rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

台湾が熱い

2014-06-22 23:35:55 | その他

休暇を利用して台湾旅行に行ってきました。基本的にはパック旅行だったのですが、懇意にしている台湾のドクターに名所を案内してもらったり、最近の各種情勢について意見交換などできたことが収穫でした。亜熱帯の台湾が暑いのは当たり前ですが、人々や社会の勢いが「熱い」という表現が合っているように思ったのでこの題名にしました。以下紀行文というよりも、いくつかの論点に分けて今回の旅行で感じたことをまとめてみます。

 

これは観光地として訪れた九扮にある湯婆のモデルになった茶屋(一人千円位で美味しい茶が飲める)

1)      台湾は本当に親日か

結論から言えば親日であることは間違いありません。滞在中「日本統治時代」という文言はよく耳にしましたが、それが酷い物であったという話はありませんでした。あくまで是々非々であって、都市整備や文化の面で大きな進展があったことは評価されていますし、台湾古来の文化を迫害したという話も聞きません。ホテルの近くの公園には日露戦争時に工作員として活躍し、後に台湾総督になった明石元二郎の墓石も鳥居とともに残され碑が立っていました。反日国家ならば考えられません。

日本からの観光客や経済の交流が高く評価され、歓迎されています。これは朝鮮半島においても同じはずなのですが、後に述べる考え方などの違いで向こうでは事実が曲げられてしまうのでしょう。

戦後は日本の支配から国民党の支配に支配者が代わり、やっと民主化を経て現在のほぼ自主的民主的な政体に進化したと捉えられています。勿論現在でも台湾を中国の一部とみるか、大陸とは別の国家と考えるかで意見が分かれる所ですが、異なった意見が共存できる政体というのが真の民主主義であって、民度が進んでいるとも言えます。国力は劣りますが、共産中国よりも明らかに優れた存在(国家)であると感じます。

 

2)      台湾の人々の考え方、生き方

(1)外見よりも中身で勝負 

台湾のビルや建物はかなりボロいものが多いのですが、中は比較的奇麗にしていることが多いです。これは生き方にも反映されていて外を飾ることよりも内心を磨くというか実をあげる事の方を重視します。その点は日本人のエトスと共通するものがあると台湾の人も言ってました。また朝鮮の人達が「外面や見栄を内面の実よりも重視する」こととは正反対である、という点も日台共通の認識であることが種々話しているうちに確認されました。

 

(2)歴史を直視する現実派 

日本統治時代に後藤新平が作ったと言われる東京駅に似た大統領府は日本を向いており、その北側にある蒋介石記念堂は大陸を向いていて風水を無視していると言われています。その中間には国民党が統治した時代に台湾に元からいた人々を虐殺した記念碑が公園にあり、毎年追悼の式典が開かれるそうです。軍事政権時代の済州島虐殺をなかったことにしたり(慰安婦の連行の舞台ということになった)、天安門事件をなかったことにするどこかの国と違い、台湾の人達は歴史を直視していると言えます。それは現在の台湾が正式な国家として国際的に認められていないという厳しい現実に対処するには、あらゆる事実をごまかさずに認めて「今後の最善」を求めるために検討する必要性から出た知恵とも言えます。あくまで一つの中国にこだわるか、現実的な二つの中国でゆくかは結論が出ていません。一つの中国にこだわるということは、現実問題としては大陸に飲み込まれることを意味します。私の台湾の友人(外省)は大陸統合派で強い中国が望ましいという考えです(大陸からの軍事侵攻はあり得ないという考えでもある)。

 

(3)遠い将来よりも現在に生きる 

殆どの日本人は100年後も日本は存在すると考えています。だからわざわざ外に出て行かず家に籠っていても生きて行けると漠然と考えています。台湾の人は現在の状態がモラトリアムであることは十分に承知しています。だから外国に出る事(移住して消滅しない他国の国籍を取得することも含む)、外国語を学ぶ事、世界で通用する富を得る事に非常に積極的です。私の友人も日本と米国に留学し(日本語は話せませんが)、大陸にも友人がおり、子供も積極的に世界旅行をさせて将来は広東か上海に移住を考えているということでした。依って立つ国がないことの漠然とした不安というのは日本人には理解できない感覚だと思われます。台湾の人達は仲間や友人を非常に大事にします。私も彼にとっては緩いネットワークの一部で今回の訪台でも大事にしてもらった印象ですが、台北大学医学部を出たエリートの彼のネットワークは強力で、財テクから実業家や政治家までかなりの仲間がいるようでした。世界一の高層ビルである台北101(101階509m)(ビルジュドバイは建設中なので公式には101が一番)の86階にある高級レストランのオーナーが彼のネットワークの一人で、私と家内はそのレストランの上級席で日本と台湾の国旗をテーブルに飾ってもらって夕食を共にすることができました。(支配人の挨拶付きでこちらが恐縮でしたが)

 

世界一高い台北101ビル

3)      国家をどう考える?

上でも触れたように国家をどう考えるかは微妙で複雑な問題です。書店で中華民国の地図を購入すると、下に示すように中華民国の版図は台湾島だけではなく、モンゴルからチベットまでを含みます(さすがに沖縄を入れることは止めたようだ)。懸案になっている西沙諸島や尖閣も領土に含まれます。蒋介石(中正)記念堂や忠烈祠では中華民国建国の犠牲になった人達を讃えて対共産党との戦いにも最大の感心を払っている(故宮博物館は中国人で満員ですが、こちらには中国人旅行者は来ない)のですが、現実的に地図通りの版図を実現するような政策を長期的な視野に基づいて採って行くかというと否であり、現在男性に2年間課されている徴兵の義務も大学生(実質的な大学進学率はほぼ100%と言われ、大卒は学歴にならないそうだ)は9ヶ月に短縮され、5年以内には志願制に移行する予定だそうです。つまり「戦争(大陸進行)はしない」ことを前提に今後の政策が決められていて、国民もそれを「良し」としているのです。それは当然中国共産党政府も理解しているはずであり、双方が損をしない形で将来うまく取りまとめる(米露が納得するような形で)つもりだと理解するのが普通です(この辺の腹芸は中国人の最も得意とするところか)。だから私の友人も大陸が武力で責めて来ることはないと断言しているのです。

 

中華民国全図、中正記念堂と忠烈祠の衛兵交代式

4)      国際情勢の見方

種々話をする中で、日々変化しているイラク問題に触れました。私が「米国はアルカイダに時々資金援助をして問題を大きくしているよね。」と言うと「時々ではなくていつもnot sometime, always!」と切り返されてしまいました。世界におけるユダヤ資本による経済の動かし方などについても殆ど私が普段ブログで言及している内容に相違ない認識であり、台湾エリート達のネットワーク内での国際情勢についての認識は非常に現実的であり、私の認識は世界のエリート層の常識として「まっとう」だったのだなと安心した次第。厳しい国際情勢や経済の動きの中で台湾の人達が生き残って行くための情勢分析の大切さや厳しさを改めて感じました。

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現状肯定と戦後秩序の確認のためのD-Day anniversary

2014-06-07 21:16:46 | 政治

ノルマンディー作戦70年式典で緊張緩和へ首脳外交(産経新聞) - goo ニュース

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2014年6月6日は第二次大戦において連合軍がノルマンディ上陸作戦を敢行してから70年の記念日であり、欧州戦線で戦った各国首脳が自由と民主主義のための戦いにおいて勝利を決定的にした作戦を記念し、犠牲になった人達を追悼するために作戦が行われた海岸に集まりました。

 

G7(本当はG8)首脳会議で呼ばれなかったプーチン大統領も出席し、オバマとの建設的な会合が開かれるのではないかと期待されましたが、結局15分程度話し合って「戦争は良くないよね」と言い合った程度のようです。一方でプーチン氏はオランド氏やメルケル氏とはかなり積極的に交流しており、ウクライナ問題における欧州と米英との温度差を感じる結果となったようです。

 

D-Dayの記念日は日本ではさほど関心を持たれていませんが、欧米においてはその持つ意味が日本で考えられている以上に複雑で大きいものだろうと私は思います。それはこの作戦が戦後秩序というものを語る上での一つの結節点になっているからだと言えます。

 

そもそも連合軍に数千人の犠牲者を出したこの作戦が第二次大戦を終結させる上で本当に必要だったのか、という問題があります。この問題は以前紹介した米国参謀として第二次大戦を戦い退役したA.ウエデマイヤー氏の「第二次大戦に勝者なし」でも述べられていますが、本来米国は参戦したら早々にドイツ本国に爆撃を加えてカレーがノルマンディから欧州大陸に上陸してドイツを降伏させて欧州の覇権を握ることが国益だったのですが、版図維持を果たしたい英国に騙されてアフリカ/地中海経由の迂回作戦を取らされてしまいます。1943年のワシントンにおける米英首脳会談でノルマンディ上陸作戦は決定されるのですが、1943年9月にはイタリアは既に降伏しており、東部戦線では43年7月にクルスクで激戦があって既にウクライナもソ連に奪還されていました。時間をかければドイツの敗北は見えていたのですが、このままではドイツを含む欧州のほとんどがソ連の版図になりそうだという状況になって、連合軍はノルマンディ上陸を強行する決定をしたのです。Wikipediaではノルマンディ作戦を「東西冷戦の始まり」と見る考えもあると紹介しています。

 

東側が米軍、西側を英連邦軍が上陸

このように見てくると、実際に作戦に参加した90代の退役軍人達が出迎えている列に「チラッ」と一瞥を加えただけでさっさと自分の席についたプーチン大統領や、この人誰という感じだったウクライナ財閥のポロシェンコ新大統領(財閥だからロシアとも繋がっており、選挙前にひそかにイスラエルを訪問しているユダヤ繋がりもあるという)、満面の笑みで兵士達と握手をしていたオバマ大統領などの意味合いが理解できます。英国のエリザベス女王や各国首脳が列席したのは英連邦軍が上陸したSword海岸の式典でしたが、米軍が上陸したOmaha海岸で先に行われた式典でのオバマ大統領のスピーチは、戦後の自由と民主主義確立のために戦ったD-Dayの戦士達への賛辞とその精神が同じ部隊名を持つ米軍の後輩達によってイラク/アフガンの戦いでも引き継がれているという「戦後秩序」と「現状肯定」満載の内容でした(ガム噛んでるという批難も出ましたが)。

オマハビーチで演説するオバマ 

ソ連と米英のどちらが先にベルリンに到達するか、という競争は1945年5月2日にソ連がベルリンを陥落させて終了するのですが、米英は手前のエルベ川までしか到達できませんでした。本当は44年の9月には軍神パットン率いる米第三軍はパリの東からザール地方へ抜けてドイツ本国のマインツを伺う勢いだったのですが、ベルギーからのロケット攻撃に悩まされる英国はパットンの突出を許さずベルギー/オランダの解放を先行させます。しかし44年の冬にはベルギーのアルデンヌの森で思わぬ逆襲にあい、結局パットンの第三軍が救出に向かうことになります。この辺は映画パットン大戦車軍団に詳しいです。「このまま行けばすぐにベルリンを落としてみせるのに何故止める?」と悔しがる軍人としての正しい戦術を優先するパットン将軍の気持ちが解ります。

 

「力による現状の変更は許さない。」とは先日のG7を終えた安倍総理の言葉でしたが、2014年に入ってからはイスラム原理主義を敵とした「テロとの戦い(欧米中国ロシアみな同盟国だった)」から冷戦構造を再構築するような「中ロvs西側諸国(G7)」の対立が目立ってきました。戦後秩序に冷戦が含まれるならば、このD-Day記念日は冷戦再開の再認識という意味合いも持っていたのかも知れません。

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