rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Vancouver 2013.9滞在事情

2013-09-17 00:52:56 | その他

国際学会出席のために1週間ほどカナダのバンクーバーに行ってきました。9月に入って珍しく30度近い日もありましたが、日本と違い乾燥しているので、外にいても比較的快適で観光を楽しむ事もできました。学会における最新泌尿器科情報の備忘録は別の機会にして、滞在中に向こうのメディアなどから感じたシリア情勢についての感想と、福島の核汚染について向こうの人たちが感じている状況を接する事が出来た人たちからの感想から記します。

 

バンクーバーはカナダの東海岸最大の都市で、イチローのいたマリナーズがありアマゾンとかマイクロソフト、スタバなどの発祥で景気の良い米国シアトルよりも少し北にあります。もともと英国人が多かった場所ながら最近は中国人、インド人が多く、日本人は2%位のようです(観光客としては日本人多い)。メディアなどの日常文化はほとんどアメリカですが、物価は高めでその分治安は良好、ホームレスもニューヨークほど多くなく、夜でもあまり怖くありませんでした。

連日テレビのトップニュースはやはりアメリカのシリア攻撃がいつ始まるか、であり、オバマが長時間生で国民に演説をした様子とか、それを受けて賛否両論メディアが討論をしたり、世論調査をしたりした数字が日替わりで登場して飽きさせませんでした。オバマが議会を説得して攻撃をはじめようとしていた時にはバンクーバーの市内でも写真に示すように戦争反対のデモが起きていました(Hands Off Syriaと叫びながら市の中心につながるセンター街を行進する人たち。こちらが手を叩いて賛意を示すと向こうも笑顔とVサインで答えてくれました)。

現在米露の会談でシリアの化学兵器を第三者で共同管理する方向でまとまりつつありますが、先週の段階ではアメリカはシリア攻撃を強行したい思惑であったので、アサド大統領のテレビ出演やプーチンの意見表明もテレビで紹介されていましたが、討論会においては「シリア政府は一線を超えた(倫理的に許されないから懲罰が必要)」「シリア政府側が化学兵器を使った事はアメリカ政府の情報筋が確認した」の2点を繰り返し主張することで、武力行使への慎重論を黙らせようとする意図が明白でした。上院議員の慎重論派は、限定的な武力行使をしても効果が不明で、しかも内戦を治める目処も立たない、事を主張するのですが、「政府側が化学兵器を使った確実な証拠がない」事を主張するとアサドやプーチンの主張を取り入れることになり、しかもアメリカ政府の情報を否定することになるので分が悪く、苦しい展開のようでした。それでも世論調査、議員への事前調査でもアメリカの参戦には否定する国民が多いためにオバマも強行はできない情勢と思われました。

Time誌(下図)によると、シリアの化学兵器は本来イスラエルの核兵器に対抗するために各地に分散して用意されたものである、ということなので、米国(イスラエル)としてはイスラエルが優位性を保つためには、化学兵器をシリア政府が自由に使えない状態にさえなれば良いという結論になります。だから米露の共同管理に実効性があって、シリア政府が独自に化学兵器を使えなくなれば、米国がシリア内戦に介入する目的は達する事が出来ると考えられます。従って現在その方向でまとめているのではないかと思われます。

 

カナダ滞在中に2020年の東京オリンピック開催が決まった事は、もう一つの滞在中の話題でしたが、こちらはカナダのメディアでは15秒くらいしか紹介されませんでした。むしろレスリングが競技に残ったというほうが大きく報道されていました。決定前に福島の核汚染水漏出が問題になっていたので、学会の懇親会などの席で諸外国から来た人達に東京における開催と核汚染についての感想を聞いてみたのですが、懇親会という場もあるとは思いますが「安倍首相もunder controlと話していたよ。」とか「東京と福島はかなり離れているから大丈夫でしょ。」といったプロパガンダ通りの答えが返ってきたのには、普段外国のメディアの方が核汚染には神経質と思っていたのでやや拍子抜けでした。「現実には日本はfar eastだし、そこで起こっている事はそんなに注目されていないよ。」という感想が正直な所なのだろうと思いました。「大丈夫」と強弁することもあのような場合は効果があるのだな、と却って感心した次第でした。

観光バスのドライバーなどにも地震(vancouverも地震が多い由)、津波による瓦礫の漂着、汚染水の拡散などについても感想を聞いてみたのですが、「日本もカナダも海によってつながっているのだから被害を共有することは仕方がないよね、こちらも地震が多いからお互い様だよ。」という理解あるお言葉。外交辞令もあるでしょうが、そう言ってくれる人達のためにも後始末は責任をもってやらないといけない、と新たに思いました。

 

どうでも良い情報ですが、観光の参考として、天気が良ければグラウスマウンテンは行ってみる価値あり、waterfront駅でロープウエーの切符を買うと往復無料のバスがあります。計3−4時間あればキャピラノ吊り橋もついでに回れます(両方で80ドル位かかる)。食事はチェーン店ですがシャングリラホテル裏手にある「The Keg」のディナー照り焼きステーキセットが何店か回った中では一番値段と味の面(チップ込み50ドル位)でおすすめでした。(写真はビクトリアに行く途中のフェリーから撮った幻想的な風景)

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論理と倫理を使い分けてアメリカはシリアを攻撃するか

2013-09-06 17:42:33 | 政治

アメリカはふだん論理的正当性を厳しく追及して、正義や国益を貫きますが、論理的整合性が成り立たない時は倫理的正当性、つまり「これは神から付託された行為」といった定義付けをして自国の主張を通します。結局自分のやりたいようにやるのですが、論理的正当性と倫理的正当性を使い分けて理由立てしている事に注目しないといけません。

 

第二次大戦に参戦するにあたっては「真珠湾奇襲」という「自国への攻撃に対する防衛」「自衛権の行使」という論理的正当性ができたために、選挙公約に反し、議会も厭戦的であったのにすんなりと戦争に参加できました。戦争が終わってみるとそれまでの国際常識に反する相手国への無条件降伏の要求、ドイツや日本への無差別爆撃による民間人殺戮、原爆投下など戦争には勝ったものの自分達の被害に比べて相手に与えた人道的被害の大きさに怖れをなして「米国が枢軸国を倒したのは倫理的に正しいことをしたのである」と強弁せざるをえなくなり、反ファシズム、民主主義を守るために戦争をした、という倫理的正当性を貫かざるをえないことになりました。結果、旧帝国主義諸国は戦勝国でありながら多くの植民地を失う(独立を認める)ことになったり、ソ連という社会主義的正義を対立軸として認めることになりました。

 

以降の朝鮮戦争やベトナム戦争では倫理的正当性を立証することができず、社会主義が広がるのを防ぐといった論理的正当性で戦ったものの、むしろ国内から倫理的批判が出る等散々な結果となりました。911以降の「テロとの戦い」ではaxis of evilという宗教的邪悪な枢軸という表現まで用いて、戦争の正当性が論理的なものでなく倫理的に神から委託された、損得を超越してやらねばならないもの、という定義付けが行われました。だからイラクへの攻撃理由が「大量破壊兵器の保持」という初めから嘘がばれているほど根拠の薄いものであっても議会やメディアは強く反対できませんでしたし、論理的正当性がなくなっても戦争を始めた為政者が責任を追求されることがありませんでした。

 

米国では、法や契約に対して非常に厳格な対応が要求され、それに反すると裁判で厳しく追及される一方で、進化論が学校教育でも否定されていたり、堕胎を行う医師を悪魔として射殺してしまうといった「宗教倫理」においては論理が通用しなくてもよい偏った社会であることが特徴です。だから論理で正当性が主張できない時は倫理的な正当性を主張する、論理と倫理を使い分けて自己の正当性を通すといったことが政治の世界でも行われているのです。

 

日本では終戦の8月になると毎年戦争の悲惨さや原爆の被害について毎年見直されてきましたが、その際米国のコメントを求めても「客観的な状況から原爆の投下や日本に終戦をせまる手順について検証しなおす」ということにはかたくなに抵抗を見せます。むしろそのような見直しは「価値観の変更を試みる不遜で倫理的に誤った行為」として攻撃されます。「倫理」で規定された歴史は「論理」で見直すことが許されない、という変な状況を日本も世界のメディアも「おかしい」と率直に言うことはありません。「倫理」と「論理」の使い分けで自己の正当性を通すとはこの事です。

 

さて、今回米国はシリアのアサド政権側に攻撃を加えるにあたり、「政権側が化学兵器を用いて無辜の自国民を虐殺している。」と証明はされなくてもそう主張することで「倫理的正義」を確立することはできました。しかし現段階でアサド政権側に攻撃を加えることが米国の国益に本当になるか、という所で今ひとつ確証が得られず躊躇しているように見えます。米国内にはアサド政権側をすぐにでも攻撃したい勢力があり、米国に攻撃の倫理的正当性が与えられるよう種々の手を打ってきたのでしょう。しかし一方で参戦に慎重・反対の勢力があって、オバマ大統領としても本音は参戦したくないのではないでしょうか。そもそも「論理的」にシリア政府はアメリカを攻撃する意図はなく、政府に対して武力で抵抗する反政府勢力を「テロ」とアメリカは定義していて、しかもアルカイダが参加しているシリア反政府勢力側にアメリカは加担できない理屈です。

 

シリア内戦が米英・中ロの対立、サウジ/イスラエル・イランの対立、アルカイダ・ヒズボラ・クルド人ほか各種イスラム勢力の代理戦争を呈してきている現在、火に油を注いでみたところで何も解決しない(もっと燃え上がるだけ)だろう、というのは第三者からみた正しい判断だと思います。唯一の効果的政策は両勢力を上回る大量の国連軍(米中露英仏)の駐屯による停戦監視だと私は思いますが。

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正しい歴史教育のありかたを考える

2013-09-02 19:05:21 | 歴史

昨今、まんが「はだしのげん」閲覧問題や、国連の事務総長までが歴史認識について言及をするようになり、歴史というものが世間を騒がす事著しいと感じます。ドイツの鉄血宰相で知られるビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったとされていますが、要は歴史を学ぶ意義とは、歴史を教訓として(自らが)同じ間違いをしないようにしましょう、という意味であると理解します。少なくとも、歴史の一方的な見方を他人に強要することで自分が有利な立場に立ったり、相手から金品を強奪する方便に使ったりするような「はしたない真似」をするために歴史があるわけではありません。歴史とはあくまで内省的に自らを嗜め、自らを高めるためにあるものだと理解します。

 

加藤陽子氏の「それでも日本人は「戦争」を選んだ」朝日出版社2009年刊 は私立の名門、栄光学園において戦争を中心にすえた日本近代史の授業を生徒達と共に考えながら進めるにあたって、当時の日本の為政者の立場、当時の日本のおかれた環境や政治状況を考慮しながら、何故このような選択を為政者達がしてきたのかを考える内容になっています。私はこれこそが「歴史を学ぶ意味」を示す優れた歴史書だと思います。戦争に負けて酷い目にあった、アジアを侵略して酷い事をした、のは現在の価値判断から見て戦前の日本人が「バカ」だったからで済ませてはいけません。当時の第一線の人達がそれなりに熟考して考えた結果が、大きな失敗となったのですから、戦後の日本人が未来において様々な判断を下してゆく上で同様な誤りを冒さないためには当時の俊才達が知恵を絞って出した結論のどこが問題だったのかを検討して、現代の問題への対応に教訓を生かさないといけません。それを行って初めて我々は将来の日本人達に正しい未来をつないで行く事ができるというものです。未来の日本人が「それでも日本人は『原発』を選んだ」とか「それでも日本人は『改憲』を選んだ」といった本を、反省をこめて書かなくて良いように我々は将来を見据えた選択をしてゆくべきです。

 

現在学校教育で使われている教科書にも、様々な問題があるのではと、自分の子供達の教科書をめくってみて感じます。教科書における歴史の記述では、語彙の正しい使用も学ぶ学生達の誤解や間違った理解を避けるために大事だと思います。例えば、戦前の日本を「ファシズム」体制と規定する記述が見られますが、ムッソリーニやナチスにおける政治綱領としてのファシズムと日本の天皇制を軍が専横した体制とは明らかに異なるものであって、一緒くたに「ファシズム」というくくりで戦前を学ぶと「戦前は悪かった」といった単純な善悪説くらいしかイメージとして描けず、将来に活かせる教訓が得られなくなる危惧があります。丸山眞男は「日本型ファシズム」といった語彙を用いて違いを述べていますが、どこか不自然であり、ファシズムという語彙を戦勝国側が押し付けたから仕方なくその言い方をしたようにしか見えません。

 

他にも併合した朝鮮に対して「植民地支配」をしたという記述があるのですが、「併合」と「植民地化」は英語でも異なる語彙が用いられており、意味も異なります。これも朝鮮に対して誤った歴史認識を日本の学生達に植え付ける元になると考えます。併合は一個人にとって見ると、併合された国の国民になるのであるから比較的緩やかなもの(精神的には別です)ですが、国家にとっては存在そのものの消滅になるのですからより苛烈な内容になります。寿命は短いものでしたが、満州国は日本の植民地と言ってよい状態だったと思います。満州国国民は日本人の扱いは受けなかったはずです。しかし沖縄に住む人が日本人であるのと同様、現在ハワイやグアムに生まれた人はアメリカ市民ですし、当時の日本国・朝鮮で生まれた人は日本人でした。私の母がそうです。返還前の沖縄で生まれた人は日本とアメリカの国籍を返還後選ぶことができました。帝国主義列強のアジア・アフリカに対する植民地支配はそのようなものとは異なります。

 

併合された状態から戦後独立した国に住む人は、一般的に併合していた国に「悪い感情」を持っているようです。私は、米国留学中オーストリアからの留学生と数人友人になりましたが、彼らは同じドイツ語を話すのに押し並べてドイツ嫌いでした。私がドイツ語で話しかけても敢えて英語で答えるという感じです。一方でドイツ人の友人は別にオーストリアを嫌っている様子はありません。多分それはソ連から90年以降分離独立した国々についてもいえるのではないかと思います。だから韓国人達が日本人を悪し様に言うのは解らないではないのですが、「併合」を「植民地」とわざと違う教育をするのは明らかに誤りです。朝鮮の人達は戦時中、日本軍として連合国と戦ったのが正しい歴史です。

併合された状態から新たに国家を作った場合には、無から始まった新生国家として様々な努力をしてゆかねばなりません。韓国はどうも日本に戦前侵略されて、併合されたのではなく、植民地として管理され、第二次大戦で連合国と共に日本に対して戦って自由フランス軍のように戦勝国として戦後を踏み出したという間違った認識を通したいように見えます。「併合自体が違法だった(つまり併合の事実はなかった)」といった事も最近言い出しています。確かにその方が一寸かっこいい。しかし、南北朝戦は日本国の一部であった朝鮮半島を連合国が二つに分割して信託統治をする上で作られた国家なのであって、「朝鮮民族が自らの意思で築いた国家ではない」という根本的な認識がないとその後の展開が全て誤ってしまうのです。

 

私は、朝鮮戦争は朝鮮民族にとっての独立戦争であった、という認識を度々ブログでも披瀝していますが、初戦の北が釜山まで攻め込んだ時に独立を宣言して終了していれば北を中心とした共産国、仁川上陸後鴨緑江まで攻め上げた時に終了していれば韓国を中心にした統一朝鮮が実現していたのです。彼らが戦勝国の代理戦争ではなく、自分達の独立戦争として朝鮮戦争を戦っていれば、統一朝鮮は他のアジア諸国が独立していった時期と同じ時期にできていたことでしょう。つまり併合後の独立という「無から国を造る」歴史認識がない事が現在の南北離散の悲劇にもつながっているように思えるのです。

 

高校3年の息子の夏休みの宿題に「マルサスとリカードの論戦についてまとめて考察しなさい」というのがありました。私には何の事かさっぱり解らなかったのですが、ネットなどで調べてみると、「リカードの完全自由貿易」と「マルサスの自国の農業を保護する政策」について100年位前に行われた討論のようで、要は日本のTPP問題に関連した歴史的考察を求めている事が解りました。何とも時宜を得たレベルの高い宿題だと感心したのですが、その後の展開を見る限り欧州においては「農業保護」が結論として選ばれて現在も支持されていることが解ります。アメリカ様の言う通りにしておけば良いというのは経験に学ぶことでしょうが、歴史に学ぶ賢者はTPPにおいて農業をどうするべきか(そもそもTPPなどというものが将来に渡って日本の国益にかなうか)明らかだろうと思われます。今の高校の先生、なかなか素晴らしい。

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