rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ルーズベルトの三選がなければ第二次大戦も原爆投下もなかった?

2016-08-10 19:15:40 | 歴史

今年も原爆忌が過ぎましたが、広島の原爆投下にあたる8月6日に非常に興味深い番組がNHKスペシャルとして放送されました。「決断なき原爆投下 
~米大統領 71年目の真実~」と題されて、NHKの番組公式サイトにおける説明として「アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。
アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。
最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。
今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。
「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」
アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。」というものです。

 

ルーズベルトの突然の死亡(4選されて4ヶ月なので死ぬことは予期されていなかったと思われます)によって副大統領になって4ヶ月しか間がないハリー・トルーマンが大統領として終了間際の戦争の指揮を執る事になり、日本に対する原爆の使用についても大統領として全責任を負うことになりました。原爆の計画が極秘裏に始まったのが1942年ですから、ほぼ完成した状態で詳しいことを知らされずに原爆使用についての責任を持たされたのはやや気の毒な感じもします。番組によると広島・長崎の原爆はトルーマン大統領が決断する間もないうちに規定の方針の如く軍部の計画として使用されたとなっています。当初京都への第一弾の投下が強く主張されたのですが、軍がおらず、市民の無差別殺戮を行うことになるという理由で陸軍長官のスティムソンとトルーマンによって変更させられたということです。恐らく京都に訪問歴がある民間人のスティムソンにとっては古都の文化を灰に帰す事への躊躇もあったのではないかと思います。しかし戦後「戦争を早く終わらせるために原爆が必要だった。」という後付けの言い訳を考え出したのは原爆推進派のスティムソンであると言われており、トルーマンはその説を採用し続けた訳です。

 

この「原爆投下正当化論」というのも広く米国では信じられているものの、近年「本当にそうか」という議論がまっとうなエリート達の間では行われるようになってきており、ハーバードビジネススクールにおける授業でも論理的、倫理的妥当性についてまじめに議論がされるようになってきました。

 

私は以前から、周りが反対したにも関わらず「無条件降伏」というかつての戦争でありえなかった戦争終結条件をルーズベルトという非情な男が設定しなければ、原爆投下はなかったと思っています。そもそもルーズベルトの日本人に対する人種差別意識がひど過ぎます(日本人は劣等民族なので多民族と交配して民族自体を変えてしまえ、と言っている)。日本への原爆投下もルーズベルトにとっては既定路線であり、だからこそ軍人達は全力で原爆を開発し、前大統領の命令通りに出来上がり次第投下したというのが真相でしょう。

 

私は、ジョージワシントン以来の米国の慣例を無視した大統領連続3選という異常事態を固辞する「節度」をルーズベルトという腎不全で高血圧の「まっとうな判断力を失った人間」が持っていたならば、当時多くの米国人達が抱いていた「関係のない戦争に巻き込まれて死にたくない」という願いがかなったのではないかと思いますし、人類初の核兵器使用による無差別大殺戮という汚名を米国が着る必要もなかったのではと思います。トルーマンは核の軍事基地への限定的使用は考えていましたが、市民の無差別殺戮には反対でしたし、広島・長崎と続けて知らないうちに原爆投下による大殺戮がなされて慌ててこれ以上の核使用を中止する指示を出したほどです。

 

Wikipediaの「1940年アメリカ合衆国大統領選挙(ルーズベルト3選目)」の項を見ると、ルーズベルトは欧州で始まったナチスとの戦争に連合国として加担したがっていたのに対して、共和党から出馬した実業家のウエンデル・ウイルキーはルーズベルトの好戦的な姿勢を批判し孤立主義による米国の繁栄を強く訴えて多くの米国民から支持を得たと言われます。注目するべきは大統領選の得票数でルーズベルトが2700万票で54.7%であるのに対してウイルキーは2200万票で44.8%と僅差であるということです。得票数で僅差であっても選挙人の得票では449人対82人と大差がついてしまうのが米国の大統領選挙の特徴ですが、半分近くの米国民はウイルキーの孤立主義を支持していたことが解ります。

 

この状況、現在の米国大統領選に似ていないでしょうか。戦争大好き民主党のヒラリーが実業家で孤立主義のトランプに僅差で選挙戦を進めています。そもそもヒラリーは民主党の中での選挙でも得票数においてはサンダースに追いつかれる所を「特別代議員という高下駄」のお蔭で民主党候補になったようなものです。オバマ政権一期目の国務長官として、ヒラリーの政治手腕やアラブの春を演出してリビアやエジプトをボロボロの国家に貶め、ISにリビアでせしめた武器を供与して結果大量のシリア難民を作り出した業績は十分理解されているはずなのに、ここでヒラリーが大統領になればルーズベルトの三選目と同じ不幸が米国と世界にふりかかることが十分予想されます。

 

佐藤優氏は「世界史の極意」という本で「歴史的事件をアナロジーで認識して現在の問題を捉える」と提言していましたが、その説に従うとこのルーズベルトの3選と現在のヒラリー・トランプによる大統領選というのはその後に起こりそうな事を含めて極めて示唆に富む内容になると思われるのですがどうでしょうか。

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魔女の秘密展に行って来た

2016-03-01 18:31:35 | 歴史

先日原宿のラフォーレミュージアムで開催されている「魔女の秘密展」に行ってきました。新聞にポスターが掲載されていて、黒猫があしらってあり、場所も若い人の多い原宿でしたので、どちらかと言えば漫画や明るい魔女を中心に、魔術や今流行の猫とのからみなどを展示した物かなと軽い気持ちで行ったのですが、真面目な内容でドイツの複数の博物館でテーマ開催された内容を日本に運んで来て1年かけて各地で開催されているという本格的なものでした。

 

せっかく真面目な内容であったので備忘録的に感想を記しておこうと思います。詳しくはホームページからも見れます。

展示はテーマ毎に大きく4つに別れていて、「第一章」信じるーでは、中世の一般の民衆にとって魔女と言われる人達の扱う呪術や錬金術など初歩的な科学的な行いが、「自分とは違う能力、異能」として信じられていた様子が展示されます。

「第二章」妄信するーでは、当時の寒冷気象による不作や疫病の蔓延がキリスト教的には「異端」とされる魔女達の悪魔的な行いのせいである、という思い込みから魔女の弾圧に至る心理的な経緯が書物や絵画などで説明されます。

「第三章」裁くーではいよいよ「反キリスト」「「異端」とされる「魔女達」あるいは「魔女っぽい流浪の民」、単に気に入らない「全くの無実の人」までも無理矢理拷問で「自分は魔女です」と言わせて処刑してきた歴史が様々な道具や書物ともに展示されます。ビデオによる疑似魔女裁判体験というのも日本語で流されています。

「第四章」想うーでは18世紀になって科学の進歩とともに非科学的な魔女狩りや魔女伝説による処刑は反省されるようになり、逆に魔女を文化として受け入れて行こうとするムーブメントが起こり現在に至る状況が説明されます。

 

全体としては良くできた内容なのですが、キリスト教や一神教の素養がない我々日本人としてはもう一ひねり説明があると良かったと感じました。つまり魔女弾圧は「キリスト教が各地域に伝来していた地場の宗教(多神教)を弾圧して一神教を徹底させるため(異端審問制)に行った」言ってみれば「日本におけるキリシタン弾圧の逆バージョン」であったという基本概念を理解する必要があるということです。ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは地場に置ける伝統的宗教をキリスト教が殺した、という意味だと言われていますが、その基本が理解できていないと魔女展の4つの章の成り立ちが解りにくくなります。つまり魔女とは各地域における伝統的宗教の呪術や薬草などを用いた医術、おまじないを行って来た人達であり、1198年のローマ法王の十字軍による異端討伐や1231年の異端審問制によって伝統的宗教が弾圧されてきた歴史が魔女狩りに裏付けられていると言えるのです。今流行の薬草やハーブは伝統的な西洋医術の中で伝えられて来たものですし、ハロウイーンのように反キリスト教的な伝統的祭りがキリスト教に取り込まれて残っている(潰しきれなかった)ものまであるという事です。

もし日本が戦国時代からキリスト教国になってカソリックのローマ法王に従う国になっていたら、巫女やイタコは魔女として火あぶりになっていたでしょうし、仏教もどうなっていたか解りません。尤も日本は神仏習合という特殊な宗教観が根付いている位なので多神教的一神教(結婚はキリスト教、死んだら仏教、子供が生まれたら神道)に早くからなってしまったかも知れません。江戸時代にキリシタンになった若者が「死んだおっかあに会えないならば地獄に落ちても良いからキリスト教が認めない先祖供養をしたい」と言って棄教したという話も伝わっています。一神教の非寛容性は日本人には馴染まないのだと思います。

 

そのような視点で再度展示を見てみると、キリスト教側も伝統的な宗教が持つ魔術に対抗するための護符を作ってみたり、キリスト教における悪の化身と無理矢理魔女をくっつけて見たりと苦心の跡が見られます。現代科学はキリスト教自体の非科学性までも暴いてしまうのですが、キリスト教、イスラム教それぞれの原理主義が現在の世界平和の障害になっていること、また一見科学的に見える経済学(実は限られた帰納的論理展開しかできないという説もある)が行き詰まって宗教をダシにした戦争(イスラムテロとの戦争を含む)で「ウオーエコノミーによる経済活性化」を狙っているという現実を考えると「魔女の秘密展」というのは意外と深い物を展示しているかもしれないと思うのでした。

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戦後秩序維持と反戦平和はイコールではない

2016-01-06 20:33:19 | 歴史

安倍政権が始まって、中韓の反日姿勢に対して強行な態度で接するようになり、また憲法9条改正や集団的自衛権といった戦後聖域とされてきた問題を何の躊躇もせずに変えて行こうという姿勢に対して国内だけでなく海外からも「歴史修正主義」「戦後秩序に対する挑戦」といった評価がなされています。日本において左派と言われる集団やメディアからも戦後秩序を破壊し、歴史認識の修正を計ろうとしている危険な姿勢と言う批判がなされています。

 

前回のブログにおいて現在日本における左翼と右翼の定義がデタラメになっていることを指摘しましたが、私はこの「戦後秩序」という言葉も極めて曖昧な定義の下に使われている感じがします。

 

諸外国における「戦後秩序」の定義は「第二次大戦前のドイツと日本をファシズム国家で連合国(united nations)の敵とみなし、この二国の国民は虐殺してでも国家体制が滅びるまで(無条件降伏)戦い、戦勝国(国連常任理事国)がその後の世界をコントロールしてゆく」事を是とする秩序の事を言います。現在の中共は当時の戦勝国である中華民国とは異なりますが、昨年秋に行われた戦勝70周年における習近平首席の演説からも「戦後秩序」をこの定義の下に語っていることが明らかです。2003年にブッシュ大統領がイラクに攻め入る時にも「悪の枢軸(axis of evil)」という戦後秩序の定義を意識した言葉を用いて徹底的にイラクを攻撃することの正当性を強調しました。安倍総理が昨年米国議会で演説を行った際にも、第二次大戦における日本の行いを悪とし、それを深く反省した上で「米国を中心とした秩序への挑戦」に日本も全力で立ち向かうことを高らかに謳い上げることで歴史修正主義者、戦後秩序を壊す者、という米国の懸念を払拭し万雷の拍手を受けることになりました。

 

もうお気づきのように「戦後秩序の維持」と「反戦平和」はイコールではありません。戦前の日独と戦った連合国に戦後日本も加わったからには、その連合国が新たに戦争をする時には戦勝国が世界を支配することを助けるために日本もその戦争に付き合う、できれば先頭に立って戦うことが「戦後秩序の維持」として評価されます。日本は60年から80年にかけて特に当時の左翼勢力が旺盛であった時代に反戦平和と日本の戦前を全て悪とみなす極東裁判史観が同一の物とされていたために、未だに戦後秩序の維持と反戦平和が同一であると錯覚している人達が沢山います。安倍政権はその錯覚をうまく利用して自分達のやりたい事(米国の一部勢力から強要されていること)を進めようとしているのです。

 

昭和20年、日本が敗戦を迎えた時、焼け野原になった日本の姿を見て、国民(私の父母以上の年代の人達)は「もう戦争はこりごりだ、二度と戦争はするまい」と心から誓ったのだと思います。日本における反戦平和の原点はこの思いにあります。戦前の明治憲法下の体制が悪かったとか、軍部の独走が悪かったとかは後付けで占領軍に教え込まれたことを素直にその通りだと受け入れたに過ぎません。もし明治憲法のまま戦後世界が築かれたらそれはそれで日本の国民もその状態を受け入れていたことでしょう。ただ「もう戦争はやりたくないね。」という素朴な思いは多くの国民が抱いたことは間違いないと思いますし、日本軍が形として残ったとしても連合軍に加わったかどうか疑問です。今「戦後秩序の維持のため、連合国の先頭に立って戦争に向かいます」と話す安倍総理に欧米諸国から歓迎の意を表されて、その方向で法整備がなされようとしていることに「一寸待て、誰か(外国の人)止めてくれ」と慌てている日本人が多いのではないでしょうか。

 

私は第二次大戦を含めて、「敵対する相手を戦争で無差別に虐殺してでも自分達の思い通りになる世界秩序を作る」という概念自体が誤りである、と考えます。相手が無条件降伏するまで原爆を投下し、無差別爆撃で市民を虐殺して戦勝国になった米英ソこそ最も戦争のやり方を反省するべき国々だと考えます。米英ソ(ロ)の国々(今は中共も含む)が自らを反省しない限り中東の平和も来ませんし、中ロと米欧の対立(無理矢理対立させている感が高いですが)もなくならないでしょう。その意味での歴史認識は修正されるべきであるし、戦後秩序は破壊されるべきだと私は考えます。そうでないと日本はまた連合国の一員として戦争に参加させられてしまいます。戦争で世界の人達が幸福になることはありません。日本が再び戦争をするとすれば、それは直接自国の領土、国民が侵略、殺戮された時だけです。

 

戦後培った平和主義を貫くためにこそ、歴史修正主義はいけない、戦後秩序は絶対に守らねばならない、と何も考えずお題目のように唱える愚は避けるべきです。保守と革新の定義、右翼左翼の定義、戦後秩序と平和主義、既知の事実の如く使われているこれらのことばを再度確認し、日本がこれから向かうべき方向を考えて行かねばならないと、サウジとイランが国交断絶し、北朝鮮が水爆実験に成功したと大騒ぎしている2016年の年頭にあたり痛感しました。

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戦後秩序維持を米中がこだわる訳

2014-05-07 21:56:21 | 歴史

1)はじめに

 

中韓が慰安婦や靖国神社参拝などの問題に執拗にこだわるのは、自らの政権が依って立つ基盤の脆弱性を日本の敗戦にまで遡って「悪に対する正義」として自分達の政権が存在することを自国民に訴え続けなければならないという明確な理由があるからですが、ブッシュ政権において小泉総理が靖国参拝にこだわりを見せてもあまり問題視されなかったのに対して、オバマ政権が安倍総理に対して「戦後秩序の維持」という概念を強調し始めていることは、「単に安倍総理が戦前回帰を目指しているように見えるから」というだけに留まらないように思います。

 

2)現在考えられるところの「戦後秩序」の正体とは

 

そもそも「戦後秩序」とは何を意味するかというと、「第二次大戦における連合国は枢軸国というファシズム国家群に対して、自由と民主主義を守るための正義の戦いをした」という戦争に倫理観を持たせることで、戦後の世界のあり方(戦勝5大国による世界支配)が「倫理的に正しい姿」であるという意味付けだと思います。ソ連のスターリニズムがいかに独裁専制的であったとしても、スターリンをヒトラーになぞらえる事は、冷戦中の米国でさえ行われた事はなく、実態はどうであっても共産主義体制はファシズムとは異なるものとして「自由と民主主義」の一部と捉えるよう規定されてきました。むしろ社会主義体制こそ望ましい民主主義であると真剣に信じている人達が日本を含む世界についこの間まで多数いたのです。本来「・・人民共和国」というのは「主権在民の共和制に基づく民主主義国家」を意味する言葉です。

 

しかし90年代まで続いた東西冷戦が戦後秩序の概念を複雑にしました。ファシズムとの戦いは明らかな倫理観に基づく善なる戦いであったことはある程度万民が納得できるものでしたが、ソ連を中心とする社会主義国家と西側資本主義諸国の戦い(冷戦)は倫理的善悪に基づくものではなく、社会・経済体制としてどちらが優れているかという漠然としたものであり、西側・東側という米ソの勢力範囲を競うものであることは明らかでしたが、実際に戦われた朝鮮戦争もベトナム戦争も倫理的に善悪はなく、しかも決着もつかないという中途半端なものでした。ところが戦後50年近く続いた冷戦が、「資本主義体制を取る西側民主主義国家vs社会主義経済体制を取る共産主義国家」という「政治体制と経済体制」がセットになった状態での対立であったことから、ソ連を中心とした東側陣営が崩壊した時に、「資本主義体制と西側民主主義国家」がセットで勝利した結果になりました。実際東側陣営が崩壊したのは、社会主義経済がうまく機能しなかったからに他ならない訳で、西側の民主主義政治体制が勝利したのではなく、「資本主義が勝利をした」というのが現実だったと言えます。

 

3)東側の崩壊は経済がきっかけだが、人々が望んだのは今の資本主義経済か

 

ここで大きな勘違いが生じます。西側が標榜していた民主主義体制と経済体制である資本主義は本来別物であったのですが、東側の社会主義と社会主義経済が一体であったために「セットとして矛盾がないもの」と勘違いされてしまったのです。特に原始的な資本主義である市場原理主義は明らかに民主主義国家体制とは相容れない対立する概念を含むものであるのに、東側が崩壊したことで西側の民主主義体制と資本主義が共に矛盾なく優れた物として認識される事になりました。そしてこの体制が戦後秩序の一つとして組み込まれることになったのです。確かに社会主義経済がうまく行かなかった事がきっかけでソ連は崩壊したのですが、東側の人達が真に望んでいたのは資本主義経済になることではなく、言論の自由などの政治的・生活の自由であったはずです。だから政治的な自由は得たものの、経済体制が資本主義になった事で却って生活が苦しくなって様々な弊害がソ連東欧諸国に出てきており、それがウクライナを始めとする種々の紛争の原点になっているのです。

 

「戦後秩序」の意味するものが「ファシズムに対して自由と民主主義を守る」事であるという本来の定義を思い出して下さい。戦後の東西冷戦で資本主義経済体制を取る西側民主主義国家と社会主義経済体制を取る東側社会主義国家では、西側が勝利を治めたのですが、それは経済体制において勝敗がついただけで、東西どちらも「戦後秩序の範囲」において行われていた争いに過ぎません。従って「東側諸国も資本主義経済体制を取れば政治的な体制まで変える必要はない」という理屈が成り立ち、実際それを実践したのが中国です。しかも「資本主義体制を取ることで中国も西側的民主主義国家になるだろう」とセット体制による冷戦の終結を単純に信じていた西側諸国の人達を裏切る結果となり、むしろ経済体制だけ変えれば共産党独裁国家が維持できることを証明してしまいました。それ以上に、市場原理主義は一党独裁国家との相性が良いかもしれないと「グローバル企業による資本主義」に対立する概念としての「国家資本主義」が台頭するにつれて認識されるようになってしまいました。つまり現在の中国は「倫理的善である戦後秩序を体現している状態である」と戦後秩序という言葉によって強調する事までできているのです。

 

民主主義と市場原理主義は対立するものです。(共産主義)独裁体制とファシズム(国家社会主義)は同一なもので、人類の未来のために共に葬り去らなければなりません。

 

皆薄々この事実には気づいてきているのですが、国際社会で声高にこれを叫ぶことは「戦後秩序に反する」と批難され、タブーとされます。実はこれを叫ばれると大変困る人達、既得権益者達があまりにも大勢いるのです。市場原理主義者は人間の尊厳よりも市場原理を優先します。自由な市場において強者のみが勝つことを何よりも優先してしまいます。人権や政治的自由が尊重されてきた西側諸国において何故市場原理主義者がはびこるようになったのか、その秘密は、私はキリスト教、特にプロテスタンティズムを奉ずる一神教的精神構造に原因があると私は考察しています。

 

4)倫理的善悪をめぐる二重構造

 

ここは前のブログである「米国医療の光と影」「倫理的善悪の違いが歴史観に反映する」で述べてきた内容と同じになります。つまり倫理的な善とは神との契約において扱われるものであって、基本的人権といったものはそちらに属するのですが、経済に関する事などは論理的に正しいかどうかで決定されるのであって、rationalであれば理不尽でも正義であるとするキリスト教(特にプロテスタンティズム)独特の思考方法(Ethos)によるものと思われます。不満があれば裁判でrationalityを争いなさいという考え方です。我々日本人は自分の属する集団にとって利益がある事を「倫理的善」と判断する習慣が自然と身に付いているからなかなか彼らの思考方法を理解することはできません。明らかに行き過ぎと思われる市場原理主義もそれが「合法」であるならば「どんなに理不尽な内容でも正義」となり服従しなければ罰せられます。TPPやFTAでの細かい点での合意による締結に米国が拘るのはまさに「理不尽でも正義」と相手の言い分を突っぱねられるかどうかの合法性がここに関わってくるからです。

 

5)今後どうあるべきか

 

敗戦国である日本が「戦後秩序」という言葉に対抗することは容易ではありません。「日本の戦前は倫理的な悪ではなかった」事を種々の資料をあげて証明しようとする試みも大切ではありますが、本質的な解決にはならないのです。何故なら「戦後秩序」を持ち出す目的が「市場原理主義」と「共産党独裁国家であってもファシズムではない」ことの正当性を強調するために使われているからです。日本の戦前がどうであろうとこれを持ち出している人達にとってはどうでも良い事なのです(言われている日本人としては虚偽であり、不愉快で居心地が悪いものであることは当然ですが)。むしろ彼らにとって困るのは「市場原理主義が民主主義と対立すること」「(共産党)独裁政治がファシズムと同じであること」を証明されてしまうことです。私はこの問題の解決の糸口となるのは宗教ではないかと考えています。

 

○      二重構造を持たないイスラム教的生活

 

書評「一神教と国家」において同志社大学神学部元教授で自らもイスラム教徒である中田考氏も述べていたように、同じ一神教でもキリスト教と異なりイスラム教は宗教と日常生活が分かれておらず、神との契約が日常生活全てを支配します。プロテスタンティズムにおいては得てして「我欲と煩悩の追求」を神との契約とは別個の善悪の判断によって都合良く正当化しているように見え、異教徒からはダブルスタンダードにしか見えないことが多々あるのに反して、イスラム教徒のエトスは信教の度合いはいろいろあるでしょうが、一貫しているように思います。そこが逆にプロテスタンティズムに基づく社会正義からは敵視したくなる部分であるかも知れません。しかしイスラム教的生活の方が市場原理主義にない、人間性を第一に考えた生き方であると異教徒である我々が認めることは市場原理主義者達にとっては耳の痛い話になると思われます。

 

○      日本的善悪の思考法を広める

 

宗教的思考を離れて、自分を含む皆の利益になることが倫理的にも良い事であり、理に適っている(合理的である)ということを真っ向から否定することは難しいことだと思います。環境問題などはまさにこの理屈から導きだされるものです。

 

○ 独占の禁止による人間性への回帰

 

米国医療の光と影で李 啓充氏が私の質問に答えて述べていたように、「行き過ぎた市場原理主義に対する人間性への尊重への揺り戻し」がいつかは起こってくるであろうことは間違いないと思います。1%の経済的に豊かな強者と99%の貧しい人達が共存して民主主義を続けることはできません。必ず強権による弱者の支配が生まれ、それに対する暴力的抵抗が生まれ、革命が起こるか、望むらくは非暴力的な人間性への回帰によって、より継続可能で皆が幸せに暮らせる社会へ発展してくれるものと期待します。独占の禁止(富に上限を設ける)、この一点を成し遂げるだけでも数多くの問題が解決することは間違いありません。時間はかかるでしょうが、丁寧に21世紀の明るい未来のために少しずつ前進させねばならない問題と思います。

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明治維新で始まった大日本帝国は何故第二次大戦の敗戦で終焉を迎えたか

2014-01-22 21:53:27 | 歴史

「明治維新で始まった大日本帝国は何故第二次大戦の敗戦で終焉を迎えたか、300字程度で述べよ。」という試験問題が高校三年の息子の歴史・期末試験に「公開問題」として出されました。受験を控えた3年生に今更落第はないでしょうからどのように答えても論理的歴史的に誤りでなければ点数をあげることができる。しかも高校を卒業して大学・社会へと出て行く教え子達の歴史観を端的に把握できる極めて優れた出題と言えます。歴史を倫理的善悪でしか考えられないレベルの人達には回答不能と思いますが、この先生は答えられるような歴史の授業をしてきたという自負があるのでしょう。20年分位の教え子達の回答を時代の変遷とともに集積すると一冊の本が書けるかも知れません。

 

皆さんならばどのように回答するでしょうか、私も良問なので自分なりに考えてみました。

 

1)      諸外国との関係を中心に答える。(比較的オーソドックスな回答と思う)

 

江戸末期の帝国主義西欧列強にとって、日本を含む東アジアの植民地化が究極の目標であった。日本は幕藩体制から維新によって近代国家となり、日清日露の戦で辛勝した結果、帝国主義国の一端に加わる事によって植民地化を免れる方策を取り成功した。その後満州事変から日華事変へと帝国の版図を広げるにあたり、旧帝国主義陣営との経済的利害対立が先鋭化し、日本はアジアの覇権を断念するか、旧帝国主義陣営と戦争をしてでも帝国主義を続けるかの選択を迫られた。日本は新興帝国主義国である独伊と組んで旧帝国主義国と戦う道を選択し、結果的に敗戦を迎えることで帝国主義の強制的終焉に至ったのである。(281字)

 

2)      政策決定のメカニズムから答える。(少し司馬史観が入る)

 

明治維新によって形成された大日本帝国は立憲君主制を取る近代国家でありながら、実態は元勲と呼ばれる維新の功労者達による集団指導体制に支えられていた。大日本帝国憲法において、天皇は君主で絶対権力者である一方、政策施行上は責任を問われず、しかも君主を支える軍、政府、議会の権限は並列であり、天皇と同じ視線で国家戦略を立てる機構が存在しなかった。昭和初期までは軍・政府・経済界に影響力のある元勲により大局的な国家政策が練られてきたが、それ以降は並列の各機構がバラバラに、特に力を持つ軍部が国政を壟断する傾向に至り、大局的国家戦略がないまま成り行きで戦争に突入し、惨敗を期す事で帝国も終焉を迎えたのである。(298字)

 

3)      米国を軸に答える。(戦後も含んで常に米国に翻弄されてきたと言えるし)

 

黒船の来航を契機に維新により近代国家への道を歩み始めた日本は旧帝国主義国が第一次大戦で自滅し合う中で米国とともに新興勢力として世界の中で認められるに至った。英から米へ経済の中心が移り行く中で、米国は旧帝国主義国が開拓していないフィリピン、東アジア、中国を版図に加えようとしたが、そこで日本と利害が対立した。日本は米国に妥協し、共同歩調を取る選択をせず、帝国主義国の一つとして独自にアジアの盟主となる道を選んだ。結果的に日本は明治以来ロシアを軍事的な脅威として備えて来たにも関わらず、仲間のはずの中国と戦争を始め、さらに最終的に米国に戦争を仕掛けて惨敗し、新興帝国の座を失ったのである。(292字)

 

4)      終戦の形式から答える(戦争形態の異常性による必然)

 

明治維新は日本自身の選択によって幕藩体制を終わらせ、近代国家に生まれ変わるために独英などの国家体制から学んで、立憲君主国としての大日本帝国を独自に形作った。しかし第二次大戦は帝国主義同士の戦いであったにも関わらず連合国は、勝敗の行方が見えてきた時点で戦後の世界支配体制を米英ソの3国で仕切ることができるようにするため、終戦の条件を今までの戦争の常識にないunconditioned surrender「無条件降伏」に定め、敗戦国は国家を終焉させる他戦争を終わらせる事ができなくした。日本は体制の維持を望んだが叶わず敗戦を迎える。結果的に敗戦国とその支配地域は、戦後米英かソ連の定める政治経済体制に国家を変貌せざるを得なくなったのである。(297字)

 

いや、それは違う、とか俺ならこう答える、というものがあれば是非コメント下さい。しかし日本の戦前と戦後を俯瞰する上でこの問いはかなり重要なものと私は思いました。

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Ethical and Religious Viewpoint Decides the "Good or Evil" National History

2013-11-22 19:31:18 | 歴史

Ethical and Religious Viewpoint Decides the “Good or Evil” National History

 

By Rakitarou

 

I.  Introduction

 

Nowadays in the 21st century in the era of worldwide globalization, we Japanese are more necessitated to concern with the foreign countries even in a daily life.  After Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement (TPP) is concluded, we will irresistibly face with unrecognizable American and/or European way-of-thinking or commercial customs, even while we are in Japan, consequently we may become at a loss how to manage them as long as we only think problems following Japanese traditional thinking process (ethos).  I suppose, the most different point of this “unrecognizable ethos” between Japanese and people of Western Christian countries is the way “how to decide ethically or religiously good or evil”.   And I also suppose this difference is exactly reflected the diversity of “value of our own national modern history”, that is always controversial among the countries.  In this essay, I will discuss this diversity of values between Japanese and Western countries on Japanese modern history, considering the people’s difference of the way “how to decide ethically or religiously good or evil”, given the analysis might be too simplified and rough.

 

II.  Difference on how to decide “Ethically Good or Evil” between Japan and Christian countries

 

“Ethics” here I mention, means the sense of values we naturally have as a custom or habit, when we judge a thing to be right or wrong illogically.  As we Japanese are not concerned with religiously “a single God” in daily life, in Japan, “ethically good matter” can be defined as “the matter that is beneficial for one’s belonging group”.  “One’s belonging group” may be a family, a company to work for, a town, a prefecture, a country to live in, Asia, whole world, or may include future mankind, depending on the case and circumstances of the matter requiring decision, or personal faith.  However, the basic principle “the matter is beneficial for one’s belonging group” does not change when deciding the judgment to be “ethically good”.  And it is permitted even though the judgment is illogical or full of contradiction, as much as it is ethically good.  In daily life, we sometimes say ” Although the conclusion is logically wrong, we decide this way considering this special (Japanese ethical) condition”.  This special ethical condition may be linked to "the air" which Mr. Shichihei Yamamoto expressed when the mass of Japanese has the same mood for judgment of a matter.  It might be one of the Japanese characteristic thought, possibly from Confucianism of Edo period, that one can become “a scape goat” voluntary for the sake of entire one’s belonging group.  In addition, considering “just keep the every law” is indispensable factor to maintain the social order, Japanese people are apt to be extremely punctual in obeying a road signal, even when no traffic coming by.  These thought may be an unique ethos for Japanese people.

 

On the other hand, in Christianity (Islam, the Judaism are also included) that is monotheism, the decision “whether the matter is ethically right or wrong”, is deeply related to the religious doctrine.  “Right or wrong”, “good or evil” depends whether the matter is against a contract with God or not.  In the interpretation of the law, "law of nature, the laws of God" (including the natural right that was given by God, the physical and chemical law those are created by God as well) is absolute and superior to “the law of King” (commercial, or tax and penalty law) that are made by human for the purpose of managing troubles among people.  And when an interest is conflicting between the two people, fighting using the law, and pursuit the rationality is thought to be fair.  In that occasion, they don’t have any ethical hesitation so long as they pursuit their benefit by competing rationality, because this is a completely different issue form their contract with God.

 

It is presumed that after the Renaissance, “competing rationality” became the mainstream method to coordinate the conflict of people’s interest, instead the era where a Church (law) had been the center of people’s daily life.  Meanwhile, in the Islamic zone, although it depends on the level of secularity, there is an apparent trend that society should be strictly controlled under the religious Islamic law.  And this non-secularity causes the opposition to the Christian and Judaism society.  Mr. Takahiko Soejima, famous economist, told me by his personal letter, “In Judea or Christianity there originally had been a tendency to make much of “logic or ratio” in their doctrine even before Renaissance.  And who dislike this tendency founded Islam.”  I agree his opinion thinking that, in Greece or Roman philosophy, and also in theology, logical thought or rationality was attached actually a great importance.  Consequently, I presume logical thought and rationality are originally accompanied by people living in current Christianity zone without a sense of incongruity.

 

When I read “The spirit of laws” by Montesquieu and “Leviathan” by Thomas Hobbes, I was strongly impressed “the spirit of the absolute freedom” which was given by the God as one of the natural right of human. It is believed to be rational that the law was established to control the conflict of interest of the people described as “the war of all against all”. And also it is believed to be absolutely right that the social laws (made by human for the convenience of social life) were considered to be inferior to the natural law that was established by God.  However, law-abiding (compliance) should be kept even though the law or the contract was made under the threat with a gun, and one should fight the rationality with other law if he or she disagree the contract.  This concept feels a sense of incongruity from a Japanese. In Japan, “compliance” means “a blind obedience to established law”, that is not the same as the concept of compliance of Europe or US that “fight the rationality first and once the decision was made, obey the contract even if you are not satisfied with the conclusion”.  By this difference, we Japanese who has ethical sense for compliance will have a handicap from the beginning when Japan was rolled up in the full of trial society of Europe and America in future.

 

Meanwhile, though the maximum rationality is emphasized in daily life in the Judea and Christianity society, they are not willing to readily accept a criticism based on efficiency or rationality for the “decision and evaluation” based on the religious ethic.  The Japanese can’t understand the mentality that some Christian people, who emphasize the rationality in daily life, should not accept abortion or homosexuality, or the theory of evolution based on the science.  Law yields the superiority of religious ethic to rationality when some Christian refused blood transfusion by their religious belief even how blood transfusion was justified by scientific rationality.

 

III.  Definition of  “The Value of War” Based on The Ethical Sense

 

The war was carried out from ancient times for the purpose of the expansion of the territory, the acquisition of resources including human resources as slave, that is "one of the exclusive step in pursuit of national interest". The war is positioned as a method of settlement of the international dispute for obtaining a colony or natural resources that could not be managed by diplomatic negotiations in the era of the one-country-one-nation in modern times.   Historically “the value of war” was determined not based on “ethically good or evil” but on “rational or irrational” for the interest of the country.  Meanwhile, in modern Japanese history (after Edo-period), most wars were performed “to protect a race from colonization by the Great Powers”, purely for self-defense or self-existence at least in the Japanese recognition.  It is clear that these wars were recognized as "an act defined ethically good" and the war was forced to fight to protect our communities.  It is true that there was the historically inconspicuous war such as "attending World War I" or "the Siberian intervention" that were performed that would be thought to rational, and contribute to national interest of Japan.  In general, when we discuss “the war” in Japan, the war means serious self-defense war such as the Sino-Japanese, Japan and Russia, or the Pacific War.  I suppose, from the European viewpoint, Japan fought these war as means to solve an international dispute for national interest under a rational decision, because Japan did not be invaded their own territory yet.  Although during Manchurian Incident or Chino-Japanese incident, slogans such as “Five tribes Kyowa” or “the Greater Eastern Asia co-prosperity sphere” were advocated, and these slogans resembled mutual benefit, consistent with the Japanese ethics, there was not such an item in European or American ethic, and it was impossible for them to understand these spirits.

 

After the World War II, we Japanese instantly recognized when we saw our new constitution of Article 9 that “War is prohibited even though it might be for Self Defense” without hesitation.  This is because for us Japanese, war was recognized as always for “self defense” after Meiji period.  For European and American people, “War for self defense” is recognized as one of the natural and supreme rights that should never be denied, so to have the Self Defense Force newly in Japan, any countries except for Japan claimed that it is illegal.  For European people, “War renunciation” means “we abandon the right of war as an exclusive step settling an international dispute”, not “an absolute nonresistance against invasion”.  In this point, I can clearly say “it was a tragedy that Japan Self Defense Force has been treated as a fugitive despite they had worked following “the strictly defensive-only national security policy”.

 

I mentioned that European countries and the United States also, have historically considered that war had been performed under the judgment as “rational” to obtain the national interest.  However in World War II, the United States solely won tremendously among the allies, and when constructing the post-war world order, US defined the war as unprecedented concept, that is “War of ethically justified to exterminate fascism and spread freedom and democracy to all over the world”.

 

There was a contradiction against a pledge for the third election of F. D. Roosevelt that the US would never attend WW II, consequently many American young people were sacrificed.  And moreover, even though they belonged to enemy country, allied slaughtered too many citizens indiscriminately during the war.  A kind of ethical justification should be needed as a vindication for US.   However, the definition “WW II was a duty given by God and ethically absolutely good” for the United States, established the situation of US in post-war world order unexpectedly successful, and people of the US also approved the reputation of the country with pleasure.  And this is inherited as a glorious successful experience.

 

The later Korean War and Vietnam War did not bring a good result for the United States. Another feature of these wars are they were not based on “ethical justice” but on “rational decision” for the United States.   At Korean War, US was forced to fight against the invasion of North Korea as a member of United Nations Forces.  At Vietnam War, US decided to fight to prevent Domino-like consecutive Communization of Asia as a part of Cold War.  Although these wars were based on the national interest and a usual method to settle an international dispute, they were not consequently beneficial for US, and moreover US was criticized that “it was a mistake ethically” from US citizens at Vietnam War.  And this became a terrible result, even it may be said to become an America’s trauma.

 

Whereas after 911, when starting “war against terrorism” or "Afghanistan and/or Iraq War" President G. W. Bush strongly advocated the definition that the war was based on ethical justice.  The term “Axis of Evil” President Bush used, means the countries that betrayed “teaching of God” must be severely punished disregarded the national interest of US just like the countries of Axis at WW II.  In addition, giving an ethical justice to the war gave US indulgence to think rational justice to the war.  Therefore, non-democratic patriot act was established and if a man being suspected as terrorist, “torture interrogation” is permitted even in a modern democracy society, and there is no problem in executing a suspect by a missile from a drone aircraft without a trial.  For the suspect of “the Bomb case of Boston” who was defined a member of terrorist, was not adapted the Miranda act which should be guaranteed for all suspect under US constitution.  It is terrible and selfish dogma that Heaven’s vengeance does not require rational or logic justice.  It is the same way of thinking that there were no hesitation to use an atomic bomb on Japan where defeat was apparent, and any reviews on it are not allowed after the war.

 

When Korean media “Joon Ang Ilbo” reported that Hiroshima and Nagasaki were a result of Heaven’s vengeance, Japanese media criticized it all at once, however, there were no such criticism from Europe or America, which means unexpectedly for Japanese people, Korean report might not yielded a sense of incongruity in European and American society.  In conclusion, to keep the definition that “the war after 911” is based on ethical justice, the premise that World War II was a fight of the justice, must not be overturned.  I think the United States won’t (can not) hand over to alter this premise in any condition.

 

IV.  How We Japanese should Manage these Divergence in the Future

 

Based upon the previous discussions, people of the Judea Christianity zone have different standard in deciding ethically right and wrong from we Japanese, and moreover, they are presumed to be good at justify their behavior selecting ethical justice and logical justice conveniently to suit the occasion.  General MacArthur (General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers) mentioned at US congress contemptuously that the Japanese democracy was like a level of elementary school.  I suppose he misunderstood Japanese illogical way of thinking in daily social life as “non-democratic”, and despite his reputation, this does not mean that Japanese society is not inferior or immature than society in Europe or US.  In the United States also, the social decision based on the religious ethic is not at all rational nor democratic.  The sense of inferiority that Gen. MacArthur felt for Japanese society was simply attribute to a difference of social and cultural background between Japan and US.  And it follows that when the established national history or meaning of war contains this unassailable ethical justice, we have to continue arguing timelessly in reviewing these matters by ratio or logic.

 

I think it should be allowed that every nations, every country have their unique standard on how to decide ethical justice.  And also they can decide their value of national history based on their ethical justice, which sometimes could not be overturned by logic or discussion based on ratio. However, when different countries try to evaluate the same historical phenomena, every country must dismiss all their established evaluation based on their ethical standard once, and re-evaluate it scientifically based on confirmed truth.  It is not so difficult when we evaluate the historical phenomenon scientifically before medieval times.  However, when evaluating modern history, it is mostly complex and become controversial to discuss scientifically because every nation give some irrational ethical meaning on it.  Japan, Korea, and China are always struggling to have common historical recognition (values to historical phenomena).  I suppose Korean and Chinese people independently have different standard on deciding ethical justice from Japanese and/or European people as well.

 

Mr. Hashimoto, Mayor of Osaka, gave an opinion based on logic that “Comfort women were needed to maintain mental stability of the soldiers in the wartime”. However, the argument that came back was a criticism based on the ethics.  It is unfair technique to replace the argument from logic issue to ethic issue.   Actually this technique is frequently used when discussing issues on World War II.  Including the issue of pogrom, there are a lot of matters that should not accept scientific or logic re-evaluation concerning World War II.  In order not to have baffled by people of the Judea and Christianity zone, who are good at selecting use of logic justice and ethic justice by occasion, we Japanese recognize again the difference how to decide ethically good or evil between Japan and other countries.  Ethical and religious viewpoint reflects the value of national history.

 

Fin.

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倫理的善悪の決め方が歴史観に反映する

2013-11-22 19:21:34 | 歴史

普段ブログに書き連ねている内容について、某所に懸賞論文として出してみたのですが「選外」だったので自分のブログに載せます。海外への情報発信も行う旨うたわれていたので稚拙ながら英文にしたものを次の回に載せます。

日本の医者にとって英文で医学論文を書くのはかなり骨の折れる仕事で大変なのですが、この手の論文も英訳してみてけっこう手のかかるものだと実感しました。まあこのような辺境ブログを見に来る外国人はいないでしょうが、1−2名でも読んでくれれば幸いです(どこぞの危険思想自動解析コンピューターには引っかかるかも知れませんが)。

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倫理的善悪の決め方が歴史観に反映する

 

1. はじめに

 

21世紀に入り、経済のグローバル化が進む中、日本は日常生活においてもさらなる諸外国との交流が求められています。平成の開国と言われる環太平洋経済連携協定(TPP)が締結されると、否応なしに欧米流の商慣習や思考法と今以上に対峙することになり、日本人特有の思考法(エトス)では理解できない事象が増加すると思われます。私はその理解不能となる原因が日本人とキリスト教圏の人々との倫理的善悪の決め方の違いにあるのではないかと考えてきました。そして近代史を語る時に常に問題となる歴史観の違いも、実はこの倫理的善悪の考え方の違いが反映しているだろうと推測しています。以降、私の考える倫理観の違いからくる歴史観に対する認識の相違を、一刀両断、ざっくりとした分析にはなりますが、考察してみたいと思います。

 

2. 日本とキリスト教圏における倫理的善悪の決め方の違い

 

ここで述べる倫理観とは、物事の善悪を決める際に判断の根拠となる価値観のうち非論理的な部分、つまり自然と身に付いている習慣のようなものを指します。日本人は単一の宗教的倫理観に日常深くかかわっていないことから、私は日本人にとって「倫理的善とは、自分の属する集団の利益になること」と定義できるだろうと考えます。「自分の属する集団」とは、家族、勤める会社、住む町、県、国家、そして場合によりアジア、世界全体、或は未来の人類まで含まれますが、それは判断する事象によって、また個々人の考え方によってどの範囲を対象にするかが分かれます。但しそれが自分の属する集団であることに変わりはありません。そして倫理的に善であるとされれば、論理的には矛盾や誤りがあっても目を瞑ることが許されます。「筋論からはこうだけど、今回はこの決定で・・」といった事は日常よく行われています。この倫理観は日本人の集合体になると山本七平氏が表現した「空気」といったものにつながるかも知れません。江戸時代からの儒教的思考から、時には自分の属する集団の利益ためには自分自身が犠牲になることも厭わないと考える事も日本人特有のものでしょう。また法の遵守を社会秩序に必須の要件と考え、交通ルールのような約束規範にさえ守ることに倫理的な意義を見いだして、車が来ない赤信号を渡る時にも後ろめたさを感じてしまうといった事も日本人ならではのエトスであると思います。

 

一方で一神教であるキリスト教(イスラム教、ユダヤ教も含まれますが)においては、倫理的善悪の基準は宗教的倫理と深くつながっていて、神との契約に反するか否かで決まります。法の解釈においても、神が決めたとされる「自然法・神の法(神が創造した世界の物理や化学の法則から自然権など神から与えられたと定義される権利も含む)」は絶対的なものとされ、人間同士で決めた商法、税や刑罰についての法は「王の法」として利害が対立する場合にはより論理的に正しい(rationalな)ものを討論によって、また法を戦わせる事で決着をつけることが良いとされます。自己の利益をrationalであることを基準に争う場合には倫理的葛藤はありません。それは神との契約とは別の問題だからです。

 

西洋においてrationalである事を争って、利害の対立を調整するやり方が定着したのは、日常生活が教会法の束縛から解放された中世ルネッサンス以降のことだろうと推察されます。しかしイスラム教圏においては、世俗的である度合いにもよりますが、現代でもイスラム法によって社会が営まれる事が良いとされる風潮があり、社会生活に宗教的倫理観が深く介入している事が、キリスト・ユダヤ教社会と対立する原因になっています。経済学者の副島隆彦氏は筆者との個人的書簡において「ユダヤ・キリスト教はルネッサンス以前から、もともと教理の中に論理や理性といった物を重視する傾向があって、そこに嫌気がさした人達がイスラム教を起こしたのだ」と主張されています。確かにギリシャ、ローマの文化や神学の探求においても、論理や理性といったものが重視されており、これらは元来現在のキリスト教圏の人達の思考において違和感なく身に付いていたものと言えるでしょう。

 

モンテスキューの「法の精神」やトマス・ホッブズの「リバイアサン」を読んでいて感ずるのは「人間は本来何をやっても自由である」という神から与えられた自然権としての「徹底した自由」への信奉です。人を殺すことも自由であるという無秩序(万人の万人に対する闘争)の状態を調整するために「法」を作り自由の一部を差し出す事がrationalであるとすることから国家や社会の法が作られたのであり、これらの法は神が定めた自然法の下位におかれるものだと規定されます。しかし一度法を定めたならば「例え銃で脅されて結んだ契約」でも守らなければならないという遵法精神(compliance)も説かれており(文句があるなら法同士をratioで戦わせて自分の利益を通しなさいと続くのでしょうが)、日本人の感覚からは違和感を覚えます。日本の社会ではコンプライアンスの重視は「既定の法への盲従」の意味で使われているのが現実であり、徹底的に「法における合理性を争った上で結論が下されたら不本意な結論であっても従いなさい」という欧米流のcomplianceの概念とは異なる使い方をされています。その点で今後欧米的裁判社会に日本が巻き込まれて行った際、法の遵守に倫理観がつきまとう我々日本人は始めからハンディキャップを負わされた状態となるでしょう。

 

ところが日常生活において合理性が強調されるユダヤ・キリスト教社会においても、宗教的倫理観に基づく決断や評価が一度なされてしまうと、彼らはその決断や評価に対してなかなか合理や理性に基づく批判を受け入れようとしません。堕胎や同性愛に対する異常とも見える反応や、科学に基づく進化論をかたくなに受け入れない姿勢は、日常あれほど論理性(ratio)を強調している同じ人種と思えない、日本人には理解しがたい姿と言えます。

 

3. 倫理的善悪に基づく戦争の定義

 

古来、戦争は領土の拡張、資源の争奪、奴隷の確保など「国益を追求する一手段」として行われてきました。近世国民国家の成立以降、西欧列強における戦争は植民地や資源の獲得のため、外交交渉で決着がつかない国際紛争の解決手段として繰り返し行われてきました。その立ち位置はあくまで「倫理的な善悪」ではなく、合理性に基づく正しさ、rationalな物として行われてきたと定義できます。しかし日本においては、維新以来の戦争は殆ど「列強による植民地化から民族を守る」「自存自衛のため」国家の存亡をかけて行われてきた、のが実情でした。それは自分達の共同体を守るための切羽詰まった「善なる行為」として認識されていたことは明らかです。勿論日本においても国益に資するためrationalな判断の下に行われた「第一次大戦」や「シベリア出兵」などの目立たない戦争もありましたが、歴史上重きをおかれる事は少なく、日本では戦争といえば日清日露・太平洋戦争などの「負けたら日本はおしまい」という国を挙げての「自衛のための戦い」をさす事が主でした。しかし諸外国から見ればこれら日本が行ってきた戦争も、自国が侵略された訳でもないのに戦争をしているのであり、「国益のために国際紛争を解決する手段として戦争している」と見えていた事は明らかなのです。満州事変や日華事変も日本的倫理観に基づく「五族協和」や「大東亜共栄圏」といった自分の属する集団に対する相互利益的なスローガンが掲げられ、戦争でなく事変と定義されていても欧米の倫理観にはそのような項目はないのであり、単なる「国益のための戦争」に映っていたことでしょう。

 

戦後の日本国憲法において、「戦争放棄」を日本人は「自衛のための戦争もいけない」と即断したのに対して、欧米では自然権である自衛権まで放棄することなどありえない事なので、自衛隊ができた時に問題視したのは外国でなく日本国内だけ、という奇妙な事態が生ずる結果になりました。「国際紛争を解決する一手段として戦争をしない」とは、諸外国からみて日本が戦前に行ってきたような戦争をするな、という意味以上のものではありえないのです。その点で諸外国の視点では当然の権利である「専守防衛」をかかげて国防に専念してきた自衛隊が国内では日陰者として扱われてしまったのは悲劇と言わざるを得ません。

 

欧米諸国にとって国益のためにrationalな判断に基づいて行われてきた戦争において、第二次大戦で圧倒的勝利を納めた米国は戦後秩序を自国中心で形成するにあたって今までになかった概念、つまり「この戦争は倫理的善悪の判断に基づいて行われたものであり、ファシズムという悪を退治し世界に自由と民主主義を広めるために行われた正義の戦争である」と定義づけました。それは自国が侵略されておらず、また敵国といえあまりに多くの市民を無差別に虐殺し、戦争に参加しないと約束して政権についたにも関わらず、多くの米国の若者達の犠牲を出してしまったルーズベルト政権の国内事情もあったとは思います。しかし「神に与えられた任務」と言わんばかりの「倫理観に基づく戦争」という定義付けは予想以上に戦後の世界における米国の立場を盤石にし、国内に向けても国民の賞賛を得られる良い結果をもたらしました。これは大きな成功体験として受け継がれて行くのです。

 

その後の朝鮮戦争やベトナム戦争は米国にとって良い結果をもたらさなかったのですが、これらの戦争は米国にとって「倫理観に基づく戦争」ではなく、国際紛争を解決する手段、rationalな判断に基づく戦争であったことも特徴です。朝鮮戦争は北の侵攻に対して「国連軍」として戦わざるを得なかったものであり、ベトナム戦争は東西冷戦の一環としてアジアのドミノ的共産化を防ぐという「国益」に根ざした戦争でした。これらは米国にとって散々な結果であった以上に、ベトナム戦争に至っては「倫理的に誤りであった」と国内から批難される結果となり、米国のトラウマにさえなっていると言えます。

 

翻って、911以降「テロとの戦争」「アフガニスタン、イラクとの戦争」を始めるにあたり、米国はこれが国益を度外視した倫理的正義に基づく戦争であるという定義をことさら強調しました。ブッシュ大統領の唱えた「axis of evil」邪悪なる枢軸という表現は神の教えに背く国々は第二次大戦の枢軸国と同様、国益を度外視してでも征伐するという意味を持たせるものでした。またこの戦争に倫理的な意義を与える事は敵を倒すにあたってrationalであること、論理や理性を考えなくても良いという免罪符を与える事にもつながりました。だから非民主主義的な愛国者法(patriot act)が制定され、テロリストの疑いがかかれば民主社会では許されない「拷問」を加える事も可能になり、容疑者を裁判なしに無人機からミサイルで処刑することも問題なしとされるのです。ボストンの爆弾事件はテロリストの犯罪と定義された結果、その容疑者には憲法で保証されたミランダ法の適応もされないと決められた事も同じ流れです。「神罰には論理や理性は適応されない」という身勝手で恐ろしい考え方です。それは敗北が見えている日本に原爆を投下することに何の躊躇も見せず、また戦後においても一切の見直しがなされない事にも通じる思考と言えます。韓国の中央日報が原爆を「神罰」と表現した事に、さすがに日本のメディアは一斉に批難をしましたが、欧米からそのような批判がなされない事は、原爆投下を神罰とする見方が案外現在も西欧社会では違和感なく受け入れられているからかも知れません。結論的に言うと、911以降の戦争が倫理的な正義に基づくものであるためには、第二次大戦が倫理的に正義の戦いであったという前提が覆されてはいけないという事です。米国はこの前提を変えないという事について、一切譲らない(譲れない)であろうと私は思います。

 

4. これから

 

以上のことから、ユダヤ・キリスト教圏の人達は、倫理的善悪を決める基準が我々日本人とは異なっている上に、方便として倫理と論理を使い分けて自分達を正当化する手法に長けた人種であると推測できるのです。戦後マッカーサーは日本の社会が非民主主義的だとして日本人を「小学生」と揶揄したそうですが、それは日本的倫理観に基づいて社会生活を送る事が必ずしも論理的でない場合が多いという事を非民主的だと見ただけであり、社会・民族が未熟であるという事ではないと私は思います。アメリカでも宗教的倫理観に基づいた決定は決して論理的・民主的ではないのであり、どちらも倫理観に関する社会の背景が異なるだけの事なのです。そして歴史や戦争の評価にこの「論理では突き崩せない倫理的評価」が入っていると、いつまで議論しても共通の認識が得られない不毛の議論を続ける結果になってしまいます。国家・国民にはそれぞれ特有の倫理的基準があり、それらは必ずしも論理では突き崩せないものであり、それらに基づく歴史の評価というものはそれぞれにあって良い物だろうと私は思います。しかし、異なる国同士が共通の歴史の評価を行おうとする時、お互いの倫理観に基づく評価は一度全て棄却して、証明された事実に基づいて論理的理性的に事象を評価しなければなりません。中世以前の歴史認識においてはそれぞれの事象に共通の評価ができるのに、近世以降の事態になると簡単にできないのは、そこに各民族・国民が持つ独特の倫理観に基づく評価が入っているためだと思われます。共通の歴史認識で常に問題となる中国や韓国の倫理的善悪の決め方について、実は私はまだ結論を得ていないのですが、恐らく日本とも西欧とも異なるものではないかと推測しています。

 

大阪市の橋下市長は「戦時においては兵士の精神的安定を維持するために慰安婦が必要だった」と論理で意見を述べたのですが、返ってきた反論は倫理に基づく批判でした。論理を倫理に論点をすり替えてしまうことは卑怯な手法ですが、第二次大戦に関する議論では頻繁に行われる手法です。ユダヤ人虐殺問題を含めて、第二次大戦に関する事柄で論理を受け付けない事柄は多数あります。論理と倫理を使い分ける事に長けたユダヤ・キリスト教圏の人々に翻弄されないためにも、我々はお互いの倫理的善悪を決める基準について認識を新たにしておく必要があるのです。倫理的善悪の決め方が歴史観に反映されるのです。

 

以上

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正しい歴史教育のありかたを考える

2013-09-02 19:05:21 | 歴史

昨今、まんが「はだしのげん」閲覧問題や、国連の事務総長までが歴史認識について言及をするようになり、歴史というものが世間を騒がす事著しいと感じます。ドイツの鉄血宰相で知られるビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったとされていますが、要は歴史を学ぶ意義とは、歴史を教訓として(自らが)同じ間違いをしないようにしましょう、という意味であると理解します。少なくとも、歴史の一方的な見方を他人に強要することで自分が有利な立場に立ったり、相手から金品を強奪する方便に使ったりするような「はしたない真似」をするために歴史があるわけではありません。歴史とはあくまで内省的に自らを嗜め、自らを高めるためにあるものだと理解します。

 

加藤陽子氏の「それでも日本人は「戦争」を選んだ」朝日出版社2009年刊 は私立の名門、栄光学園において戦争を中心にすえた日本近代史の授業を生徒達と共に考えながら進めるにあたって、当時の日本の為政者の立場、当時の日本のおかれた環境や政治状況を考慮しながら、何故このような選択を為政者達がしてきたのかを考える内容になっています。私はこれこそが「歴史を学ぶ意味」を示す優れた歴史書だと思います。戦争に負けて酷い目にあった、アジアを侵略して酷い事をした、のは現在の価値判断から見て戦前の日本人が「バカ」だったからで済ませてはいけません。当時の第一線の人達がそれなりに熟考して考えた結果が、大きな失敗となったのですから、戦後の日本人が未来において様々な判断を下してゆく上で同様な誤りを冒さないためには当時の俊才達が知恵を絞って出した結論のどこが問題だったのかを検討して、現代の問題への対応に教訓を生かさないといけません。それを行って初めて我々は将来の日本人達に正しい未来をつないで行く事ができるというものです。未来の日本人が「それでも日本人は『原発』を選んだ」とか「それでも日本人は『改憲』を選んだ」といった本を、反省をこめて書かなくて良いように我々は将来を見据えた選択をしてゆくべきです。

 

現在学校教育で使われている教科書にも、様々な問題があるのではと、自分の子供達の教科書をめくってみて感じます。教科書における歴史の記述では、語彙の正しい使用も学ぶ学生達の誤解や間違った理解を避けるために大事だと思います。例えば、戦前の日本を「ファシズム」体制と規定する記述が見られますが、ムッソリーニやナチスにおける政治綱領としてのファシズムと日本の天皇制を軍が専横した体制とは明らかに異なるものであって、一緒くたに「ファシズム」というくくりで戦前を学ぶと「戦前は悪かった」といった単純な善悪説くらいしかイメージとして描けず、将来に活かせる教訓が得られなくなる危惧があります。丸山眞男は「日本型ファシズム」といった語彙を用いて違いを述べていますが、どこか不自然であり、ファシズムという語彙を戦勝国側が押し付けたから仕方なくその言い方をしたようにしか見えません。

 

他にも併合した朝鮮に対して「植民地支配」をしたという記述があるのですが、「併合」と「植民地化」は英語でも異なる語彙が用いられており、意味も異なります。これも朝鮮に対して誤った歴史認識を日本の学生達に植え付ける元になると考えます。併合は一個人にとって見ると、併合された国の国民になるのであるから比較的緩やかなもの(精神的には別です)ですが、国家にとっては存在そのものの消滅になるのですからより苛烈な内容になります。寿命は短いものでしたが、満州国は日本の植民地と言ってよい状態だったと思います。満州国国民は日本人の扱いは受けなかったはずです。しかし沖縄に住む人が日本人であるのと同様、現在ハワイやグアムに生まれた人はアメリカ市民ですし、当時の日本国・朝鮮で生まれた人は日本人でした。私の母がそうです。返還前の沖縄で生まれた人は日本とアメリカの国籍を返還後選ぶことができました。帝国主義列強のアジア・アフリカに対する植民地支配はそのようなものとは異なります。

 

併合された状態から戦後独立した国に住む人は、一般的に併合していた国に「悪い感情」を持っているようです。私は、米国留学中オーストリアからの留学生と数人友人になりましたが、彼らは同じドイツ語を話すのに押し並べてドイツ嫌いでした。私がドイツ語で話しかけても敢えて英語で答えるという感じです。一方でドイツ人の友人は別にオーストリアを嫌っている様子はありません。多分それはソ連から90年以降分離独立した国々についてもいえるのではないかと思います。だから韓国人達が日本人を悪し様に言うのは解らないではないのですが、「併合」を「植民地」とわざと違う教育をするのは明らかに誤りです。朝鮮の人達は戦時中、日本軍として連合国と戦ったのが正しい歴史です。

併合された状態から新たに国家を作った場合には、無から始まった新生国家として様々な努力をしてゆかねばなりません。韓国はどうも日本に戦前侵略されて、併合されたのではなく、植民地として管理され、第二次大戦で連合国と共に日本に対して戦って自由フランス軍のように戦勝国として戦後を踏み出したという間違った認識を通したいように見えます。「併合自体が違法だった(つまり併合の事実はなかった)」といった事も最近言い出しています。確かにその方が一寸かっこいい。しかし、南北朝戦は日本国の一部であった朝鮮半島を連合国が二つに分割して信託統治をする上で作られた国家なのであって、「朝鮮民族が自らの意思で築いた国家ではない」という根本的な認識がないとその後の展開が全て誤ってしまうのです。

 

私は、朝鮮戦争は朝鮮民族にとっての独立戦争であった、という認識を度々ブログでも披瀝していますが、初戦の北が釜山まで攻め込んだ時に独立を宣言して終了していれば北を中心とした共産国、仁川上陸後鴨緑江まで攻め上げた時に終了していれば韓国を中心にした統一朝鮮が実現していたのです。彼らが戦勝国の代理戦争ではなく、自分達の独立戦争として朝鮮戦争を戦っていれば、統一朝鮮は他のアジア諸国が独立していった時期と同じ時期にできていたことでしょう。つまり併合後の独立という「無から国を造る」歴史認識がない事が現在の南北離散の悲劇にもつながっているように思えるのです。

 

高校3年の息子の夏休みの宿題に「マルサスとリカードの論戦についてまとめて考察しなさい」というのがありました。私には何の事かさっぱり解らなかったのですが、ネットなどで調べてみると、「リカードの完全自由貿易」と「マルサスの自国の農業を保護する政策」について100年位前に行われた討論のようで、要は日本のTPP問題に関連した歴史的考察を求めている事が解りました。何とも時宜を得たレベルの高い宿題だと感心したのですが、その後の展開を見る限り欧州においては「農業保護」が結論として選ばれて現在も支持されていることが解ります。アメリカ様の言う通りにしておけば良いというのは経験に学ぶことでしょうが、歴史に学ぶ賢者はTPPにおいて農業をどうするべきか(そもそもTPPなどというものが将来に渡って日本の国益にかなうか)明らかだろうと思われます。今の高校の先生、なかなか素晴らしい。

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中国の文革後の拝金主義は尊王攘夷後の開国のようなものか

2013-07-19 18:27:08 | 歴史

前回の書評 「おどろきの中国」で、文革であれほど資本主義を嫌っておきながらあっさりと改革開放・拝金主義になった心理的構造がどういうものかという視点で読んだことを書きましたが、「文革と改革開放は一連の物」という面白い視点はあったものの明確な答えはなかったように思います。ただ、文化大革命で中国的な有形無形の古い伝統を紅衛兵という伝統を知らない少年少女達の世代に破壊させたことは、次の改革解放に中国全体が伝統にとらわれずに進むことの抵抗をなくした、つまり社会のキャンバスが真っ白になった所で資本主義、拝金主義の絵を自由に書き込む下地ができた、という分析は正しいように思いました。

 

日本においても維新前の動乱期には幕府の外圧による開国政策に対して強行な攘夷思想を掲げる志士達が倒幕運動を進めましたが、一度維新が達成されると積極的な開国西洋化がなされました。この転換にさして心理的抵抗が起こらなかった理由は、結局「攘夷」は本当に外国人が憎かったのではなく、倒幕のための方便でしかなかったということだと思われます。倒幕の中核となったのは関ヶ原以前から土着であった「下士」といわれる徳川体制では虐げられてきた武士達であり、尊王をかかげることで権威の後ろ盾を持ち、攘夷という反幕政のスローガンでまとまることができたというだけで、維新後に西南の役のような燻った状態もありましたが、庶民を含めて多くの人達はすんなり開国・西洋化を受け入れてしまったのでしょう。

 

中国も共産党政権ができる前の状態は、西欧列強と遅れて乗り込んだ日本に酷い目にあっていたとは言え、特に中国社会で資本主義が発達して、その搾取で多くの民衆が苦しんでいたという訳ではなく、国民党が都市部を中心に勢力を固めたのに対して、共産党は農村に入り込んで土地を農民に解放し(その後公社化しますが)、食料を確保して行く事で勢力をのばした背景があるにすぎないのであって、特別反資本主義をかかげるマルクス主義が選ばれた結果、共産党政権ができた訳ではなかったはずです。だから文化大革命で走資派とされて迫害された人達も「資本主義の権化として散々民衆を苦しめたから」というよりも「党の幹部」であったり、「中国の伝統や社会における権威」であったりしただけの理由で迫害されただけです。そういった点で10年に及ぶ文革で社会が破壊されて白いキャンバスになった時、日本における維新後と同様に「諸外国に追いつくためにどうするか」を問われた時に、「手っ取り早く資本主義・拝金主義を導入しましょう」という結論になったのは自然だったかも知れません。

 

ところで、中国の人達が倫理的に善悪を決める基準が何かは、「おどろきの中国」には明確には書かれていませんでしたが、私の想像としては、やはり「自分が生きのびること」を基準として、幇と呼ばれる自分の属する集合体の利益を優先することが善悪の基準になっているように思われます。社会の法や規則は幇のもう一つ外側にあって、幇の規範に反しない限り守られるというもののように見えます。近代的な国民国家に住む人達が抱いているのと同様な、「中華民族の国家」という意味での「愛国心をもとにした精神」が倫理的な善悪を決める基準になっているかというと、政府としては大いにその方向に持って行きたい所でしょうが、民衆の側としてはまだ十分とは言えないように感じます。外国に出て「中国人」としてひとくくりにされるとナショナリズムをむき出しにするように見える中国人ですが、まわりが全て中国人とう状況の中ではお互いを同じ国民として信頼し合う事はなく、幇や同郷といったくくりの方が依然として遥かに重要なタームになっているように見えます。この事についてはまた勉強を続けたいと思います。

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司馬史観、反司馬史観

2010-12-30 00:51:21 | 歴史

坂の上の雲第2部が先日終了して来年末にいよいよ第3部完結編ということになりました。いろいろと懸念されるところもありましたが、私は丁寧にまた豪華に作られたNHKらしい良い作品だと感じています。俳優陣の豪華さに加えて外国人は全て母国語という所も良い。

 

ドラマの主体は圧倒的な強さを誇る西洋列強に飲み込まれそうになった明治日本の人達が五里霧中ながらもがむしゃらに西洋に追いつき追い越すために頑張り、古い因習にとらわれずに叡知をしぼってとうとう清国を破り大国ロシアを「戦闘において負かす」ところまで行った、という事実を描くことにあると思います。

 

この幕末から明治にかけて日本が西欧列強に飲み込まれないよう「合理的に」「がむしゃらに」しかも「叡知を絞って」近代化を突き進んだ様は素晴らしいが、昭和に入って日本が西欧の帝国主義と同じ道を歩むようになり、「意固地で」「利己的で」「非合理的」つまり幕末明治期の良い所を失ってから日本が駄目になった、というのが所謂「司馬史観」というものです。司馬遼太郎の小説や随想を読むと随所にこの考えが出てきます。この考え方は判りやすいし、大方の諸外国の日本に対する考え方とも対立するところが少ないので受け入れられやすいのだろうと思います。

 

しかし明治の人達は本当に素晴らしかったのか?「司馬氏は小説として明治を良く書きすぎているのではないか」という批判があります。確かに大きな変革の時代は時代を象徴する人物に光を当てて善悪の評価を加えながら小説化しやすいという特徴はあります。それは日本に限らずどの国の歴史においても言える事と思います。

 

一方で明治に限らず、昭和においてもいつの時代も日本人は最善を尽してその時々の時代の選択・決断をしながら生きてきたのだ、という考え方もあります。特に「昭和初期に日本は西欧列強と同じ帝国主義になったのだ」というのは西欧列強から日本を見た見方であって、日本人自身はそう思っていなかった、という考え方もあります。確かに欧州諸国がアジア・アフリカの国々を植民地化したのと同じやり方で日本は植民地経営をしたわけではありません。人種の違う人達を人間扱いせず奴隷として扱うような西欧的なことはしませんでした。むしろ現在の中国がウイグルやチベットに対して行なっているやり方に近い方法といえるかもしれません。

 

日本が輝かしい国として描かれること自体がNGなのだ、という「レベルの低い単なる反日的理由」で司馬史観を批判する輩もいます。これは問題外ですが。

 

年末を迎えて日本は危機的状況と言われながらもGDPは世界3位ですし、路上で飢え死にする人達が続出する気配もありません。医療制度も整っていて疫病が蔓延する状況もなく衛生的です。政治家は殆ど仕事をしていないのに世界が金融ショックに喘いでいる中で円が断トツに強さを保っています。近年殺人事件や刑事事件は戦後最低のレベルだそうです。1億人を越す人口を持った国が激動の世界情勢の中で何とかこのレベルで生活できているというのは、小説になりそうなヒーローはいませんが後世から見ると「けっこう大した事」なのかも知れません。
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ドラマに茶々を入れる三流学者達

2009-11-30 00:53:31 | 歴史
NHK「坂の上の雲」に学識者ら要望
 学識者らでつくる「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワークは26日、NHKで29日から放送されるドラマ「坂の上の雲」に関して、司馬遼太郎氏の原作小説には「重大な歴史認識の誤り」があるとして、視聴者に事実との違いを伝える措置を講じるよう要望した。_ 同ネットワークは、最近の研究では「当時、ロシアが日本を侵略しようとしていたことを示す歴史的事実は無い」とし、日露戦争は「祖国防衛戦争」だったとの司馬氏の認識は誤りだと指摘。著作権に配慮した上で訂正や補足を行うか、ドラマ放送期間中に日清・日露戦争の経緯の検証番組を放送することなどを求めた。(2009/11/26-18:45)
時事ドットコム(http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009112600874)

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NHKのドラマ「坂の上の雲」第1回を見た。なかなか良いできだと思いました。明治維新から初めて世界というものを知ってしまった日本国が右も左も判らずがむしゃらに生きた時代に日清日露の戦争を経験して西欧文明国に国家として認められるに至った時代を軍人の秋山兄弟と詩人の正岡子規を中心に描いた快作です。司馬史観(明治の元勲の時代は良いが、昭和初年代から日本は駄目になった)を批判する人達(ずっと駄目派、ずっと良い派)もいますが、私は本小説は日本人必読の書だと思っています。それは学生時代に善悪の道徳観の入った日本史の授業が大嫌い(世界史には善悪の道徳観はない)だったから日本の歴史に大人になるまで興味を持てなかったのですが、躍動する明治の人達を描いた司馬氏の小説を読んでから私は日本史が大好きになったという経緯があるからです。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言いますが、私が上記の連中を三流学者と呼ぶのはこの人達が一流ならばドラマに茶々など入れずに、自分たちの専門である歴史に基づいて現在の民主党政権に今後日本国が取るべき適確な外交の道を説くのがこの人達の本来やるべきことだからです。中国でも諸外国でも古来歴史家というのは為政者に適確な知恵を授ける役目をしていたものです。後知恵で批判をする、この歴史解釈は誤りだなどというのは我々素人でも床屋談義でできることです。この学者達が明治の時代に生きていて、ロシアが日本を侵略しようとする意図はないと明言できる知能があったと言うならば良しとしましょう。しかし当時の日本人はロシアの南下政策で日本も危ないと真剣に思ってしまったから国家存亡の大ばくちで戦争を行ったのです。そこには老獪な英国にのせられて代理戦争をさせられてしまった、という面も後知恵で考えればあるでしょうが、当時はそこまで考えられず、真剣にロシアと戦ったのだと言えます。だからドラマでは当時の日本人達が必死に考えた結果このようになったのだという真実を描けばよいのであり、上から目線で本当はこうだったのにバカだねえといったくだらない価値観の入った描き方をしたら本当に描きたいことが台なしになってしまいます。我々はドラマの中でお前達のくだらない意見など聞きたくもない!所詮三流学者達にはその程度のことも理解はできないでしょうが。

この小説を実際に読んだ人は判るでしょうが、この長編小説が戦争を扱っているといっても実際の戦闘場面というのはそれほど出てこない。勿論物語の主軸となる奉天の会戦や日本海海戦は詳しく描かれますが物語の分量からいえば僅かと言えるでしょう。物語の大半は戦争を背景にした人間の生きようや社会の姿に費やされていて、それがこの小説を素晴らしい文学作品に押し上げていると言えます。ドラマ化にあたって司馬氏は戦争賛美に取られることを危惧したと言われていますが、原作も読まずに「日本が勝ったとされる日清日露戦争を扱った作品」というだけでアレルギー反応を起こすような低能が戦後量産されてしまったことが本当の問題だと思われます。NHKがドラマ化すると聞いて変な歴史観に染まったくだらない作品にならなければ良いがと私の方が危惧していたのですが、第1回を見る限りでは安心して見れそうです。主人公達の表情も良く(垢抜けすぎか)、精緻なCGを駆使した画面など、どうかこのまま原作の思想に忠実に子供たちにも是非見なさいと言えるような素晴らしいドラマを作り上げて欲しいと思います。
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国旗・国歌の問題よりも反日でないと試験に合格しない方が問題である

2008-11-04 20:40:00 | 歴史
橋下知事、高校生に持論 「僕らは最悪の教育受けた」「国旗・国歌意識して」(産経新聞) - goo ニュース

国旗、国歌に関しては、高校生位になると「俺は好きじゃないから歌わない、」とか「来賓できた市長は革新系だから座ったままだった」とかある程度社会的バックグランドを理解してくるので敢えて強く教育しなくても良いように思います。しかし幼稚園や小学校では式典の時に国旗・国歌は必須でしょう。それは長じてから他国の国旗・国歌に対する礼儀をわきまえるようにしつけるためでもあります。壇上に国旗が掲揚してある正式な式典の時など、挨拶のために壇に上がる人はまず国旗に礼をするのが常識なのですが、国際感覚のない人達は壇上のひな壇にいるお偉いさんに礼をしたりします。恥ずかしいことですが誰も注意しないので一生気がつかないでしょう。国旗に対して礼を払うという気持ちは子供の時から教育されないと身に付かないものです。

高校の教育で問題なのは、むしろ戦前の日本の歴史を善悪の倫理的価値基準で記載された歴史教科書を記憶し、試験ではその通りの歴史観を書かないと点数にならないことです。これは共通一次試験などの入学試験でも同じであり、大学生になるためには「日本の歴史的事象はどのような事件があり、その教訓はどのようなことだ」ということでなく、「日本はとんでもない悪い国家であった」という善悪の価値基準で歴史を記憶しないと合格しないことになっていることが最大の問題なのです。

私が高校の時の世界史も「帝国主義の時代」でイギリスなどの帝国主義政策のあたりまでは善悪の価値判断なしに事実をつらつら記載してあったものが日独伊三国同盟のあたりから善悪の価値判断の混ざった記述になり、事実関係が分りにくいなあと感じた経験がありました。最近高校生の娘の歴史教科書を見せてもらったのですが、変に善悪の表現が入っているために何が言いたいのかさっぱり分らない内容になっていて眩暈がしそうでした。「朝鮮の植民地化」と大きな表題にはあるのですが(植民地化と書くと本当に植民地になっていたアジアアフリカ地域との違いが理解できない)、中の記載は日韓併合の経緯や下関条約のこと、はたまた朝鮮の独立勢力のことやら書かれていて、本来日本は何を意図していたのかが端的に理解できない。こんな分りにくい教科書で勉強しないといけない子供たちが本当に可愛そうになりました。

以前の拙ブログ(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/92cb99a26a0089c5f59dfa075dd853ef)において「善悪の価値判断を交えた歴史認識など対立する者同士以外何の意味もない」という意見を紹介しましたが、日本の子供たちが歴史を学ぶ意義は戦勝国の日本支配を容易にするための洗脳が目的ではなく、激動の21世紀を日本が生き抜くための知恵、どのように考え、どの選択肢を選ぶかの糧になることが目的です。正しい歴史教育(皇国史観が正しいなどという意味ではないことはお分かりかと思いますが念のため)が行われる世の中になって欲しいものです。
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北京五輪開会式の歴史絵巻は歴史というより文化紹介

2008-08-24 21:25:27 | 歴史
北京五輪も無事閉会式を迎えようとしています。開会式は夜遅くしかも長時間だったのでずっと注視して見ていた訳ではありません。しかしやたらと手の込んだしかも絢爛豪華なアトラクションであったと思います。テレビの解説者が歴史絵巻という紹介をしていたので、見る方もそのつもりで見てしまった人が多かったのではないかと思いますが、私は少し違うのではないかという印象があります。

スピルバーグに芸術顧問を断られて、北京オリンピック組織委員会は2008年4月中国人映画監督の張芸謀をチーフディレクター、振付師の張紹鋼と陳維亜をアシスタントディレクターに選定した、とされていて、内容についても直前まで2転3転あったようです。しかし組織委員会が主に何を見せたかったかというと、中国の歴史ではなくて中国古来の文化紹介であったことは間違いないと思います。この中国文化の紹介をいかに芸術的に見せるかに最大のこだわりがあったのではないかと思われます。

中国の歴史は「秦」から「清」までは「元」のようにヨーロッパまで勢力を延ばした帝国もありましたが、殆どは「易姓革命」によって王朝が変わったり林立したりしただけで、古代や中世のような区別がありません。しかも漢民族が常に主役だったわけでもありませんし。アヘン戦争、辛亥革命から共産革命、現代までの歴史は悲惨すぎてオリンピックの開会式の出し物になりません。まあ現在を象徴する革命歌と多民族の協調はとんだミソがついてしまったようですが。

開会式の内容について、もともと中国の文化に接したいという希望が多かったので開会式をそれを紹介する機会にしたという記事がいくつかありましたが、こちらの方が開会式の意図をよく表わしていると思います。

私は開会式の内容を特に批判するつもりはありませんが、オリンピック全体について、「やけくそに近い必死さ」で開催するのはもう止めて欲しいと切に思います。政治的な議論を好まない日本でこれだけ政治的に議論されたオリンピックはかつてなかったでしょう。アテネの時のようにあっさりとスポーツを楽しむ祭典で良いではないかと思うのですね。日本の選手についても、日の丸をずっしりと背負ってプレーするのも何か悲壮感があって、「日本の他のプレーヤーを代表して来ているのだ」という気概はあって当然ですが「死んでもラッパを離さない」的な覚悟はかえってプレーヤー本来の力を殺いでしまうように思います。その意味では福田総理の「せいぜい頑張って下さい。」は良いコメントだったように感じます。プレーヤーとしては勝つべくして勝つ、「寝姿」で有名な棒高跳びのイシンバエワさんのような超然さが理想のように思います。
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