rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

米議院がTPPでGJか

2015-04-29 16:14:09 | 政治

米下院委、貿易促進法案可決=1週間で両院委通過(時事通信) - goo ニュース

東京新聞4月24日夕刊

【ワシントン=斉場保伸】米上院財政委員会が二十二日に可決した大統領貿易促進権限(TPA)法案に、環太平洋連携協定(TPP)からマレーシアを除外するための修正が、民主党議員によって加えられていた問題は、オバマ大統領の推進する外交戦略を阻もうとする議会の反対勢力の根強さを見せつけた。

 マレーシアは人身売買の受け入れ国として、米国務省の二〇一四年版人身売買報告書で四ランク中最悪のグループ。最悪ランクの国との貿易交渉にはTPAを与えず、マレーシアをTPP参加国として認めないのが修正の意図だ。

 大統領が拒否権を発動するなどして、法律としては成立しない可能性が高いとみられるが、与党内から反対が出た事実に変わりはない。指導力の低下から内政課題を解決できず、外交の比重を高めるオバマ氏が、今後も議会に翻弄(ほんろう)されることになろう。

 オバマ氏が狙う外交成果はTPPのほかにも、敵対してきたキューバとの国交正常化がある。今月議会に通知したキューバに対するテロ支援国家の指定解除が最大の関門だ。

 イランの核開発問題は、核兵器製造疑惑の外交解決を目指す「枠組み」で合意したが、議会にはイランに追加制裁を求める声も根強い。

 キューバもイランも、マレーシアと同じ人身売買の最悪グループに属する。それだけに、オバマ氏の外交上での遺産づくりには、議会からより厳しい目が注がれる可能性がある。

—引用終わりー

 

米下院で賛成多数で通過した米国の貿易促進法案が上院ではTPPに反対するブラウン上院議員が「人権的に問題のあるマレーシアとTPPを締結すべきでない」ので、TPPから除外すべきであるという修正案を可決させたという喜ぶべきニュースです。本来国際条約は議会が承認して初めて発行されるものですが、種々主権や国内法の制限に触れる可能性のあるTPPを議会が否決する可能性があるので、「貿易促進法案」というのは一切を「おまかせ」にするという反民主主義法案なのですが、マレーシア除外という修正案を加えた事で実質TPPをご破算にできる内容になっています。大統領の拒否権で法案自体を廃案にできるのでしょうが、貿易促進法そのものも廃案になるとそれはそれでTPPが成立しない可能性にもつながってしまいます。

 

企業の議員への献金に上限を設けないようになり、また企業にも人格を認めて政治参加させるというバカな状態になってしまった米国ですが、政治家の中にも米国民の方に顔を向けているまだまともな人達がいるということに安堵します。マレーシアはマレー人優遇政策(ブミプトラ)を継続させるかどうかでTPP交渉で揉めているようで、前首相のマハティール氏などTPPは亡国の政策と批判を繰り広げています。昨年のマレーシア航空の相次ぐ墜落?もTPP交渉難航への米国の脅しという見方がかなりありました。人権に問題がある国という有難くない理由ですが、ここで「マレーシア外し」という作戦はマレーシアにとっても有益なものなのかも知れません。安倍首相も「戦後秩序を見直す」発言でもして、議員から「TPP外し」を宣告されればそれはそれでGJになるようにも思うのですが。

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書評 絶望の裁判所、日本の裁判

2015-04-16 15:37:12 | 書評

書評 「絶望の裁判所」講談社現代新書2250 2014年刊 瀬木比呂志 著

   「日本の裁判」 講談社現代新書2297 2015年刊 瀬木比呂志 著

 

元裁判官で明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏が、旧態とした閉鎖社会の裁判所の実態を暴露し、司法界に旋風を巻き起こしたとされる著作で、「絶望の裁判所」では最高裁を頂点とする官僚組織としての裁判所の実態を描き、裁判官個々の正義を追求する判断・判決を求めることが制度上できない仕組みになってしまっていることが示され、1年後に出版された「日本の裁判」ではこのような硬直した裁判所組織から出された数々の矛盾・誤謬に満ちた判決を例示しながら、日本における裁判の実態を具体的に描出します。

 

日本の統治体制は三権分立と言いながら、立法は官僚が作った法案を審議するのみであり、司法も統治行為に関わる判断はしないから行政(官僚)独裁体制であることは中学くらいになると社会科の先生がこっそり教えてくれていましたし、子供ながら「そんなものか」と何となく納得していました。それでも私が中学生であった1970年代は、米ソ冷戦の最中であり、中国は文革が燃え盛り、日本においても経済学は「マルクス経済」以外は大学では亜流とされていた時代。「共産主義は正義」「資本主義は悪」と本気で信じている人が日本のインテリ層に半分はいた時代でした。日本の法学者も裁判官を含めて左翼系の思想を持った人達がかなり多く、反体制的な判決も下級審においては頻繁に出されていたと記憶しています。当時は世界情勢も流動的であり、東西の接点であった日本で司法、特に最高裁が反体制的な判決を下して政治に影響を与えることはまずいという判断は仕方がないことのようにも思われました。

 

私は愛国者で自国を守る軍隊は必要とずっと考えていたので、周囲からは「軍国主義者」と呼ばれていましたが、家は貧しかったのでプチブルの友人達が変に左翼ぶっている事にはかなりの反発心を持っていました。大学では当時でも数少ない「自衛隊合憲論」の教授に憲法学を教わり(生徒2名だった)、自衛隊の所以外は他の憲法学者の解釈どおりであったので今でも憲法や法に対する基本的な知識は大切に思っています。

 

1990年代までは左翼=反体制であり、左翼的思想が正義を代弁するという観念もあったことから「体制に固執」することには「ある後ろめたさ」が伴っているものでした。しかし社会主義体制が滅びると、体制と反体制の力関係の緊張がなくなり、体制の維持に「後ろめたさ」が伴わなくなったことは確かです。また「資本主義」や「自民党政治」「日米同盟体制」に反する事と旧来のマルクス主義的左翼思想とは別物であるはずなのに、マルクス主義が否定されてしまったとたんに日本においては「反体制」という概念自体が消滅してしまったようなのです。そうした結果、裁判所という組織においても官僚的な体制維持の統制が「後ろめたさ」なく幅をきかせるようになり、現在では最高裁事務局の統制に従わない者は一生浮かばれないというヒエラルキーが完成してしまったというのが本書の底流をなすものです。

 

裁判官は体制に関わらない「小さな正義」の実現は可能なるものの、体制に関わる「大きな正義」には頬被りをして触れないようにして過ごす。その小さな正義に対しても事務処理をこなすが如くに件数をさばく、特に民事においては強引にでも和解を成立させることが裁判官の能力評価につながっている。刑事事件においては裁判員制度が導入されたが、それは一般の市民の感覚を判決に導入する目的ではなく、刑事裁判を扱う裁判官(民事と刑事を扱う裁判官が別れていることは知りませんでした)の勢力を強める意図があり、実際成功している、といった指摘は成る程と思わせるものでした。

 

著者は日本の閉塞した裁判所社会を改革するには、司法の一元化、つまり裁判官、検事、弁護士が適宜入れ替わりで司法を努める制度でないといけないと提言します。米国では司法の一元化がなされており、ベテランの弁護士が裁判官になったり、地方検事になったりしますし、法や裁判のやり方も州によって異なります。よく紹介するテレビ番組「Law & Order」でも地方検事補をしていた検事が別のシーズンで弁護士として登場します。日本では「やめ検」「やめ判事」としての弁護士はいますが、ほぼ一方通行であり、高裁の裁判長が数年前まで弁護士であったといった事例はありません。医師の世界では勤務医、開業医、学者、教育者、内科外科、行政の保健所長など、どの世界にも比較的自由に転職ができ、一元化は達成されていると思います。司法試験という単一の国家資格を持った限られた人達が司法の一元化を図ることは決して国家資格のない一億の日本国民が反対するものではないだろうと思います。反対するのは司法の資格を持った人達のそのまた一部に過ぎないと思います。著者が指摘するように、司法の一元化によって日本社会が得られる果実は想像以上に大きいものになるはずです。何より司法の権威や社会の期待が今までとは全く違ったものになるはずです。一票の格差の問題でも「違憲状態」などという法律判断はないのです。「違憲」か「合憲」の二つしか判断はないのであって、違憲状態で改善が望ましいなどという法律判断は存在しないというのが本来の姿ではないでしょうか。「違憲」であれば「現状を変える」か「憲法を変える」しかないのです。米国のように憲法を「修正・・条」という形に変えて行くのは人間社会において当然の事のように思います。日本では改憲論議というと憲法全てを作り替える話になってしまうので一歩も進まなくなります。9条の問題も「専守防衛と国際救難活動の目的で自衛隊を持つ」という条文を加えるのみであれば、国民の2/3以上の賛成は得られるのではないでしょうか。「閣議決定で憲法解釈を変えて集団的自衛権を容認し、自衛隊を海外派兵して戦闘ができるようにする」などというのは法治国家の常識を覆す暴挙としか言いようがありません。この決定に違憲の判断を下さない司法など存在価値さえ疑われかねないと私は思います。

 

昨年ある医療裁判にかかわる機会があって、民事ではありますが、専門家の意見(expert testimony)を求められました。医療過誤裁判は2000年代に入ってからかなり質の悪い「結果が悪ければ医療ミス」といった物が目立ち、萎縮医療につながり、医療者にも患者にもプラスにならないと憂慮していたことは以前のブログでも述べました。詳細は書けませんが、今回関わったケースはそれでも医療者側にある程度瑕疵があると考えざるを得ないものであり、客観的なデータを添えていくつかの争点についての意見を裁判所に提出しました。複数の医師が意見提出を行ったのですが、概ね同じ意見であったと聞いています。先頃第一審の判決が出たのですが、内容は私(や他の医師)が出した意見が反映されていてよく練られた納得できる内容のものでした。

 

そのような事もあり、「裁判官は皆なっていない」といった画一的な判断を下す気持ちはありませんが、「子供が蹴ったボールで交通事故が起きたらその場にいなくても親が責任を取れ」、といった判決や「認知症の老人が踏切事故を起こしたら同居していない子供まで賠償責任が生ずる」といった素人から見ても?な判決、医療過誤裁判における「結果が悪ければ医療ミス」と判断されるような低レベルの判例があることも確かです。日本の未来のために、文系上位1%の上澄みの人達からなる日本の司法官世界の改善を大いに望みたいと思います。

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初学者が守るべき医療倫理とは何か

2015-04-01 23:55:10 | 医療

昨今の製薬会社が関連した大学の研究不正や、手術死亡が多発した事例など、医療や医師に関して「倫理」が問われることが増加しています。また日々医療を行うに当たっても「医師と患者さんとの関係」においては医師が一定以上の倫理観を持って仕事にあたっていると信じられるからこそ患者さんは自分の身体を医師に預けても良いと考えられる事は明らかです。

 

では一体具体的に「医療に求められる倫理観とはどのようなものか」と改めて問われると簡単に答えられないことであるように思われます。どの治療法を選ぶか、移植や不妊治療をどう考えるか、安楽死は、といった非常に幅広い問題が医療倫理に関わってきます。原則理論に基づいて医療倫理の4原則として1)「自律的な患者の意思決定を尊重せよ」という自律尊重原則、2)「患者に危害を及ぼすのを避けよ」という無危害原則、3)「患者に利益をもたらせ」という善行原則、4)「利益と負担を公平に配分せよ」という正義原則を示したものもあります。古くはヒポクラテスの誓いや、ヒトを研究する際の倫理規範となるヘルシンキ宣言など数多くの規範が示されてきました。

 

しかし医学生・看護学生、或いは薬剤や介護などを含む医療に携わる全ての者、特に初学者にまず問われる医療倫理とは何かと言われた場合、それは「プロフェッショナリズム」であると言われています。欧米における医学教育において「医療倫理の教育」とはmedical ethicsではなく「professionalismの教育」であると言われており、それは2012年の日本医師会雑誌「医療倫理向上にむけての特集」にも銘記されています。では具体的にprofessionalismとは何かと言われると、これは私見になるのですが、「患者さんを自分が責任を持って診る」という一語に尽きるのではないかと思います。50歳代以降の医師には意外に思われる方もいるかも知れませんが、研修中の医師には「患者を使って手技の練習をするのは当然の権利」と思っている人がかなりいます。それは欧米の研修医制度をまねて現在の臨床研修制度を作ってしまった厚生労働省の致命的な誤り(作った人達は自分で教育などしないので自覚してないでしょうが)なのですが、医科大学で6年学んで、人から教わることを当然として育って来た初期研修医が、卒業後も2年間、「種々の会得しなければならない課題」を科せられながら研修をする現在の制度が、「人から教わる立場」を続けさせられるために陥る心理的陥穽のようなものと思われます。

 

研修医であっても患者さんはベテランの医師と同じ「医者」と思って自分の身体を任せるのであって、白菊会に入って「死後医学の発展のために自分の身体を練習でも勉強でも自由に使ってください」という気持ちで病院にかかる人などいません。しかし課題をこなすために種々の経験を積む段階では、どうしても「経験しなければ」、「会得しなければ」という気持ちに研修医はなります。しかもマッチングシステムというより研修に適した環境、指導が充実した環境を研修医の側が選び、病院が研修医に選んでもらうために「甘い水」を無理してでも用意しないといけない状況を作らされている現状では「研修中に患者を使って練習するのは当たり前」と勘違いしてしまう研修医が量産されることは必然的とも言えます。これは欧米においても同じ状況であったと思われ、医療倫理の教育がprofessionalismに重点をおかれている理由とも言えるでしょう。

 

初学者であっても「患者さんに医療を行う上では自分が責任を持って診る」「至らない点、解らない点は文献で勉強し、手技が優れた上級者に教えてもらって行う」という態度がprofessionalismに基づく行動であり、これは実は一人前になってからも我々医療者が日々行っていることに過ぎない行動なのです。これができるようになって初めて医療倫理の第一段階に合格したと言えるのです。

 

これは卒業後2年間の初期研修が終了して専門医の資格を取る専門研修に入ってからも「教えてもらって当然」「患者は練習のための物」という状態が続いている場合があります。ある外科系の指導医から聞いた話ですが、新たに研修に来た専門研修医が、専門医になるために必須となる習得プログラム通りに種々の科を回るのを拒んで、「自分が将来必要と考える手技だけ身に付けば良い」と言い張ってどう対応して良いか困っているという事でした。この例も内田 樹氏が言う所の「賢い消費者」の視線でしか物を考えず、自分が必要とする能力を最小の努力(支出)で手に入れようとしている例にすぎないと言えます。本来専門医とはその領域において一定以上の能力を有し、非専門領域の人達を教え導く役割も担う必要があります。また当該専門領域の未解決の分野を研究開拓し、次代に引き継いで行く責務があります。これも内田 樹氏の表現を借りるならば、専門医になるとは「子供」から「大人」になる事を意味しており、「大人」というのは社会が成り立つために仕事をするだけでなく、次代の「大人」となるべき「子供」を育てるのが任務であると言えるのです。だから自分にとって必要な能力だけを最小限の努力で教えてもらい、後は自分が好きなように生きて行くというだけでは「子供」のまま一生過ごすという事であり、professionalismとは対極にある姿と言えるのです。

 

私は医学部の学生と接する機会も多いのですが、「最小限の努力で国家試験に受かる教育が良い教育だと勘違いするな。」と良く話します。現在は教育者が学生を評価するだけでなく、学生が教育する側を評価する制度も各大学で取り入れています。ここで起こる勘違いが「楽して試験に受かる教育が良い教育」と思い込んでしまう事、「賢い消費者」としての態度で教育を評価してしまう事です。高校までは答えの出る問題の解き方を学び、大学では答えの出ない問題の考え方を学ぶのが本来のあり方である、という大学教育の基本を理解していない人達をどう「教育」するかという問題です。困るのは文部科学省や教育の専門家までが「社会に出て即戦力になる教育を大学で行え」と言い出している事です。即戦力になる教育は専門学校でやるものであって、大学でやるものではありません。米国のように、大学を出てから専門学校としてmedical schoolやlaw schoolに入って専門知識を学ぶのは本来のあり方として矛盾がないのですが、日本の大学は社会に出る前のステップとしての役割しか認識されてこなかった歴史から、答えのでない問題を考えるための機関と理解されていません。それでいて卒業時には「学位」(学士)が授与されるという矛盾に誰も文句を言いません。日本の医科大学は某私立医科大学から東大の理科三類まで同じカリキュラムで教育が行われるという恐ろしい状態に成り果てました。そして卒業してからも初期研修は全ての医師が同じ規準で作られた研修目標をこなすことが義務づけられています。優秀で志の高い医師達は自ら努力を惜しまずprofessionalismを身につけて良い医師に育って行きますが、賢い消費者として努力せずに一人前になりたいと考える「志の低い人達」は残念ながら子供のまま研修期間も終わってしまいます。結果として良い医師にはなりません。患者さんからはなかなか見分けが付かないでしょうが、医師(看護師や他のコメディカルの人達も含む)の側からは少し接すればそのような医師は直ぐに解ってしまいます。

 

このprofessionalismが問われるのは医師だけでなく、看護師や薬剤師、その他のコメディカルの人達も同様なのですが、私が見る限り医師以外の職種ではprofessionalismができていないと感ずることがあまりない(皆無とは言いませんが)のが事実です。初歩的な医療倫理が一番問われるのが医師、というのは悲しい現実ではありますが、事実なので心してかからねばなりません。

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