書評 「未完のファシズム」—持たざる国・日本の運命— 片山杜秀 著 新潮選書 2012年刊
慶応大学法学部教授で音楽・思想史研究家である著者が、日本を敗戦に導いた無謀な戦争計画と日本軍の精神主義の系譜を、日本軍における戦略史を振り返りながら解説した非常に興味深く示唆に富む本です。「愚かな軍部の暴走」といった表面的な戦争原因の追求には何の意味もないと常々感じている私には著者の「日本を必然的に敗戦に導いた思想の系譜」解説はストンと腑に落ちる思いがしました。彼の講義を受けられる現在の慶応大学生を羨ましく思います。
本の題名の種明かしは後半の章でなされるのですが、そもそも家柄に拘らず、日本中から秀才を集めた帝国軍のエリート達が、知恵を絞ってその時代における最善の策をひねり出した結果が大東亜戦争とその敗戦に帰結したのですから、後知恵の「上から目線」で当時のリーダー達が阿呆であったなどと軽々に結論づけられるはずはないのです。著者の解説で興味深いのは、苦戦をしてようやく勝利した日清日露の戦争が意外にもその後の欧州列強の軍における戦術に影響を与え、第一次大戦でその欧州列強の戦いぶりを学んだ日本が逆輸入的に欧州各国の軍隊の戦略からその後の日本軍の戦術を組み立てて精神主義に行き着いた点です。以下に簡単にまとめます。
日露戦争の教訓
言うまでもなく旅順要塞攻略戦における203高地の戦いに見られるように、火力と防御に守られた敵に対してひたすら肉弾攻撃を繰り返しても勝利を得る事はできない。敵を上回る火力・兵力をもって最小の損失で目的を遂げるのが最良の戦術であるという教訓を得た。戦闘に勝利し、枢要な陣地を得た所で外交によって戦争を終結させ、戦争の目的を達成するのが「戦争という手段による国際紛争解決の方法である」という至極まっとうな教訓を得たのである。
第一次大戦の教訓
日本は対ドイツ戦の青島要塞攻略戦において、日露戦争の教訓を活かし、十分な火力・兵力をもって短期間に戦闘を終結させることができた。その圧倒的な戦力に要塞のドイツ兵は怖れをなし降伏したとされている。しかし欧州においては戦線が膠着、長期戦化して国家総力戦を呈する一方で、日露戦争における日本軍の精神主義を学んだ欧州の軍隊が逆に兵士達に精神主義による突撃を強要するといった面が見られるようになった。
タンネンベルク・速戦即決思想の誕生
優勢であったロシア軍に対して、奇襲と機略を用いた劣勢のドイツ軍が勝利を収めた事例を見て、劣勢の軍隊が優勢な軍隊に勝つには速戦即決で責めに責める他ないという以後の日本軍に伝統的に受け継がれて行く思想が生まれた。
「持たざる国」が「持てる国」と戦争をするための戦略
資源・国力に乏しい日本が米英やソ連などの大国と戦争をして勝つには、速戦即決で敵が戦争の準備が整う前に勝てるだけ勝って和平に持ち込む(真珠湾攻撃時の思想)、と考えられるようになった。しかし速戦即決で勝てるのは大国相手ではなく、中小の国家までだと昭和初期までの軍の指導者達は考えていた。特に後に「皇道派」と呼ばれる人達はそのように認識していたという。一方で、持たざる国・日本を持てる国に変えようとしたのが石原莞爾らであり、満州と日本を合わせる事で持てる国となった挙げ句、米国と最終戦争を行い恒久平和の世界を作り上げるつもりであったが、持てる国になる予定(1960年)を待たずして持たざる国のまま戦争が始まってしまった。
戦争が始まってしまうと当然「持たざる国」は「持てる国」に勝てない、「勝てない状況でいかに戦争に勝つか」、という矛盾した問答における解答が「玉砕戦・万歳突撃」であるという中柴末純少将の思想に昇華します。戦術理論から言えば万歳突撃などというのは最低の愚作でしかありませんが、「持てる国」の兵士・国民に価値観・死生観の違う人達との戦争意欲を失わせ、有利な条件で停戦に持ち込む唯一の有効な戦略が玉砕戦である、という思想は一定の説得力を持ちます。硫黄島攻略戦や沖縄戦で苦杯を舐めた米軍がこのまま本土決戦を行えば想像し得ない犠牲が出る(もしかしたら勝てない)、だから原爆を使ったのだ、というのは現在も語り継がれる原爆使用の正当化の理由です。
結局「玉砕戦」戦法も原爆という大量破壊兵器によって破られるのですが、原爆が「禁じ手」となっている現代における中東の戦いでは「自爆」というイスラム過激派のジハード戦法が価値観・人生観の違う欧米諸国を苦戦させていることも確かです。
未完のファシズムによる当然の帰結としての敗戦
皇道派が大きな戦争に巻き込まれる事を避け、大戦争による経済の疲弊、ひいては革命による天皇制の危機に至る事を嫌った現実派であったことと対照的に、もう一方の派閥である統制派は持たざる国が持てる国に近づくために国家社会主義的統制経済を目指そうとします。永田鉄山、石原莞爾、鈴木貞一、池田純久など社会主義・共産主義経済に感心を持っていたため皇道派から「アカ」呼ばわりされた経緯もあったといいます。
本来、ヒトラーやスターリンのように国家の運営を一人で決める完成した独裁制があり、国民がそれに従う「ファシズム」が整っていれば、「強い持てる国とは戦争はしない」とか「満州を開拓して持てる国になってから戦争をする」とか日本でも一貫した政治ができたはずです。しかし戦後「軍部の独走」による一貫した政治がなされたように言われる日本ですが、その実態は「両論併記と責任回避」によるなし崩し的な戦争突入であった事が解っています(森山 優 著 日本はなぜ開戦に踏み切ったか —両論併記と非決定— 新潮選書2012年)。大日本帝国憲法は軍、官庁、議会、行政府それぞれが主権者である天皇を輔弼する併存体制になっているだけで、上下関係が明瞭でない。結局、明治の元勲と呼ばれる殿上人が絶妙な舵取りを行うことでスムーズに日本の政治が行われるしくみになっていた結果、誰も責任を持って独裁的に物事を決める事ができなかった、つまり「未完成のファシズム」が日本を無謀な戦争と敗戦に導いたのであるというのがこの本の結論と言えます。本当に軍部のトップ一人が独裁を行っていたら勝てる戦争をしたはずなのです。勿論「天皇」はヒトラーやスターリンのような独裁者ではなく、政治への介入を極力控えるという伝統を守っていました。東条英機はあまりに物事が決定できないことに業を煮やして首相、陸軍大臣、参謀総長を兼ねて日本のヒトラーなどと揶揄されますが、もともとバラバラでまとまりがない日本の組織を一人で複数の役職を兼ねることで何とかまとめようとした結果でしかないと説明されます。
ファシズム(束ねる)という事は権力が本当に束ねられていなければ意味がありません。米国も戦争時には大統領に全ての権力が束ねられるようになっています。そうでなければ戦争には勝てません。第二次大戦はファシズムとの戦いということになっていて、日本も征伐されたファシズム国家の一つになっているのですが、両論併記と非決定でしっかりした方策も責任も不明確なまま、だらだらと戦争に巻き込まれて行ったという歴史をしっかり学び、反省をしなければまた同じ過ちを犯す危険がまさに今もあると思わざるを得ません。