rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

IL-2 Sturmovik Tamiya 1/72

2020-10-24 21:00:22 | プラモデル

タミヤ製の1/72 IL-2 シュトルモヴィクを作りました。IL-2空飛ぶ重戦車と言われる地上攻撃機で、戦車T34と同じ位第二次大戦の雌雄を決する役割を果たした兵器と言って良いと思われます。第二次大戦時に作られた全ソ連機11万機のうち1/3にあたる3万4千機がIL-2だったと言われていることからもその重要性が解ると思います。スターリンから直接「空気やパンと同様赤軍にはIL-2が必要なのだ。」と評されたことからもいかにソ連軍内で重視されていたかが解ります。Strumovikとは「強襲する」という意味があり、広いロシア平原における空からの戦車機甲部隊の攻撃が主な任務です。この空からの機甲部隊攻撃の重要性は皮肉な事に日本と死闘を繰り広げた1939年のノモンハン事変で再認識されることになりました。1938年の時点で強装甲の偵察攻撃機としてIL-2は設計試作されていましたが、日本の97式軽爆が空力特性の向上で爆弾槽を胴体内に設けていたことから狙いを定めた低空降下爆撃ができず、地上攻撃に特化した機体の開発の重要性が認められIL-2やドイツのHs129に繫がって行きます。

IL-2の実機 機首が特徴的なスタイル 後席は窓が外されている。    タミヤ1/72 IL-2 シュトルモヴィク   エデュアルド製のもあるのでいずれ作ります。

 

IL-2の外見の特徴は地上攻撃がし易い様にノーズが低く長く伸びて、えぐれた様な空気取り入れ口が操縦席の前にある事ですが、これも本来地上からの攻撃に弱い液冷エンジンの冷却を装甲板に守られた胴体内で行うための工夫であり、上から取り入れた空気を胴体内の冷却装置を通して翼下に逃がす構造によります。当初単座であったIL-2も後方から100mまでMe109戦闘機に迫られて20mm機関砲で攻撃されては厚い装甲も形無しで、初期は平均14回の出撃で損失するという高い被撃墜率だったことから現場で後方に銃座が設けられフィールドモデルとして使われます。1942年からは正式に複座型が採用され以降は発展型のIL-10も複座型になります。IL-10は朝鮮戦争にも北朝鮮軍として使用され、米軍への攻撃に使われました。

ドイツ軍の1/76ハーフトラックと米軍のジープ微妙に縮尺が違いますが、大きさの比較にはなると思います。

模型はさすがに世界のタミヤ模型で安定の作りであり、1/72ながら操縦席内の作り込みも細かく、後席の銃手の席がハンモック型であることも再現されています。整合も奇麗なのですが、不要な小さな突出が初めから作られていてカッターで削り取る様に制作図で指示されています。1944年レニングラード戦線の566攻撃航空連隊の機体を作りました。下面ライトブルー、上面はライトブラウン、グリーン、ダークグレーの液体マスキングゾルを使ったスプレー迷彩にしました。攻撃される側代表で中学の頃作ったドイツ軍の8トンハーフトラックと米軍のジープと並べると空飛ぶ重戦車の大きさが解ります。小型戦闘機のポリカルポフI-16と比べても大型であると思います。

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日本のリベラルはどこに行くのか

2020-10-21 18:25:44 | 社会

日本のリベラルに限らず、世界のリベラルは一体どうしてしまったのだろうと感ずる事が最近多いです。

「欧州ポピュリズムーEU分断は避けられるか」 庄司克宏 著 ちくま新書2018年刊

 

を今読んでいるのですが、メディア等で「悪いもの」「望ましくないもの」として扱われるポピュリズムは本当に「消滅させなければ人類にとって害をなすものなのか」疑問に思います。ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳されてDi Tellaの定義によると「特権的エリートに対抗して一般大衆の利益、文化的特性および自然な感情を強調する政治運動を指す。少数派の権利に配慮することなく、直接大衆集会、国民投票や大衆民主主義を通して多数派の意思に訴える」とあります。そしてその特徴は「反リベラル」であるとされます。

 

ははあ、リベラルを自任する人はポピュリズムが嫌いだという事は分かります。では「リベラルとは何か」と言うと「立憲民主主義を骨幹とする思想」とされる場合が多いようです。私は若い頃から立憲民主主義思想一本で来たという自負があるのですが、国防・自衛隊志向であったことからリベラル派とされる人からは嫌われる事の方が多かった様に思います。本来、共産党や社会党で社会主義を目指す人は根本的にリベラルではありえないはずですが、彼らはどうも自分たちをリベラルだと勘違いしている。日本では、自民党中道左派とかハト派とか呼ばれる人たちが本来のリベラルに近い定義になると私は思います。欧州ポピュリズムは極右と揶揄される人たちが目立ちますが、ギリシャなどは左派ポピュリズムであり、左寄りだからポピュリズムではないと高を括る事はできません。社会的エリートと言われる人はリベラルを自任する人が多いと感じますが、ポピュリズムの台頭はこのエリートたちが社会の変化に付いてゆけず、大衆が望む社会を実現できなくなった事、多数決で決まるべき民主主義を社会が体現できていない事から生まれた必然ではないかと私は思います。大衆の意見こそが多数派であり、民主主義では少数派の意見も取り入れた上で最終的には実現されなければならないはずなのに多数派の意見が無視されている事が問題の根幹にあるのであり、リベラルエリートはポピュリズムを批判する資格がないだろう!と私は思います。

 

マルキシズムが全盛であった昭和の時代は右や左は各種政策や意見がワンセットになって存在していたので「思想のお勉強」をすることで理論武装ができて相手を負かせたり、レッテルを貼って相手の意見を封じる事ができました。しかし社会主義経済が消滅してマル経が全否定されると、当時の左派と言われた人たちは人権や環境を訴える以外他人のマウントを取る事ができなくなります。本来「人権や環境」は右派の人たちも重視していた事であり(ソ連や中国こそ環境汚染や人権軽視)、「だからどうした」みたいな状況で意見が噛み合わない状態が出現します。米国では左派地球市民的グローバリスト達がネオコンサーバティブ(ネオコン)と呼ばれる地球規模の資本主義経済を構築することを目指し、それが巨大資本の利害とも一致したために2000年代に入ってから大きな力を持つようになります。現在地域重視の経済を根っからの保守の人たちが「反グローバリズム運動」として展開しようとしていますが、旧来の左派の人たちは「保守や右派」とみられるのを嫌い積極的ではないように見えます。米国のトランプ政権が反グローバリズムの良い例ですが、トランプを良く言うリベラルを自任する人がいない精神的構造はこの辺にあるのでしょう。

 

米国リベラルの凋落

 

米国現地時間10月14日朝、米紙ニューヨーク・ポストは、大統領選前の「10月のサプライズ」として、バイデンの息子ハンター・バイデンのウクライナでの汚職スキャンダルに関する電子メールが、暴露されたことを報じました。 このニュースはすぐに多くの米国メディアに取り上げられ、上院国土安全保障・政府問題委員会が調査に介入することになりました。公開されたメールによると、ハンターは2015年に、父親のバイデン前副大統領をウクライナのガス会社「ブリスマ・ホールディングス」の幹部に紹介。当時、ウクライナ側の事務を担当していたバイデンは、2016年にブリスマ社の汚職事件に介入し、米国の10億ドルのウクライナ支援を保留して、ブリスマを起訴したビクター・ショーキン検察官を解雇するようウクライナに迫って脅していたとされます。それのみでなく、ハンター・バイデン氏は中国との不適切な関係も取りざたされています。しかしメジャーのマスコミは、大統領選はバイデン有利と報道するのみです。また一流の医学科学雑誌であるnatureLancetまで、ここにきて大統領選はバイデンを応援するという医学と関係ない記事を堂々と載せるようになりました。もうなりふり構わずという感じでしょうか。医学雑誌がバイデンを支持する理由はトランプが非科学的な対応を取って新型コロナ感染症の犠牲者を増やしたということですが、根本的にすべての国民が低価格で最善の医療を受けられる欧州や日本の様な「国民皆保険制度」というシステムがない事がCovid19対策においても米国医療の最大の欠点であるのに、それに言及せずバイデンを支持すれば米国民の健康が増進すると医学雑誌が表明するとは呆れ果てた物です。「製薬会社や医療産業が怖くてとても金儲け主義医療を批判するような記事は書けない」バイデン支持を打ち出すことで協賛支援金をもっと下さい、が本音でしょう。

バイデン氏支持を表明するnatureとlancetの記事

 

欧米のリベラルがボロボロの状態なのですから、日本のリベラルを自任する人たちが見る影もないのは致し方ないことかも知れません。

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ディストピアへの道

2020-10-13 15:58:10 | 社会

I. ディストピアへの道

前記事のコメントにも記したのですが、世界はディストピアに向かって進んでいるように見えます。

ディストピアは夢の世界ユートピアの逆の世界として、J.Owellの小説1984に象徴される完全なる管理社会として描かれる事が多いと思います。特徴として管理される「一般市民」の側は、自分たちが自由で平等で安全と信じてしまっているのですが、実際は当局が許す範囲の中で自由だが、その範囲から逸脱することは「社会秩序を乱す」と見なされ許されない。平等とは「管理される集団の中で平等」という意味で決して管理する側とは平等ではない。また安全を保障されているのですが、「体制に絶対に逆らわない限り」という条件が付きます。

今の「コロナ後の社会」はまさにその方向に向かっている気がします。コロナ対策に対してはどんな議論も許されるけれど、「過剰なコロナ対策不要では?」という根本的な疑問については絶対議論を許さない(you tubeもツイッターも)。コロナを予防するためには、安全、安心の名の下にどんな行動制限もかけ放題。無駄だろうが金がかかろうがPCRさえやれば安心と信じ込ませる。完成してもおらず、誰も使ったことのないワクチンでも全員が投与すれば元の社会生活が送れると幻想を抱かせる。コロナパンデミックは戦時下と同じで戒厳令と同等という議論にマスコミは異を唱えないという世界です。

先日ケーブルテレビで2017年にカナダで製作されたディストピア2049(原題Defective リース・イブネシェン監督・脚本、コリン・パラディン主演)という映画を見ました。チープな作りでB級SF作品であり、都合よい展開や不要なグロ場面満載でした。あらすじとしては「2049年激増する暴動や犯罪を取り締まるため、政府はSEA(州取締局)という機関を設立。国民はスーツと呼ばれる武装した兵士(ピースキーパー)とドローンに徹底して監視され、反社会的な行動を取った者は直ちに逮捕、教育、或いは処刑される。国民は皆社会が平和で犯罪がなくなったと歓迎しているのですが、これを操っている中枢は異星人でチップを埋め込まれた人間が完全に一つの中央コントロールの支配下にスーツとして動いている」という物。今一つの作品なのですが、ほんの5-6秒でしたが、ディストピア完成に向けて民衆を支配する極意のような物がエッセンスとして紹介される場面がありました。

 

〇 民衆に恐怖を与え、その恐怖から解放すると思わせる事で民衆は進んで権威に従う。

新型コロナ感染症という恐怖は正にこれです。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」でも信長が10万の兵を率いて京に上り街を焼き払うという噂で恐怖を与えた上で、「鎧を脱いで新足利将軍と上洛」することで民衆の安心を買うという筋がありましたが「時宜を得た」内容でした。

〇 取り締まる権威は、始めは優しく、あくまで民衆の味方であると思わせる。

〇 次第に取締りを厳しくし、秩序に従わない者は民衆にも分かる様に厳しく処罰する。

〇 取締りに誰も逆らわなくなった時、支配は完成する。

 

細かい表現は間違っているかも知れませんが、概ねこんな内容でした。自粛警察などという市民自ら同じ市民を取り締まる輩まで登場し、コロナ恐怖によるディストピアは第二段階にある様に見えます。次の段階はコロナ対策のための当局の制限に服さない者は社会活動を停止する(ワクチンパスポートとか定期的PCR陰性証明の必要な移動制限とか)。貨幣のデジタル化(何とかペイ)で生きてゆくための売買制限もこれから簡単にできるようになるでしょう。それが第三段階。そこまでくれば支配完成まであと一息(こうなったのは中国のせいと思い込ませて世界戦争に導く?)です。この映画の価値はこの場面だけと言えるかも知れません。

 

II.  「過剰なコロナ対策はもう要らないのでは」という根源的な問い

 

ディストピアを目指すメディアは報道しませんが、私がコロナの現状を紹介するときに必ず最初に感染者数と死亡率のワールドメーターの資料を出すのは「本当に過剰なコロナ対策が必要かを問いたい」からです。感染力は強くても毒性(或いは宿主の側の免疫力)が変化して死亡者が減少し、コロナは怖くなくなってきていると思います。以下に最近のこれに関する話題をいくつか紹介します。

 

〇 CDCは10/3新型コロナ感染症の感染が確認され、死亡した患者の内、純粋に新型コロナ感染症のみによる死亡は全死亡者の6%で他の死亡者は平均2.6個の糖尿病や心疾患などの合併症があると発表。また全体の死亡者数も減少しているとも発表した。

CDC発表の死亡者数推移のグラフ

〇 WHOは10/5Covid19の感染死亡率(IFR) を0.13%と発表。 日本は0.01%。季節性インフルエンザは0.1%が一般的なIFRであり(日本はもっと少ない)、新型コロナ感染症は季節性インフルの感染死亡率と同等になってきています。

 

〇 新研究による他のコロナウイルスに対する免疫や風邪ウイルスへの免疫が予防に役立っている可能性

SARSCoV2に対するT細胞反応が感染や接触がない人たちからも得られているという報告が相次いでいて、仮説ながら日本を含むアジアや欧米でもコロナにかかりにくい免疫力の人がいる機序が解明されつつあります。これは一般的な風邪(common cold)にかかった時のT細胞免疫が関係していると推察されています。またSARSCoV2感染回復者の各種抗体にはそのほかのコロナウイルスへの交叉耐性を認める抗体が多く含まれることから、他のコロナにかかった既往が新型コロナへの感染予防にもなっていることが推察されています。怪しげなワクチンより風邪にかかった既往の方がよほど安全の様に思います。

 

III.  演繹法においては出発時の前提が誤りならば途中の論理展開が正しくても結論は誤り

 

経験知の集積で結論を導く帰納法によって得られた結論は大体正しく皆が納得できる物が多い(勿論誤りもありますが)です。保守的な思想は長年の経験知によって得られた物が多いと思われます。一方で自然科学や西洋医学は演繹法によるので前提が正しく、論理展開も正しければ多くの帰納的結論や実験を経なくても正しい結論が得られます。ノーベル賞受賞の本庶先生の新しい免疫理論を前提にした抗がん剤治療がすでに世界中で行われ、多くの実績を上げていることからも明らかです。

始めに記した様に、「新型コロナ感染症はSARS型の抑え込みが必要で季節性インフルと同様の対応ではいけない」のは何故か、という根源的な問いを私はコロナ感染症が流行し始めた当初から問い続けてきましたが、この演繹法的「前提」となる問題を正面から扱ったメディアを見たことがありません。とにかく「抑え込んで収束させる」という前提からすべての議論が始まっており、途中の論理展開をノーベル賞学者などにさせる事で「権威付け」が行われ、本庶先生が、山中先生が、西浦先生が・(こう述べている)・と権威づけた論理と結論をメディアや素人である市民が我々リアルワールドの医療者に突きつける事で実地医家が抱く根源的問いは封じ込められます。

欧米でも実地医家や多くの科学者達は当初から疑問の声を上げてきた事は以前も私のブログでも紹介してきました。今回欧州の科学者たち5000名以上がバリントン宣言という形でリスクの少ない一般市民は普通の生活に戻ろうという声明を出しましたが、日本では報道されていないようです。PCRについても「やりすぎはfalse positiveを招く」と下に示す様に実地医家の報告、FDAのファクトシートや一部メディアでは報道もされるのですが、なかなか紹介されません(特異度は陰性コントロールを用いて96-98%と記されている)。

バリントン宣言のページ          2020年6月公表のFDAのファクトシート2ページ目

 

「新型コロナ感染症は季節性インフルと同じ扱いではいけないのか?」と問われる事はディストピアへの道が閉ざされる恐れがあり、ディストピアを目指す人たちが最も恐れている事です。ノーベル賞の偉い先生達は利用されるだけではなく、ぜひこの根源的問いを発する「勇気」を持ってほしいものです。

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新型コロナ感染症対策の今後

2020-10-06 20:05:21 | 医療

大統領選挙を前にした米国トランプ大統領が民主党バイデン候補との討論会の後新型コロナ感染症を発症し(感染したのは新最高裁判事任命式典の頃と言われている)、陸軍病院に入院しましたが、本日退院してホワイトハウスに戻ったようです。試験中の抗体試薬を投与したとかレムデシベルを使用したと言われていますが、実際どの程度の病態であったのかは不明です。英国のジョンソン首相よりは軽く済んだと思われ、世界的に言われているウイルスの弱毒化を反映しているかも知れません。

 

I.  ウイルスの病原性について世界の動向は変化なし

 

私は、ブログで世界中の感染者、回復者、死者の集計をしているWorld meterを以前から一次参考資料として提示してきましたが、感染者数は増加しても回復者数も増加し、死者は減少し続けているという傾向は変わりありません(下図)。ウイルスの感染力は強いままですが毒性は低下しているようです。

世界では日々の感染者数は横ばいで回復者は増加している。        死亡率は4月以降低下し続けている。

 

II.  経済再開後第二波は起こったか

 

南米は第一波が継続していると考えると、強力な行動封鎖索で第一波の感染拡大を抑え、経済活動を再開させた後、感染者数はやや増加しましたが、横ばい傾向が続いており、回復者数も増加して結局緩やかな集団免疫策を行っている結果になっているように見えます。

大量に患者が出ている国が世界の患者数を押し上げている。          世界の趨勢からは日本や韓国、ドイツ、スウエーデンといった国は第二波などと言えないと思う。

 

III.  新型コロナ感染症患者が他人を感染させる期間は10日間

 

新型コロナ感染症の感染で季節性インフルエンザと大きく異なる特徴は下図に示す様に、「発症前の2日間が最もウイルス排泄量が多く感染拡大させる」という点にあります。季節性インフルエンザは発症して熱が出て他人への感染力も増加するので本人も周囲も気を付ければ感染拡大を防ぐことができますが、新型コロナの厄介な所は無症状で発症前が最も伝染力が強いという事です。だから予防的に健康に見える人たちまで皆でマスクをしたり間隔をあけたりする事が有用になるのです。

ウイルスを排出する約10日の期間が過ぎると、以降はPCRが陽性であっても生きたウイルスはいない(断片のみ)と考えられています。この事実に従って厚労省は6月の時点で新型コロナ感染症患者の退院の基準を「発症から10日経過し、かつ症状軽快から72時間経過」していることと定めています。

 

IV.  無症状PCR陽性者はその後どうなるか

 

集計によると、無症状(潜伏期)でPCRを受け、陽性と判定された人の7割が程度は種々あるもののコロナ感染症が発症するようです。しかし3割は発症せず終わります。他人への感染力を発揮するのは前述の様に発症前2日と言われているのでほぼ無症状で終わる人は他人に感染させる事もないと思われます。PCRで陽性と言われれば毎日わずかな健康の変化も注意して過ごすので7割というのは多い数字に見えますが、新型コロナ感染症は8割が発症しても軽い感冒症状程度なので、PCRをたまたま受けない限りは知らないうちに感染して終わっている可能性もあります。

 

V.  マスク・手洗いがやはり予防に有効

 

米国で2名の美容師が発症しましたが、発症前の2日間に濃厚接触の形で整髪した140名の客は美容師、客共に全員がマスクを着用していたので一人も感染しなかったという学術報告があります。米国CDCの責任者が「ワクチンよりマスクの方が、予防効果がある」とコメントしたのはその通りです。

 

VI.  PCR検査を沢山行うと感染拡大を防げるのか

 

科学的にはすでに否定されていると思いますが、未だにPCR検査を沢山やれば良いと言う根強い意見があります。以下に例を上げて説明します。感度とはある検査が病気のある人を陽性と判定する確率を言います。特異度とは本当に陰性である人のうち、検査で陰性と判定された人の割合を示し、どちらも高い方が良い検査になります。一般的にPCR検査の感度は70%、特異度99%と言われています。

人口10万人の市で一斉に市民全員にPCR検査を行うと仮定します。費用は一件手数料入れずに1.6万円程かかりますので10万人で16億円かかります。10万都市の1年間に集める市民税の合計は40億円程度なので、16億円はその40%に相当する高額です。

2020年10月5日現在、日本の新型コロナ感染症陽性者の集計は概ね85,700名、回復者は78,600名で、死者は1,600名です。現在有病者は全国で5,530名という事になり、1.2億人の人口で有病率は約0.05%になります。真の有病率はもっと高いでしょうが、かなり大きく見積もって20倍の0.1%と仮定します。

10万人に検査をして有病者は0.1%の100名とすると、感度70%のPCR検査で70名が陽性と判定され、30名は陰性とされます。一方、特異度99%で1%は偽陽性の判定が出てしまう可能性があり、999人(真陰性の人数/感染なしの人数=98901/99900が特異度)は感染がないのにコロナ陽性と判定されます。結果1000人近い人が無駄な隔離や入院をする可能性が出てしまいます。実際の世界で行われているPCR検査はより感染の可能性が高い人を対象にしているので有病率を5%程度に推定していますが、それでも特異度99%で10万人あたり950名が無駄な隔離をされることになります。また5%の有病率では1,500人は感染があるのに陰性と判定されるので結局感染拡大を防ぐ事はできません。PCRをやみくもに増やせば良いという意見が科学的でない事が理解いただけたでしょうか。

一方有病率50%が予想される、例えば性病のクラミジア尿道炎でクラミジア感染を確認するために尿中PCR検査を行ったとします。100人の尿道炎患者に行うと同じ感度、特異度とすれば、35人が陽性、15人が偽陰性、0.5人が偽陽性(ほぼ0人)になります。陰性であった65人に2回目の検査を行うと偽陰性は3-4人まで減らし、偽陽性は一人程度になり、このPCR検査は大変有用で優れた診断法であることが分かります。初めから疾患が強く疑われる集団に対して検査を行う(日本の医療界がコロナ感染症に対して行ってきた方法)正しさが分かると思います。

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書評 危機の正体 コロナ時代を生き抜く技法

2020-10-02 16:46:09 | 書評

書評 「危機の正体」 コロナ時代を生き抜く技法 佐藤 優 著 朝日新書 2020年8月刊

 

コロナに関する書籍が店頭に沢山並ぶようになりました。医学的な面については2020年1月の時点からrakitarouとしては分析を出していて「メディアなどで喧伝される内容」とは一部異なるものの最終的には私のCovid 19についての医学的分析に誤りはない結果になったと自負しています。またCovid 19に対する人間社会の対応は「コロナファシズム」だと私は指摘し続けてきましたが、同様の指摘をする書籍メディアも増えてきました。その様な中で本書は多作ながら毎回きめ細かい分析と鋭い指摘をされる佐藤優氏らしい内容であると思いました。

 

大きな特徴は、コロナ危機を「神学における悪」から分類、分析している点だと思いました。分かりやすく大きな構成内容を目次の形に示してゆきます。

 

本書の構成は (カッコ内はrakitarouが内容をまとめたもの)

序章  新しい日常を強いる権力の存在 (知らぬうちに型に嵌められた生活へ)

第一章 リスクとクライシスの間で   (政府社会が感染症対策にもがくうちにこうなった)

第二章 食事の仕方に口を出す異様さ  (日本を含む各国社会が強制したシナリオ)

第三章 繰り返されるニューノーマル  (新しい生活様式は昔からひな形があった)

第四章 企業と教育界に激震      (社会の変化からの経済、教育界への激震)

第五章 コロナ下に起きた安全保障の異変(イージスアショア中止と沖縄問題)

 

となっています。コロナ関連の書籍も種々の内容がありますが、氏は医学者ではなく社会学者なので上に示した様に医学的内容よりは社会学的な内容が主体になっています。特にその危機の捉え方については「あとがき」を読むことですっきりと腑に落ちる所がありました。氏はキリスト者であり、神学にも詳しいので彼らしい分析になったと思います。以下にあとがきの一部を引用します。

 

(引用はじめ)

 

神義論では、悪を3つの分野に分けて考える。悪の本質や起源について考察する形而上的悪、天災、地変や感染症がもたらす自然悪、戦争や貧困など人間が起こす道徳悪の3分野だ。(中略)人間には例外なく罪が内在していると考える。罪が形をとると悪になる。本人が自覚していなくても人間は悪を行うという前提に立たないと危機の正体をとらえる事はできないと思う。

(中略)新型コロナウイルス自体は自然悪の問題だ。しかしそれに対する人間の不作為並びに間違った政策、あるいはわれわれ一人ひとりの立ち居振る舞いに関する問題は、道徳悪に属する。

(中略)本書で繰り返し指摘したように、新型コロナウイルス対策の過程で国家機能が強まっている。国家機能の内部では、司法権と立法権に対して行政権が優位になっている。行政府の自粛要請に応じて、危機を克服するというアプローチが所与の条件下ではもっとも合理的であることは事実だ。しかし、この日本型の解決策は、ハーバーマスが指摘する「自由なき福祉」そのものだ。(中略)主観的には首相官邸の政治家と官僚、霞が関(中央省庁)の官僚が国家と国民を守るために全力で働いていることが私には皮膚感覚で分かる。しかし、主観的に真面目である政治家や官僚ほど、自らが抱える悪がみえなくなってしまうのだ。その悲喜劇的構造を本書で明らかにしたかった。

 

(引用終わり)

 

消毒、social distance、都市閉鎖など国や社会によって程度に差はありますが、結果的にコロナ前の社会と大きく変容した社会生活を全世界の人々が強制されているのが現在の姿です。新型コロナ感染症の自然悪については、「強い感染力」と「低い死亡率」という特徴が規定事実になっており、この事実から導かれる「自然悪の程度」もこれから先変わることはないでしょう。しかしこの感染症に対して「人間社会が取った対応で被る各個人への被害」は道徳悪に類するものであり、その「悪の程度」はこれからどこまで拡大するか未知の分野です。厄介であるのはこの道徳悪はだれかが悪意を持って意図的に仕組んだ「陰謀のシナリオ」に沿ったものではなく、著者が指摘するように善良なる政治家、官僚が国家と国民を守るために全力で働いた結果であるという点です。

専門知識がある医師、科学者であっても、未知のウイルスを前にした時、専門的知識と経験から「このウイルスはこの程度」という予測はできても政府から正式に委託されて助言を求められれば安全策を講じた内容を答えざるを得ません(私でもそうしたでしょう)。WHOの職員と言えども、未知のウイルスを前にすれば我々医学者と同程度の能力でしかも国際機関の官僚、縦社会の一員に過ぎず、「米国や中国に忖度せねば公式声明を出せない」縛りだらけの存在です。しかしWHOとして何等かの声明が出されれば、各国政府やその下部で働く医師たちはその声明を尊重せざるを得ません。

私や他国の医師たちが政府の対応を「コロナファシズム」と批判していますが、それは善意に基づいたその時最善と考えられた処置だったと言われれば否定はできないでしょう。そしてこの「善意に基づく処置が様々な道徳悪を世界中の人々にもたらした」事も事実ですから、現在の「危機の本質」とはこの道徳悪の事であり、〇 個人はこの道徳悪にいかに実生活において対応するか、〇 また為政者、官僚は善意に基づく結果としての道徳悪にどう改善策を講ずるか、という点こそ佐藤優氏が本書で主張したい事だと思いました。

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