rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Bücker Bü 181 Bestman 1/72 WK models

2019-05-27 18:54:36 | プラモデル

Bücker 181は1930年代に開発されたドイツの練習機で、大戦中も練習機、連絡、偵察任務に使用された多用途機です。大戦末期、敗色が濃くなった1945年からは攻撃任務にも使用され、モデルに見られるような翼に歩兵用のPanzerfaustを4機取り付けて空から戦車や車両の攻撃を行いました。このPanzerfaustは後のRPGシリーズなどに派生して、現在でも世界中で使用されています。しかしドイツで開発された初期の物はバズーカ砲の様に無反動で発射されるものの、途中からのロケット推進機能はなく、有効射程は50から100m程度であったとされます。従って空から発射する場合も戦車の車列直上近くで発射せねば当たらず、被害も大きかったと記録されています。

 

Bücker Bü 181 Bestman 1/72 WK models 造りはややroughな感じ

 

Panzerfaustは密度の高い金属を円錐形に爆発させた時に生ずるモンロー/ノイマン効果によって貫徹力の高い爆風を発生させることで戦車の厚い装甲を打ち破る事ができる画期的な兵器でしたが、戦争後半に大量に配給されたものの圧倒的物量のシャーマン戦車やT-34を前にして、敗色濃いドイツでは既に戦局を覆すだけの威力はなく、練習機に積載して特攻覚悟で攻撃する状態であった所が悲しさを誘います。

 

Panzerfaustを担ぐ歩兵

 

WK modelsはトルコの模型会社で、Spitfire floatplaneのPM modelもそうでしたが、「造形」はタミヤ模型やAirfixなど老舗の模型会社に比べるとかなり雑で、組み合わせや透明部品の質も悪く、改善させるための自助努力が必要です。金属ヤスリを使った調整や、風防の磨き込みなどいろいろ必要でした。制作図も1つのみで、順番や接着場所なども自分で探す必要があります。デカールも貼ってみてからもっと余白を切って貼れば良かったと後悔。まあいろいろ失敗しながら作るのが模型作りの楽しみでもあるのでOKなのですが。

 

最新のメッサーシュミットGとBückersの比較     ベルリンのドイツ技術博物館に展示される国民戦闘機He 162とPanzerfaustを発射する様な高度で右上に懸架されるBücker181(訪れた際に撮影)

Panzerfaustを付けた練習機のBückerと当時最新鋭のメッサーシュミットG type或はベルリンの技術博物館の展示のようにHeinkel He162サラマンダー・ジェット戦闘機との併存を見ると、戦勝国が目を見張る技術の高さがあるのに戦争には負けるという矛盾というか、戦争の勝ち負けと技術力は別(今の米軍とアフガンゲリラの対立にも当てはまりますが)という感慨を持ちます。

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PZL. 23B KARAS軽爆撃機 Romanian Royal Air Force Heller 1/72

2019-05-19 08:57:28 | プラモデル

 PZL23軽爆撃機は、もとはポーランド空軍の爆撃機で、第二次大戦の端緒となったドイツ/ソ連からの侵略の際に戦い、40機ほどがルーマニアに逃れて後に枢軸軍の一部としてルーマニア王立空軍爆撃機としてソ連戦線で戦いました。1930年代の低翼単葉の爆撃機としてはモダンな形とも言えますが、エンジンが非力で最高速度も350kmと低速であり、最高速度を出すと操縦安定性にも欠ける所があったようで総製作数は200機程度であり、大きな活躍はありませんでした。定員は3名で後方に胴体上、下にそれぞれ7.7mm機銃を備えて、爆撃手は爆弾投下時には下方のゴンドラに移って爆撃を行いました。

 

PZL 23 Heller 1/72, Romanian royal air force

 Hellerはフランスの老舗プラモデルメーカーで、この古いモデルは既に絶版になっていますが、この機にもコアなファンがいるようで、他メーカーから1/48のモデルも発売されているようです。1/72ながら、特徴的な広いコックピットの内部も良く再現されていて比較的珍しいルーマニア空軍のデカールも付いている所が嬉しい所です。枢軸軍として戦ったルーマニア空軍は、旧式のPZL11や英国製のハリケーンなども使用しましたが、名機IAR80やドイツからのメッサーシュミットが多用され、1944年8月に戦線が逆転してルーマニアがソ連軍側に寝返るまで示されたようなミハイ十字の国籍識別記号を用いていました。

Karasの実機(ポーランド空軍と思われる)       メッサーシュミットG-type (ハセガワ1/72)との比較 

 第二次大戦で枢軸国側で戦った国々がいつまで枢軸国であったかというのは興味深い所です。多くはドイツともソ連ともそれほど親しかった訳ではなく、第一次大戦以前のオーストリアハンガリー帝国とのからみや、それぞれの国の近隣国への事情で異なります。最期までドイツにつき合って枢軸側で戦ったのはハンガリーくらいで、クロアチア、スロバキア、ルーマニア、ブルガリアなどは1944年を境に連合国側に加わり、イタリアでさえも最終的には日本に宣戦布告をして戦勝国になっています。その意味では元々米国との戦争を避ける事を第一目的として、ソ連との仲を取り持ってもらうため(不可侵条約は結びましたが)に日独伊三国同盟を締結して、最終的にドイツが負けてからも枢軸国として戦争を続けて原爆まで落とされた日本はかなり立ち回りが下手であったと言えます。

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PO-2/U-2 夜間軽爆撃機 1/72 ICM

2019-05-04 22:22:53 | プラモデル

 ポリカルポフPO-2夜間軽爆撃機は、第二次大戦前に設計・製作されて朝鮮戦争時の1950年代まで現役で使用された息の長い軍用機で、総計33,000機以上も作られたと記録されています。旧ソ連にはポリカルポフ、イリューシン、ミコヤン・グレビッチ(Mig)、ヤコブレフなどのメーカーがあり、それぞれに覇を競っていましたが、PO-2はポリカルポフ設計の2型目の航空機ということになります。

 

 第一次大戦的な複葉機で、最近の普通乗用車よりも非力な110馬力のエンジンしか搭載していないながら、主に夜間兵士達の「安眠妨害」を主目的に爆撃任務を行い、第二次大戦中ソ連では婦人のみからなる爆撃部隊も編成されたと記録されています。本機はその低速ぶりからMe109等では一撃で撃墜するのは難しく、朝鮮戦争ではなおさらジェット機では歯が立たず、急遽退役したコルセアを再利用して対策に当たったと言われています。

 

Polikarpov PO-2 ICM 1/72

 ICMはウクライナのプラモデルメーカーでこれも細かい所まで作り込んだ良い出来のモデルであり、Rig取り付け部の突出なども作られているので、説明図に従ってミシン糸を使ってRigを張ってみました。粉を吹いた様な塗装は、1943年頃まで冬期に使用された簡易冬塗装で、地肌の色が見える程度に白色のペンキを吹き付けたもので、多くのソ連航空機で見られました。航空優勢が確立した1944年以降は冬期塗装も行われなくなったと記録されています。

PO-2の実機                             I-15(3)とPO-2

 

 この複葉機の技術は後のI-15などに受け継がれて開花するのですが、主力機として活躍する期間は短かく、かえって旧式のPO-2が多用途機として息の長い活躍をすることになりました。

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