rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ギリシャ危機は克服されたのか、アメリカは何故景気が良いのか

2012-04-30 01:06:13 | 政治

昨年末からしきりに喧伝されていたギリシャの債務危機、EUの首脳達が毎日のように鳩首談合して対策を練っていた問題。日本も増税しないとギリシャのようになると脅されて増税が政治の最優先課題になっている日本で、ギリシャの危機が具体的にどのように回避されて、また一方でこの所のアメリカの好景気はどのようにもたらされたのか、ニュースなどを見ていても良く判りませんし、テレビに出ている高名な日本の経済学者でこの辺を判りやすく説明している人もなさそうです。

 

副島隆彦氏の学問道場サイトではギリシャ危機克服のからくりが良くまとめられています。それによると返済期限が近づいているもののギリシャは返す金がないために踏み倒し(デフォルト)になりそうだった。デフォルトになるとなった場合に保障される保険(CDS)が大量に発生(実際の債務の数倍)し、CDSを引き受けている金融機関がつぶれてしまう。そこで返済期限のせまった国債を持っている銀行や投資家に元本の返済を政府(EU)が諦めるように強制的に迫った。契約通りにCDSが支払われないならばギリシャの他にも債務不履行になりそうなイタリアやスペインの国債も売り払ってしまおうという投機筋の動きが強くなった事が今回の欧州危機の発端だった訳です。

 

危なそうなPIIGSの国債を投機筋が売り浴びせたために暴落しそうだったこれらの国債は欧州の銀行に欧州中央銀行(ECB)が大量にユーロを発行して貸付けることで買わせてそれを担保にECBが預ることでしのいでいるのが現状で、ECBはこの半年でアメリカのFRBを上回る資産を持ってしまったということです。

 

ギリシャの国債は例えば元本100円の物を0円にしてしまうとデフォルトになってしまうので50円に値切らせて残りの50円は新たな低金利のギリシャ国債を買い替える事で返してもらったことにするという無理筋な解決を強行したということのようです。一部納得できない投機筋にはCDSの発行も認めたものの巨額の赤字にはならないので金融危機には発展せずに済ませたという顛末。

どうも一連の騒動で一番得をしたのは値崩れしそうなPIIGS国債を売り浴びせて一部CDSも認めさせたアメリカのシティ銀行一派で、リーマンショック後は虫の息だったものがかなり回復したという。一方でEU側はギリシャの問題は何とか先送りしたものの、暴落は防いだ他のPIIS諸国の国債償還問題を今後どのように解決するかの課題山積みという状態。ドイツはもうEUへの税拠出は勘弁してほしい状態だし、フランスは大統領選がどうなるかで先行き不明な状態。恐らく世界通貨としてユーロがドル取って代わる日はかなり遠のいたと明確に言えるのではないでしょうか。

 

そうなるとアメリカとしては世界通貨「ドル」を強い通貨として「ドル高」にするのが次の作戦になります。一時は一ドル50円代にまでゆくかと思われた円高も原発ストップによる天然ガス輸入増と原油高、この春から突然の日銀金融緩和によるインフレターゲット政策で円安に誘導されてきています。アメリカはシェールガスなどのエネルギー産出でも潤うようになってきており、ドルがアメリカ国内に一層還流して株価を押し上げています。不況で職を失った国民にも低金利でカードローンを組んで買い物ができるようなシステムを作り、消費を奨励しているので国内消費による景気回復傾向が出てきているというのが現在の状況のようです。

 

余談ですが、「貧困大国アメリカ」の著者「堤 未果」氏の近著「政府は必ず嘘をつく」(角川SSC新書2012年2月刊)によるとNATOの執拗な攻撃で崩壊し暗殺されたカダフィ氏のリビアは144トンの金塊をもとにアフリカ・アラブ統一通貨のディナの発行を計画していて、アフリカ・アラブの経済的統一によりアメリカ・EU或いはBRICS諸国への対抗勢力形成を画策していたので本気で潰されたのだという情報が乗っていました。ある意味ユーロで石油取引を認めたフセインのイラクがその直後に本気でアメリカに潰されたのと同じ構図と言えます。

 

中国との経済同盟を目指した小澤・鳩山内閣が無理やり潰された(日本人の今現在の日々の生活に政治と金の問題など関係ないでしょ)ことからも判るように、アメリカは強引に自分たちの利益を追求してきます。日本は実弾が飛んでこないだけまだましと言えるかも知れませんね。

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iPS細胞と山中先生の講演

2012-04-29 23:17:15 | 医療

100回を記念する日本泌尿器科学会の総会が先週(4/21-4/24)横浜で開催され、創立100周年記念講演として京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授が呼ばれました。既に試験管を振る仕事よりも研究所のマネージメントと講演活動の方が本業になりつつあるのかも知れませんが、学会抄録には学問的な内容しか書かれていなかったので眠くなりそうな講演を予想していたのですが、期待に反した引き込まれるような内容だったので備忘録としてブログに記しておきます。

 

無限に近く分裂増殖できてしかも種々の細胞に分化することができる細胞を幹細胞stem cellと言いますが、絨毛を含む全ての細胞に分化できるtotipotent-から内中外胚葉という身体を形成する全ての細胞に分化できるpluripotent-、胚葉が限られるmultipotent-、oligopotent-、単一の組織にしか分化できないunipotent-、まで幹細胞にはいくつかの階層があります。これらのうちマウスの受精卵から杯盤の状態になったものから一部細胞を取りだして自然界にはないpluripotent stem cellにしたものをembryonic stem cell(ES細胞)と言います。しかしマウスの細胞ではヒトに使えないためヒト受精卵から作られたES細胞がhuman embryonic stem cellです。しかしこれもヒト受精卵を使うということは倫理的に明らかに問題があり、医療への応用はできません。そこでヒトの分化した体細胞を脱分化させてpluripotent stem cellの状態に誘導したものがinduced pluripotent stem cell (iPS細胞)ということになります。

 

山中教授はまずマウス線維芽細胞からOct3/4、Sox8、c—Myc、Klf4といった遺伝子を用いてレトロウイルス法でiPS細胞を作りました。次いでヒト線維芽細胞からもiPS細胞を作ったことで臨床応用への道が一気に開けたのです。実際の臨床応用には腫瘍化の抑制(c-Mycを使わないキメラ細胞で克服の可能性)や、組織適合性の克服(HLAホモドナーからのiPS細胞バンクで80%の日本人に適応可能に)、適確な標的組織への分化誘導などの課題がありますが、iPS細胞研究所の300人体制で10年間の内には臨床応用にこぎ着けたいという目標だそうです。

 

上記の内容はiPS細胞についての学問的な内容ですが、面白かったのは山中先生の研究人生が決して順風満帆ではなく、むしろ不遇な時代が殆どでわずかなチャンスから大きな夢をつかんでいったというくだりです。神戸大学の医学部を卒業して整形外科の医局に入局するもあまり手術が得意でなく、「じゃまなか(山中)、レジスタント(アシスタントでなく)するな」などと言われて基礎医学に進むことを決意して大阪市立大学の研究科に行き、米国グラッドストーン研究所に留学した所でマウスES細胞に出会います。帰国して薬理学教室に入ってマウスES細胞の研究を続けるもののマウスの世話に追われるばかりで臨床の役に立たない研究に嫌気がさし、周りからも「もっと将来性のある研究を」と言われて殆ど鬱状態になって研究を辞めてまた整形外科をやろうかとしていた時に「ヒトES細胞樹立」の報告が出て考え直し、奈良先端科学技術大学遺伝子研究センターに就職、そこでやる気のある修士課程の学生さんと一緒に研究したことでiPS細胞の樹立につながったということでした。

 

世の中、効なり名を遂げて今では涼しげな風貌で肩で風を切って歩いているように見える人でも不遇な下積み時代や人知れぬ苦労が必ずあるもので、山中先生は学究肌でずっと研究一筋できた気難しい感じの科学者かと想像していたので何とも人間的な普通の面を持った医師であると知って(本当はすごく偉いと思いますが)感心しました。かく言う私も大した人生ではありませんが、10年前、そのまた10年前にそれぞれ10年先の自分が予想できたかというと全く考えもしなかった状況と場所にいるというのが現実です。基本となる部分は変らなくても将来がどのようになるか判らない所が人生の面白い所だし、一種の冒険だとずっと思っていましたので山中教授の人生譚には共感する所も多く思わず身を乗り出して聞いてしまいました。こういった話しは高校生位の人達にも大いに聞いて欲しいし、小さくまとまった卒の無い人間に若くしてなってしまわず、若い時は天衣無縫な夢を遠慮なく持って勉強して欲しいと思いました。

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延命治療と明け渡しについて

2012-04-25 22:44:40 | 医療

延命治療の胃ろう 病院経営の都合で行っているとの懸念あり(NEWSポストセブン) - goo ニュース

 

 現代の三大延命治療は人工呼吸、透析、胃瘻と言われています。自分は透析医療にかかわっていて、自分の患者さんに血液透析の導入を勧めることもあります。延命という意味はその医療行為を継続していないと死亡するという意味と、本来その行為を行なわなかった時点で神が決めた寿命であったものが、それ以上に命を永らえているという意味も含むと考えられます。しかしこの後者の意味付けには異論を持つ方もいると思います。患者さんによっては、呼吸筋が冒される特種な病気のために呼吸器さえつけていれば頭脳明晰であらゆるクリエイティブな仕事をこなせる人もいるでしょうし、透析を受けながら仕事をし社会生活を続けている人も沢山います。胃瘻も同様でしょう。生き甲斐を感じて生活できている人に「君はもう寿命だから」と生きるために必須の手段を「余計なもの」であると見做すことは医療の存在自体を否定することになりかねません。だからといって全ての患者さんが「延命治療を受けながら生き甲斐を感じて生活できている」という範疇に入るとは言えないこともこれらの治療を冷静な目で見ている人ならば誰でも認める事と思います。

 

 では何故延命治療が問題になるかと言うと、患者さん自身が延命治療の要否を決められるか、living willとして健全な状態の時にそういった治療を自分が受けることの是非を家族に明確に意思表示をしていればまだ良いのですが、そうでない場合にその患者さんが「延命治療を受けながら生き甲斐を感じながら今後も生活できる」かどうか決められないため、なし崩し的に延命治療が導入されて、その後「止めるに止められない」状態になることにあります。

 

 人工呼吸は適応となる例も少なく、透析は医療者の関与が大きいために家族は決まった時間医療者に患者を預けることで治療を完結できるのであまり迷うことはないかも知れません。しかし胃瘻については日常家族や介護者の関与する部分があまりに多いためにその負担の重さが問題になる場合が増えてきます。しかも真面目な人ほど痴呆で胃瘻管理の親の介護を延々と行いながら、「親も喜んでいるはずです」と問題視しようとする風潮をかえって批判したりするものです。自分が長期間一生懸命やっている介護を「無駄」などと否定されれば怒るのも当然です。自分の受けた治療は「良い治療だ」と思いたい心理と同じで自分が運命と受け入れたものは周りの人達にも「悪いものではない」と言いたいでしょう。

 

 私は医師として基本的に「また口から食べられる状態になる」見通しが立たないならば胃瘻は作るべきではないと考えます。動物は何であれ口から物が食べられなくなれば寿命です。胃瘻を作れば「間違いなく生き甲斐のある人生をその後も送れる見通しがある人」は勿論例外になりますが、それは一般論から外れた例外に過ぎず、そのような人のために「特種な医療」が必要なのであって「特種な医療」を全ての人にあてはめてはいけないというのがこれら延命治療の問題が我々に教えてくれる教訓なのだと思います。

 

 米沢慧氏の思想である「老いる」「病いる」「明け渡す」つまり老いを受け入れ、病いと共に生き、その時が来たら次の世代に世の中を明け渡す、というのが「還りの人生における正しい生き方」であることを私は推奨します。江戸、明治、大正の先人達は皆そうして現在の世の中を我々に明け渡してくれたのです。次は我々が平成、そしてその後に生まれてくる子孫の人達にこの世の中を明け渡してゆくのが先人からの恩に応える唯一の方法であることを肝に銘じなければいけません。人が死ぬのは次の世代に世の中を明け渡す必要があるからなのです。

 

 その意味で我々の世代は無垢の国土を先人達に明け渡してもらったにもかかわらず、核に汚染された土地と今後千年に渡る核廃棄物の管理という負担を子孫に残すという過ちを犯してしまったとんでもない世代です。数百年後の子孫達に「平成時代の先祖だけは許せない、奴等は自分達の事しか考えていなかった」と言い継がれることを覚悟しないといけないでしょう。限られた資源、限られた国土を確実に次代に明け渡してゆく事を我々は真剣に考えねばなりません。

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グローバリズムと植民地経済

2012-04-05 17:06:40 | 社会

今流行りのグローバリズムという言葉には国家の壁を超えた人類共通の繋がりというニュアンスがあり、グローバル企業というと自国に囚われずに世界規模で事業を展開する活気と将来性のある企業というポジティブなイメージがあります。果してそれは本当でしょうか。

 

国家間で貿易を行なう経済発展におけるメリットはAという国では石油が取れて、Bという国では鉄鉱石が取れる場合に、それぞれ豊富なものを貿易という形で交換することによって必要な資源配分が促進されるというもので、一方が資源、一方が工業によって資源を製品に変えることでも良く、要は商品を交換することが双方にとって利益になり生活が豊かになって経済の発展につながる、つまりwin-winの関係になるというものです。

 

しかし現在のグローバル企業が行なっている事は労働力を商品と見做して、より安い労働力を供給できる国に工場を造り、それを消費地で売るという行為です。一見国家の壁を超えた地球規模の事業のように見えますが、実は国家の壁を最大限利用した行為にほかなりません。なぜなら世界中で同一労働同一賃金が達成され、世界中の通貨が一つになって為替が消滅し、世界中の税率が等しくなってしまうと現在のグローバル企業のビジネスモデルは成立しなくなる、つまり普通の国内企業と同一になってしまうからです。

 

国家間で労働者の賃金、通貨が異なり、税率が異なるからこそ「それぞれの良い所取り」をうまくやった企業が最大の儲けができるというだけに過ぎない、知性や叡知などとは関係なく「小ずるい奴がうまく金もうけをしているだけ」というのが現在のグローバリズムの正体であり、双方がwin-winの関係とはほど遠く得をするのは一方だけという状態です。グローバル企業にとって賃金や税における国家間の格差がなくなってしまうことは儲けの縮小につながるため何としても避けたい事柄です。

 

一方で物を売るという立場でグローバル企業を眺めると、関税などで国家間に違いがあると非常に物を売りにくいという状況になります。国家間のFTAや話題のTPPもサービスを含む商品をグローバル企業が売るということについて全ての障壁がなくなることを目的としているのであり、「誰のための取り決めか」は火を見るより明らかでしょう。

 

物を造る上では国家間の違いがあった方が良く、売る上では違いがない方が良いというのは矛盾した考えですがグローバル企業にとっては明確に利益につながる条件と言えます。矛盾した条件を達成する解決法は難しい問題にも思えますが、素人の小生にも思いつく方法として、「物を作るための経済圏」と「物を売るための経済圏」を分けてしまって、前者においては格差を維持させ、後者はできるだけ国家の壁を取り払う、というのが一つの方策と言えます。もうひとつの解決法としては、国家間の格差が小さくなるのはしかたのない事として容認し、労働賃金自体を国内においても途上国並に低くしてしまうという方法です。つまり「物を造る人」と「消費する人」を分けてしまい、同一国家内においても国家間格差に相当する差益が得られるようにするという方法です。

 

どうも私は現在の世界は上記の二つが同時並行的に進行しているのではないかと感じます。そして上記の事象が進行していった究極の姿は19世紀に見られた宗主国と植民地の関係を中心にしたブロック経済のようなものではないかと予想するのですがどうでしょうか。植民地には自主的な関税権や自治権はなく、宗主国の法によって管理され、国民は貧しく一部の宗主国に繋がる配下の人々だけが豊かな暮らしをしています。一方で宗主国の方も国民全てが豊かという訳ではなく、貴族や富豪、商人は豊かな生活をしており、東インド会社のような国策的グローバル企業が政府に代わって商業活動を行います。国家はこれらの企業が活動しやすいように法を定め治安を維持しているに過ぎません。

 

今後は米英・中国・ロシア・独仏が宗主国となってそれぞれに経済圏を作り、世界のそれぞれの国はどこの経済圏に属するかを「一応自主的に決める」ことによって後はあまり自己主張しないで生き延びてゆくというのが21世紀の世界の姿であるようにも思われます。日本は米英・中・ロのどこにも属さない中間国家としてうまく立ち回るか、第5極として勃興すれば最高なのですが、若い人達にそういったスケールの大きい国家戦略を語る素養があまり見られないのは寂しい限りです。

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