rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

月山登頂と出羽三山参拝記

2023-08-09 22:27:23 | その他

夏期休暇に今年は富士登山を計画していたのですが、生憎の台風6号で中止を余儀なくされました。息子夫婦と合わせて休暇を取っていたので、折角の登山計画を家で過ごすのも残念に思い、「ヤマップ」などで天候が持ちそうな山形県の月山に行く事にしました。富士山は一泊二日の予定だったので、やや強行軍ながら出羽三山を巡る計画を立てて様々な偶然(神のお導き?)に助けられて達成することができました。

 

富士山も言わずと知れた霊峰ですが、出羽三山とは「月山」「羽黒山」「湯殿山」の三神の事で、死後の安楽を祈る月山が過去、現世の幸せを祈る羽黒山が現在、そして生まれ変わりを祈る湯殿山が未来を表し、三山を詣でる事がセットとなっています。江戸時代には西の伊勢参りと東の奥参り(湯殿山神社の奥の院の事)が「人生儀礼」の一つとされて全国から参拝者が集まったそうです。

 

I.   羽黒山参拝

羽黒山入山口にある随神門          樹齢千年という爺杉

庄内平野の鶴岡にある羽黒山に山形自動車道経由で行きました。関東からは東北道から山形道に入るのが普通ですが、混雑を避けて常磐道から入った所、東北道で大きな事故があって一時下り線が通行止めになったりしたので、それに合わずスムーズに仙台方面の連絡道から少し戻って山形道に入り、昼過ぎには羽黒山に到着しました。一つ目の神の導きでした。

羽黒山入り口の随神門を通って東北最古の国宝五重塔(改築中)、樹齢千年の爺杉など見ながら二千段の階段を登ると羽黒山山頂の三神合祭殿に到着します。冬場は月山、湯殿山は積雪で登れないので羽黒山に三神を合わせて祀ったとされます。三山を巡るにはまず入り口であるこちらをお参りすることになっている様です。

二千段の階段 小一時間はかかる                     羽黒山頂上の三神合祭殿(車やバスで直接行く事も可能)

伊勢宮の様に多くの社殿があって多種の神が祀られている

 

II.   湯殿山参拝

 

宿泊は、富士山をキャンセルした後たまたま空いていた月山の麓にある「志津温泉つたや」さんでした。羽黒山を後にしてから台風の影響で一過性の激しい雷雨に見舞われましたが夕方5時には到着。温泉と山菜を中心にした(山形牛ステーキも)美味しい食事を満喫しました。

この旅館はご主人含めて3名の方が本格的な修験者もしておられて、希望する宿泊客に毎日朝5時25分集合で湯殿山朝参りにマイクロバスで連れて行ってくれます。神主さんのお祓いなどもあるので宿泊とは別料金になりますが、期せずして湯殿山神社(奥の院)に本格的参拝ができた事は二つ目の神の導きでした。

湯殿山は標高1504mで、奥の院とされる湯殿山神社本宮は山の中腹にあります。ご神体は「見た内容を語るべからず」とされ(撮影禁)、お祓いを受けてから素足で参拝します。ご神体についてはそのような理由で敢えて触れないことにします。拝辞を神主さんとお参りする人全員が唱和してからお参りします。朝6時の清々しい時間帯に神主さん数名、宿泊者の希望者8名と引率の旦那さんのみ貸し切り状態での参拝でした。奥の院に参拝すると「生まれ変わる」とされるので、それぞれのご先祖様への感謝と供養をする儀式もあります。先祖を祀らない神道では異例の儀式ということです。

山菜など中心にした夕食        湯殿山奥の院参拝の時に唱和する拝辞(お経と違い音階がある)

 

III.   月山登頂記

下山してから月山全貌が拝めた                 隣接する姥が岳方面を月山から眺める

月山は標高1,984m日本百名山の一つであり、花の百名山としても有名でニッコウキスゲなど様々な高山植物も見られます。リフトで姥沢登山口に向かう途中に珍しい渡り蝶のアサギマダラにも出会いました。今年は卯年で547年の卯年に「霊験新たか」な神仏が月山に出現されたという言い伝えから、卯歳御縁年(うどしごえんねん)として参拝すると12年分の御利益があるとされています。その年にお参りできたのも第三の神の導きだったでしょうか。

渡り蝶のアサギマダラ(リフトから撮ったのでぶれあり)       ニッコウキスゲ

初心者向けとされる姥沢コースですが、台風の影響もあって風が強く、ガスも多く時々しか遠望が望めませんでした。それでも日本海や庄内平野、鳥海山なども見る事ができ、山頂の月山神社でお祓いを受けて三社参拝を果たす事ができました。前日の悪天候や平日だったこともあり、登山自体は割と空いていてリフトもお祓いも待ち時間なし。登山は、お参りや昼食含めて4.5時間くらいでした。

夏だが所々雪渓が残っている            頂上小屋の奥に月山神社の小さい社があって神官の方も数人いる

 

富士登山が果たせなかったのは残念でしたが、来年は大学も定年になるので生きながら新たな魂として生まれ変わる「うまれかわりの旅」ができたのは「神のお導き」だったかと感謝しています。宿泊した「つたや」さんは、+2,000円で月山登山パックとして往復のリフト券、昼のお弁当(炊きたて山形米の美味なおむすび2個と副菜)、登山後の入浴、天然水など付けてくれて大変「お得」でした。月山登山後、帰りは東北道で幸い渋滞もなく夜9時には家に到着しました。

姥が岳から鳥海山を遠望できた        霧が晴れると時々日本海や庄内平野が見えます。

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彦星ズ始末記

2023-07-19 17:29:16 | その他

今回は肩の凝らない「強運の猫」の話題。

 

2023年7月7日、近所のしばらく留守にしている家の軒下に生後1か月ほどの幼猫2匹が1日以上ニャーニャー泣き続けていると話題になり、放っておけない家内と動物病院に勤める長女が我が家に保護してきました。暑い中放置されて、大分弱っていたものの、勤めている動物病院で診察してもらった所「軽い猫風邪程度」と診断されてそのまま我が家でとりあえず飼育することになりました。しかし我が家には先住猫が4匹いて(いずれも保護猫ですが)、犬も一匹(保護犬15歳の老犬)いてウイルス検査を受けていない2匹と一緒にする事はできず、玄関のケージで別飼いになりました。生後1か月だと幼猫用のフードとミルクを一日4-5回食べさせる必要がありますが、幸い自分からワシワシ食べてくれる二人だったので世話は楽で、1週間で体重も痩せていた350グラムから450グラム位に増えました。

額の白が広い「星」君と狭い「彦」君

どちらも似たような雑種の黒白のオスであり、良い里親が見つかれば譲渡したいと考えて、額の白が狭い方を七夕にちなんで「ヒコ」、額の白がやや広い方を「ボシ」と名付けました。我が家に拾われた時点でかなり「強運」の彦星ズでしたが、その後も彼らの強運は続きました。

先住の猫たちとは別にしてケージで遊ぶ2匹、保護翌日からかなり元気

保護した翌日、私の古い友達で、長年拾った猫を名古屋に転居後も飼い続けて、2-3年前に亡くなり、夫婦ともさみしい思いをしているという医師に「子猫を保護した」とメールを送った所、5分も経たないうちに電話がかかってきて「家内の食いつきが非常に良い、是非写真を送ってくれ」という反応。結局1週間後に名古屋から新幹線で上京して猫を引き取る事になりました。私と同じ齢ながら、複数透析施設を経営する法人の理事長で、名古屋市内のマンションのペントハウスに住んでいる「旦那さん」なので、新たな子猫のために「ケージ」やら「移動用バッグ」、毛布などまで準備する手厚さで、7月15日に彦星ズの「ボシ」君を連れて、新幹線グリーン車で名古屋にご帰還、となりました。

里親の下でも元気な様子でこちらも安心です。

さて、もう一匹の「ヒコ」君も家内の友人つながりで、欲しいと言ってくれる人がやはり保護翌日に見つかり、7月17日に無事埼玉県の里親さんに譲渡されました。どちらも先住猫がいないので別飼いの必要がなく、リビングなどを自由に動き回っている由で、早速ヘソを天井に向けてあおむけで寝ている写真などが送られてきて安心しています。

 

昔から「強運の動物を大事にすると良い事がある」と言われますが、血統の良い犬猫であっても売れ残るなどして悲惨な結末を迎える例が多数あると聞きます。増してその辺に捨てられた雑種たちが良い環境で長生きできる事は稀です。拾った我々から見ても「何とも強運」の彦星ズは類まれな例と思いました。これからも強運を持ち続けて長生きし、飼い主さんにも強運を分けて欲しいと思いました。

オマケ 我が家の強運と思われる先住達

左上 レオン(雑種犬) 15歳 夜は玄関で失禁するのでオムツ生活。

中上 ういろうー黒スケ 2歳 1年前に名古屋の保護施設からもらわれてきた(新幹線移動)

左下 ジョリー (茶白) 9歳 幼猫の時、我が家の駐車場に何故かいた。今糖尿病で毎日インシュリン6単位

中下 ちゅら 5歳 沖縄出身でハブに噛まれて九死に一生を得た。保護施設から飛行機で内地にきて我が家にたどり着いた。

右 メリー 14歳 近くの里山に捨てられていたのを保護された。ラキタロウ、ハピタロウ亡き後の長老。

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欲望の資本主義2023感想

2023-01-08 11:11:28 | その他

2023年元日にNHKBS1にて恒例のシリーズ「欲望の資本主義2023」が放送されました。クオリティの高い番組であり、毎年感想をブログに記していますので今年も流れに沿って備忘録的に記します。

全体の流れとしては、グローバリズムに代表される英米一極主義が終焉に向かう現在(というとらえ方がグローバリズムのプロパガンダでしかない周回遅れの大手メディアと異なる)、新たな経済のあり方を模索する上でのヒント、日本の進み方は?という内容。副題の「逆転のトライアングルに賭ける時」とはどのような意味かが解き明かされて行きます。

 

第一章 巨大国家の衰退

これは前提である英米(特に米国中心)のグローバリズム経済が行き詰まり、GAFAMによる独占がエネルギーや食料など生活必需品の高いインフレを招いている。しかもインフレ原因は需要の増加でなく供給の減少による。それは多極化による中東、ロシア、ウクライナなどエネルギー、食料供給国が経済の鍵を握りつつある「タンジブル・エコノミー」の時代に入った結果であり、仮想経済を支配していたグローバリズムが経済を制御できる時代が終焉したという事だ(という表現ではなかったですが要約するとこうなる)。

結果として今まで脱落組でなかった中流以上の層が脱落しまいと競争するトリクルアップリスクの時代になっている。

 

第二章 引き裂かれる気分の国「ニッポン」

世界は全体の商品が値上がりするインフレだが、日本だけは食品とエネルギーのみのインフレで留まっている。今後賃上げを伴う全商品のインフレに進むか、ステルス値上げ、シュリンクフレーション(見かけ上の値上げ)で全体の経済は縮小してゆくか、国民全体の気分としてまだ定まらない。

 

第三章 イノベーション神話

新しい経済の創出には創造的破壊につながるイノベーションが必要とされるが、GAFAMの様に破壊が不可能なほど巨大になった独占企業は、破壊を伴う新たなイノベーションを抑制し、利益を独占し継続しようとする。それは経済の限界と終焉につながる。

 

第四章 超大国の終わりの始まり

米国はイノベーションを起こせるエンジニアを自国で育てられず(教育の過剰な商業化)、多くは中国やインドからの移住者に頼っている。米国が、イノベーション力があり、成長できた時代は「開拓と英国の植民地からの独立」という活力あるパイオニアの時代、経済時期としては20世紀半ばまでで、後はそれまでの勢いのみで減速の時代に入った。独占によるイノベーション抑制は競争から対争(contention生き残るための負の争い)の時代に入っている。

 

第五章 時代に逆らった「鉄の女」の過ち

ボリスの後英国首相になったリズ・トラスは不況と物価高に苦しむ英国に「与える」「与える」と連呼し、原資を伴わない財政出動を宣言したことで結果的に経済が混乱して数十日で辞任に追い込まれた。かつてレーガンとともに英国経済を復活させたサッチャーの強引な経済政策をまねた可能性があった。「供給は自ら需要を作り出す」はフランスの経済学者、ジャン・パティスト・セイによる「セイの法則」(経済学原論)だが、生産につながらない消費の増大による経済刺激策は無意味とされ(ジョン・スチュアート・ミル)、「反セイの法則」と批判される。世界経済フォーラムのヤングリーダーで「核戦争も平気」と外相時代息巻いていたトラス女子、やはり頭はカラだったと直ぐにバレたのでした。

 

第六章 気分の国(日本)の成功の代償

1970年代のインフレ時には、日本はインフレを抑制するために協調して賃上げを控えて需要を抑制し、結果高い生産性や技術で輸出の増加などで経済成長を続けて後に続くバブル経済につながった。協調のみでイノベーションがない経済成長は「真の資本主義」とは言えず、後の失われた30年、基本方針が定まらず「夢よもう一度」という掛け声だけの舵取りが行われることになった。

 

第七章 イノベーションと投資との間に

労働者側と企業側の競争関係がなければイノベーションは産まれない。企業の投資だけではイノベーションは産まれず、民間投資+公共投資が必要(産学協同とか)。シュンペーターは企業こそ野心のみでなく、公共心を持つべきと「経済発展の理論(1912年)」で述べている。企業、政府(公共投資)、市民社会の三者がトライアングルを作る(三すくみで競合する)状態が新たなイノベーションにつながる。リスクとリターンの独占は駄目で公益の実現こそが大事。

 

最終章 減速の時代の歩き方

資本主義は膨張の時代だが、今後は循環の時代に入る。資本主義も人類の歴史の一時代にすぎない。成長が減速しつつある中で、いかに循環型に適合してゆくかが、鍵となる。日本のあり方について、グランドデザインを作れ。(大国で行くか、中等度の国でゆくか、豊かな小国でゆくか)

 

結論

逆転のトライアングルとは、公共性のある企業、政府、市民社会の▽関係とも取れるし、減速▽する経済でいかに循環型の経済にシフトしてゆくかのグランドデザインの描き方とも言えるでしょうか。

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副島隆彦氏の講演会に参加した感想「核戦争は始まるか?」

2022-05-25 16:32:59 | その他

2022年5月15日に4年ぶりに御茶ノ水で開かれた副島隆彦学問道場 定例会に参加してきました。2010年2018年に参加した際もブログに報告を書きましたが、今回はウクライナ戦争から第三次大戦に向かう可能性についての論考を是非聞きたいと思っていたので1週間前に申し込みました。演題は「第三次世界大戦に向かう悪魔のシナリオ」で丁度書き上げた次の著作の内容に沿ったものでした。4時間にわたる講演で、内容が豊富で、講演の核になる所を備忘録的に一言で表すことができなかったため、1週間以上かかりましたが短くまとめておこうと思います。

副島隆彦氏の講演の核になる主張

 

〇 英米一極支配体制(DS側)は用意周到計画的にプーチンをウクライナで開戦させてロシア軍に予想外の死傷を出さしめ、長期戦に持ち込んでロシア・プーチン体制の弱体化を図っている。一方でプーチンは核の使用も辞さずという覚悟で勝利を誓っている。

〇 上記の計画も種々の不確定要因があるので予定通りゆかない可能性もある。

 不確定要因の種々

  • ロシアがウクライナの東部南部で勝ちを収めて休戦協定を結んでしまう可能性。
  • EU、NATOは戦争継続を図るが、独仏、スペイン、東欧諸国など国単位では戦争終結を望んでおり、集合体としてのEU、NATOに離反する動きがある。
  • 米国共和党は一極主義や核戦争を望んでいない。
  • 西側メディアは統制下にあるが、SNSは自由が残っており、大手メディアにも時々離反者が出て、ウクライナ側の非道を隠し切れなくなってきた。
  • 中国、中東諸国、インド、南米、アフリカ地域の国々は中立を守っており、実体経済を握るこれらの諸国が西側仮想経済の横暴と離別する可能性がある。

私としては、核戦争にならず、資源や食料といった実体経済を握っているロシアと第三世界が、デジタル上の数値をいじるだけで「共同幻想である貨幣価値」を生み出して資本主義を支配している現在の西側一極資本主義陣営に対抗してくれることを望んでいます。少なくとも一方的に犠牲になっているウクライナ、ロシア双方の一般国民が、ゼレンスキー氏や西側の阿呆どもが何を言おうが(プーチンが負けるまで戦争は続けると言い張っている)、早期に休戦協定を勝手に結んで「戦争やめた!」と宣言してくれることを望んで止みません。

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隅田川七福神めぐり

2022-02-01 16:23:40 | その他

ガイド付ツアーもあるようですが、それぞれに自分のペースで回る人が多い。

 

オミクロン株が猛威を奮う前の1月9日に毎年行っている隅田川七福神めぐりに行きました。東武線の曳舟から鐘ヶ淵の間に6つの寺や神社などを巡って7つのご神体にお参りをするという観光重視の散歩コースなのですが、天気が良い正月にぶらぶらするには丁度良いので毎年巡っています。コロナの影響で、ご神体の分体販売や御朱印も10日で終了ということでした。家内と速足で運動がてら歩いてしまうので3時間位かかるコースも1.5時間位で回ってしまい、東武線は使わず京成線の関屋から押上まで歩くコースで回ります。川を下るコースになり、毘沙門天が祭られる多聞寺から白髭神社(寿老神)、福禄寿が祭られる向島百花園、長命寺(弁財天)、弘福寺(布袋尊)、三井神社(大國神、恵比寿神)と巡り、いつもスカイツリーのあるソラマチで昼食をとって帰ります。

良く晴れた温かい日差しだったので快適な散歩になりました。まず多聞寺で毘沙門天のご分体と宝船を買い、30分ほど歩いて白髭神社へ。

向島百花園入口、入場料を払って入ります。園内に福禄寿が祭られており、一通り冬の植栽も見学。から梅が咲いていました。

長命寺、弘福寺は割と近くにあります。ゴールまで大分近くなりました。

三越のライオンも祭られる三囲神社、恵比寿神と大國神の2神が祭られています。

不思議な三本足の鳥居(ユダヤ教とも関連?)がある三井神社でお参りは終わりで、あとはソラマチで昼食。運動後の昼からビールは旨い。寿司屋さんの天重も最高。

 

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欲望の資本主義2022感想

2022-01-11 17:35:54 | その他

欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを超えて

初回放送日: 2022年1月1日

やめられない止まらない欲望の資本主義。2017年から恒例新春巻頭言。成長、分配、生産性、循環。議論百出の中どこへ向かう?世界の知性と考える異色教養ドキュメント。

困窮者の救済が議論される一方で金融市場は世界的な緩和で潤い、K字と呼ばれる二極化の中叫ばれる生産性向上…。歪な状況の打開策は?人的資本への投資を進めるスウェーデン、循環型経済を試みるオランダなど取材。共産主義の苦い記憶から資本主義内での改革を語るチェコのセドラチェクと脱成長を主張するマルクス経済学者・斎藤幸平が徹底的に議論。ジム・ロジャーズからバルファキス、ラワースまで、資本主義の本質に切り込む。

(以上NHKホームページから)

 


毎回各界の優れた研究者達を迎えて彷徨える資本主義の今後の行方を探るシリーズで今回のテーマは「成長と分配」という新自由主義的資本主義と相いれない課題にどう向き合うかを中心に話が進みます。それぞれの章のテーマとrakitarouがまとめた内容と感想を備忘録的に記します。

 

第一章 K字の果ての歪な市場

コロナ後の経済回復は景気の良い専門領域と回復しないその他の2極のK字型に分断される。回復しない側に手厚い分配を行う事は成功につながるか。

・ルチル・シャルマ(グローバルストラテジスト) むやみな分配はゾンビ企業を産むのみであり、生産性に即した適切な投資が政府にも求められる。

・マシュー・クレイン(経済ジャーナリスト) グローバリズムは国家間の対立でなく階層間の対立(富者と貧者)である。企業の留保を止めさせ、賃金を挙げよ。

現状では、政府が行うケインズ政策は富者にとっての社会主義であり貧者にとっては単に資本主義の一環にすぎない。

 

第二章 コロナが生んだZ世代投資家

上記の世相を見て、大学生たち(Z世代)が単なる労働者でなくプチ投資家として役割をにないつつある。

 

第三章 最後のディーラーの賭け

・ペリー・メーリング(ボストン大学教授) 現在、危機が起こると中央銀行(FRB)が介入して株価を支えてしまう。投資家はFRBに期待し、リスクを忘れてしまうが、バタフライ効果(どんな小さな揺らぎもいずれ大きな嵐になる)で必ずしっぺ返しが来る。いつ来るかは賭けの様な物。

 

第四章 反復する半世紀前の夢

ZEDE(Zone for Employment and Economic Development雇用経済特区)の活用。

ケイト・ラワース(オックスフォード大学)のドーナッツモデル経済(下図)アムステルダムがモデル都市として試行中。成長を重視せず、江戸時代の日本の様に限られた循環型の経済の中で暮らしてゆくという思想。

ラワース氏のサイトから引用、緑のドーナツの外側は地球環境破壊につながる因子となる

 

第五章 気候危機は資本主義のしわざ?

斎藤幸平(大阪大学) 金満資本主義が環境破壊を招き、生産性に関わらず、労働者は長時間労働から解放されないなら、再度社会主義を志向する動きも当然では?

 

第六章 公共善のパラドックス

トーマス・セドラチェク(チェコ経済学者) 歴史では社会主義諸国の方が環境破壊に無関心であった。望ましい未来は社会主義でなく資本主義の中に見出すべき。

 

第七章 競争x福祉 = 生産性?

アンダース・ボルグ(スェーデン元財務相) 国として同一労働同一賃金(Rehn-Meidner model)を義務付け、個人には高福祉、企業には競争を強いる事で社会全体の生産性向上にスウェーデンは成功した。

 

第八章 コモンズの復活か悲劇か

共有財(コモンズ)を復活させる事が豊かさにつながる。(シュンペーター)

あらゆるものが一部の顔のない個人の所有になってしまうと社会は豊かさを失う。

 

第九章 市場と民主主義の再生

ヤニス・バルファキス(前ギリシャ財務相) デジタル共有財産を設けるべき。ビッグテックを民主化(civilization)すべきだ。所有は顔の見える形に。(ある意味デジタル管理資本主義の事を言っているかも)

 

最終章 成長と分配の狭間で

資本主義(成長)と社会主義(分配)の調整を民主主義がコントロールする必要があるが、その望ましい姿はまだ模索している最中と言える。現在がその方向性を決める分岐点だろう。

 

今回登場したいくつかのモデルと将来の漠然とした姿には以前拙ブログ「新しい資本主義とは何か」で示した内容もおぼろげながら伺えるのではないかと感じました。

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NHKスペシャルドラマ「聖徳太子」2001年製作 感想

2021-11-26 10:59:31 | その他

NHKスペシャルドラマ「聖徳太子」2001年製作 感想

聖徳太子(2001年製作のドラマ)公開日:2001年11月10日製作 作・脚本 池端俊策

出演者

本木雅弘(聖徳太子)、中谷美紀(刀自古)、宝田明(物部守屋)、ソル・ギョング(伊真)、國村隼、柄本明(穴穂部皇子)、近藤正臣(用明天皇)天然痘で死去、松坂慶子(推古天皇592年即位)、緒形拳(蘇我馬子)

 

2001年にNHKが製作したドラマ(聖徳太子1400回忌にあたる2021年ということで再放送)。聖徳太子の少年期から、摂政となり17条の憲法と冠位十二階の制定を行うまでが描かれる。太子(本木雅弘)が、年長の蘇我馬子(緒形拳)と精神的に対峙していくのを脚本家の池端俊策は書きたかったと述べており、当時30代の本木も、未熟な自分(太子)でありながらも、対等の立場で緒形(馬子)にぶつかっていくように演技をしたと語っている。この二人の絡み合いは緊張感の高い名シーンとなった。前半では、物部守屋(宝田昭)と用命天皇(近藤正臣)、中盤では推古天皇(松坂慶子)、後半では本ドラマのオリジナルの架空の人物である伊真(ソル・ギョング)が重要な役どころ。

物語は、重要人物の死(守屋、穴穂部皇子=柄本明、泊瀬部皇子=加藤雅也)や事件は史実を辿り、その中で馬子らが果たした役割などは、史実を離れて自由に描かれている。史実では、その詳細が明らかではない馬子の娘で、太子の妻、刀自古(とじこ=中谷美紀、子供時代は戸田恵梨香)が本作では活躍するが、これは、聖徳太子を描いた二つの名作漫画「日出処の天子」(山岸凉子)、「聖徳太子」(池田理代子)で活躍する刀自古のファンには嬉しいところ。

(番組の説明から)

聖徳太子の生涯

574(敏達天皇3)年 誕生

593(推古天皇2)年 推古天皇の摂政となる

603年 冠位十二階の制定

604年 十七条の憲法の制定

607年 第2回遣隋使を派遣

622年 薨御

 

NHKは時々受信料に相当するなと感心する良い番組を放送し、その感想をブログに記してきましたが、このドラマもその一つです。聖徳太子は知っているようで余り知らない歴史上の人物ですが、日本国創世記において国家の基盤を固める上で重要な役割を担ったことは間違いありません。当時をドラマ化するのは、6-7世紀頃の暮らしや風俗の再現という難題をこなさねばならず、余り見たことがない(製作されない)のですが、このドラマはかなり頑張って再現されていて、製作側の気合と資金の入れようが解ります。作・脚本は昨年の大河「麒麟が来る」を手掛けた池端俊策氏で、「麒麟・・」も大変面白く、毎回わくわくしながら見ましたが、このドラマも俳優陣の名演もさることながら、作・脚本の素晴らしさが光る内容で3時間の長尺ながら大河の総集編を見ている様で時間の足りなさまで感ずる内容でした。

 

推古天皇の時代と明治期は類似

 

聖徳太子の時代は、複数あった大和の王朝(宋の歴史書では5つの王を決めたと)が一つになり、神話を現実化して「記紀」としてまとめ、天皇家として安定化させて行こうとした時代と思われます。中国をまとめた「隋」に使者を送り、倭国の王としての権威化を図るために「国家の体裁」を整えるため太子が「冠位十二階」や「十七条の憲法」の制定に関わった事は歴史で習った通りです。言わば国家として大陸に国際デビューを果たす時代だったともいえるでしょう。一方で明治も日本国が西洋文明社会の一員として国際デビューをするために「帝国議会設立」や「大日本帝国憲法」の制定を突貫工事で行った事は類似しています。奇しくも現在の大河は「渋沢栄一」であり、類似した時代を描いた作品としてどうしても比較してしまいます。申し訳ないけど「渋沢・」の方は幼稚、適当、単調、であり作りは朝ドラレベル(15分ぶつ切り番組という意味)で、昨年の「麒麟が来る」の「次はどうなるだろう」とわくわくして視る面白さとの対比が大きすぎてあまり評する気にもなりません。この「聖徳太子」は池端さんの脚本で大河ドラマ化して太子の半生でなく全生涯を描いても見ごたえのある作品になるだろうと思わせるものでした。

十七条の憲法と冠位十二階

 

歴史的事実と創作

 

当時の風俗や音曲などの再現は、創作としてもかなり工夫が凝らされていると思います。百済の使者や宮廷では百済言葉(韓国語)で会話するとか、戦争の場面では中国古代のフシュクと呼ばれる目を強調した娘たちを侍らせて相手を威嚇するといった風習も取り入れて再現していて、弓矢も矢じりはないものの本当に飛ばすなど手抜きがありません。物語も柄本明演ずる穴穂部皇子が松坂慶子演ずる額田部皇女(後の初の女帝推古天皇でとても魅力的)を犯そうとする話や、今田耕司演ずる小野妹子を隋に派遣して一回目はけんもほろろに追い返される話など歴史的事実に即しながら、現代的な脚色も行ってドラマに仕上げてゆく内容がとても面白いと思いました。

 

「和を以て貴となす」は平和主義の結果か

 

このドラマの主題でもあり、歴史上も2度に渡って加耶(任那)の権益を守るために百済と組んで新羅を相手とする出兵を試みたが、筑紫まで行って止めたという事実があり、憲法一条の「和を以て貴となす」と合わせて聖徳太子が「民を想う平和主義の現れ」である、という流れでドラマが進んでゆくのですが、これは多分創作だろうと思います。現実主義の蘇我馬子と仏法の理想を追求する聖徳太子との対立を上手に描いていて見ている方も手に汗握り、感情移入してしまう展開ですが、現実には物部や大友などの力のある豪族を抑えてまとめてゆく上での苦心の結果だったろうと思います。斑鳩に宮を作って仕事をしたのも他の豪族からの横やりを防ぐ、ある意味明治の東京遷都にも通じるものだったかもしれません。しかし戦後、聖徳太子を「札の絵柄」に使おうとして進駐軍に文句を言われた際に、当時の係官が「太子は平和主義だった」と説得して許してもらったという逸話もあり、日本の心を代表する人として伝えてゆく事も良いとも思います。聖徳太子の時代も中国の遠交近攻の策を日本が取っていて、遣隋使もその一環で戦わずして利を得る事を模索していたというのは歴史のダイナミズムを感じます。例の「日出づる所の天子・・」の挨拶文は「天子を同等に記した」として煬帝が激怒したと言われていますが、妹子らの使者を切らずに帰した事から「侮られぬ様はったりをかます」策としては大成功だったのではないか、弱小国ながら種々工夫をしていたのだなと思わせます。

聖徳太子と煬帝

世界が新しい時代に移行せんとする現在において、聖徳太子の時代を顧みるのも日本人としての生き方の原点を考える上で有用かもしれないと思いました。

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NHKBS欲望の資本主義2021特別編「生き残るための倫理」が問われる時

2021-10-16 19:31:39 | その他

BS1スペシャル 欲望の資本主義 特別編 「生き残るための倫理」が問われる時

BS1スペシャルとして定期的に放送されている優れた番組で、いつも楽しみに見ています。今回コロナ禍を過ごす中で資本主義のグレーとリセットを強要された世界がどのように生き残るべきかに焦点を当てた内容が放送されたのでサマライズして紹介します。今世界はエネルギー不足とインフレを迎えています。次は食料危機が計画されている様です。その事実も踏まえて視聴しました。

二極化を象徴するK字回復の先に見える世界は?資金繰りが苦しい中小を尻目に巨大資本は業績を伸ばす。そんな中、企業に「倫理」性を求める声も高まっている。パーパス=目的経営の意味とは?そしてGAFAM、中国経済の行方は?「監視資本主義」でデジタル革命の罪を問うズボフ、「資本主義だけ残った」で世界秩序の行方を説くミラノヴィッチほか、個性的な世界の知性たちと、減速から回復へと舵を切る経済と社会の今を考える。

出演

ランディ・ザッカーバーグ 、ショシャナ・ズボフ 、ミノーシュ・シャフィク 、ブランコ・ミラノヴィッチ 、コリン・メイヤー 、トーマス・セドラチェク 、早川英男 、神田慶司

2021年9月23日放送 (以上NHKのホームページから)

 

第一章「遠い世界の(コロナ)収束」

アフリカにもワクチンを(世銀ミノシュ)、そして富の再配分をまず目指し、バランスと豊かさを大切にするべき(NY市立大教授ミラノヴィッチ)。負債を増やして利益を得るのでなく、仕事をして価値を作る日本の様に「働く事に価値」を見いだし、日本的な労働規範を世界は見習うべき(経済学者セドラチェク)。

 

第二章 宴なき祭りのあと

オリンピックの後は負債と不景気が残っただけだった。90年代以降観光やサービス業は投資をした分の発展をしてこなかった、つまり目指す方向が間違っている(大和総研、神田慶司)。大企業は交際費がなくなった分収益増だがその分サービス業の利益が激減(日銀理事、早川英男)。

 

第三章 パンデミックが加速させるパーパス(企業の存在目的の明確化)

パンデミックという世界戦争を経験した世界は、企業においては自分の企業の社会における存在意義、目的を明確化させる必要がある。SDGsやESGといった中での目的化が必要だろう(オックスフォード大、コリン・メイヤー)。ミルトン・フリードマンは収益が目的で良いとしたが、今は倫理に基づく問題解決への貢献を収益との兼ね合いをどこで境界線を引くかが問われている(投資家ザッカーバーグ)。

 

第四章 デジタル頼みの中、進む監視

AIを駆使して大衆を監視し、そのデータを勝手に利用する「監視資本主義」が出現している(ハーバード、ショシャナ・ズボフ)。Big techはBig dataを独占し、情報資本を集積してそれを一部企業が自由に使い莫大な収益につなげている。全ての経済活動が監視経済になってしまっている。

 

第五章 資本主義だけが残った

形は違えど、世界には資本主義しか残っていない。資本家と労働者が分断されて、資本家は資本所得ばかり追うようになっている。しかも米国は中国化して同じ手法を取りつつあり、多極主義による政治的(国家)資本主義に向かっている(NY市立大ミラノヴィッチ)。下図

番組で紹介された図を一部rakitarouが改変

第六章 企業家がファシストになる時

企業家はゲーマーとしてモノポリー(独占)を目指す(セドラチェク)。利益を上げる中で起こした問題は得た利益から払うのが企業倫理だ(コリン・メイヤー)。データを扱うアルゴリズムはAIが自動で行うが、それをプログラムするのは人間であり、プログラマーの倫理が求められる(セドラチェク)。情報を支配したい企業家を統制する法が必要、新たなヒトラーは政治家からでなく企業家から出る(セドラチェク)。

 

第七章 監督官はどこに

銀行は金の流し方を倫理的に統制することで経済の監督官として君臨した(アロイス・シュンペーター)。しかし資本を動かしているのは今は銀行ではなく巨大資本家や投資家であり、彼らを統制する敵は存在しない(日銀 早川英男)。かつての日本、ドイツの銀行の様な産業金融(半沢直樹的)としての銀行のあり方が再度求められているかも。それを国家がやると政治資本主義になるが。

 

第八章 信用が失われた世界で

銀行は預金という負債を信用に変えて金融機関としての役割を果たした。現在のビットコインの様なデジタル貨幣や「有り余った資産の使い道としての株や投資」のありかたは「融資の倫理」を働かせる余地が既に亡くなっている。

 

第九章 善と悪のパラドックス 最終章—今後のあり方を模索する

企業は一時的でないサステナブルな存在意義(パーパス)を求めるべき(コリン・メイヤー)。古典的な資本主義は民主主義に基づく法によって制限を受けて来た(ハーバード、ズボフ)。今巨大資本は法を支配するために政治に金をつぎ込んでいる。これを許すべきではない。監視資本主義に法の制限を設けるべき(ズボフ)。資本主義を飼いならす時(早川英男)。金を出し合って事故による損を補う「保険」のしくみは共産主義的であり、社会は共産主義の良い所は見直すべき(セドラチェク)。全ての民衆が資本家であり労働者でもある民衆資本主義といえる世界(下図)を作れ(ミラノヴィッチ)。

 

最終章は、実現性はともかく示唆に富む興味深い内容だと思いました。

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霧ヶ峰・蓼科山登頂記

2021-09-24 12:10:52 | その他

昨年は北海道の羊蹄山、一昨年は岩手山に登りましたが、今年はコロナの事態もあり、近場で宣言の出ていない長野県に一泊二日で行きました。連休の合間だったので松本で一泊しましたが、渋滞なく行き帰りもスムーズでした。時間が読めなかったので、まず出来るだけ高所まで車で行ける霧ヶ峰を目指しました。頂上は車山(1925m)で、リフトは使わず、車山肩バス停(1700m位)のパーキングに車を止めて頂上を目指します。200m程度の緩い高低差なので30分ほどで、余裕でレーダードームのある車山山頂に到着しました。

富士山にあったレーダーの替わりに作られたという観測所        車山の頂上

 

非常に天気が良く、360度の展望に恵まれました。富士山、南アルプス、御嶽山、北アルプス、浅間山などが遠望できました。見ると目の前に八ヶ岳の北端、蓼科山(2531m)が頂上まで青空にくっきりと浮かんで見えました。当初は霧ヶ峰の湿原を3時間くらいで回ろうと思っていたのですが、急遽蓼科山登山を思い立ってそちらに向かいました。小中学校の登山でも使われるという7合目登山口に車で向かい、30分程で到着。早速頂上を目指しました。

車山の頂上から富士山を遠望      北アルプスの槍ヶ岳が見えます

霧ヶ峰から蓼科山が頂上まで非常にくっきりと見えます         蓼科山7合目の登山口、頂上が望める

 

登山道は良く整備されていて、登り計600mほど、やや急登が続きますが、将軍平から後、1/3ほどが鎖場もある岩登りで手足を使ってよじ上る必要があるものの11時過ぎから登り始めて1時には頂上に着きました。車山と同じく大変良い眺めでした。まだ紅葉には早く、所々赤い葉が見られる程度でした。

後半の岩場を登る登山道はややきつい                 蓼科山頂上はサッカー場4面の広さと言うが、大きな岩が多い。中央に鳥居

遠方は北アルプス、手前の電波塔が立っているのが翌日に行く美ヶ原

 

頂上は岩場ですが、野球ができるほど広く、中央に祀られた神社にお参りしてから帰りました。帰りはもと来た道を7合目まで降りて、その日は高速で松本へ。

美ヶ原の麓にある温泉旅館「すぎもと」に宿泊。待ち合いや食事場所には品の良いジャズが流れていて地元の食材を生かした和風創作料理を堪能しました。店主手打ちの出来立て10割そばはなかなか味わえない美味でした。

地元の食材を生かした創作コース料理 冬瓜の汁物、キノコや野菜、鶏のスープと冬瓜を崩しながら食べる

 

翌日はやや天気が悪く、松本方面から美ヶ原自然保護センターを目指し、そこから歩いて王が頭(2034m)まで30分ほど歩きました。残念ながら雲の中で何も見えなかったので王が鼻(2008m)や牧場には行かず退散、白樺平方面には抜けられないので、254号まで戻って佐久・軽井沢から帰路につきました。

前日は快晴だったのに王が頭頂上は霧で何も見えず、残念。

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BS世界のドキュメンタリー「さまよえるWHO」2020仏製作

2021-04-05 12:34:23 | その他

トランプ政権が脱退を表明し、新型コロナウイルス対応でも批判が絶えないWHOの歴史と現状の問題点をフランス独自の視点から遠慮なく描いたドキュメンタリーです。現事務局長のテドロス氏の対抗馬であったデュストブラジ氏の話も交えてかなり批判的な内容ではありますが、国際機関というだけで崇めてしまう日本のメディアには作れない内容の濃さがありました。

以下に新型コロナについての新視点も加えて、歴史的経緯のまとめを印象に残った点を時系列で示して備忘録的に記します。

NHKの番組ホームページからの画像

 

  • 東西冷戦下に弱小国連組織として設立されたWHOが天然痘撲滅で一躍脚光を浴びる。

WHOは1948年に国連の一機関として設立されますが、一部の国々しか参加せず、活動も盛んではありませんでしたが、東西の医師達が協力して天然痘を撲滅した事から政治から独立した、医師と科学者達による人類の健康に資する国際機関として注目されるようになった。

 

  • アル・マータ宣言が却って先進国の反発を招く

1978年、当時ソ連の一部であったカザフスタン、アル・マータにおける総会で、西暦2000年までに全世界の人々を健康にする(医療と公衆衛生を平等に展開する)事を目標に掲げ、WHOの意義が高揚されたが、かえって米英などの先進国から、後進国が平等に発展することへの反発が出る結果に。

 

  • 対AIDS対策では消極的であり後手に回る

1979年に未知のウイルスであるHIVが同性愛者やアフリカで蔓延したが、WHOは道徳的問題を理由に積極的に動かず、結局アフリカに蔓延。

1990年UNAIDSというWHOとは別の機関が作られて対応。

 

  • 予算が足りず、民間財団の寄付に頼る運営

中小国家も大国と同じ1票という状況を嫌がり、大国は負担金をカットして結局民間の財団による「使途限定」というひも付きの寄付金頼みの運営になる(下図)。運営方針はワクチンなどの偏った内容になる。

Wikiに提示されたWHOの出資者 中国は10指にも入っていないが絶大な影響力がある。

GAVIアライアンスは「予防接種のための世界同盟」の事で経済グレート・リセットを目論むWEF(世界経済フォーラム)が設立。ゲイツ財団と共に世界にワクチンを強要する事を目的としている。

参考までに:EUが掲げる全国民へのワクチンパスポート導入への手順(2018年からプロジェクト開始)コロナのお蔭で予定通りに、抵抗なく2022年にはワクチンパスポートが本格的に導入されようとしている。

 

  • 2003年SARS1対策で中国に喝

2002年末のSARS1が広東で発生した際は、当時WHO事務局長、医師でノルウエー首相経験者のブルントラント氏は中国に対して強い態度で情報公開と対応責任を迫り、封じ込めに成功。中国としては大国のメンツを潰された結果となり、国家としてWHO乗っ取り(コントロール)を目標に動き出す。

 

  • 中国の反撃

弱小国も平等に1票を逆手に取り、積極的にアフリカに支援することで国連の主要機関のトップを中国人が占める事に成功。WHOも2007年から2017年の間、香港の衛生トップであったマーガレット・チャン氏がWHO事務局長となった。その次は事務局次長のフランス、デュストブラジ氏が立候補したが、中国が推した現テドロス氏が事務局長になる。

 

  • テドロス事務総長の就任と新型コロナ対策

2019年12月武漢での新型肺炎集団発生の報告を受けてからも、中国の指示で世界的アラートの発令を遅らせ、人の交流も継続する事を中国の言われるままに容認、いよいよ世界で新型コロナが発生してからパンデミックを宣言するWHOの新型コロナへの初期対応の不完全さについては周知のとおり。

 

〇 好対照を示した台湾当局の対応

  番組では台湾の衛生主任である陳時中氏のインタビューを載せていたのですが、注目に値するのは「2019年10月に武漢で正体不明の感染症発生との情報があり、2003年の台湾におけるSARSの経験からすぐに国家的な準備態勢に入り、12月肺炎発生の報告と同時に隔離や入国制限の処置をした。」と台湾における新型コロナ封じ込めの経緯を明かしていました。大事なのは「2019年10月に正体不明の感染症の情報」を既に台湾当局が掴んでいた事実で、当然中国当局も掴んでいたはずです。番組内に非常に大事な事実がシレっと挿入されていました。そしてそれが武漢ウイルス研究所関連であったからこそ、12月に新型肺炎の危険を訴えた民間病院の医師を「騒ぐな」と処罰した訳です。台湾がWHO加盟国(団体)で、しかも2003年当時の様な中国から独立した組織であったならば、10月の段階でWHOにアクションを起こすよう警鐘を発したはずです。

 その後、台湾のジャーナリストがWHOの広報官に今後の台湾加盟について取材をした時の映像が流されましたが、「質問が聞こえない」とはぐらかされた上、再度質問した段階で通信回線を一方的に切る、という対応をされました。

 

〇 彷徨い続けるWHO

  日本ではWHOというだけで、公平中立な上に非常にレベルの高い、権威ある国際組織であると思い込んでいるメディアや人たちが沢山います。そのような時代もありましたが、それは時代と世界情勢によって変化するものです。2000年頃「米国の医療が日本よりはるかに優れている」というとんでもない「デマ」に私も「医学は一流だけど医療は三流だ!」と反論していた事を思いだします。さすがに米国民の医療格差はマイケル・ムーア監督の映画「シッコSicko2007年」などで紹介されて今では米国医療の実態が理解されました。

日本も「日本国民のため」になる政策を、WHOの見解を丸のみにすることなく、独自の情報と解析を行って検討してゆく必要があります。少なくとも欧州の国々にはその基盤と心構えがあることをこのドキュメンタリーは示していると思いました。

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羊蹄山登頂記

2020-09-30 18:59:55 | その他

2020年9月初旬に100名山の一つである北海道の羊蹄山に登りました。雨模様の日々が続いていたのですが、たまたま当日は朝方晴れ間も見え、残暑もあって半袖で1900mの頂上まで行きました(頂上は15度位で少し涼しい)。都民ではないのでGotoを使わせてもらい、格安になりました。連休ではなく、移動を含めて平日でしたが飛行機も旅館も人は多く、「深刻な病気でないコロナ自粛はもう不要」と目覚めているまっとうな人が沢山いました。

ウポポイの里 大きな博物館が手前にある                  要諦山の山容

前日は開園したばかりのウポポイアイヌ民族博物館などを見学し、ニセコ昆布温泉に宿泊。当日はコンビニで朝と昼の食糧を買い込んで07:15から半月湖近くの比羅夫登山口(40台位駐車できる)から登り始めます。駅の近くに店位あるだろうと思ったのですが、JR比羅夫駅はコンビニもなく国道沿いにナビで探す必要がありました。比羅夫登山道は中級者向けということで時間をかければ誰でも登れそうです。高低差は1548m、距離5kmほどですが、4合目位までは比較的なだらかな木々に覆われた林の中の道ですが、4-9合目までは急登が続き、眺めも良くないのでひたすら我慢です。但し4合目までも倒木などが多く雨の後は滑りやすく油断は禁物です。1合目毎に登山マラソン大会で設置された「今・・合目」の看板があるので目安になりますが、6-7-8合目はきつく、次の合目はまだか・・と待ち遠しくなります。

比羅夫登山口  半月湖の奥にある駐車場             登山途中の道標

6時台から登山を始める人が多く、7時台から登り始めても途中で会う人がほとんどいない状況でした。10時台には8合目付近に達したのですが、その頃登山を終えて降りてくる人たちにパラパラ会うようになりました。自衛隊の教育隊の若者たちが軽装、速足で降りてくるのに出会いました(2個分隊に分かれて登っていた)。

9合目からやっと視界が開ける        鉢を巡って岩場の道を山頂に向かう

11時過ぎに視界が開ける9合目に到達し、12時頃に火口が見える鉢に到達しました。少し雨模様になってガスも出てきたので鉢の反対側にある山頂まで行って、岩場の多い鉢めぐりはせずに元の比羅夫登山道に戻りました。登り5時間、下りは13:00から降り始めて3.5時間で半月湖駐車場に戻りました。予行演習で筑波山(670m)に登った際、右膝が痛くなったので今回は膝にサポーターを当てて、下肢攣り防止の芍薬甘草湯など持参、クエン酸水も用意したので9時間の登山でしたが大過なく無事ニセコのホテルに戻り、旨いビールを頂きました。

すり鉢状の底に火口が見える(水が溜まっている)       やっと山頂(立札の場所は岩場の一部であまり広くはない)

還暦を過ぎて普段から山登りをして体を鍛えている人は良いですが、私の様に年1-2回しか行かない人はやはり注意が必要だと思います。まず一人では行かない(内儀の方が詳しいので婦唱夫随です)。靴は登山靴(私のはスノトレですが)、雨具防寒具を持参、水分と軽食持参、ケガをしない(ゆっくりで良い)といった事を心がけています。

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NHK BSドキュメンタリー よみがえる悪夢1973年知られざる核戦争危機 感想

2019-12-02 19:13:15 | その他

2019年11月17日放送のNHK BSドキュメンタリー 「よみがえる悪夢1973年 知られざる核戦争危機」は機密保全の解けた米国公文書などを丁寧に取材してまとめた迫真のドキュメンタリーでした。1962年キューバにソ連が核ミサイル基地を作ろうとしたことから米ソ全面核戦争寸前まで達した危機的状況は、ケネディ大統領とフルシチョフ首相とのやり取りで双方合意することで危機が回避された事は有名です。他にもあまり明らかにされていない核戦争一歩手前の危機が当事者達の冷静な判断で回避されて来た事実があるようです。このBSドキュメンタリーは第4時中東戦争の最中に起きていた米ソ間の全面核戦争の知られざる危機を発掘し、明らかにした優れたドキュメンタリーであると思います。また未だに公にはされませんが、イスラエルが1973年当時から核保有国であった事実もさりげなく暴露されています(イスラエルの技術で建国間もない中国に核開発をさせて中国を代理的核保有国にさせたことは有名)。以下にその経緯を簡単にまとめます。

 

NHK BS 番組のサイトから

○ 1973年10月6日、イスラエルにおけるユダヤ暦の神聖な日であるヨム・キプル贖罪の日に第三次中東戦争で占領された領土の奪回を目的にエジプト・シリア両軍が同時にスエズ運河、ゴラン高原に攻撃を開始。

○ 当初はアラブ側が周到な準備と奇襲攻撃であった事、ソ連製の最新兵器を駆使したことからイスラエル側を圧倒、イスラエル側の航空機、戦車が壊滅し、三千名の犠牲が出て劣勢に立たされます。

○ イスラエルの首相 ゴルダ・メイアは米国のニクソン・キッシンジャー政権に救いを求めます。キッシンジャーはユダヤ人であり、親イスラエルであったこと、またCIAから危機に瀕したイスラエルは核の使用も辞さないという報告を受け、本格的な武器の支援に乗り出します。当時米ソはニクソン・ブレジネフの融和ムードの中にあり、しかもニクソンはウオーターゲート事件で国内的には追いつめられた時期にありました。

○ 米国の支援とイスラエルの総力戦態勢が整う事で戦局は次第にイスラエル優勢に変化してゆきます。ブレジネフは当初エジプト優位のうちに和平を仲介することで中東におけるソ連の覇権強化を狙っていたのですが、戦局が優位なうちに和平に至る事をエジプトのサダト大統領が拒否、ブレジネフは激怒します。

○ エジプトが窮地に陥るとサダトはソ連に助けを求めます。ブレジネフは激怒するのですが、エジプトが米国側に寝返る事を避けるためキッシンジャーと和平協議を行い10月23日に停戦する協定を結びます。しかし停戦2日前にサダトは最後っぺの様にイスラエルの都市に向けて核弾頭搭載可能なソ連製のスカッドミサイル2発を発射します(ソ連の強硬派国防大臣のグレチコが許可していた)。

○ 優勢であったイスラエルも米ソのみで決めた停戦には合意しておらず23日以降も攻撃を続け、エジプトの主力軍が壊滅の危機に陥ります。そこで停戦協定を守らないイスラエルに対して、ブレジネフはキッシンジャーに騙されたと激怒、ソ連軍を直接地中海に派遣して参戦の可能性を示し、しかも核を積んだ貨物船をアレキサンドリアに入港させてスカッドへの核搭載をにおわせます。

○ ソ連の核を用いた恫喝にウオーターゲートで追いつめられていたニクソンは米軍がデフコン3(核戦争準備)の態勢を敷く事で答えます。ブレジネフは丁度モスクワで世界平和会議を主催していた事もあり、当初は静観していたのですが、エジプトとイスラエルの停戦が進まない事から次第にソ連も核使用態勢へと追い込まれて行きます。

○ このままでは中東を発火点とした核を用いた第三次世界大戦へと発展する危機的状況に陥っていた所だったのですが、寸での所でエジプト大統領サダトがイスラエルとの直接交渉(アラブがイスラエルを国家として認めるという意味を持つ)を承諾し、譲歩の上停戦に合意、イスラエル勝利で幕を閉じるのですが、イスラエル、アラブ双方に大きな不満が残ることになります。停戦をしたメイア首相は政権を去り、サダトは後に暗殺されます。しかし米ソ核戦争という危機を避けることができたのは、石油危機などの迷惑を被りましたがその他の世界各国にはこれ以上ない僥倖であったと言えます。

 

番組の最後で語られますが、世界核戦争というのは超大国が徐々に危機が高まって行った結果、準備万端で開戦するという場合よりも、ヒューマンエラーから来る事故や思い込み、勘違いによって始まってしまい、止められなくなるという場合の方が圧倒的に多いと考えられる、という解説が先のブログに紹介されていた事例を含め、また映画などでSF的に描かれながら真実とも思える事態を考えても、非常に説得力のあるものに思いました。

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岩手山登頂記

2019-08-06 18:44:55 | その他

 3日間の夏休みを利用して岩手山登山に挑戦してきました。実は昨年秋に八幡平のリゾートホテルに旅行で行った際、せっかくだから近くの山に登ろうということで八幡平(1,614m)、三石山(1,466m)、大松倉山(1,400m)に登りました。大松倉山からは岩手山への縦走コースもあって、時間があれば名峰岩手山もすぐそこで行けそうに思い、今年は岩手山を始めから目指して旅行に来ました。

八幡平から岩手山を臨む(昨年)         大松倉山から縦走で岩手山の山頂を臨む(頑張れば登頂できそうな高さ)

 宿泊は昨年と同様八幡平マウンテンホテルに泊まったのですが、安くて食事内容も良く、夜は星空見学説明会を毎日やっていて、都会では見れない奇麗な満天の星空を楽しむ事ができます。昨年秋は土星の輪を固定した双眼鏡で初めて肉眼で見る事ができ感動しました。今年は国際宇宙ステーション「きぼう」が上空を通過する時間に見学会が設定されていて、木星ほどの明るさ(1等星より明るい)のISSきぼうが1分程で上空を通過する様を肉眼で観察できました。

早朝の岩手山 焼走り登山口の近傍(この時は頂上が見えていた)        焼走り登山道のコマクサ

到達した時、頂上付近は霧と風で何も見えませんでした                下山してきて溶岩流の台地から岩手山頂上を臨む(少し晴れているかも)

 岩手山は奥羽山脈北部、盛岡市や新幹線からも眺望できる2,038mの成層火山で、日本100名山に数えられています。有史以来5回の噴火があったとされ、登山道にも第一、第二噴出口など立ち寄る事ができ、麓には溶岩流が流れて広がった焼走りと言われる地形が広がっています。いくつかの登山道があるのですが、今回は往復8〜9時間ほどの初心者向け、焼走りコースで登りました。朝6時前に焼走り登山口の登山者用駐車場(300台位停まれるがガラガラでした)に車を停めて、入り口の手洗い場に設置してある登山届けに記入してから歩き出します。天候がCランクで上空雲が掛かっていたので登山に来る人は少なく、抜きつ抜かれつしながら数人程が同じ時間帯に登りました。途中ホテルで作ってもらったカツサンドを朝食に取って、10:30頃には上坊コースと合流した後の平笠不動避難小屋(1770m)にたどり着きました。珍しいコマクサの多生する場所も通ります。そこから頂上までは40分程なのですが、今回残念ながら頂上近辺は霧と風が強く、頂上を目指したものの手前200m位の所で無理をせず引き返してきました。やー霧で何も見えませんでした。帰りは第二噴出口の辺りでこれもホテルで調達した持参の昼食を食べて降りました。

小川全体に40度くらいの温泉水が流れている場所 足湯可能             焼山への霧と硫黄の匂いが強い登山道で道先案内をしてくれる山カラス         

 その前日は八幡平の秋田県側にある後生掛温泉から200名山の一つである焼山(1,366m)を目指してトレッキングしてきました。4時間程のコースで途中、流れる川全体が温泉になっていて足湯ができる場所などがあるのですが、こちらも霧(雲)が濃くて眺めは今ひとつでした。途中硫黄の匂いが強い禿げ山の通路で先を案内してくれるように飛んだ山カラスが印象的でした。その日は焼山避難小屋に行って毛氈峠方面の別ルートで後生掛温泉に戻りました。

姫神山からの眺望     姫神山から岩手山方面を臨む(この時は岩手山が雲でよく見えませんでした)

 3日目は岩手山を男の山と例えると、その嫁さんと言われるやはり200名山の姫神山(1,123m)に登りました。このクラスだと頂上も雲の下にあって晴れていて眺望も良く、往復2.5時間程度で戻ってきました。午後は車を盛岡で返して新幹線で帰宅、東京はうだるような暑さでした。

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副島隆彦氏の講演会2018

2018-12-03 18:48:24 | その他

2018年12月2日に都内で行われた定例会に参加してきました。2014年以来でした。その備忘録としての記録です。

 

第一部は著作「日本会議の研究」(扶桑社新書)で有名になった菅野完(たもつ)氏の講演で、「安倍政権は何故倒れないか」という命題についての解説でした。

安倍政権を支えているのは成長の家学生運動から派生した日本青年協議会(日本会議)日本政策研究センターなどですが、輿論調査などで安倍政権を支持する理由は(他よりも良さそう)という消極的な理由が大半で「政策が素晴らしい」というものではないことが説明されます。安倍政権の政策はTPP推進、水道民営化、種子法、公共事業への国債投入、移民法推進など保守主義からはほど遠いものが多く、同じ政策を民主党や社民党が進めたら保守陣営から大批判が起こりそうなものばかりです。では左翼的政策を行っている安倍政権が真性保守から批判されないのは「慰安婦」「靖国」「9条」という政策において「右寄り」とされる主張をずっと繰り返しているから「雰囲気右翼的」を貫いていて「深く考えない多くの日本人達に安心感を与えている」からだろう、という結論です。表現はもっと過激な物でしたが内容的にはなるほどと思わせるものでした。

 

第二部は副島隆彦氏の新著 歴史再発掘(ビジネス社刊 予定) (重たい掲示板の2373番)と近著日本人が知らない真実の世界史(日本文芸社2018年10月刊) の解説を中心としたものでした。風邪気味であるのと昨日までの著作活動でややお疲れ気味だったか、いつもよりも「あの馬鹿共!」という副島節がやや不調だったように感じました。まあご本人も話していたように65歳という年齢もあって50代と同じようには吠えられないということかも知れません。

 

内容はイギリスMI6内部でソ連のために働いた戦後最大のスパイ キム・フィルビー、007シリーズの元になったミンギス、松岡洋右と3国同盟の話
(この辺はrakitarouも以前興味を持って調べた事あり)、ユダヤ民族とは900年代に黒海北岸にあったカザール王国から始まったというA.ケストラーの本、同じ説を唱えるシュロモ・サンド テルアビブ大学教授の著作の解説から、一神教が紀元前からあるという説が欺瞞であることを解説しました。

 

今回は経済やトランプの動向といった時事的な事はあまり述べられませんでしたが、また大きな動きがあったときに期待したいと思います。

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2018大河ドラマ「せごどん」の「大欠点」と「一寸だけ良い所」

2018-07-30 21:43:26 | その他

日曜夜8時といえば、小中学生時代はNHKの大河ドラマと決まっていました。1970年代の事でしょうか。当時は日本史に詳しくないながらも、「樅の木は残った」、「天と地と」といったいまだに名作と言われる大河ドラマがあり、印象に強く残っています。しかし大人になってからはとんと見なくなりました。長丁場のドラマを毎週見れる身分でなくなった事もありますが、あまり面白いと感じなくなった事も大きい原因です。

 

ところが昨年ひょんなことから「女城主直虎」の第一回目を見たら「面白い」と感じてしまい、毎週楽しみに見るようになりました。昨年の「直虎」は期待を裏切らず、最終回まで次はどうなることかとワクワクしながら見る事ができました。家康や信長との確執など、歴史の新しい解釈(こういうのも有りかな)が楽しく、また今まで光が当たらなかった今川氏真などの人物像を描いた所も新鮮でした。

 

新しい大河の姿を見せた直虎    途中退場なのに存在感抜群だった小野政次  したたかに生き抜いた姿が新鮮な今川氏真

次の年は明治150年を記念して「西郷隆盛」の生涯か、と非常に期待して今年の大河が始まるのを待っておりました。しかし・・今年の大河は「大外れ」であります。まず人物がつまらない、ストーリーにワクワクしない、画面に工夫がない。今年の大河のダメ出しについてはいろいろな所で語られていますので、詳細は省きますが、一番の欠点だけ指摘しておきます。

 

「主要な人物の生き方のバックボーンを描かない事」

今年の西郷は「皆から愛される西郷」を描く、と脚本家が述べたということですが、西郷隆盛は自身の損得や出世よりも「天に向かって恥じない生き方」を常にしてきたと思います。江戸の街をわざと荒らしたり悪い事もかなりやりました。しかしそれは他国に侵略されない新日本を作るという島津成彬の理想を実現しようとする過程における手段として行って来た。そのような「天に向かって恥じない」所こそ皆が愛した理由だとして描くならば見応えがあるのですが、毎回「表面的な良い人ぶり」「民のため」とか「戦争は否」とかそのような台詞で皆に愛されるという描き方では全く説得力がありません。底知れない悪い事もするけどよく見て行くと「天に恥じない生き方」が通奏低音として見えてくる、といった描き方こそが1年を通じてドラマを作る大河の醍醐味でしょうに。このドラマは複雑な幕末の薩長・幕府・朝廷の事情や考え方、事件を殆ど説明することなく、適当に西郷の周辺に起こった事だけを繋いでドラマが進んでゆくので、幕末とは、明治維新とは、といった中身は自身で勉強するか、時代背景は考えず無視するかしないとさっぱり理解できない造りです。おまけに「侍」というものの魂を全く無視しているので簡単に仲間内で刀を抜いたり、上の者に刀を向けたりします。そして役中の善玉悪玉の区別が小学生並みに明らかすぎる。遠山の金さんや水戸黄門でももう少し丁寧な造りをするのではないかと残念に思います。

 

この銅像も薩長史観に基づく

一寸良い所

最近は新しく見つかった資料を元に史上語られて来た薩長主観による明治維新の見直しがなされて来ています。勝てば官軍で薩長によって新しい斬新な思想の明治政府が作られた。征韓論に敗れた西郷は不満分子に祭り上げられるようにして西南戦争を起こして死んだ。そこで古い体制が終焉して帝国日本が築かれて行った。とされていますが、実際の明治政府はグダグダであったし、幕府の方に私利私欲に捉われない優れた頭脳の知識人が多数存在していた。西郷は征韓論には反対であり、西南戦争も政府を諌めに旅立った西郷をかねて用意周到準備を整えていた政府軍が一方的に成敗した、というのが本当の姿だったようです。このドラマの良い所は、わずかですが端はしにこの新しい解釈を入れている所です。第一回目冒頭の上野の西郷さんの銅像除幕式で3番目の妻「いと」が「あの人はこんな人ではない!」と叫ぶ場面から始まるのですが、このストーリーは本当のようで、「犬をつれてウサギを追っている暇人」ではなく、「常に軍服に身を固めて天に恥じず生き、背筋を伸ばし天下のために生きた人」だというのが「いと」にとっての西郷だったということです。しかし明治新政府にとってはその西郷を銅像にすることは不可であった(実際に軍服姿のものから作り替えたそうです)。その西郷の真の姿が1年のドラマで見られるかと期待したのですが、大外れだから残念至極なのです。

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