rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

街を唄った洋楽とラップ

2021-03-24 18:18:38 | 音楽

今回のブログは思いつきで音楽を語っているので、まったく専門外、勘違いや思い込みが多い内容ですが、まあ個人の経験と感想ということで受け流して頂ければと思います。

 

街の生活を唄った洋楽は昔からありますが、街そのもののご当地ソングというよりはそこに生きる人の気持ちとか、特に都市部での既成社会への若者のプロテストが賞賛されてヒットにつながるといった傾向は洋の東西を問わずあると思います。特に不満や葛藤を強く訴えかける内容が現在の「ラップ」や「ヒップホップミュージック」につながっていったのだろうと感ずるものがあります。

 

Stevie Wonder  “Living for the city”  スティービーワンダー「汚れた街」1973

中学・高校の頃に耳にして「何だこれは?」という感覚を覚えたのはまだあまり日本で知られていなかったスティービーワンダーの「汚れた街」という曲で、1973年のビルボードR&B1位を取ったヒット曲です。何を唄っているか良く分からなかったものの、単調なリズムに乗せて訥々と訴えかけてからサビで「何とか街で生きているぜ」みたいな曲だったので今までにない新鮮さがありました。日本でも「謡」とか西洋の宗教的なチャントといった言葉で訴える様な歌い方がありますが、日常的な生活の不満やプロテストをメロディよりもリズムを主体にのせて唄うやり方が洋楽の分野に現れたのは衝撃だったと思います。

 

Crusaders  “Street life”  クルセイダーズ 「ストリート・ライフ」1979

ジャズを聴くようになったのは大学に入った1980年頃からですが、カリフォルニアの街の特に黒人たちの生活を唄ったストリートライフはラップではありませんが、当時全く若手だった黒人シンガーRandy Craufordをフィーチャーして長尺の曲構成で、ストリートで生活する黒人たちの様子を歌い上げた点が新鮮でした。Wilton Felderの突き抜けるようなサックスがラップではないものの「ナラティブ」にイメージを伝えます。1993年頃に1年間ニューヨークで単身留学生活を送りましたが、寮で良く聞いていたラジオで週1度はこの曲がかかっており、「NYのイメージにも合っているのだろう、スタンダードと言われる曲はこうして作られるのだろう」と思いました。日本人にはピンときませんが、「十字軍」という名前の黒人グループの画期的といえる楽曲は、キリスト教社会の米国ではそれなりに強い衝撃で迎えられたのではないかと思います。

 

Pet Shop Boys “West end girls”  ペットショップボーイズ ウエスト・エンド・ガールズ1985

ブリティッシュロックのラップの走りかな、と思うのがこれです。唄っている内容はどうにも憂鬱で自殺願望的なのに「なんともファッショナブル!」と思わせるサウンドでPVもロンドンの街並みが懐かしい感じです。今でも大人気で2012年のロンドン五輪の閉会式でも演奏され、2019年ウエストエンドのハイドパークでのライブでは会場全体で大合唱であり、「割と暗い歌詞なのに、どんだけ英国人はこの曲好きなんだ!」と思わせます。確かに英国らしい重厚で、格調を感ずる所もあって私も今聴いても新鮮さを感じます。

 

Jay Z featuring Alicia Keys “Empire State of Mind”  ジェイZ  エンパイア・ステイト・オブ・マインド 2009

これはもうラップ、ヒップホップの完成形とも言えると思います。2009年の全米1位のヒット曲ですが、雰囲気は1993年頃に私が単身赴任でNYの街を歩き回っていた頃の感じそのもので懐かしい感じがします。スティービーワンダーの汚れた街ではNYに着いた途端に麻薬の冤罪で逮捕されて散々だ、という内容が唄われますが、このJay Zの曲はそこまで否定的ではなく、「うまく行かない事も多いけど、夢や希望がある」内容です。それもそのはずで、作詞はJay Zと同じアパートに昔住んでいた人がロンドンでホームシックになり、NYを懐かしみながら書き上げた物だそうで、一度却下されたものがたまたまプロデューサー目に留まって大ヒットにつながった曲だそうです。Alicia Keysのグラマラスなサビの歌声もまたいい感じだと思います。

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茅ヶ崎の星

2017-05-02 12:25:36 | 音楽

連休中でもあるので、少し柔らかい話題で。

私は神奈川県の茅ヶ崎で小学校から高校卒業まで過ごしたので、年少時代の思い出や故郷というと茅ヶ崎になります。いわゆる湘南ボーイですが、土着の少年達は必ずしも泳ぎが得意でないし、サーフィンもやらない。でも道路を超えた所に海岸がある学校でずっと過ごしたので、用がなくても良く砂浜に行って烏帽子岩や堤防を見たものでした。

 

海岸から見た烏帽子岩 昔あったパシフィックホテル

そんな茅ヶ崎の星と言えば、昔は加山雄三(砂浜から彼がオーナーだったパシフィックホテルが見えた)、その後はサザンの桑田圭祐が現在も輝いていると思います。そしてこれからの星と思われるのが車のCM曲としても取り上げられて注目されているサチモス(Suchmos)でしょう。vocalのYONCEが茅ヶ崎生まれということでPVなどにも見た事があるような場所が使われていたり、歌の内容が、曲調が都会的でありながら詩のコンセプトが一寸引いた湘南あたりから都会を眺めた内容であったりします。

 

曲調はとてもGroovyでSuchmosの語源であるルイ・アームストロングのジャズの要素も取り入れながら、黒人音楽やラップ、ヒップホップなどの要素が自由に入った感じでリズム感、「耳触りの良い音」という印象があります。それでいて詩の内容が「何謳ってるの?」という一度聴いただけでは分からない所がまた魅力なのかも知れません。

 

Honda 車のCMにも使われた”Stay tune”はサビの部分と本体の詩の内容がつながっていない(本人的にはつながっているのかも知れませんが)、本体では表面的でない素の状態で中身のある娘はいないかな〜、と言いつつサビでは都会の渋谷あたりで意味もなく酔っぱらっている集団を「ゾンビ」と揶揄している内容(他のブログから仕入れた知識ですが)で、歌詞と説明を見て初めて理解できる(理解して聴いてみるとそれもまた面白い)です。

 

MINTも良い曲と思うのですが、1回聴いても何言ってるか分からない。その何言ってるか分からない理由は、vocal YONCEの謳う日本語のイントネーションにあると思うのです。名前から韓国系(違ってたらごめんなさい)かと思うのですが、日本人だとなかなか使えないようなイントネーションの区切りをしている所がすごく新鮮に感ずるのです。

 

例えば3節目の

 

周波数を合わせて 調子はどうだい?

兄弟、徘徊しないかい?

空白の何分かだって

その苦悩や苦労をBlowして踊りたい

 

という部分、謳う時には

 

しゅう、はー、すうをあわせ、て、 調子はどうだいきょうだいはいかい しないかい

 

くー、はー、くの何分かだって、その苦悩や苦労をBlowして おどりたい

 

と韻を踏んでいるから耳触りはとても良いけど意味が分かりにくくなる。

 

これはかつて宇多田ヒカルが15歳で衝撃的なデビューをした時の”Automatic”を聴いた時の感じに似ていると思います。彼女も米国育ちで日本語は第二言語だったから区切りやイントネーションに拘る事なく自由にリズムに載せられた。

 

まず謳い出しの

 

七回目のベルで

受話器を取った君

 

謳う時は

 

な、なかいめのべ、るで受話きいと取ったきみ、

 

と日本人では絶対やらない息継ぎを違和感なくやってのける。

2節目の

 

でも言葉を失った瞬間が

一番幸せ

 

なんか謳うときは

 

でも言葉を失ったしゅんか んがいちばんしあわせ

 

と瞬間の「しゅんか」 と 「ん」を分けてしまうなんてとてもできない。カラオケも普通の日本人は難しくてうまく謳えないのではないでしょうか。言ってみれば「軍歌(同期の桜とか)」の対極をゆく謳い方でgroove感を満喫させている。Sachmosはそれにスラング的な英語も混ぜた歌詞なので書き出してみるとそれほど複雑でないのに難解に感じてしまう所がミソでしょうか。

 

Vocal、YONCEの普通の髪にアディダスのジャージというのも土着の茅ヶ崎の雰囲気が出ていて茅ヶ崎民としては好感です。これからもっとメジャーになってゆくでしょうが、茅ヶ崎的な素朴さと新鮮さを失わずに大きくなって欲しいと思います。

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Joey Alexanderはすごい!

2016-01-13 01:12:00 | 音楽

今日は雑駁で思いつきの音楽の話で、興味のない人にはつまらないと思います。題名ですが、若い人ならば、すごいではなく「やばい」と言う言葉を使うかもしれません。暮れから正月にかけて私が少しゆっくり過ごす事ができた中で、早朝のFMラジオ番組や、インターネットのWyoming radioのChristian McBride(Dream of youとかI Guess I’ll have to forgetなどの美しい曲を書く私の好きなベーシスト)の番組で紹介されていた、今年のグラミー賞候補になっているという弱冠11歳のインドネシア出身のジャズピアニストJoey Alexander君の話です。私は今回初めて知ったのですが、2年くらい前から一部で話題になっていた少年のようです。当然ピアノが単に上手いというレベルではなく、you tubeでも多数挙げられていますが、既にグループを率いてコンサートを開くレベル、しかも十分にジャズ好きの「うるさ方」達を堪能させる内容なのです。Christian McBrideも絶賛しておりました。

 

軟骨異栄養症で小人症ながら天才と言われたMichel Petruccianiは10歳にして巨匠Oscar Petersonの完全コピーをこなしていたと言われていますが、Alexander君は誰かのコピーではなく、既に彼のジャズを展開しているところがすごいのです。例えばGiant steps( John Coltraneの曲で転調に継ぐ転調で複雑なコード進行であり、1959年のオリジナル版レコーディングではばっちりimprovisationを組み立ててきたコルトレーンが気持ちよく吹きまくっている一方で初見だったというバーチュオーソのピアニスト、トミー・フラナガンはアドリブを最後放棄して和音だけ弾いているなんてゆうクダリもある)ではAlexander君は複雑な楽曲を新たに組み立ててしかも実に切れの良い演奏をしています。この「切れの良い演奏」というのは他の評論家達も一致した感想を述べていて、要はimprovisationの展開に迷いがない、魂の命ずるままに自由に弾いている、という事だと思うのです。外国のジャズ奏者は日本のジャズ奏者が勢いでアドリブを演奏する人も多いと言われる中で、意外にも?細かく内容を組み立ててしつこく練習してから即興(即興とは言えませんが)の部分を演奏すると言われています。スペインのジャズピアニストChano Dominguezは数多くのミュージシャンを採譜してそこから彼独自の展開・世界を築いてゆくと言われていて、マイルスの名曲フラメンコスケッチをオリジナルが激しい踊りの一場面を切り出して来た油絵のような「静の表現」であるのに対して、彼の演奏は再びスペイン人として独自の息吹を入れ「動の表現」にした素晴らしい演奏になっています。

 

Alexander君の話に戻しますが、最近私のブログで取り上げている「生まれ変わり」の概念からすると、彼は優れたjazz pianistの生まれ変わりであり、生まれた時から既にjazzの基本からかなりの熟練した技術に至るまで前世の記憶と能力を持ち続けたまま育って来たということになるかも知れません。Jazz Vocalのバックピアノを勤めている画像もアップされていますが、Vocalistに合わせて曲の魅力を引き出す演奏をするのはピアニストとしてもかなり手練な技を必要とするはずです。それを10歳かそこらで事も無げにやってしまうというのは「天才」というだけでは片付けられない能力だと思います。アメリカ人ではなく、インドネシアに生まれたということも何か意味があるのかも知れません。

 

私も50代後半になって「今回の人生における自分の果たすべき役割は何だったのか」を考えながら生きるようになりましたが、Alexander君は持って生まれたjazz pianoの才能をさらに開花させて人に楽しみを与え、音楽文化を発展させることが天命なのだろうと思います。

 

New Yorkに留学中まだ存命だったMichel Petruccianiの演奏を本場Blue Noteで聴く幸運に恵まれたのですが、がっちりした体型のドラマーの肩にひょいと乗って舞台に現れたPetruccianiが一度鍵盤に向かうと戦慄を覚えるような鬼気迫る演奏を聞かせてくれた事を思い出します。身体に障害を持った短い人生でしたが、彼も天命を意識して毎日を真剣に生きていたのかな、そんな凄さを感じました。2014年のCopenhagen Jazz FestivalにおけるAlexander君の演奏など見るとPetruccianiとは違った物怖じしない凛としたすごさを感じます。Lush Lifeの展開とか10年かそこらの人生でそんなに自信もって行ける?と思ってしまうほどです。やはり凄いです。天才であろうが、生まれ変わりであろうが彼は彼であって他に代わりはいないのですから、今後とも大いに我々ジャズファンを楽しませて欲しいと思いました。

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ホームパーティジャズ

2010-02-09 17:49:32 | 音楽
備忘録的感想なのでほとんどの人には感心がない話し。時々覗くYou Tubeにアメリカケンタッキー州の開業医が毎年自宅でジャズ演奏のホームパーティを開いた時の演奏をアップしているものがあります。医師のKen Beilman氏が自らもピアノを演奏してプロ並のミュージシャンとコンボを組んでいるのですが、彼自身ブログによるとしっかりしたジャズミュージシャンにピアノを師事したようでかなり上手、始めはプロの演奏家の動画かと思いました。

自宅のダイニング(けっこう広そう)で楽器やマイクをセットして演奏しているようですが、ドラムの横に冷蔵庫があったりしてなんかほほ笑ましい感じです。night and day 05と題された動画(http://www.youtube.com/watch?v=4FlwxJTQ9GI)は私が気に入った演奏ですが、メインでサックスを気持ち良く奏でているのはミズーリ大学の音楽科講師(assistant professor)をしているHal MeliaでCDも1枚出している音楽の先生です。映画音楽のアレンジとかも手がけているようでさすがに上手いし楽しそうな表情が良いですね。新しい所では09年のホームパーティ20周年記念という動画にあるHey There (http://www.youtube.com/watch?v=nbpSoZHbSi0) は本職の歌手Vanessa Rubinを迎えてsaxはこれもプロのDon Braden。室内の冷蔵庫のアレンジは変わってないのですが、曲はRosemary ClooneyのHey Thereと比べるとまるで別物のアレンジ。Vocal、Base、Sax間のこういう緊張感のあるやりとりはやはりプロでないと難しいのだろうなあ、と思わせる「聞き応え」でピアノもBeilman先生でなく黒人のプロにバトンタッチしてます。

Beilman先生は御歳60歳のようですが、写真にジャズにと趣味は多彩でアメリカ人らしく仕事も趣味も大いに楽しまないと人生でない、という生活を送っておられる。私が10数年前にNYに留学した時もボスのドクターのみならずラボで働く他の人達も夏休みや休暇は十分に取って生活を楽しんでいました。留学期間に余裕のない小生は日曜日もラボに出張って実験をしてましたが、折角アメリカに来て何故遊ばないのかと不思議がられました。それでも毎週のようにBlue noteやSweet Basilなどへ本場のジャズを聞きに行って楽しんだので満足なのですが、50を過ぎた現在も月に3日しか休みがない状態で趣味を楽しむ余裕がないというのは寂しい気がします。

豊かな国や社会というのは経済的に余裕のある中間層がどれだけいるかで決まります。超金持ちはアフリカや南米の貧しい国々にも必ずいます。アメリカは中国やインドに労働市場を移し、金持ちが金融を動かすだけのグローバリズムに基づく金融立国を目指したために、豊かだった中間層の工員や労働者が激減して貧富の差が開いてしまう愚を犯しました。限られた人達の金儲けを優先させて社会を貧しくするというのは誤った政治です。何故か日本もそれに倣ってこの10年で勝ち組負け組の二極構造化が進んでしまいました。Beilman先生のホームパーティーはアメリカの田舎(地方?)の豊かな生活をかいま見るようで、やや大げさですが、本来のアメリカのあるべき姿の一部のように感じます。日本も含めて多くの勤労者がこのようなパーティーを楽しめる状況というのが政治を行う目標のように思います。
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親しみやすさのJoe Magnarelliと小林香織さん

2009-07-30 00:22:19 | 音楽
本日は書き流しの勝手なJAZZの感想です。

You TubeのAmit Golan Quartetで見るJoe Magnarelli(tp)はどこか床屋のおじさんのような風情でトランペットもメナードファーガソンのような超絶技巧という訳ではなくフレディハバードのような安定感もないのですがその演奏は親しみやすい感じです。I decidedというアルバムの発売に合わせて体育館のような所で演奏会をしているビデオですが、なんかローカルな所が良い。彼はNY Hard Bup quintetを名乗るアルバムにも参加していますが、ハードバップの名の通りメロディを重視して曲を展開していて親しみやすい感じです。Sunny Valentineという曲はリズミックで明るい曲調(緩和)にトランペットとサックスが持ち場をこまめに変えながら展開していて面白い緊張感です。他にもけっこういろいろなアルバムに参加している所を見ると現代的な親しみやすさが買われている実力派なのかも知れません。

夜静かな部屋で聞くには北欧系のJazzであるLars Jansson Trioが良いですね。どこか哲学的な緊張感がありますが、奇をてらうところがなく穏やかな気分で聞ける所が日本人向けかも知れません。皆良い出来ですが、数あるアルバムの中でも「Hope」が最高傑作だと思います。中でも「Why was it under the sky」は美しいメロディをそう展開してそうリズムを刻むかと思わせる珠玉の逸品と個人的に思ってます。日本人的親しみやすさでしょうか。

小林香織さんの存在は最近You Tubeで知ったのですが、saxが本格派だなあ、とまず感心。Diana Krallの影響か近ごろ日本にもアイドル系?ジャズミュージシャンがぽろぽろ出てきているのですが「これはアルバム出せる実力じゃないね」と素人の小生にも断言されそうな人が多い中で彼女は○です。初めは後ろでマルタが吹いてるのかと思った位でした(曲調やポンタさんなどのバックミュージシャンの傾向がかぶっているせいか)。聞かせるサックスを演奏できるのだからあまり「アキバ萌え系」のような成りで演奏しないで欲しいと言うのがおじさんの希望ですが、コンサートに来ている人達はアキバあたりで見かけそうな人が多い(私自身の見た目もそうです)。「かみさんの若い頃に似てるから」とか言ってビデオを見ていると「結局若い方が良いのね。」とか「私の方が可愛かった」とかいろいろ横から言われて落ち着いて見れないので一人で見る事にしています。ロック系との所謂フュージョンでバックはバックに徹した構成の崩れない音楽なので緊張感なく聞ける親しみやすい音楽なのだろうと思います。今は一曲毎に丁寧に一生懸命演奏している所が良いのですが、(実質10年選手ながら)あと10年15年経ってより実力がついた時にどんな音楽を聞かせてくれるのか楽しみなミュージシャンです。
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Diana Krall とMichel Camilo

2009-05-14 00:40:48 | 音楽
天はニ物を与えずと言いますが、Diana Krall(nativeの人はダイアナ・クロールと発音してました)は歌良し、ピアノ良し、ビジュアルも最高とジャズ界には珍しいスターと言えます。始めて見たのは秋葉の石丸電気レコード館でえらいかっこいい御姐さんのレコードジャケットがあるなあと思ったのが2002年に全米一位になった”Look of Love”でアンサンブルをバックにしっとりと良い感じで謳っていたのを試聴して「この綺麗な御姐さんが謳っているのか」と買ってしまい、01年の冬にパリのオリンピア劇場で行われたライブ版のDVDもビジュアル系のエレガントさから迷わず購入、CDのLive in Parisに入っている曲よりもライブ版DVDの方が内容が濃く劇場の雰囲気も良く伝わっていると思いました。
パリが似合うエレガントさがあって、ヤンキー娘ではなさそうな雰囲気だったのですが、やはり生まれはカナダでジャズ界の登竜門とも言えるバークリー音楽院で学んでから若くしてNYやロスで活躍を始めたと公式サイトにも書いてありました。「解りやすい綺麗な英語で謳うなあ」というのも好印象。”Look of Love”や新しいアルバムの”Quite Nights”は売れ線のアンサンブルをバックにして親しみやすい曲で押してますが、ライブの雰囲気を見るとEast of the Sunみたいな曲をピアノを奏でながら自由に謳う方が本当は好きなのかなという感じもします。まだ四十三歳ですからこれからも長く活躍が期待できます。

Michel Camiloは不覚にも最近存在を知ったのですが、一見中南米の麻薬カルテルの中ボスみたいな感じなのに奏でる曲はパワフルでしかも超絶技巧。エネルギッシュなラテン系の曲も良いのですがスローバラードがまた良い。ホワイトハウスの庭でクリントン大統領の前で演奏した”Caribe”はYou tubeでも公式サイトでも見れますがまさに鬼気迫る演奏で終わると同時に大統領がスタンディングオベーションしているのが写っています。
私が特に感心したのは本人の飛び抜けた才能や技術も去る事ながら、共演しているミュージシャンを際立たせる力を持っていることです。自由に弾いているようで彼はかなり厳しい人であるし完璧主義者と見ました。共演者の彼を見る目が真剣というか、その彼が共演者に返す視線でぐっとアンサンブルの完成度が高まってゆくような印象があります。
1954年ドミニカ共和国生まれで16歳ですでにnational symphony orchestraのメンバーになっていたというのですからその音楽とピアノの才能は尋常ではないでしょう。20台でジュリアード音楽院からジャズの道に入ってレコードデビュー、30台で所属していたnational symphony orchestraの指揮者になるという正統派クラシックでも一流ということです。現在大学でも教鞭を取る才子だそうですが、2003年に出されたNYのBlue noteでのlive albumがあらゆるジャンルの曲が集大成のように至玉の演奏で詰め込まれていて私は一番良いと思います(Best Latin Jazz Grammy獲得)。以前Tom Scottの時に書いたように小さな店ながらNYのBlue Noteで演奏することはジャズマンにとっては特別な気合いがはいるものなのだなと感じます。

そのMichel Camiloが四月初旬に日本のblue noteで演奏していたのを最近知ってちょうど多忙でいずれにしても行けなかったものの、惜しい事をしたと後悔しております。私は自分にない才能や力を持っている人は素直に尊敬してしまうのですが、Diana KrallもMichel Camiloも文句なく尊敬しております。
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名盤、名演奏雑感

2009-02-03 22:25:56 | 音楽
今日はおもいつくままの音楽雑感です。音楽の好き嫌いは十人十色で、どれでなければいけないという物はないし、その人にとって良いものは良いということになるのでしょうが、世の中に名盤や名演奏と評価されるものがある以上、やはり良い音楽には多くの人が良いと認める何かがあるのだと思います。

私は学生時代はクラシックばかり聞いていたのですが、医者になって忙しくなるにつれてクラシックを聞く余裕がなくなり、次第にジャズに魅かれるようになりました。たまに若い頃聞いていたクラシックを聞き直すと改めて「良いなあ」と感動することもあります。

ジャズにも名盤と呼ばれるものがあるのですが、私はどうもジャズについては人が良いという演奏が必ずしもぴんと来ない事があります。恐らく演奏家によってジャズは同じ曲でも全く違う印象になってしまうほど広がりを見せるから個人的な好みもかなり人によって異なるのだろうと思います。ジャズはオリジナルと呼ばれる演奏家独自の作曲も良い場合はあるのですが、私はどうもスタンダードと呼ばれる多くの演奏家が既にものしている曲の方が好きで、スタンダードをいかにアレンジするかで演奏家の良さや実力が出るように思っています。

実際に音が無い所では説明しがたいものがありますが、最近聞いた中ではトランペッターのThomas MarriottのTones for Johan’s BonesはオリジナルのChick Coreaの演奏よりも明るく現代的でこのような曲想にできるのかと思わせる演奏でした。一方で47年の映画からスタンダードになった On Green Dolphin Streetは多くの人が演奏していますが、他の曲に比べて名演奏が多いように思います。Bill Evansを始め、私としてはMcCoy Tynerや日本の辛島文雄が絢爛豪華な広がりを見せる痺れるほど良い演奏をしています。

数あるジャズ演奏のなかでどのように気に入ったものを探すかというと、最近ではインターネットラジオを活用しています。iTunesにあるラジオのradioio jazzなどをコンピューターで仕事をしながら聞いて、気に入った曲がかかったときに演奏者や曲名をチェックしてそのままiTunes storeで検索することが多いです。iTunesにとっては良いお客さんだと思います。

クラシックについて言うと、私はこの曲はこの演奏でないとだめかな、という好き嫌いがあります。例えばマーラーの9番はCarlo Maria GiuliniのChicago交響楽団でないと聞く気にならない、ホルストの惑星はZubin MehtaのLos Angeles交響楽団といった定番ができてしまって、試しに他のレコードを買って見たりもしたのですが「ちょっと違うなあ」と思ってしまい聞かなくなってしまいます。ジャズと違ってクラシックの場合、気に入ったレコード(今はCD)は諳んじられるほど聞くのでなおさら他の演奏を受け付けなくなるのかも知れません。ちなみに死を意識しながら作曲したと言われるマーラー9番の第一楽章は世の中で最も美しい交響曲という評判もあるようで、私も貴公子然とした風貌のジャケットであるGiuliniの9番第一楽章はクラシックの中でも最高だと思っています。

ジャズとクラシックはGershwinの楽曲のように始めから融合しているものもありますが、ジャズの演奏家がクラシックを演奏したり、逆になったりということがよくあります。全て楽器は練習するときにクラシックの曲をやるのでもともと親和性があるのでしょうが、どうもクラシックが否でジャズに行くというのでなく、ジャズが好きだからそちらに行ったプレイヤーが多いらしく、名演奏家ほどクラシックも演奏したいという欲望があるようです。

私はFazil Sayというトルコ生まれの若いピアニストに注目しているのですが、彼はクラシックもジャズも手がけるようです。ようですというのはジャズについては私は聞いた事がないからで、クラシックについては(Lisztのピアノソナタなど聞くと)超絶技巧のピアニストでありながらTchaikovskyのピアノ協奏曲やGershwinのRhapsody in Blueなど聞くと「あれ、こんなフレーズもあったかな」というような展開をクラシックで見せてくれてクラシックの新しい楽しみ方を知るように思いました。

私は楽譜も読めませんし(メロディを出せない)、音楽が好きだというだけでしっかりと勉強をしたこともありませんが、高校生の娘は小中の吹奏楽部でトランペットをやり、高校でオーボエを練習して先生にも付いたりして演奏会で賞を取ったりしています。自分が出来なかった夢を託しているようでもあり、羨ましくもありですが、親というものは多かれ少なかれそのようなものなのだろうと最近思います。自分の両親もきっと私に果たせなかった夢を託した部分があったのだろうと思います。親に羨ましがられる子供は親孝行ということでしょうかね。
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一音からの芸術TOM SCOTT

2008-06-14 22:23:24 | 音楽
ニューヨーク留学の想い出として一番印象深いのは本場のジャズを存分に楽しめたことです。1年の留学期間中殆どマンハッタンに居たので、2週間と開けずにジャズクラブ通いができました。ニューヨークのジャズクラブも有名なところが沢山ありますが、私はLower ManhattanのBlue Noteにもっとも良く通いました。日本にも展開していて、ジャズレーベルも出している老舗のクラブですが、本拠地は以外に狭く、150人くらい入るとけっこう一杯になる広さで、ステージ前は2-3テーブル分くらいしかなかったように記憶しています。その正に目の前でメディアを通してしか聞いたことがない世界的に有名なプレーヤーが15年前で40-60ドルくらいのテーブルチャージで生演奏で聞けるのですから、マンハッタンに住んでいる以上頻繁に行かない手はありません。

 今は亡きミシェル・ペトルチアニやMJQリユニオンなんてのもありました。シャカタクやジョー・サンプルのステージも忘れられません。Village VanguardやSweet Basilにも行きましたが、やはりBlue Noteが一番有名どころのプレーヤーが多く、情報誌でプログラムを確認しては予約して出かけました。住んでいたのは70丁目だったので、Blue Noteのある3丁目まで出かけるときは地下鉄かバス、帰りはタクシーでした。

 サックスプレーヤーのTom Scottはgrpレーベルだったのでどちらかというとフュージョン系で、のりのりで軽く吹きまくるタイプかなと思いながら聞きに行きました。メンバー構成はエレクトリックベースにドラム、シンセサイザーとフュージョン系だったのですが、Tomおじさんのサックスはまさに心を振るわせるような音色で途中から声も出ないくらい感動してしまいました。一音一音を実に綺麗に出すプレーヤーで、CDよりも数段生の方が良い仕上がりという感じ、まさに一音からの芸術といってよい音でした。

 MALTAもサックスは非常に上手で、のりのりのコンサートを日本で良く聞きに行きましたが、室内で目の前でTomおじさんの音を聞かされると、うーん当分それを越えるサックスプレーヤーは自分の中には出ないだろうなあと思ってしまいます。ひとつにはやはりBlue Noteがジャズの伝統ある本場であり、そこで最高の演奏をすることがジャズプレーヤーとしての金字塔であるという認識も手伝っているかも知れません。

 ラジオ番組で、StanGetzの特集をしていた時に、パーソナリティの方が、アメリカのコンサートではGetzの演奏にすごく感動したのだけれど、日本で行われるコンサートでは悪くはないのだけれどそこまでの感動がない、と話しているのを覚えています。ジャズのように自由度が高い音楽は特にその場の雰囲気、本人の心構えみたいなものが大きく反映するのだろうと思います。その意味でやはりジャズを聴くならニューヨークBlue Noteがお勧めではないでしょうか。今はわかりませんが、よほどの大物でなければ前日で大人数でなければ十分予約できました。
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