I. ディストピアへの道
前記事のコメントにも記したのですが、世界はディストピアに向かって進んでいるように見えます。
ディストピアは夢の世界ユートピアの逆の世界として、J.Owellの小説1984に象徴される完全なる管理社会として描かれる事が多いと思います。特徴として管理される「一般市民」の側は、自分たちが自由で平等で安全と信じてしまっているのですが、実際は当局が許す範囲の中で自由だが、その範囲から逸脱することは「社会秩序を乱す」と見なされ許されない。平等とは「管理される集団の中で平等」という意味で決して管理する側とは平等ではない。また安全を保障されているのですが、「体制に絶対に逆らわない限り」という条件が付きます。
今の「コロナ後の社会」はまさにその方向に向かっている気がします。コロナ対策に対してはどんな議論も許されるけれど、「過剰なコロナ対策不要では?」という根本的な疑問については絶対議論を許さない(you tubeもツイッターも)。コロナを予防するためには、安全、安心の名の下にどんな行動制限もかけ放題。無駄だろうが金がかかろうがPCRさえやれば安心と信じ込ませる。完成してもおらず、誰も使ったことのないワクチンでも全員が投与すれば元の社会生活が送れると幻想を抱かせる。コロナパンデミックは戦時下と同じで戒厳令と同等という議論にマスコミは異を唱えないという世界です。
先日ケーブルテレビで2017年にカナダで製作されたディストピア2049(原題Defective リース・イブネシェン監督・脚本、コリン・パラディン主演)という映画を見ました。チープな作りでB級SF作品であり、都合よい展開や不要なグロ場面満載でした。あらすじとしては「2049年激増する暴動や犯罪を取り締まるため、政府はSEA(州取締局)という機関を設立。国民はスーツと呼ばれる武装した兵士(ピースキーパー)とドローンに徹底して監視され、反社会的な行動を取った者は直ちに逮捕、教育、或いは処刑される。国民は皆社会が平和で犯罪がなくなったと歓迎しているのですが、これを操っている中枢は異星人でチップを埋め込まれた人間が完全に一つの中央コントロールの支配下にスーツとして動いている」という物。今一つの作品なのですが、ほんの5-6秒でしたが、ディストピア完成に向けて民衆を支配する極意のような物がエッセンスとして紹介される場面がありました。
〇 民衆に恐怖を与え、その恐怖から解放すると思わせる事で民衆は進んで権威に従う。
新型コロナ感染症という恐怖は正にこれです。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」でも信長が10万の兵を率いて京に上り街を焼き払うという噂で恐怖を与えた上で、「鎧を脱いで新足利将軍と上洛」することで民衆の安心を買うという筋がありましたが「時宜を得た」内容でした。
〇 取り締まる権威は、始めは優しく、あくまで民衆の味方であると思わせる。
〇 次第に取締りを厳しくし、秩序に従わない者は民衆にも分かる様に厳しく処罰する。
〇 取締りに誰も逆らわなくなった時、支配は完成する。
細かい表現は間違っているかも知れませんが、概ねこんな内容でした。自粛警察などという市民自ら同じ市民を取り締まる輩まで登場し、コロナ恐怖によるディストピアは第二段階にある様に見えます。次の段階はコロナ対策のための当局の制限に服さない者は社会活動を停止する(ワクチンパスポートとか定期的PCR陰性証明の必要な移動制限とか)。貨幣のデジタル化(何とかペイ)で生きてゆくための売買制限もこれから簡単にできるようになるでしょう。それが第三段階。そこまでくれば支配完成まであと一息(こうなったのは中国のせいと思い込ませて世界戦争に導く?)です。この映画の価値はこの場面だけと言えるかも知れません。
II. 「過剰なコロナ対策はもう要らないのでは」という根源的な問い
ディストピアを目指すメディアは報道しませんが、私がコロナの現状を紹介するときに必ず最初に感染者数と死亡率のワールドメーターの資料を出すのは「本当に過剰なコロナ対策が必要かを問いたい」からです。感染力は強くても毒性(或いは宿主の側の免疫力)が変化して死亡者が減少し、コロナは怖くなくなってきていると思います。以下に最近のこれに関する話題をいくつか紹介します。
〇 CDCは10/3新型コロナ感染症の感染が確認され、死亡した患者の内、純粋に新型コロナ感染症のみによる死亡は全死亡者の6%で他の死亡者は平均2.6個の糖尿病や心疾患などの合併症があると発表。また全体の死亡者数も減少しているとも発表した。
CDC発表の死亡者数推移のグラフ
〇 WHOは10/5Covid19の感染死亡率(IFR) を0.13%と発表。 日本は0.01%。季節性インフルエンザは0.1%が一般的なIFRであり(日本はもっと少ない)、新型コロナ感染症は季節性インフルの感染死亡率と同等になってきています。
〇 新研究による他のコロナウイルスに対する免疫や風邪ウイルスへの免疫が予防に役立っている可能性
SARSCoV2に対するT細胞反応が感染や接触がない人たちからも得られているという報告が相次いでいて、仮説ながら日本を含むアジアや欧米でもコロナにかかりにくい免疫力の人がいる機序が解明されつつあります。これは一般的な風邪(common cold)にかかった時のT細胞免疫が関係していると推察されています。またSARSCoV2感染回復者の各種抗体にはそのほかのコロナウイルスへの交叉耐性を認める抗体が多く含まれることから、他のコロナにかかった既往が新型コロナへの感染予防にもなっていることが推察されています。怪しげなワクチンより風邪にかかった既往の方がよほど安全の様に思います。
III. 演繹法においては出発時の前提が誤りならば途中の論理展開が正しくても結論は誤り
経験知の集積で結論を導く帰納法によって得られた結論は大体正しく皆が納得できる物が多い(勿論誤りもありますが)です。保守的な思想は長年の経験知によって得られた物が多いと思われます。一方で自然科学や西洋医学は演繹法によるので前提が正しく、論理展開も正しければ多くの帰納的結論や実験を経なくても正しい結論が得られます。ノーベル賞受賞の本庶先生の新しい免疫理論を前提にした抗がん剤治療がすでに世界中で行われ、多くの実績を上げていることからも明らかです。
始めに記した様に、「新型コロナ感染症はSARS型の抑え込みが必要で季節性インフルと同様の対応ではいけない」のは何故か、という根源的な問いを私はコロナ感染症が流行し始めた当初から問い続けてきましたが、この演繹法的「前提」となる問題を正面から扱ったメディアを見たことがありません。とにかく「抑え込んで収束させる」という前提からすべての議論が始まっており、途中の論理展開をノーベル賞学者などにさせる事で「権威付け」が行われ、本庶先生が、山中先生が、西浦先生が・(こう述べている)・と権威づけた論理と結論をメディアや素人である市民が我々リアルワールドの医療者に突きつける事で実地医家が抱く根源的問いは封じ込められます。
欧米でも実地医家や多くの科学者達は当初から疑問の声を上げてきた事は以前も私のブログでも紹介してきました。今回欧州の科学者たち5000名以上がバリントン宣言という形でリスクの少ない一般市民は普通の生活に戻ろうという声明を出しましたが、日本では報道されていないようです。PCRについても「やりすぎはfalse positiveを招く」と下に示す様に実地医家の報告、FDAのファクトシートや一部メディアでは報道もされるのですが、なかなか紹介されません(特異度は陰性コントロールを用いて96-98%と記されている)。
バリントン宣言のページ 2020年6月公表のFDAのファクトシート2ページ目
「新型コロナ感染症は季節性インフルと同じ扱いではいけないのか?」と問われる事はディストピアへの道が閉ざされる恐れがあり、ディストピアを目指す人たちが最も恐れている事です。ノーベル賞の偉い先生達は利用されるだけではなく、ぜひこの根源的問いを発する「勇気」を持ってほしいものです。