が憲法を起草した時点で想定していなかったものであり、本来憲法を改正して自衛隊の存在をはっきりと示した上でその活動についても憲法で規定すべきであると思うからである。しかし「令外の官」として自衛隊の存在を認め、なし崩し的に今までの海外派遣活動を合法であると政府国民が認めてきたのならば、いまさら米軍の兵隊を運んだことが憲法違反だと騒ぐのはナンセンスであると思う。燃料補給や医療支援、食料輸送は戦闘行為でなく、兵隊を運ぶのは戦闘行為であるとかの議論はまったく意味のないことである。最前線でドンパチを行わなければ戦闘行為ではないと言い切ることもできるし、イラクに行った時点でこれは戦争に参加したのだといえばその通りなのである。

91年の湾岸戦争の時、戦争にかかった多国籍軍の費用800億ドルの六分の一の費用を日本は負担している(130億ドル)。歴史上、戦争費用の20%弱を負担していたらそれは立派に戦争に参加していると言えるのではないか。国民国家的発想では自国民が実際に銃をとって戦っていなければ戦争に参加したとは言えないのかも知れないが、中世までの傭兵主体の戦争ならばそれだけの金を出していたら主戦国のひとつと言えると思う。だから日本はすでに国際紛争を武力で解決しているのであり、諸外国も日本をそのように見ていると思っている(自国民を戦争に参加させないことは特別の目で見ていると思うが日本人が憲法上考えているような国際紛争は武力で解決しないという意味に日本の立場を見ていないと思う)。

今回の市民グループというのが純粋に日本の国益を考えて行動しているように見えないからどうも彼らの行動に素直に賛成できない気持ちはあるのだが、だからと言って今回の事例を裁判官の判断も含めて「良くない」と言い切れない気持ちが自分にあることも確かである。現在、政府や官僚主導で行われている政治について、我々国民が「これはおかしい」と感じたときにそれを正す方法は、選挙で政治家を選ぶか、何らかの行政訴訟を起こすこと以外にはないのではないか。戦前軍部の暴走を止められなかった国民は、戦後官僚の暴走を止める有効な手段を持っていると言えるだろうか。戦前の過ちを繰り返さないために(単に戦争をしないという意味ではなく)このような形で本来の目的と異なる訴訟を起こし、その意を呈して裁判官が判決を出し、それを承知したマスコミが報じて社会問題にするというのは官僚の暴走に警告を発することができる唯一の手段であるように思う。その意味で今回の件は内容はともかく意義のある判決ではないかと思うのである。
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