rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

組織のトップは理系技術者にするべきだ

2011-03-31 00:30:11 | 社会

適材適所という言葉通り、組織のトップになるべき人材、なるべき器の人がトップになっていれば何の問題もないと思います。普段は昼行灯のようでも組織の長として責任を持って決断を下さないといけない状態になったときに決断を下せる人間が組織のトップに座るべきです。事務的経理的作業をそつなくこなせるだけの人、経営手腕だけが飛び抜けた人がトップに立つと短期的には良い結果を出すかも知れませんが長期的にその組織が発展する可能性は低くなると言えましょう。そういった人達はむしろナンバー2としてトップを補佐する事で才能を活かすべきでしょう。

 

東京電力の社長は心労で入院してしまったらしいですが、「大事故が起こったら自分が全責任を持って指揮を摂る、仕事を終えたら燃え盛る火の中に飛び込んで死ぬ」などという覚悟など全く無く、サラリーマン生活の花道に社長になって辞めて将来叙勲してもらおう、という程度の人間だったのかなと思ってしまいます。「津波は想定内だった」という記事が紹介されたので引用します。

 

(引用はじめ)

 

 東日本巨大地震が起きた震源域内では、約1100年前にも巨大地震が起き、宮城福島県沿岸部を中心に「貞観(じょうがん)津波」と呼ばれる大津波をもたらしたことが、産業技術総合研究所などの調査で判明している。

 

 福島第一原発を襲った今回の津波について、東京電力は「想定外」(清水正孝社長)としているが、研究者は2009年、同原発の想定津波の高さについて貞観津波の高さを反映して見直すよう迫っていた。しかし、東電と原子力安全・保安院は見直しを先送りした。

 869年の貞観津波が痕跡を残した堆積層が見つかったのは、宮城県石巻市から福島県浪江町にかけて。海岸線から内陸3~4キロまで浸水していたことが分かった。貞観津波の450年前に大津波が起きたことも判明。貞観津波クラスが、450~800年間隔で起きていた可能性がある。産総研活断層・地震研究センターの岡村行信センター長は同原発の想定津波の見直しを迫ったが、聞き入れられなかったという。

2011年3月30日09時33分  読売新聞)(引用終わり)

 

10年先か、100年先か分らないけれど(実際には2年先だった)より大きな津波に対応できるよう施設の補強をするべきだ、という決断は実際に施設で働いて安全管理をしている技術者の心情を理解できる人間でなければできない相談でしょう。費用対効果や経営感覚を問われた場合に「それでも安全対策が必要だ」と反対を押し切ってでもコストをかけて安全対策をするのは事務系上がりの社長には不可能な決断です。

 

日本の製造業は技術系の創業者が社長をしているうちは大胆な発想としっかりした起業精神があって大きく飛躍をするけれど、東大出の事務屋がサラリーマン社長になるにつれて衰退するという傾向があります(S社やT社)。企業でも組織でもそのトップに求められるのは経営感覚ではなくて「精神」です。80年代のバブルの時にも地方の小さな信金や地銀には土地バブルに躍らされる事なく地元企業を大事にする手堅い経営をしてバブル崩壊後も不良債権を抱えずにすんだ所もありました。バブルの時には「うちのおやじ(社長)は経営感覚がないから」とか「時代を理解していない」とか散々批難されたと思いますが、自社の寄って立つ「精神」を堅持しつづけたトップが最後まで生き残っていったのです。

 

以前「理想の上司論」を書いた時に、理想の上司とは「普段は部下を信頼して仕事を任せるが、上司として責任を持って決断しなければいけない時には全責任を持って決断する上司」歴史上の人物だと西郷従道とか大山巌とか、ということを書きました。自分は西郷、大山の足元にも及びませんができるだけそうありたいと思っています。翻って今この緊急事態の日本において西郷、大山として振る舞わねばならない立場の人達はそのように振る舞っているでしょうか。一日2回は国民の前に顔を出して「現状はこうで、次はこのようにする」といった国内・国外への展望を総理大臣は語っているでしょうか。(総理は原発の細かい説明などする必要はないです)

 

以下はかなり独善的な分析になるかも知れませんが、同じ医師の中でも内科系と外科系では気質に随分違いがあって、どちらかというと内科系の方が「役人的」、外科系の方が「技術者的」性格が強いと言えます。広い視野でマネージメントするには内科系の医師の方が適しているように見えますが、ここぞという決断は外科系医師の方が思い切って下せるように思います。外科医というのは自分が下手を打てば手術中に患者が死にます。定石に外れることであっても瞬時に決断して実行することを日々求められます。そしてその結果は明らかな医学的現実として厳しく目の前に呈示されてしまいます。勿論内科も同じ厳しさはありますが、外科ほどではない、まして予防医療を行なっている連中はその手の厳しさが否でリスクのない医療を行なっているのですから「非常時の決断」といった場面では使い物にならないと言えます。私も昨日行なった大きな腎癌の手術で、定石では動静脈を別々に結紮して腎を取り出すのですが、腫瘍が大きく、剥離中うっ血した腎からの出血が増加してきたので思い切って腎頚部をサティンスキー鉗子で大きく挟んで腎臓を摘出して後から血管の処理をしました。十二指腸や下大静脈を傷つけるリスクもあったのですが、結果的に500ml程度の出血で抑えられたし、患者さんは今日元気に起き上がっているから良かったと思います。私の決断は国家の一大事などではありませんが、やっている時は頭の中はフル回転でアドレナリン全開で手術をしています。

 

病院は平時は内科系院長、危機時は外科系院長が良いとも言われますが、それは適材適所の原則からある程度あたっているようです。失われた20年などと言いながら、企業・組織のトップは本当に適材適所の器の人材を選んできたでしょうか。「精神と決断力」のないトップを選ぶ限り、その組織の将来は暗いということに早く気がつくべきでしょう。そのためにはトップは文系(事務屋)の人間よりも理系(技術屋)の方が良くないですか。

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原発事故はFukushima Incidentとして独自に歴史に残るだろう

2011-03-24 22:18:58 | 社会

本日3月23日の段階では、福島第一原発事故の収束の見通しが全くつかない状態です。専門家と称する人達も核燃料の再溶融(メルトダウン)はおきないとか言いながら、燃料は1000度位には発熱して火災は起きる(核分裂反応は続いているから)と言っています。放射線被害も大量の急性被爆が一般住民におこることがない位のことは私にも解りますが、建物が崩壊して数千本の燃料棒が露出して発熱していて、それを閉じこめる手段がないのですから、そこから空気中に出されて拡散してしまった放射性物質によって、少量の慢性被爆がかなり広範囲の国民に長期間、間違いなく起こると思います。しかも「この原発は急性期を運良く脱しても放射能汚染を年単位で今後も出し続ける」ということを大前健一氏位しか明言していないのも問題です。

 

東京でも水道から放射能が既定値以上検出されて、乳児のミルクには使用しない方が良いと言われはじめました。空中線量が少なくても確実に放射性物質が大量に空中に放出され続けている(海中にも撒かれ続けているのですが)し、今後も年単位で空中に放出され続けることが明らかなのですから、その事実を前提に今後関東以北の国民はどう対応するべきかをそろそろ議論してゆくべきではないかと思います。

 

私は、まず妊婦さん、乳幼児、未成年者は少量であっても放射線被爆には成人よりも障害が出やすいことから、集団疎開をこの先1−2ヶ月かかって行なう準備をしてはどうでしょうか。期間は半年から一年として中京地区以西にしてはどうかと思います。贅沢をする必要はないのですから、子供手当の予算を使えば可能な額と思われます。小中学生は保護者も同伴しないと難しいでしょうが、父親が単身赴任をしていることの逆を行なうと思えばそのような家庭は珍しくもないでしょう。疎開先はこの際なので過疎が進む田舎が良いのではないでしょうか。気に入ればそのままそこに住んでもらって第二の故郷になっても良いでしょうし。

 

国立がんセンターではすでに福島市などに放射線量サーベイのため医師団を派遣しており、その結果原発に直接近づかなくても現在十分汚染が進んでいるという結果が報告されています。

 

(以下sonet m3医療維新からの引用)

国立がん研究センターが、3月17日に派遣した福島県への「スクリーニング支援団」が3月20日に帰京、担当医師らが持参したモニター線量計による派遣期間の被ばく量は、60μSv(マイクロシーベルト)だったことを明らかにした。同日程で宮城県仙台市に派遣した「医療支援団」の場合は、26μSv。

 現在、他の地域より高い放射線量が観測されているのが福島市。後述のように、同市および近郊に約2日間滞在しており、このレベルが1年間続いたとすると、その線量は約10mSvと推計される。例えば、国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、放射線作業者の線量限度は5年間で計100mSv、かつ1年間では50mSvが上限値として設定されている。

 また、3月20日の朝における、福島県庁前の駐車場でのGMサーベイメータによる測定では、地面から1cmの場所で2万4300cpm、空間線量(地上から高さ1mで測定)は5000cpmだった。サーベイメータの場合、検出できる核種が分からないことなどから、シーベルト換算は難しいという。

 「スクリーニング支援団」のメンバー、国立がん研究センター中央病院放射線治療科科長の伊丹純氏は、同日の記者会見で、スクリーニング結果なども踏まえ、「行く前の想定よりも高い値だった」と語った。

 「スクリーニング支援団」は、福島第一原子力発電所の事故を受け、避難所の被災者などの放射線物質の汚染の有無をスクリーニング検査することを目的に派遣された。(中略) スクリーニング検査は、1130人を対象に実施。GMサーベイメータによる測定で、1万3000cpm以上10万cpm未満は24人、全身除染対象の10万cpm以上は4人だった。「4人はいずれもふき取り除染が可能だった」(伊丹氏)。福島県は当初、「県緊急被ばく用活動マニュアル」に基づき、1万3000cpm以上を全身除染対象としていたが、3月13日に専門家を交えた検討の結果、3月14日から10万cpm以上に変更している。「基準の変更は、除染対象者が多くなるためだと思われる。ただし、他県では、1万3000cpm以上を全身除染の対象としており、整合性は取れていない」(伊丹氏)。

(引用終わり)

 

成人については避難地域を除いて現地で頑張って日本の復興に努めるのがよいと思います。少量放射線の慢性被爆は政府が言うように「ただちに健康被害が出る事はありません」。今後健康なまま天寿を全うする人もいるでしょうし、被爆と関係なく病気になる人もいる。ただし長期的に統計を取ってゆけば被爆を受けていない地域と何らかの疾病発生に違いが出てくるだろうとは思います。我々日本人はその壮大な人体実験の被験者として少量放射線の慢性被爆の結果の真実を世界に発信してゆけばよいのだと思います。

 

第二次大戦後、世界であれだけ核兵器が作られたのに核戦争が起こらなかったのは我々日本人が身をもって「広島・長崎の核の悲惨さ」を世界に示したからです。世界の人はその意味でもっと日本人に感謝すべきだし、日本人はもっとそのことを世界にアピールすべきだとかねがね思っています。それは被害者意識からアメリカに補償を求めるといったものではなく、世界平和に対する日本人の貢献ということをもっと強調するべきだという意味です。

 

同じように日本人は核汚染の少量慢性被爆について、これから身をもって世界に示すべきです。関東東北の水道や土壌、海産物の核汚染の状態を細かく発表し、それを摂取する数千万の国民がどのような健康被害を今後数十年にわたって起こしてゆくかを良く観察して欲しいと訴えればよいのです。幸いにして全く統計的に何も起きないかも知れません。それならそれで良いではないですか。未来の人類にとって大変貴重な資料になるはずです。これは不幸にして福島原発の事故を経験してしまった日本国民が、原爆の被害を受けた広島・長崎の時と同様に未来の人類に対して貢献できる機会であると思います。

 

ただたとえ少量であっても汚染が多いであろう事故直後の時期には子供たちや妊婦さんは避難させて被爆を少なくしてあげるというのが私は人道的に正しい選択だと思うのですね。だから疎開を勧めているのです。

 

今回の事故をスリーマイルやチェルノブイリの事故と比較してどうこう話す傾向が見られますが、私は今回の事故はそのどちらとも異なるFukushima Incidentとして扱われるべきだと思います。住民の大量被爆による急性放射線障害はなかったものの、数千万に及ぶ国民が少量慢性被爆を長期に受けた事例として歴史に残ってゆくのではないかと現在考えています。

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地震の記録2(各人ができることをやるのみ)

2011-03-21 18:39:06 | 社会

東北地方太平洋沖地震から1週間以上が過ぎました。私の病院はほぼ震災前の通常機能を回復していますが、県北ではまだライフラインが機能しておらず、崩壊状態の病院が多数あります。病院の近隣の施設には福島県や東北から避難してきた方達が多数収容されています。我々の病院からも交代で避難所の医療支援を行い、また被災地の病院からの転院をヘリ輸送や車両輸送で受け入れています。

 

私の病院は被災地扱いで計画停電からは除外されているので、もともと計画されていた手術やCT検査などは全て予定通り行われています。また震災後できなかった悪性疾患などの予定手術をこの連休を使って消化しています。従って本日も明日も手術のために出勤しています。この一週間で6件の手術をこなさないといけません。まだ震度4近くの余震が一日一回はあるのですが、手術中でもそれくらいの地震では驚かなくなりました。

 

千葉や埼玉では計画停電が実施されていますが、私が手伝い(パート勤務)で行っている透析クリニックは計画停電の時間を避けて透析を行なわないといけないため、朝5時から夜中1時過ぎまでかかって3クールの透析患者さんを治療しています。朝5時にクリニックに来ないといけない患者さんも大変ですが、治療するスタッフの苦労も大変なものです。それに計画していながら取りやめになることも多く、その際は急いで全ての患者さんに連絡して時間の変更を行なわねばならず、連絡の付かない患者さんもいて種々のトラブルが生じています。

 

透析クリニックではミニバスで患者さんの送迎をしている所が多いのですが、このガソリン不足で送迎ができなくなり、しかも電車の本数も少ない朝や夜中に当院しないといけない状態というのではそのうち対応しきれなくて死亡する患者さんが出ると予想されます。計画停電というのはその程度の犠牲はしかたがないという前提で行われているのでしょう。

 

神戸の震災の時に3ヶ月避難所で救護所の医師をした私の経験からは、避難後1週間ころから酷い風邪の患者さんが増加してきます。また入浴できない、同じ所でじっとしているといった不満、清潔なトイレがないといったことから皆自制心は旺盛なのですがそれでも様々な身体症状を訴えるようになってきます。そんな時に、避難所の中を一人ひとり回ってくれる保健婦さんや看護師さんが患者さんを見つけたり励ましたりしてくれたことが大変助かりました。

 

2週間目位からは慢性疾患が悪化してくる患者さんが増加してきます。糖尿病や高血圧など放置状態で、腎不全が悪化して(検査はできないので理学所見だけですが)病院に送った患者さんも随分経験しました。その頃からは全国から医師の避難所への派遣も増えて、医薬品も大分潤沢になり、周りの病院医院も復活してきたのでこちらも楽になったのですが、今回は被災地域があまりにも広いから神戸のように復刻がはかどらないのではと危惧します。

 

原発の事故は未だに終息する気配がないのですが、自らを危険にさらして作業をしておられる東電、消防、自衛隊の皆さんには頭が下る思いで一杯です。特に消防、自衛隊は本来の任務ではない所で命をかけておられることに心から敬服します。私もインターネット等で調べてにわか原発博士になった今日この頃ですが、ご父君が原発の技術系幹部で勤めておられたという病院の同僚医師から話しを聞くと、福島第一原発は地震についてはかなり安全対策を講じていたけれども大津波は全く想定していなかったそうです。つまり「想定外の津波」ではなく、「津波が想定外」というのが本当だそうです。ご父君によると事故の初日から、得られる情報から判断してメルトダウンを含むかなり深刻な事態に発展することは明らかだと解ったそうです。想定していなかったことを非常に反省している、という言でした。

 

政府の説明も「大丈夫」を連呼するものの、素人には実態としてわからない数値を読み上げて見たりするだけで、原発のどこがどのように障害を受けて今後

どのようになる危険性があり、それを回避するためにどうする予定なのかを解りやすく説明しないから国民が余計に不安に思ってしまうのです。当初から原子炉部分の問題と使用済み核燃料の問題を全て明らかにしていればもっと政府の発表も信頼できたと思うのですが、あとから問題が次々に出てくるのでは発表を信用されなくなるのも当然でしょう。政府は「国民はバカだ」という前提で説明しているようにしか思えませんが、バカなのはマスコミと国民をバカだと思っている政府だけで、日本国民はよほど冷静で賢いと私は思います。これがこうなったら危険度がこのようになるのでこう対処してください、といった具体的な説明を初めからするべきでした。空間線量率も胸部レントゲンと比較してみたり、被曝量の多いCT検査との比較になったりどうも「適当に安心させよう」という魂胆が見えている。放射線など浴びなければ浴びない方が良いに決まっているし、空間線量と放射性物質の飛散による問題はイコールではない事くらい解っているはずなのに。具体的な数値を示してこれ以上になったら雨に濡れないように、とか子供や妊婦さんは外に出ないようにといった具体的な指示を出せばよいではないかと思うのは私だけでしょうか。

 

震災の復興については、前の滅私奉公論に重なりますが、日本人各人が自分のやらねばならない仕事を淡々と確実に行なってゆくことに尽きるだろうと思います。必ずしもボランティアで現地に行く必要はない。物流でも販売でも例え娯楽であっても自分の勤務地で休み返上ででも働き続けることが一番日本国全体の復興につながるのではないかと思います。勿論休み返上で健康を害してしまっては何もならないので休むことも大事ですが。

 

そのような訳で3月6日以来26日まで休みが取れず働き詰めの予定でしかも27日は当直の予定ですが頑張って働きます。その頃はガソリンが楽に買えるようになっていると良いのですが。

 

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震災の記録

2011-03-14 23:23:01 | 医療

2011年3月11日午後に発生した東日本大震災は津波などによる万を超える犠牲者と、現在進行中の福島県原子力発電所の複数の原子炉における炉心溶融とそれに伴う爆発事故のために最終的にはどのような被害になるか解らない状態です。

 

私の勤める病院も激しい揺れに襲われて、一時はライフラインも全て止まりましたが、現在はほぼ復旧して周囲の未復旧の医療施設からの患者受け入れなどを行なっている状態です。福島・宮城・岩手の被災地の方々へ心からお見舞いと声援をお送りしたいと思います。今回は備忘録の意味で、震災からここ数日の身の回りの状態を記しておきます。

 

2時46分の初めての揺れの時は、私は若い医局員と前立腺の内視鏡手術をしている時でした。激しい揺れに手術台と機材が大きく振動し、患者さんが放り出されないように抑えるのがやっとでした。直ぐに停電となって緊急電源のみの状態になりました。幸い始まってまもなくであり、出血も軽度な状態だったので早々に手術を切り上げて患者さんは手術室前の集中治療室に移動しました。他の手術室でも手術中の患者さんは手術を中断して創を縫合して麻酔を覚醒させて集中治療室に入りました。大事に至らなかったのは金曜の午後というあまり大手術を行なう時間帯でなかったことが幸いしたと思います。

 

病院の防災委員長でもある私はリスク管理の副院長、院長と連絡してこれが尋常な地震でないことを確認、病院の救急室前に集合して院内の被害状況などを確認することを話しました。まだ手術着のままだった私は服を着替えに手術室に戻った所で大きな第2波がやってきました。危うく倒れてくるロッカーに潰されそうになりながら服だけ抱えて廊下に出、何とか服を着て再び救急室前へ。

 

取り合えず建物の大きな崩壊はないことを確認して、次の大きな地震が来る前に歩ける患者さんを全て建物外へ誘導しようということに決定。次に車イス移動が可能な患者さんを階段で職員が補助をしながら一人ずつ外に誘導しました。四百人近くの患者さんのうち、人工呼吸器をつけた人やベッド移動でないと動かせない重症の患者さんはエレベーターが使えない状態では移動が不可能なのでその場で待機ということになりました。まだそれほど寒くないとはいっても、入院患者さんが毛布や布団をかぶって外で待機してもらうのは、後から肺炎などになる可能性もあり、リスクが高いようにも思われましたが、この辺りは何とも判断できません。

 

約1時間ほど待機してもらい、次第に夕方になって寒くなってきた事、小雨がぱらついてきたこと、大きな余震は取り合えずなくなってきたことから、車イス患者さんは1階のロビー、歩ける患者さんは2階のリハビリ用ホールに移動してもらいました。この段階でまだ停電しており、情報はこの地震が宮城が震源の大きな地震ということだけでした。病院内では患者さん、職員ともけが人はなく、皆おちついて行動できました。エレベーターへの閉じこめも無かったことがわかり安心。

 

院長、副院長、事務長を中心に災害対策本部を設置して今後の対応を検討。まず患者さんをもとの病室に戻す事、夕食の手配をすること(停電、ガス、水道止まったまま)、非常用電源の確保(自家発電用の軽油、重油が数時間分しかない)、外傷患者が殺到する可能性があるので救急対応の人員と場所の確保(取り合えず職員・医師は全員で対応)などを決めて手配しました。役場と連絡を取って毛布・電源用石油の確保、夜間避難用の天幕設置を自衛隊に要請など行いました。

 

夜には近くの駐屯地から自衛隊が到着(頼もしかった)、避難用大型天幕を二張り設置してもらい、なかなか手に入らない非常用電源の重油などの手配も頼む事になりました。結局非常用電源が燃料切れ(切れると人工呼吸器などが全て手動になってしまう)になる前に深夜に電源が回復し、事無きを得ました。

 

幸い怪我などで運ばれてくる患者さんもなく、翌日には水道も復旧し、トイレも自由に使えるようになりました。まだガスが使えず消毒やボイラーが復旧していません。翌日にはテレビなどで今回の地震が宮城・三陸を中心に強烈な被害を及ぼしていることが判明しだして、関東の我々の地区はまだ被害が少ない方であることも解ってきました。災害対策としては、病院の機能として14日の月曜以降どのように対応するか、家に被害が出ている可能性がある入院患者さんの外出や面会をどうするかが次の検討事項となりました。

 

週末の状態としては外来患者は通常通り診療できるが、薬剤の在庫を考慮して1ヶ月処方を原則にする。余震があること、機材の滅菌が十分できないことを考慮して緊急以外の予定手術は当面中止することが決まりました。また退院可能な患者さんは極力帰す。面会は家族のみ10分位までとしました。

 

13日、計画停電が実行される旨東京電力から通知がきました。停電中は非常用電源のみとなるため、CT検査や放射線治療はできません。透析もできません。手術も原則不可能です。取り合えず1週間分の予定手術は全てキャンセルになりました。癌患者さんの手術も取りやめで、その患者さんが自分で使うために予め取っておいた自己血も無駄になります。非常事態であることは解りますが、一律的な計画停電というのは本当にしかたのない選択なのか、決定に関して拙速である感を否めません。一生懸命病院の機能を復活させて、まだ機能が十分でない地域の透析患者さんや重症患者さんを受け入れる態勢を整えている所で、一方的に機能を半分に減らされるような処置が決定されたことは最善の選択でないように思われます。

 

初日の計画停電は結局行われませんでしたが、行なわなくても何も起こらないならば無理に行なわなくても良いのでは?というのが素朴な疑問。テレビを民放1チャンネルとNHKのみにして娯楽系の電気は積極的に省電力とし、社会生活に必要なライフラインや交通・医療などは停電を除外してもよいのではないだろうか。大きな電力消費源である生産業についてはどこかのブログで提案されていたように早朝から午前・午後から夜の2交代性にすれば電力を半減させることができるというのも妙案と思いました。

 

緊急事態に対応するため、11日12日と病院に泊まり、13日は家に帰って(幸い家は被害がなかったので入浴もできた)14日は早朝登院してしばらく泊まります(車通勤で片道50キロあり、通常の通勤道は高速が閉鎖された影響で超混雑で使えません。ハイブリッドで燃費が良いといってもガソリンの補給がままならない状態ですから)。それでも東北地方の方達の苦労に比べれば現状は天国のようです。我々の使命はやらねばならない仕事を粛々と行なってゆくことだと思っています。自分たちの使命を果たした上で、より被害の大きい地域の医療支援を行なってゆくことが大事だと考えています。

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目の前で心臓が止まった場合以外は助からない

2011-03-08 00:45:30 | 医療

救急で心肺蘇生が行なわれる患者は、実際にはどれくらいの率で元通り元気に退院しているでしょう。一般の人で答えられる人はまずいないと思います。医療関係者でも正確なところは良く解らないというのが本当ではないでしょうか。

 

私の勤める病院では救急も扱っていますが、約1年の間に心配停止状態で救急搬送された患者さん170例のうち、急変前と同様の状態に回復して(Full recovery)退院した人は2名だけでした。そのどちらも救急隊員などの医療関係者が見ている前で心臓が止まって直ぐに蘇生術が行われた(心筋梗塞と不整脈)患者さんでした。

 

風呂場で浮いていたお年よりの方とかは100%蘇生の意味がありませんし、いつ心臓が止まったか解らない人に蘇生をしても一時的に心拍や呼吸がもどることはあるかも知れませんが、フル・リカバリーすることはまずないと言ってもよいでしょう。集中治療室などで人工呼吸器につながれて1日位は命を永らえることができるかも知れませんが、短時日の内に意識が戻る事なく死亡退院されるというのがお決まりのコースです。

 

それでも全く治療をしないのが良いと言うつもりはありません。家族の身になって考えると、例え一日であっても急変してから命を永らえさせることができることは無駄ではないと思います。ただ医学が発達した現代においても、常識として目の前で心臓が止まった場合以外はフル・リカバリーはしないのだということは知っておいて良いのではないかと思います。

 

逆に言うと、「目の前で心臓が止まった人を見たら見様見まねでも何でも良いから心臓マッサージ(と人工呼吸)はした方が良い」ということは言えます。人工呼吸をカッコにしたのはこれを行なう効用はフル・リカバリーに関しては微妙な位置づけであり、溺れた人の救助のように明らかに人工呼吸が有用な場合を除いてあまり関係ないようなのです(勿論救急における正しい蘇生術においては人工呼吸は必須事項ですがフル・リカバリーには直結しないという意味)。急変した人のそばにいる人(バイ・スタンダーそばで立つ人の意)の重要性は救急蘇生においては非常に重要で、望むべきはバイ・スタンダーによって心臓マッサージと必要に応じたAED(除細動器)が使われれば言うことはありません。後は早く救急車を呼ぶ事です。

 

現在は地下鉄の駅やデパート・商店街、学校などにもAEDが設置されるようになり、素人の人も初歩的な蘇生処置(Basic Life Support BLS)ができるよう講習を受けることが流行りです。正しい蘇生の知識を身に付けることは良い事ではあります。しかし大事なのは目の前で急変した人がいたら「脈を取ってなければ心臓マッサージをする」という行為ができることであって、心臓マッサージを5回に一回人口呼吸をしようが、15回に2回呼吸をさせてそれを4回繰り返そうがそんな細かい決まり毎はどうでも良い事だと知っておく事です。私も目の前で心臓が止まった人(喘息の重責発作など)を挿管して助けたことがありますが、素早い処置が問題であって細かい決まり事は問題ではありませんでした。

 

循環器や救急を専門にし、BLSなどの講習指導をする医師達の中には、細かい規定にこだわって教えることの馬鹿馬鹿しさに嫌気が差している人が沢山います。「教わった通りに蘇生術をしなかったために自分が蘇生術をした人が助からなかったらどうしよう」と考えて蘇生にかかわるのを躊躇してしまうこと、或いは蘇生術をしたのにその人が助からなくて責任を感じてしまいトラウマになってしまうこと、はこれら講習が盛んになることのデメリットとも言える部分です。BLSなどの講習を受けた人で蘇生術でどれくらいの人がフル・リカバリーになるか正しく教えてもらっているでしょうか。

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北朝鮮利権で政治を行なうのはもう止めて欲しい

2011-03-07 18:42:27 | 政治

前原外相が辞任、外国人献金で引責(読売新聞) - goo ニュース

今回あれよあれよと言う間に辞任が決まった前原外務大臣ですが、先の訪米中に北朝鮮とのパイプについて喧伝して、「戦後賠償として五兆円を約束するなら残る拉致被害者全員とレアメタル権益を日本に補償する」と持ちかけられていたという情報があります。

自民党の実力者がその情報をつかんで逆襲に出たという可能性もありますし、アメリカも前原氏に勝手な事をしてもらいたくないと思ったのかも知れません。25万足らずの支援で大臣を辞めないといけないなら、民団に大々的に選挙支援してもらった(から外国人参政権を認めさせないとと選挙後言っていた)と公言していた民主党自体が問題にならないのはおかしい。

いずれにしても北朝鮮の国民も日本国民も共に何の得にもならない「北朝鮮利権」で政治を行なうのはいいかげん止めて欲しいと思います。10%のキックバックで5000億円が民主党に入るとしたらそれは大きいでしょうが元は日本国民の税金ですし、賠償した金はミサイルや核に使われるだけでしょう。ダシにされる拉致被害者も本当に気の毒です。早く体制崩壊(南との段階的併合とか米中ロの共同管理とか)をさせて堂々と帰国させたほうがよほど皆が幸せになるでしょうに。その段階で出す金ならば金王朝に出す金よりは有用と思いますがね。

北朝鮮といえば麻薬覚醒剤関連で日本の暴力団系との関連が深いですが、最大勢力の山口組の親分さんがこの4月に出所されるということで、その直前に同組#2#3が種々の容疑をかけられて収監されてしまったようです。関東にも進出していた山口組系の組織力が弱まると、民主党の勢力も一時の勢いがなくなったこともあって、小泉さん時代に勢力を延ばしていた稲川会系がまた活動を強めることも予想され、警察も警戒を強めているそうです。そんなこともあって、4月から暴対法が変る?(解釈が変って今まで使われなかった「賞揚等の禁止命令(鉄砲玉の家族の面倒を見たり、出てきたら優遇する)」を積極的に使って逮捕するようになった?)という理由で、私の患者の、ある地方の親分さんが「代紋を3月中に譲りたいのでどうしても式ができるように病気を治して」と頼まれて何とか間に合ったということもありました。世界はつながっているなあ。

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