rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

前立腺癌の部分治療など

2011-10-27 00:27:20 | 医療

今回は純粋に専門医学的な話題です。備忘録として書き起こしますが一般の方は解りにくいと思います。

 

今回の第31回ベルリンの国際泌尿器科学会では間質性膀胱炎の治療について発表をしましたが、個人的には一番興味があったのは主に欧州で話題になっている「前立腺癌のアブレーションを用いた部分治療の実際がどうであるか」という点です。

 

10月17日の初日朝からPlenary symposiumとして前立腺癌のセッションが開かれ、アメリカのPeter Albertsenが種々の治療法があり、早期発見が可能となったので我々は最早前立腺癌で死ぬことはないのではないか、といった講演や、低リスク前立腺癌の治療としてActive surveillance(経過観察)、放射線、手術についてノモグラムで有名なScardinoらが討論をしました。要は本当に低リスクであればinsignificant cancerなのだから経過観察でよい、今までの種々の統計には低リスクとされながら高リスク(悪性度が高い)の癌が紛れ込んでいたから問題なのだ(特にPSAスクリーニング時代前の物)、というような結論も出ていました。まあこれらは部分治療についての前振り的なセッションでもありました。

 

続いてParallel Plenaryとして前立腺癌のFocal therapyのセッションへ。部分治療が正当化されるためには癌が片葉にしか存在しないことが明らかでないといけません。しかし前立腺癌には主たる病変であるIndex lesionと場合によっては1-2mmしかないようなsecondary and/or tertiary lesionがあることも全摘標本や多部位生検標本で良く知られています。これらをどのように正確に診断するかが部分治療の要諦になると思われます。セッションでは英国のEmbertonがテンプレートを使ったsaturation biopsyについて報告、またフランスのVillersMRImagingによる診断について触れました。部分治療の新しい方法としてMRガイドの超音波高温度治療やロボットアシストで行なう治療など紹介されましたが、どうも大事な部分が抜けているような印象を受けました。

 

前立腺癌の部分治療が標準治療として認知されるには、部分治療によって前立腺癌が治癒するということが医学的にある程度あきらかでないといけません。Prenaryで討論されたように正しく低リスク早期前立腺癌と診断されればactive surveillanceで良いのだ、という結論ならば部分治療の推進者が部分治療をactive surveillanceと全摘手術の中間に位置づけていましたが、active surveillanceにしきれない低リスクの前立腺癌を部分治療に持ってゆくという、いわば「診断における灰色部分を請け負う治療法」ということになってしまいます。新しい治療法などは部分治療が標準治療として確立されてから次の段階だろうと思われるのに、大事な途中経過たる「部分治療の位置づけ」の討論が抜けてしまっていました。

 

翌日18日は早朝6時半からInstructive courseとして前立腺癌の部分治療を受講しました。昨日も出ていたEmberton(この人はHIFUの治療で日本のEE学会にも講演に来ていたので知ってましたが)、JF Ward、アメリカのT Polascikらの講演を聞きました。昨日のセッションよりはより突っ込んだ内容でした。

 

部分治療で微小なsecond lesionを見逃してしまって完治ができない可能性があるので、昨日のセッションではテンプレートを使ったsaturation biopsyの例を上げていましたが、実際に行なったEmbertonに言わせると結局これは意味がないということ。テンプレートで5mm画の格子上で80本とかの生検を行なうと1g近い前立腺組織が採れるけれども、病理医が検鏡するのは各生検組織の5μ厚の切片一枚だからどんなに沢山生検したところで全前立腺組織の数百分の一しか見ていない事になり、1−2mmの病変など見逃してしまう確率が高いという。前立腺癌が他部位に転移する時には最も大きく悪性度が高いIndex lesionだけであるという報告もあり、部分治療を行なう場合も生検は通常の12本で十分である、というのが彼の結論でした。これは開き直りとも言えますが現実的な対応とも言えます。実際に低侵襲とは思えないsaturation biopsyを低侵襲の治療のために行なって研究した重みのある結論とも言えます。

 

Courseでは実際のIndex lesionの診断として1.5テスラを超えるMRIの拡散強調画像を推奨していましたが、これは日本でも我々は日常的に用いている方法なので納得できるものです。しかし生検結果以上に信頼できるかというと“?“であることも確か。治療の方法については現実的には一番行われているHIFU(高密度焦点式超音波治療)が良いだろうということでしたが、昨日のセッションでも触れられていなかった「標準治療として部分治療で本当に前立腺癌は治るの?」という議論がここでもスルーされそうになってました。そこで質疑応答の時間になってから私が「一番大事なのは部分治療を行なった後のフォローアップとしてどのmodalityが最も信頼できるものと考えるかであって、それがないと治療法としての信頼が確立できないのではないか。自分もHIFU治療を行なっているけれども必ずしもPSAの絶対値だけでは結論が出せない場合が多い」と質問したところWardは「その通りである、我々は部分治療の経過観察はMRIが一番modalityとしての信頼度が高いと考えている、しかし頻繁にMRIを撮るわけにもいかないからそれが今後の検討課題でもある。」という答えでした。

 

うーん、どうも総合的に判断すると前立腺癌の部分治療はトピックにはなっているもののまだ欧州においても標準治療にはなりえていないということでしょう。2010年のAUA Update series 3 Ablative Focal Therapy for primary treatment of prostate cancereditorial commentにあるように「前立腺癌の部分治療は治療しなくても良い癌を治療するには丁度良い治療だ」というのが現状だけれど「全体を治療しなくても部分治療で前立腺癌を根治できる」という評価を得るにはまだ道のりが長い、ということでしょうか。

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オーブとかたまゆらとか

2011-10-23 14:51:15 | その他

ベルリンの国際泌尿器科学会の公式行事として旧ベルリン中央駅(現在はイベント会場として使われている)でオクトーバーフェスティバルを模したビールパーティが開かれました。この会場の隣が前回紹介したベルリン技術博物館になっています。

第二次大戦ではベルリン攻防戦で激戦が繰り広げられた場所で世界中から泌尿器科医が集まってのんびりビールパーティというのはおめでたいことだとは思いますが、何枚か撮った写真にオーブとかたまゆらとか言われている丸い光が多数写っていたので備忘録の意味も含めてアップしておきます。

これ単なる光の屈折だか塵の乱反射のようにも見えますが、めでたい所に出てくるという話もあってまあ大きなゴミが空に舞い上がったのをUFOと言うのと同じような事かも知れませんが「めでたい」のならいいかと。

同じ場所の他の写真では全く写ってないのと少し写っているのがあって、撮っているときには何もなかったのに不思議なことではあります。

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ドイツ空軍博物館探訪記

2011-10-23 00:45:34 | その他

学会でベルリンに行ってきました。10月のベルリンは少し肌寒く、朝夕は吐く息も白くドイツ人も風邪ひくんだ、と感心するくらい電車などでくしゃみをしている人を見かけました。  

ベルリン観光はガイドブックに載っている所も勿論行きましたが、主に行きたかったのは中心部のGleisdreieck駅近くにあるドイツ技術博物館と中心部から少し離れたGatowにあるドイツ空軍博物館でした。ドイツ技術博物館はミュンヘンのドイツ博物館と同様にドイツの歴史上開発された技術、印刷、船、紡績、エネルギー、軍事技術、鉄道など全てにわたって紹介陳列されたもので隣接した旧ドイツ中央駅の構内を利用した古い鉄道や蒸気機関車のコレクションは圧巻でした。私としてはメッサーシュミット109E、110(図)型の実機や、残骸とはいえユンカース87(図)、88、撃墜されたランカスター爆撃機の羽など実際に見れてよかったです。 

 

ドイツ空軍博物館はガイドブックにはありませんし、ブログなどでもあまり紹介されていないので今後訪ねる物好きな日本人観光客のために参考までに行き方など記しておきます。  

ベルリンの交通は料金体系が中心部からの距離でゾーン分けされていますが、GatowはゾーンBに含まれポツダムよりも近くなります。ベルリンウエルカムカードを購入しておけば、2日とか5日券とかでバス、地下鉄、DB以外の電車(Sバーン、市内電車のトラム)も全て有効で博物館も2割から3割引きになって便利でお得です。GatowへはSバーンでSpandauまで行ってそこからX135 Alt-Kladow往きの20分に一本くらい出ているバスに乗ります。15分くらいでKurpromnenadeという新興住宅地のバス停で降ります。王様系の名前のついたスーパーが目印ですが、遠くに丸いレーダードームらしきものが見えるだけで本当に基地がこのそばにあるのか不安になります。

新興住宅地をベルリン中心街方向に700メートル位歩くとやっとLuftwaffenmuseumこちらという小さい看板が出てきます。遠目に沢山の飛行機の尾翼などが見えるのでもう迷いませんがかなり歩きます。入り口は小さなプレハブがあるだけで、平日の午前中だったせいか観客は私を含めて二人だけ、受付はフレンドリーなお兄さん(民間人)が「初めて来たの?開いてるところはどこ見ても自由だよ。良かったら帰りに寄付(donation)してってね。」と小穴の開いた壷を指差してパンフレットをくれました。

 

中は基地だけに広いです。ハンガー二つと管制塔、外の駐機場に数十機の飛行機が陳列されていました。第一次大戦のフォッカーDIIIやアインデッカー(図)、メッサシュミット109G、163、ケッテンクラート(図)など珍しい実物がみれて嬉しいのですが、見所は東ドイツと西ドイツ所有であった冷戦時の各種戦闘機や兵器が並列で同時に見られることです。ミグ15、21、23スホイなどと西側の古いジェット戦闘機や輸送機が並べられ、管制塔内の資料館では一つの部屋を左右に分けて同時代の空軍兵士の服や暮らしなどが比較しながら見られるようになっていました(図)。

 

鍵十時は御法度でプラモデルのデカールからも外されているご時世ですが、ここで陳列されているものは平気で尾翼に描かれていました。博物館たるもの事実をそのまま陳列することに意義があるのですから当然ですかね。 

たっぷり2時間くらい見学してまた長い距離を歩いて停留所までもどってSpandau経由で今度はバスで動物園駅Zoologischer Gartenに戻りました。シャルロッテンブルグの宮殿なども道路から見ながら市内に帰れるのですが、渋滞気味なので急ぐ人はSバーンで戻る方がよいと思います。

ベルリンは東側が解放されてまだ20年くらいであることからまだ東だった所は開発がこれからという場所も多く、解放時の自由謳歌のはけ口であらゆる公共物にニューヨークのスラム街を思わせる落書きがあふれていて、整然としたきれいな町並みをミュンヘンで見ていた者にとってはやや期待はずれな所がありました。電車も夜は運転していない路線があったりして、夜用のバスを含めた交通案内図があったりと慣れるまではやや戸惑います。中心部を外れると夜8時ともなるとあまり人通りがなく、女性の一人歩きは少し危険かもしれません(とタクシーの運転手も言ってた)。不景気で平日ぶらぶらしている感じの若い人たちもかなりいます。 

しかし生きた現代の歴史を感ずるにはベルリンは良い所でブランデンブルグ門では外国の高官達が訪れたためにテレビ中継と機動隊が観光客を排除している場面にも出くわしましたし、帰りのベルリンからミュンヘンに行く飛行機では隣に座った紳士が政府のそこそこ偉い人だったらしく、到着と同時にタラップから直接パトカー先導の黒塗り高級車に吸い込まれる(ちょうどギリシャでデモがあって追加融資問題でミュンヘンでは会議が開かれていた)所を見たりもしました(話はしませんでしたが)。

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日本は敗戦維新状態から抜け出せるか

2011-10-04 19:31:26 | 政治

日本の政治権力の体制は権威と権力が別々に存在することが特徴とも言われています。江戸時代においては朝廷から権力を委ねられていた徳川幕府が明治維新によって権威はそのままに権力が薩長が主導する明治政府に取って代わったものでした。庶民にとっては権威・権力から指示される日々の生活の目標は江戸時代が「体制の維持」であったのに対して、明治時代は「西欧に追いつく」であったと言えます。 

 

軍部が権力を握った昭和初期、昭和維新などと表現して二・ニ六や五・一五の際に軍部の若手が息巻いていましたが、これも権威は朝廷そのままに権力を政府から軍に委譲させることを目的にしていたといえるでしょう。このとき庶民に与えられた目標は帝国主義的アジアの盟主になることと言えたでしょう。 

 

そして圧倒的な戦力差で敗戦を迎え、神の天罰かと思わせる原爆を二発もくらって日本は敗戦維新を迎えました。権威は朝廷から米国に移り、権力は米国の意を受けた官僚と保守政党が担うことになりました。天皇は象徴という表現で残りましたが「天の声」として議論を許さない「権威」ではなくなり、代わりに「米国の意向」が「天の声」として権力の後ろ盾になったのです。庶民に与えられた目標は「戦争からの復興」であり、アメリカ人のような生活が当面の目標とされました。

 

この「権威」と「権力」が分離していて、また「庶民の目標が明確であること」は日本の体制として非常に「座りが良いもの」でした。ジャパンアズナンバーワンなどと言われて、日本の経済力がアメリカをしのぐかと思われる状態になって庶民の目標が不明確になるとバブルがはじけて経済状態が悪くなっても庶民は何を目標にすればよいのかわからず「漂流状態」になってしまいました。

 

平成維新などという掛け声が政権から出されたこともありましたが掛け声倒れで「明確な目標」を示すことはできませんでした。日本の歴史から考えて、そもそも「維新」というからには「権威」と「権力」に変化が起きて庶民の新たな目標が明確になるものでなければいけないと思います。今米国の経済が凋落し、宗主国としての有無を言わさぬ「権威」がぐらついてきました。「権力」も官僚は米国の意を受けているように見えますが、民主党政権は菅・野田政権は米国寄りのようですが自民党政権ほど何でも言うことを聞く「権力」ではなくなってきています。21世紀に日本がさらに花開くためには「敗戦維新」によって作られた「権威」「権力」「庶民の目標」を作り替えるような維新体制の構築が必要なのではないでしょうか。

 

新しい「権威(天の声)」は再び天皇なのか、「中国」なのか、「中国をバックにしたアジア共同体」なのか、「国連」なのか、全く新しい権威を(天の声)として受け入れることは恐らく日本の国民性から無理だと思いますので今までに実在する何かが新たな「権威」にならないといけないでしょう。そしてその権威の意を受けた、或いは「権威」を担ぎ上げた「権力」が政権を取って全国民が納得して一丸となれるような明確な目標をかかげることができた時、「敗戦維新」を脱却して真の「平成維新」が達成されると思われます。

 

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