スノーデン処罰に賛成43%、反対48%
スノーデンは果たして「英雄」なのか、「国家反逆者」なのか。
ワシントン・ポストとABCテレビが合同で実施した世論調査によると、米世論は真っ二つに割れている。真相が完全には明らかになっていないこともあるだろう。NSAの情報収集秘密活動は支持しながらも、スノーデンの処罰については意見が二分しているのだ。また、かってのウォーターゲート公聴会のような議会主体の真相究明公聴会を開催すべきだ、との意見が3の2を占めた。
△国家の安全を守るためにNSAなどの情報収集秘密活動を支持するか 支持58% 不支持39%。
△情報収集秘密活動を暴露したスノーデンを犯罪者として裁くべきだ。 賛成43% 反対48%
△NSAの情報収集秘密活動について議会公聴会を開催すべきだ。 賛成65% 反対30% ("Post-ABC poll: NSA sureveillance and Rsward Snowden," Washington Post, 6/19/2013)
この世論調査で注目されるのは、スノーデンを犯罪者として裁くべきか、否かで意見が拮抗している点だ。この関連で、米ロサンゼルス・タイムズが行った世論調査では、スノーデンを「英雄だ」と答えたものは67.8%、ビジネス・インサイダーの世論調査では71%に上っている。
彼を英雄と捉える背景について、ピュー・リサーチ・センターのマイケル・ドミモック所長は、「(アメリカ国民の多くは)テロから国家を守るために情報機関がその任務を遂行することは支持する。だがその一方で、国家権力に自分たち市民の自由を侵害させないことも重視する。そのバランスをどう保つか。アメリカ国民は明確な判断を下せずにいるのだ」と解説する。 ("Polls Showing Shift in Americans' View Toward NSA Whistleblower - less Supportive," Ali Papademetriou, www.spreadlibertynews.com. 6/20/2013)
このバランスを保つことの難しさを内部告発という形で国民に知らしめたスノーデン。国家機密を「敵国」に漏洩した通常のスパイとは違う、という認識がアメリカ国民の間に広がっているのだろう。
どうすれば「国家の安全保障の確保」と「市民の自由の保護」との適切なバランスを取ることができるのか――この議論は幕を開けたばかりだ。
(日経BP on line 2013.6.25から引用)
日経BPの記事は、今回のスノーデン氏の告発で、米国民が初めて理不尽な国家によるプライバシーの侵害に気がついたような書き方をしていますが、2001年の愛国者法(patriot act)の成立以降「テロ対策と言えば何をしても許される」というのは米国の憲法や基本的人権に反するものではないかという批判は数多くなされてきました。中でもアメリカ自由人権協会(ACLU)が「愛国者法の制限はテロリストを喜ばせるだけだ」と評して人権制限OKとした司法長官のアシュクロフト氏に対して、インターネットなどの通信プライバシーの保護を求めて2004年に提訴し、連邦地裁から憲法違反の判決を勝ち取った事案や、カリフォルニアなど8州とニューヨーク市など396の市と郡が愛国者法を憲法の精神に反すると決議するなどの動きが見られています(上リンクのwikipedia)。
権利意識が強く、法(特に自然法)に対する厳格な考え方を持っているはずのアメリカ人達が、911以降の「行き過ぎた国家権力の個人の権利への介入」をどうドラマなどで描いているのか、興味があったのですが、丁度私が良く見ているテレビ番組「Law & Order」でその辺が描かれている話がありました。
Law & Order Season14、14話「市庁舎にて」で、2004年にACLUが連邦裁判所に提訴している時期に作られたドラマと思われます(体制派の検事長にアシュクロフトと同じセリフを語らせる芸の細かいところも)。あらすじは、ニューヨーク市庁舎の1階で拳銃による狙撃事件が発生し、市議の一人が死亡するのですが、捜査を進めるうちに真の狙いは死亡した市議ではなく、巻き添えで軽傷を負った水道検針員を狙ったものと判明。しかし犯行に使われた拳銃がFBIの極秘捜査で令状なく犯人の自宅から押収されたものであったことから、弁護側は「不当捜査による無罪」を主張するというものです。極秘捜査は愛国者法の母体となったFISA(Foreign Intelligence Surveillance Act)という1978年に成立した法で、敵性国家への武器や高度電子機器の輸出などを防ぐために秘密法廷(Secret FISA Court)により公の令状などなしで捜査が可能であるとされたものです。主人公の検事達が「FISAの関連事案だ」と話す時のいかにも嫌いな物に触るような表情が特徴的でした。
大陪審のシーンで、弁護側が「これは国家の市民への挑戦であり、これを許せば(有罪とすれば)次はあなた(陪審員を指す)が人権侵害の犠牲になるのです。」と説得し、被告の父親が「ここは自由の国アメリカのはずだ」と涙ぐみながら語る所は説得力があり、恐らく制作したテレビマン達が強く訴えたい内容であったと感じます。それに対して主人公のマッコイ検事は「どんなにその法が嫌いであっても、銃で変えようとしてはいけない。意思表示とペンと投票によって法は変えて行かねばならないのです。この法廷は殺人事件について被告が有罪かどうかを決めるものなのです。」と陪審員を説得し、最終的に評決は「有罪」となって話が終わります。3割以上は検察側が敗訴するこのシリーズ(だから面白いのですが)で、有罪の結論を出したのはマスメディアを仕切る体制側への配慮もあったでしょうが、最後まで弁護側優勢とするドラマ作りはテレビマン達の意気込みを感じさせる内容でした。このような見応えのある刑事ドラマ、日本では作れないでしょうね。
このLaw & Orderもシーズン20まで続く長寿番組(20年続いたということ)だったのですが、私としてはシーズン6くらいまでのストーリイが視聴者に考えさせる内容があり面白いと感じています。視聴者にドラマが面白いと感じさせるには、1)内容が深く、後々まで考えさせられる2)見応えがあるシーンが続く3)展開が早いか、奇想天外で飽きさせない、などのポイントが挙げられます。社会派ドラマであるLaw & Orderは1)に重点を置いた作り方を当初していて、安楽死の問題、人種差別、移民、同性愛などの問題をNYの街を背景に上手に織り込んだ作り方をしていました。それがシーズン10位から2や3に重点が移った作りになっているように感じます。最近のアメリカの人気ドラマは殆ど2と3が作り方の中心になっていて、視聴者が深く考えないように仕向けている(愚民化?)と勘ぐりたくなります。90年頃まではアメリカのテレビドラマはstar trek next generationのような123全てを満たした面白い番組もあったのですが。
いずれにせよ、今回のスノーデン氏の事件をきっかけにして、改めてアメリカ国民が人権意識や憲法の理念に目覚めて、行き過ぎた国家権力の専横に対抗することを期待したいです。「テロ対策」と言いながら実際はこれらの「市民のプライバシーを自由に侵害できる法」は、グローバル企業につながる富裕者・権力者層が大多数の貧困層(日本など外国を含む)を管理支配する方便としているにすぎないのですから。