rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

核を持った大KOREAとICAN

2018-01-21 14:48:30 | 政治

平昌冬季五輪まで3週間となり、北朝鮮が正式に参加を表明して緊張していた北朝鮮情勢が対話・緊張緩和の方向に向かう期待は高まっています。しかし北朝鮮は核の放棄については一切妥協しないという軸足はぶれておらず、五輪を核開発の時間稼ぎに使っている事はあまりにも明白です。韓国がどのような期待を持とうが五輪後には戦争につながりかねない大きな動きがあると思われ、その準備のためバンクーバーで外相会議が開かれました。

 

2015年から16年にかけて、北朝鮮のミサイル開発には飛躍的な進歩がありましたが、それには火星14号などに使用されたウクライナ製のロケットエンジンが大きな役割を果たした事が昨年報道されました。このロケットエンジンはユジマシ(Yuzhmash)というウクライナ国営のドニプロ(Dnipro)に本社を置く会社で製作された事も判っています。ドニプロはウクライナ有数の工業都市で、2015年の政変後ウクライナ(西側)側に属していてこの報道が出てからポロシェンコ大統領は「直ちに事の真偽を確かめる」と約束しましたが「不正はない、ロシアに出荷されたものが流れたのではないか」という曖昧な結論が出されて幕引きとなりました。

 

北朝鮮については謎が多く、公式に報道される情報も少ないので断片的な事から推測するしかないのですが、日本の裏社会とのつながり、裏社会と自民党・政府とのつながり、米国民主党・Deep state(政府の記者会見でもトランプ政権に反対しつづけるエスタブリッシュメントの集合体をこう呼んでいる)とのつながりがあり、平城には中国との定期便の他米軍の横田基地からも時々飛行機が往来していることは日本、北朝鮮双方からの断片的な情報から明らかなようです。

 

私は上の図にあるように、北朝鮮の政権と米国のDeep stateはつながっているだろうと見ています。2015年のウクライナの政変は第三次大戦を起こしたい米国の前政権(のdeep state)が起こしたものであることは周知の通りですが、ウクライナにおいても、シリアにおいても残念ながらロシアと西側(NATO)の戦争を起こすことには失敗しました。このDeep stateは、残る第三次大戦の火種は北朝鮮しかないのでウクライナからロケットを極秘で運んでICBMの完成を急がせたのだろうと思います。しかし基本的に北朝鮮は世界大戦など起こす気はなく、国是はあくまで統一朝鮮の実現、できれば中ロ米日に影響されない大KOREA国の実現です。実は韓国も米国・中国の属国であるよりは大KOREA国の実現を密かに望んでいる、できれば北の核を持ったまま統一したいのが本音だろう、と私は見ています。だから北朝鮮はDeep stateの思惑を利用しているだけと推測します。

 

北朝鮮分割統治案

一方でトランプ政権、中国、ロシアは勿論北の現政権が核を持つことは許さないという点で一致していると思います。前にブログで書いたように北朝鮮を米(韓)・中国。ロシアで分割統治し、中国の韓半島における覇権は現状維持かある程度認めることを前提に金王朝政権の除去を五輪後に目指すだろうと思われます。

 

米中ロともに少しでも自分の権益が大きくなるような結末を目指すでしょうから、そのせめぎあいの中でDeep stateが目論む戦争に発展しないようDealを組むのが商売人トランプ大統領の腕の見せ所と思います。ただ戦争が起こらないように金王朝政権を除去することが思いのほか困難で、核を持った金政権が確立してしまうと北が主導する朝鮮統一が現実味を帯びてくるので中ロもその方向で利権を確立しようと方向転換する可能性があります。ただ中国ロシアにとっても核を持った大KOREAなどと言うのは扱いにくいやっかいな存在でしかないのでできれば阻止したいところでしょう。

 

ノーベル平和賞のICANが目指す核のない世界

 

今回ノーベル平和賞を受賞したICANは核非保有国が中心になって作成した「核兵器禁止条約」の完全締結・履行を目指して活動をしている団体です。日本は歴史上、世界唯一の被爆国でありながら「核兵器禁止条約」締結には反対しているので国内を含む各所から批難されています。もっともなことだとは思います。一方日本は核兵器を持つ国が持たざる国への核兵器保有を制限した「核不拡散条約」には賛成しています。不拡散条約と核兵器禁止条約の決定的な違いは核を持つ国が主体か、核を持たない国が主体かであり、核兵器禁止条約は「核を持たない国が核兵器を持つ国を監視し、核を放棄させる」ところにあります。

 

ウエストファリア型国家のブログで述べたように、国際法というのは罰する規定のない紳士協定に過ぎません。国際秩序の維持の源になるパワーは今のところ第二次大戦の戦勝国が構築した戦後秩序である事に変わりは無いので私は現実問題として核兵器禁止条約は時期早尚であり、実行性がないとする日本国の主張は間違っていないと思います。しかし「アメリカの核の下で庇護されて平和を保っているから核兵器禁止と言えないのです」という卑屈な理由立ては言わない方が良いと思います。

 

「戦後秩序」において、日本国とドイツ(のナチス)は倫理的な悪であり、その悪を懲らしめるために連合国(United Nations)が戦争をし、日本に落とした原爆も悪の息の根を止めるために仕方なく使用した正義の核兵器である、という論理が、戦勝国が核を保有し、核で世界の秩序を保つ理由付けとされています。だから日本に落とした原爆を含め、全ての核兵器は悪である、日本は唯一の被爆国として戦勝国の核保有も許さない、今後の世界秩序は被爆国である日本の価値判断基準で決める、と言い放つ事は現在の日本の立場からは言いにくい内容だと思います。私はこの言い訳を堂々と説明すればよいのにと思います。戦後の日本は、戦前の日本が倫理的に悪であったことを認めて国際問題には口を出さず、明らかに人道的に良いとされる事には惜しみなく金を出し、アメリカに金を出せと言われた場合には「戦後秩序を維持するため」とされる米軍の戦費にも金を出してきたというのが今までの歴史であることは誰も否定しないでしょう。

「日本国の立場として、日本に落とした原爆も悪であるという戦後秩序の否定はできないから核兵器禁止条約に賛成できないのです。」と私は明言すべきだと思います。そして世界が「日本に落とした原爆も悪だ!」「戦勝国が持つ核を使わないことによる世界秩序の維持(というドクトリン)は止めよう」という意見に変わってきたら改めて核兵器禁止条約に賛成すればよいと思います。

 

戦勝国による世界支配という戦後秩序の時代は現実的にはもう終わって来ていると私は考えています。しかし中国、ロシアの戦勝記念日でしつこいほど繰り返されるのは戦勝国による戦後秩序の構築とその維持の大切さです。それは米国においても同様で彼らの政府の正当性(何をやっても許されると彼らが考える根拠)はほとんど忘れられかけているとはいえ「戦後秩序」なるものに根ざしていることは明白なのです。だからDeep stateが欲している第三時世界大戦(大惨事大戦と言って良いと思いますが)によってまた新たな戦後秩序の構築が計られた時には日本は堂々と核を禁止してあらたな世界秩序の構築について意見を述べてゆくことができると思います。何とも皮肉な話ですが。

そういったコメント、テレビなどで話される事はありませんが、これが現実ではないでしょうか。

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映画 「生きる」感想

2018-01-09 14:52:36 | 映画

生きる 黒澤明 監督 志村喬 主演 小田切みき他 1952(昭和27)年作品

 

30年役場で惰性のみで仕事をしてきた課長が余命半年を告げられ、これではいけないと突然市民のために生きる事に目覚めて実現困難な公園新設を死ぬまでにやり遂げた映画・・と考えると誤りで、現在を基準に考えるとわざわざ映画にするような題材に思えません。

映画にも一部描かれますがこれが作られた昭和27年と言えば、主人公の渡辺課長の年代の人は、観客も含めて戦前の二・二六事件などの緊張した時代から戦争で肉親が出征、戦死したり、はたまた空襲で街が焼け野原になり、近隣の人が死に、戦後は食糧難と復興で「生き延びる」だけでも大変であった時代のはずです。主人公も無表情のまま「とにかく忙しくて・・」とその人生を語っていますが、時代に流されるまま皆「生き延びる」ことにはその場その場で「必死に対応して生きて来た」と言う事だったのではないかと思います。そうして必死に生き延びた人生が胃癌で「後半年の命」と宣告された時に、「何か」が芽生えて、生き延びるために生きるだけではない「何か」を主人公が若い小田切君に魅入られるように模索した結果が「公園建設」だったのだろうと思います。

 

小田切君に何かを模索する渡辺課長

映画は、「何か」が見つかった後はいきなり葬式の場面になって、主人公が公園建設に奔走する様は関係者の回想で断片的に語られるだけなのですが、監督としては建設のストーリーは問題ではなく、「精神」だけ描きたかったのだと思います。その「精神」も市民のため云々という奇麗事ではなくて、生き延びるためだけではない「何か」を生きている様がこんなであった、というのが主眼で「夕焼け」と「雪中のブランコ」のシーンにその精神が集約されているのだろうと思います。

 

割と突然出てきてポイントとなる役を演ずる木村

最期のシーンでは、役場の仲間達は「死を覚悟した課長の心意気」に葬儀の場では胸打たれて「これからは市民の為に仕事のやり方を変えて行くぞ・・」みたいなノリになるのですが、翌日からはまた今までの惰性の仕事に戻ってしまいます。これは作っている側も観客に対していきなり変わるのは無茶だと安心させているために入れたシーンと思われます。その中で後半の回想シーンから存在感を増す、「日守新一」演ずる「木村」が「そんなことではいけない」みたいな理想に燃え出す予感を演じているのですが、きっと監督が観客に期待したのはこの予感ではないのかなと思います。

この時代、「生き延びるため」だけでない「生きる」の中身は革新系の思想であったり、新興宗教であったり、一攫千金を夢見た新しい事業設立であったかも知れません。見ている人にその「何か」を模索させる「もやもや感」を感じさせることがこの映画が大きな反響を呼んだ原因かもしれません。

 

スタンリー・キューブリック監督の作品(博士の異常な愛情、2001年宇宙の旅、時計仕掛けのオレンジやバリーリンドンなど)もそうですが、黒澤監督の作品は「いいな」「すごいな」とは思うのですが「好きか?」と言われるとやや微妙な感じがします。娯楽作品でない限り、パッと見で何が「すごい」かが良く解らないからです。見終わっていろいろ考えているうちに「ハハア・・」と納得してくるというか。しかし羅生門の「京マチ子」の平安時代的な妖艶さ、隠し砦の三悪人の「上原美佐」の「あずみ」に通じるような強い女性、この生きるの「小田切みき」のおきゃんな現代娘、女性の使い方というか描き方は昭和20−30年代を感じさせない新鮮さがあるなあと感心します。

羅生門 と 隠し砦

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イランは第二のシリアになるのか

2018-01-03 14:34:26 | 政治

2017年の暮れから突然イランで反政府デモが勃発していることはニュースでも紹介されている通りです。しかし少なくとも20人以上の死者が出てデモが各地に拡大しつつあると報じられているにも関わらず、一体どこに首謀者がいて指示を出しているのか、デモの目的は何なのかが今ひとつ不明なままです(ロウハニ大統領も敵が誰か不明のまま声明を発表)。1月2日のNY timesによると強硬派、改革派ともに抗議の対象になっているとされていますが、元々の反政府デモの動機は経済の停滞にあると言われます。経済停滞については、2015年の核合意によって米国の経済制裁が緩和される予定であったものが、トランプの核合意破棄宣言で米国の国際銀行がイランへの借款を認めない方向になり、30台以前の若者達の失業率も40%に上ろうとしていることから改革派のロウハニ大統領への不満も強くなっていると報じられています。

 

 

しかし「ロウハニに死を!」とシュプレヒコールを上げる民衆というのは何か違和感を感じます。強硬派アフマディネジャド氏に変わって、昨年再選されたロウハニ大統領は経済改革や世俗的な政治を取り入れる方向でむしろ民衆に支持される側にいたのではないかと思われるからです。ロウハニ大統領に対する敵意というのは、私はもしかすると2017年11月22日ソチで行われたプーチン、エルドアン(トルコ)、ロウハニ会談による中東新秩序建設への危機感から、CIA、モサド、スンニ派サウジアラビアなどがバックで糸を引いてイラン内乱へ持ち込もうとしている結果では、と想像します。

 

    2017年ソチで行われた三者会談 

2010年からチュニジア、エジプト、リビアと政権転覆に成功してきたアラブの春は、米国に都合が良いサウジアラビアは素通りしてシリアの内戦で泥沼化し、結局2011年4月以降6年経っても政権は転覆せず、米国はISISに「穏健派反政府勢力」を経由して多量の武器弾薬を送った(トランプ氏も明言)にも関わらず本気を出したロシアにISISを駆逐されて頓挫しました。2017年10月にイラクのモスルとシリアのラッカという二大拠点を失ったISISは10月12日未明にシリアから数千人の戦闘員と家族を大量のトラックとバスに分乗させてトルコ国境方面へ脱出しました。米国はこの脱出を承認し、多数の航空機を飛ばして監視し続けたとBBCが報道しています。シリアは今後ISISの駆逐に貢献したクルド人勢力をどうするのか、トルコともども悩ましい事態になると思われます。

 

米国・イスラエルの意を汲んだISISが消滅して、アサド=シリア、トルコ、イラン、ロシアが連帯を組めば中東はロシアの支配下に入ることは間違いないでしょう。今後は皇太子が改革を進めるサウジアラビア、内戦が続くイエメンがどう落ち着くかが注目されます。トランプは「エルサレムはイスラエルの首都」と波紋を投げかけて「後はイスラエルが勝手にやりなさい(米国は責任を持てないよ!)」と尻をまくってしまいました。トルコのエルドアン大統領は早速東エルサレムはパレスチナの首都とイスラム連合国会議で決議し、NATOの一端を占める国としてイスラエルがイランの核施設に攻撃をかけてもNATOは関与しないという姿勢を示しました。反トランプのエスタブリッシュメント勢力や中東に関与し続けたい米国勢力はイランに内乱を起こさせる位しか残る手がなくなってきたのではないかと思われます。シリアにはまだ米軍が残留していますが、それはイランに向かわせるためのものという報道も見られます。

 

シリアの内戦も当初は小規模で非暴力的なものが中心であったと言いますが、外国勢力の加担によってどんどんエスカレートして現在のような取り返しがつかない悲惨な状況になりました。イランは歴史のある国で支配層もシリアのような少数派によるものではないので、簡単に内戦に持ち込むことはできないと思いますが今後の行方、外国勢力が入らないかなど注意して見て行きたいと思います。

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