rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

小沢一郎氏の評価2

2010-01-31 21:13:56 | 政治
小沢一郎氏に対する検察の追求がいよいよ終盤に入ってきました。恐らく幹事長を退任しない限り刑事的起訴にまで持ち込むでしょう。検察を後ろで操っているのはアメリカのCIAであるとか、ジャパンハンドラーズのジョセフーナイであるとかいろいろ言われています。それはある意味真実だろうと思います。しかし最終的な意思決定は検察内部で行われていることは間違いありません。

以前私自身の小沢一郎氏の評価は、自民党政権ができなかった改革、既存の利権団体を除いた経済改革や硬直した官僚体制の打破(官僚を軽んずるのではなくより活用する)といったことに専念するのであれば多少独裁的であっても多いに評価できるのでしばらく様子を見たいというものでした。しかしこの3ヶ月ほどの彼の動きをみる限り彼に対する評価は下げざるを得ない状況です。天皇への中国副主席の会見強要は私的には問題なかったのですが、その後の記者会見があまりにひどかった。小沢という人の人間の器の限界を見た気がしましたね。また外国人参政権法案の強要も、国民が反対するのが解っているから数の論理で党議拘束をかけて強行採決すると宣言したことも、「今そのようなことをやる時ではない」ということさえ判断がつかなくなっているのだ、という点で大きく評価を下げました。夫婦別姓や外国人参政権は4年間の間にゆっくり審議して決めればよいことです。

小沢氏には陸山会で購入したマンションにイギリス、中国、韓国人の秘書を住まわせているようですが、これらの人々は雇った当時はひも付きではなかったかも知れませんが、現在は120%母国の諜報機関のスパイです。当然公安が24時間監視しているでしょうし、それらの国々に放出すべきでない内政外政の情報がこれらのスパイを通じて漏れていることがわかれば、また政治権力も情報も全てが小沢氏に集中する体制ができつつあることが明らかであれば、発信元の小沢をつぶすという決定を下すのは国家保安上当然のことです。理由など何でも良いというのが本音でしょう。ごく僅かではありますが、かつて諜報的なことにも接した人間としてはそう思わざるを得ません。外国人秘書は個人ではなく党の所属にしておくべきだったでしょう(それも十分注意した扱いで)。

その点検察は鳩山さんをつぶすつもりはないように見えます。「日本は日本人だけのものではない」の後に中国も中国人だけのものではない、韓国も韓国人だけのものではないのです、と言ってればけっこう人気者になったでしょうに。鳩山さんは首相としていろんな所で脇が甘いだけで悪い人ではない、と私は思ってます。もっとリーダーシップを発揮して嫌われ者になった方がよいとは思いますが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学的に正しいことでは商売にならず権力者の都合にも合わない

2010-01-21 13:19:58 | 政治
ヒマラヤの氷河消失、報告書は誤りと陳謝(読売新聞) - goo ニュース
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

炭酸ガス排出権など金融による金儲けに代わる、労働せずに勤労者から所得を搾取する方法を模索する人(国)にとって、地球温暖化は打ち出の小づちだったと言えるでしょう。記事によると個人の妄想に近い推測をしかも年代を間違えて(わざと?)引用し、子引き孫引きでもっともらしく権威付けして世界に公表していたとか。機構もなさけないですが、日本の専門家達ももっと早く「うそだ」と指摘できなかったのでしょうか。日本の自然科学は政府にご機嫌を取った所でたいして金銭的に優遇されていないのですから、せめて科学的に真実でないことを声をあげて発表する程度のことはできたのではないかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国人の反日の原因はIdentity Crisisである

2010-01-21 00:08:24 | 書評
書評「韓国人の歴史観」黒田勝弘 著 文春新書平成11年刊

共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長を歴任しながら現場から「何故韓国は反日なのか」を考察した好著。単なる反韓、嫌韓の本ならばつまらないと思ったのですが韓国の現場で直接韓国の人達や政治に接しながら「何故執拗に反日なのか」「歴史の再構築(都合が良いように歴史を作る)」といった理解し難い行為を行うのは何故かを解説していて、我意得たりとする部分も多いものでした。

本書のポイントとなる上記の答えは「朝鮮の人達が日韓併合中はほとんど日本人になりかかっていて、終戦と同時に突然韓国人、朝鮮人というナショナリズムを持たざるを得なくなったことが原因である。」と述べています。「併合中は気持ちの上で殆ど日本人だった」ということは事実であるだけに現在の韓国朝鮮の人達は「絶対に受け入れられない」ことでしょう。受け入れてしまえば韓国人・朝鮮人としての現在でさえ南北どちらなのかはっきりしないnational identityが根本から崩れてしまいますから。

朝鮮は植民地ではなく「併合」された日本の一部でした。つまりハワイやグアムがアメリカの植民地でないのと同じです。子供の高校の教科書に「朝鮮の植民地化」の見出しの下に「日韓併合」という項目がありました。これでは朝鮮が植民地だったのか日本の一部だったのか全く理解できないでしょう。樺太や千島は日本の植民地だったのでしょうか。私は母が朝鮮出身の引き揚げ者で、祖父が朝鮮で弁護士をしていましたので、併合時の朝鮮の人達の暮らしは良く聞いて知っています。それは著者の言う「殆ど日本人になっていた」というのが正しい。日本が搾取と弾圧の限りを尽したとか、朝鮮の人達が困苦を究めたというのは、彼らがほとんど日本人だったことを否定するために、戦後になって作られた彼らにとって「どうしても必要な日本の役回り」にすぎないのです。真実を否定することは莫大なエネルギーを必要とします。嘘には嘘を重ね続けないといけない。彼らが本心ではさほど反日でないのに執拗に反日であろうとする努力は悲しいほどです。

この本ではその一環として90年代に行われた「日帝風水謀略説」つまり「併合時代に日本が朝鮮民族の精気を奪う目的で風水的に重要な山に金属の杭を打ち込んだものを全国規模で探し出して除去しよう」という虚構に基づいた国をあげての大騒ぎの顛末も紹介されています。結局出てきたのは三角点や安全のために打たれた金属に過ぎませんでしたが。

もう一つ本書の重要な指摘は「韓国の反日は韓国、日本どちらにおいてもそれぞれの国内問題でしかない」というものです。つまり韓国においてはidentity crisisという国内問題であることは上記の通りですが、日本国内で韓国の反日に便乗している左翼・市民グループも実は韓国国民の繁栄など真剣には考えておらず、韓国における「反日」の部分だけを自分たちの主張に都合が良いから利用しているに過ぎないという指摘です。これはその通りでしょう。本来民族主義のナショナリストは彼ら嫌いなはずですから。韓国の学者と日本の反日学識者(和田某ら)が集まって日本を批難する学術集会を開いた所、あまりにも韓国の主張を「ごもっとも、その通りでございます」と日本側が言うものだから「これでは議論が盛り上がらない」と韓国側から苦言を呈されたと言う笑い話も紹介されていました。

韓国の心あるエリート層からの、ことあるごとに日本に「悪者」としてお出ましいただかないと自分たちの国民としてのまとまりがつかない、というのはあまりに情けない、という声が紹介されていました。新政権の正当性を担保するためにかつて宗主国の中国に政権交代の挨拶として贈り物を贈呈していたように、今では政権が変わるたびに日本に新たに謝罪要求をしている、という指摘もその通り、全ては確固としたidentityの欠如から来る「より確固たるものへの依存体質」からくる心理に他なりません。

ここからは私見ですが、では韓国が反日に頼らずにidentity crisisを克服する方法は唯一つ。「自らの力で南北を統一して真の朝鮮国を作ること」以外にありません。前に指摘したように朝鮮戦争とは朝鮮民族にとっての独立戦争だったのです。初戦で北が勝っていれば金王朝体制の、仁川上陸以降南が勝っていれば韓国の体制で朝鮮が統一独立できたのに、米中の介入のために現在に至るまで「民族国家として国の形」ができ上がっていないというのが他の独立戦争を経たアジアの国々との決定的な違いです。終戦直後朝鮮を戦勝国の信託統治にせず、独立国として認めて欲しいという動きがあったそうです。この「反信託統治」が実を結んでいれば現在の反日はなかったでしょう。当時の信託統治とは名前を変えた植民地化に過ぎなかったと言えるでしょう。「自分たちの手による統一した国造り」がidentity を確立する唯一絶対の道であることは隣国の小市民である私なんぞに言われるまでもなく、朝鮮の人達が一番よく判っている事ではないかとは思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ハリーとトント」感想

2010-01-20 21:53:16 | 映画

映画 ハリーとトント 感想
監督 ポール・マザースキー、主演 アート・カーニー、トント(猫)

旅や放浪が嫌いなはずの老人と猫が区画整理のためニューヨークの住み家を追い出されて止むなく自分の成人した子供たちを訪ねて歩くうちに多くの人達に出会うというロードムービー。旅の途中で愛猫トントに振り回されることで寄り道の多い旅になるのですが、猫は別に芸をするでもなく自然体で主人公と一緒にいるだけ(出歩きが否そうにも見える)というところが極めて猫らしく好感が持てます。老人問題を軸に据えながら、様々な世代の出会う人達、フラワーチルドレンや老インディアン、実の子供たちも結婚や事業に失敗して皆さえない人生を送っているのですが、それぞれの登場人物が悩みながらも一生懸命生きていることが描かれていて、しかも不思議な優しさや暖かさのようなものが伝わってきました。

70年代のアメリカはベトナム戦争で疲弊していたといってもまだ経済大国の余裕があり貧しいながらも何とか生きてゆくことができる時代だったのでしょう。NYの公園で友人であったポーランド生まれの老人にモルグ(死体置き場)で別れを告げるシーン、呆けてしまった昔の恋人に会いに行き、自分が判らない状態で一緒にダンスをするシーンなどところどころにジンと来る場面がちりばめられ、一生懸命生きて老人になっても死はあっけなく訪れるということを静かに語ります。そして悲しい愛猫トントとの別れも非常にあっさりと描かれます。しかしラスト30秒、新しいトントの出現の予感と子供の笑顔は、老いて死ぬ事も新しい生命と希望につながるというメッセージのように感じ、清々しさを残すラストでした。

金がかかるほどレベルがどんどん落ちてゆくアメリカ映画も「金がかかっていないのに良い映画だ」と言うものが昔からあります。例えば99年に公開されたロバートデニーロ主演の「フローレス」は性同一化障害のFSホフマン演ずるおかま(本当におかまの男優かと思いました)と退役した堅物警察官の奇妙な友情を描いた作品ですが、役者以外は全て安上がりなのに良い映画でした。97年公開の「グッドウイルハンティング」も全体は安上がりながらマットデイモン扮する数学の天才(はめられて社会から消された元大蔵官僚の高橋洋一氏とどうしても重なる)と凡人だけど良き友人(ベンアフレック)との交流が良かったですね(医師のロビンウイリアムスははまり役ですが、レナードの朝の時の方がずっと良かった)。この「ハリーとトント」はテレビでは何度か放映されたのですがDVDが発売されず最近やっと出たものです。動物ものでありながら準主役がこのさりげない扱いというのは希有な作品としてやはりお勧めでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「属国」米国の抱擁とアジアでの孤立

2010-01-14 00:46:35 | 書評
書評「属国」米国の抱擁とアジアでの孤立 ガバン・マコーマック著、新田準訳(凱風社)2008年刊

読んでも「残念」な内容の本は書評を書かないで捨て置くのが普通なのですが、この本はある程度期待して購入したのに内容があまりに「残念」なので敢えて苦言を呈することにしました。

それなりに期待をしてお金を払って購入したのに、今までに私が「残念」に思った本とは、1)日本語が読めたものではない(某経済学者が書いた経済本)。2)内容がくだらなすぎて主題を支持する意味をなさない(某日米同盟を勧める本)。3)主張が一方的な上に分析が稚拙(この本)などがあげられます。

著者はオーストラリアの国立大学教授で日本と東アジアの社会問題の研究を専門にしているそうです。この本は主に「小泉・安倍政権が米国を利する属国としての政策を行う一方で中韓に対しては日本のナショナリズムを鼓舞するような外交政策を取ったというのは何故か」ということを分析した内容なのですが、一言で表わせば「アメリカに媚びを売りやすいよう日本国内にはナショナリズムを刺激する政策を取って煙幕を張ったのだ」ということになります。その結果日本の経済は疲弊し、アメリカの戦争政策に加担することになり、中韓から反感を買う事でアジアにおいてさらに孤立することになった、というものです。

この「本の骨格」になる部分はその通りだと思いますし賛成なのですが、では何故このような政策を取ったのか、アメリカの日本の政治へのガバナンスはどうなされたのか、一方で中韓の米国へのアプローチと日本の関係は、中韓以外のアジアの国々と米国・日本との関係はどうであったのかといった専門家に聞きたいような興味深い分析はほとんど皆無です。代わりに書かれていることはアメリカの侵略主義的政策の批判、中韓が行う反日プロパガンダの忠実な反芻が何の分析も批判もなく延々と述べられているだけで結論として「中韓に言われる通りにしないから日本はアジアで孤立してこれからもアメリカの僕として属国の地位に甘んずるのだ」と書かれているだけでした。

本の内容が原著の正確な訳なのか、訳者の創作が含まれるのかはわかりませんが、「日本は戦争中残虐の限りを尽した」という表現や「在日朝鮮人は戦争中の日本による大量拉致の被害者なのだから北朝鮮の拉致問題はそれに比べれば小さな問題」といった記述はオーストラリアの学者としては歴史を知らない上に、かなり偏った日本人への人種差別と偏見の持ち主と言えますし、訳者の意見であるならば文中にそのように銘記しないやり方は原著者にも読者にも失礼なやり方です。

「東京裁判史観の否定」即「皇国史観」という脊髄反射にもうんざりしますが、日本はアメリカの属国として金品を巻き上げられるだけでなく戦争の使い走りまでやらされるぞ、という「大事な所」を突いているのですから、中韓についても「おっしゃることその通り」ではなく客観的な目で分析して正すところは正した上で建設的な未来を築いてゆけるような提言をしてくれれば大枚2500円の価値がある本になっただろうにと残念に思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代は家族重視である

2010-01-13 23:36:33 | 社会
1月も半ばになってしまいましたが、私の正月は1月3日から群馬県のスキー場にある大学の診療所に当番で3日ほど勤めることから始まりました。診療所といっても患者は応急処置のみで一日数人、風邪やスキーによる外傷の患者さんを診るだけであり、暇なときは貸与されたスキーで滑り放題というレジャーを兼ねたような勤務です。数年前にもやはり当番で来た事があったのですが、今回特に感じたのはホテルに泊まっている客が若い人達のグループよりも圧倒的に家族連れが多かったことです。冬休みの関係もあるのでしょうが数年前はもっと若い人達だけのグループやゲレンデにもスノーボードが多かったことは確かです。バブルの頃まで遡れば「私をスキーに連れてって」とばかりに猫も杓子もレジャーを満喫してスキー場もゴルフ場も若い人で溢れていたように思います。今回はお年よりを含めた家族連れが多く、スノーボードよりスキーが多かったのが印象的でした。

昨年は「婚活」が一つのキーワードでしたが、不景気で不安定な世の中になると家族の暖かさや絆というものを大切にしよう、最後に頼りになるのは家族であるという気分が国民の間にひろがって来ているのだと思います。民主党政権もそこに子供手当てなど家族を重視したような政策を当て込んだので人気を博したのだと思われます。その意味では「夫婦別姓」法案は時代に逆行していますね。

外食産業もいかに家族連れをリピーターにするかで勝ち負けが表れているように見えます。一人二千円では満腹にならず、また家でも可能な「焼き肉屋」は流行らず、一人千五百円位で満腹になり、家では上手に焼けない「ステーキ屋」の方が増加しています。若い人に人気のあった居酒屋系も縮小傾向にあります。一方で家族を念頭におきながら主婦(母親、介護者)の負担を減らすような「弁当」販売は好調のようです。現在はレジャーも通常のビジネスも家族を重視しないといけません。不景気で若い人達が元気に遊ぶ余裕がない、という気の毒な状況がいけないのであり、それは我々大人世代の責任でもあります。若い人達がレジャーを楽しめるような世の中にならないと日本は良くならないでしょう。もっともこの家族連れもお金を使わないようになってしまったら日本は本当に終わりだということになるのでしょうが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする