rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

米国民はテロ対策と言えば何でも許されると本当は思っていない

2013-06-25 19:21:12 | 政治

スノーデン処罰に賛成43%、反対48%

 スノーデンは果たして「英雄」なのか、「国家反逆者」なのか。

 ワシントン・ポストとABCテレビが合同で実施した世論調査によると、米世論は真っ二つに割れている。真相が完全には明らかになっていないこともあるだろう。NSAの情報収集秘密活動は支持しながらも、スノーデンの処罰については意見が二分しているのだ。また、かってのウォーターゲート公聴会のような議会主体の真相究明公聴会を開催すべきだ、との意見が3の2を占めた。

△国家の安全を守るためにNSAなどの情報収集秘密活動を支持するか
 支持58% 不支持39%。

△情報収集秘密活動を暴露したスノーデンを犯罪者として裁くべきだ。
 賛成43% 反対48%

△NSAの情報収集秘密活動について議会公聴会を開催すべきだ。
 賛成65% 反対30%
("Post-ABC poll: NSA sureveillance and Rsward Snowden," Washington Post, 6/19/2013)

 この世論調査で注目されるのは、スノーデンを犯罪者として裁くべきか、否かで意見が拮抗している点だ。この関連で、米ロサンゼルス・タイムズが行った世論調査では、スノーデンを「英雄だ」と答えたものは67.8%、ビジネス・インサイダーの世論調査では71%に上っている。

 彼を英雄と捉える背景について、ピュー・リサーチ・センターのマイケル・ドミモック所長は、「(アメリカ国民の多くは)テロから国家を守るために情報機関がその任務を遂行することは支持する。だがその一方で、国家権力に自分たち市民の自由を侵害させないことも重視する。そのバランスをどう保つか。アメリカ国民は明確な判断を下せずにいるのだ」と解説する。
("Polls Showing Shift in Americans' View Toward NSA Whistleblower - less Supportive," Ali Papademetriou, www.spreadlibertynews.com. 6/20/2013)

 このバランスを保つことの難しさを内部告発という形で国民に知らしめたスノーデン。国家機密を「敵国」に漏洩した通常のスパイとは違う、という認識がアメリカ国民の間に広がっているのだろう。

 どうすれば「国家の安全保障の確保」と「市民の自由の保護」との適切なバランスを取ることができるのか――この議論は幕を開けたばかりだ。

(日経BP on line 2013.6.25から引用)

 

日経BPの記事は、今回のスノーデン氏の告発で、米国民が初めて理不尽な国家によるプライバシーの侵害に気がついたような書き方をしていますが、2001年の愛国者法(patriot act)の成立以降「テロ対策と言えば何をしても許される」というのは米国の憲法や基本的人権に反するものではないかという批判は数多くなされてきました。中でもアメリカ自由人権協会(ACLU)が「愛国者法の制限はテロリストを喜ばせるだけだ」と評して人権制限OKとした司法長官のアシュクロフト氏に対して、インターネットなどの通信プライバシーの保護を求めて2004年に提訴し、連邦地裁から憲法違反の判決を勝ち取った事案や、カリフォルニアなど8州とニューヨーク市など396の市と郡が愛国者法を憲法の精神に反すると決議するなどの動きが見られています(上リンクのwikipedia)。

 

権利意識が強く、法(特に自然法)に対する厳格な考え方を持っているはずのアメリカ人達が、911以降の「行き過ぎた国家権力の個人の権利への介入」をどうドラマなどで描いているのか、興味があったのですが、丁度私が良く見ているテレビ番組「Law & Order」でその辺が描かれている話がありました。

 

Law & Order Season14、14話「市庁舎にて」で、2004年にACLUが連邦裁判所に提訴している時期に作られたドラマと思われます(体制派の検事長にアシュクロフトと同じセリフを語らせる芸の細かいところも)。あらすじは、ニューヨーク市庁舎の1階で拳銃による狙撃事件が発生し、市議の一人が死亡するのですが、捜査を進めるうちに真の狙いは死亡した市議ではなく、巻き添えで軽傷を負った水道検針員を狙ったものと判明。しかし犯行に使われた拳銃がFBIの極秘捜査で令状なく犯人の自宅から押収されたものであったことから、弁護側は「不当捜査による無罪」を主張するというものです。極秘捜査は愛国者法の母体となったFISA(Foreign Intelligence Surveillance Act)という1978年に成立した法で、敵性国家への武器や高度電子機器の輸出などを防ぐために秘密法廷(Secret FISA Court)により公の令状などなしで捜査が可能であるとされたものです。主人公の検事達が「FISAの関連事案だ」と話す時のいかにも嫌いな物に触るような表情が特徴的でした。

大陪審のシーンで、弁護側が「これは国家の市民への挑戦であり、これを許せば(有罪とすれば)次はあなた(陪審員を指す)が人権侵害の犠牲になるのです。」と説得し、被告の父親が「ここは自由の国アメリカのはずだ」と涙ぐみながら語る所は説得力があり、恐らく制作したテレビマン達が強く訴えたい内容であったと感じます。それに対して主人公のマッコイ検事は「どんなにその法が嫌いであっても、銃で変えようとしてはいけない。意思表示とペンと投票によって法は変えて行かねばならないのです。この法廷は殺人事件について被告が有罪かどうかを決めるものなのです。」と陪審員を説得し、最終的に評決は「有罪」となって話が終わります。3割以上は検察側が敗訴するこのシリーズ(だから面白いのですが)で、有罪の結論を出したのはマスメディアを仕切る体制側への配慮もあったでしょうが、最後まで弁護側優勢とするドラマ作りはテレビマン達の意気込みを感じさせる内容でした。このような見応えのある刑事ドラマ、日本では作れないでしょうね。

 

このLaw & Orderもシーズン20まで続く長寿番組(20年続いたということ)だったのですが、私としてはシーズン6くらいまでのストーリイが視聴者に考えさせる内容があり面白いと感じています。視聴者にドラマが面白いと感じさせるには、1)内容が深く、後々まで考えさせられる2)見応えがあるシーンが続く3)展開が早いか、奇想天外で飽きさせない、などのポイントが挙げられます。社会派ドラマであるLaw & Orderは1)に重点を置いた作り方を当初していて、安楽死の問題、人種差別、移民、同性愛などの問題をNYの街を背景に上手に織り込んだ作り方をしていました。それがシーズン10位から2や3に重点が移った作りになっているように感じます。最近のアメリカの人気ドラマは殆ど2と3が作り方の中心になっていて、視聴者が深く考えないように仕向けている(愚民化?)と勘ぐりたくなります。90年頃まではアメリカのテレビドラマはstar trek next generationのような123全てを満たした面白い番組もあったのですが。

 

いずれにせよ、今回のスノーデン氏の事件をきっかけにして、改めてアメリカ国民が人権意識や憲法の理念に目覚めて、行き過ぎた国家権力の専横に対抗することを期待したいです。「テロ対策」と言いながら実際はこれらの「市民のプライバシーを自由に侵害できる法」は、グローバル企業につながる富裕者・権力者層が大多数の貧困層(日本など外国を含む)を管理支配する方便としているにすぎないのですから。

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グローバリズムは正規分布の社会を認めない

2013-06-19 22:53:59 | 政治

正規分布(normal distribution)はその英文名の通り、大抵の世の中の事象のあり方を示した物であると考えられます。偏りのない試験問題を多くの学生に回答させると、平均点付近を得点する学生が最も多く、出来の良い人、悪い人が図のようにばらけて行きます。この平均点からの離れ具合を数値化したものが、T scoreと呼ばれる偏差値というもので、東大や医学部に行く偏差値70以上というのは全体の上位2.275%に属する秀才達という事になります。

 

この分布は試験の点数のみならず、歌の上手さ、絵の才能、走る早さ、体重、性格の良さ、金銭欲、金儲けの才能、見た目の良さなど、全てに渡って人間も動物もこのような分布を示すと考えられます。大事な事は、一人の人間が全ての項目について偏差値が低かったり、高かったりするものではなく、必ず項目によって平均以上であったり、以下であったりするものであり、上手く右端にあるような項目を生かした職業に就くとどんな人でも成功する可能性が高いという事です。まあ普通は平均より良いと思われるものを職業としていれば「御の字」だという事でしょう。そしてある特定の項目における正規分布上の位置によって人の存在価値が決まるものではない、という事も大事な事です。

 

つまり世の中というのは「全ての個体が正規分布の中のどこかの位置を占めている」事によって成り立っているのであって、ある項目において下位15%の人達は切り捨てて良いというものではありません。何故ならば、その下位15%の人達も他の項目においては上位1%の中にいるかも知れない訳で、特定の項目によって下位の人を切り捨てる事が社会にとって取り返しのつかない損失になる可能性があるからです。つまりある項目において正規分布上の下位1%以下の人達も含めて、全ての人達が生きて行ける社会というのが「正しい社会・フェアな社会」であると言えるのです。

 

しかしグローバリズムにおける原則は「強者生存」にあります。同様の商品であれば、より安く、より高品質に提供できる者だけが生き残るのがフェアであると定義されます。結果として競争に負けた者は脱落し、脱落した後の事は自己責任として自分で何とかする(別の道で生きるか出直して勝てる状態になる)事が原則になります。世界が広く、未開拓の部分が多く残っていれば、脱落した者も未開拓の部分に移って生きて行けますが、世界がほぼ開拓しつくされていると、脱落した者はずっと脱落したままになり、勝つ者はより強力になって勝ち続け、最後は1%の強者と99%の弱者に二分化されて固定化されます。既に現在の世界はその状態に向かって7割り型収まりつつあり、残り3割りが余席を巡って中間層同士しのぎを削っているというのが現実ではないでしょうか。

 

「コンプライアンスが日本を潰す」藤井 聡 著 扶桑社新書121 2012年刊は、新自由主義を標榜するグローバリズムがかかげる「フェアな市場原理主義」的な法に従う(コンプライする)ことを日本が強いられることで、社会のあらゆる階層の人達が生きて行けるように工夫されてきた日本のシステム(例えば談合や市場参入規制)が破壊されて、社会の維持可能性(サステイナビリティ)が障害されてゆく事態が分かりやすく説明されています。正規分布を示すあらゆる能力差を示す人達が全て生きて行ける、社会が維持されるシステムこそが「フェアな社会制度」なのであって、強い者しか勝ち残れないような原始的社会は「遅れた未熟な社会」であることを我々は世界に訴えて行かねばなりません。

 

昨今の世界情勢を見るに、恐らくは欧州の古い社会(ドイツや南欧・北欧の国々)も必ずしもグローバリズムを歓迎している訳ではないと思われます。日本はこれらの古い伝統を持つ社会と共闘してグローバリズムに対抗してゆく必要があると思います。もっとも白人至上主義みたいなものもあり、もともと帝国主義で世界を支配していた人達なので、そう容易には共闘させてもらえないかも知れません。しかしグローバリズムに翻弄されて迷惑している所は彼らと共通するものも多いと思われます。

 

グローバリズムの目指す社会構造は正規分布の右半分だけのような状態と思われます。現在の世界の人口とそれぞれが持つ資産を図式化するとまさにこのような形でしょう。日本は20世紀の終わり頃には国民の8割り以上が中間層に属すると思っていた訳で、実際はどうだったかは別として感覚としては資産についても正規分布に近い状態だったと思われます。これ、実は素晴らしい事だったのではないでしょうか。「豊かな中間層が豊かな社会を築く」という事実は既に米国でも考え直されて、そのバランスが崩れてしまった状態を戻そうという機運が高まっています。今、「日本社会の先頭を切ってグローバリズムを目指す一部の人達」が脚光を浴びていますが、日本が正規分布の右半分の社会構造になって国民が幸せになるはずがありません。福祉、教育、文化政策が充実した状態を維持するには豊かな中間層がありつづける必要があります。安倍政権は10年間で国民所得の150万円増を打ち出しましたが、国民総所得が増えても、給料自体が増える訳ではないという指摘もあり、

 

実際、日本では小泉内閣の2003年から第1次安倍内閣の2007年までの5年間、「1人あたり国民所得」は約398万円から約414万円へと16万円アップしたが、サラリーマンの平均年収は443万円から437万円へと7万円減っているのである(国税庁「民間給与実態統計調査」)。

「国民総所得」が増えても企業が利益を社員に還元しなければ給料は上がらない。高度成長期の池田首相はあえて「給料を2倍に」と約束した。安倍首相が本気で企業に賃上げを求める気であれば、収入アップを成長目標にすることができたはずだ。お年寄りから子供まで「1人150万円増」なら4人世帯の年収は600万円増える。

 平成の所得倍増をいわずに「経済指標」に逃げたことが国民への最大の誤魔化しなのだ。



※週刊ポスト2013年6月28日号

 

我々は本当の豊かな社会の再建を目指して、政治・政策を選んで行かないといけないと思います。

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米軍内の犯罪と規律について

2013-06-07 19:14:37 | 社会

以前ブログ「書評 勝てないアメリカ」において、10年に及ぶ中東での不毛な戦争によって、志願制である米兵のなり手も減少し、戦争が既に一部の若者だけの問題となっており、しかも同じ若者が複数回戦地に赴くことで外傷性脳損傷(TBI)や心的外傷後の障害(PTSD)に苦しむ兵士達が増加している事を紹介しました。

 

今月号の雑誌『選択』に「犯罪の巣窟と化す米軍隊」と題する記事があり、それによると、昨年度の米軍内部での性犯罪告発件数が過去最多(3,374件)に達しており、橋下発言で揺れた5月中旬にはホワイトハウス会議室に米軍の幹部が勢揃いしてオバマ大統領から軍内部における性犯罪増加について叱責を受けるという事態が生じていたことが紹介されています。「米軍の女性兵士はイラクやアフガンで戦死するより基地内でレイプされる確率の方が高い」とテレビでも報じられている由、事態はかなり深刻です。

 

また前線へ行く志願者の減少から、現在はアメリカ国籍がなくても軍人になれて、従軍後は国籍が取れること、簡単に履歴を改ざんして入隊ができることから、米国内のマフィアやギャンググループがかなり隊内に入り込んでいるということで、ある調査によると兵士の1−2%が何らかのギャング団に属しており、それが治外法権となっている基地内で活動し、麻薬や違法薬物、武器の横流しにも関与しているという事です。看過できないのは、この「基地」は日本の沖縄や横須賀も含まれるという事、むしろFBIなどの目が届かない国外の基地の方がこれらの犯罪組織が野放しになっている可能性が高いという事実です。

 

そもそも、何故米軍内がこれほど犯罪と結びつく状態になってしまったのか、幻想の部分もあるでしょうが、第二次大戦における米軍兵士は陽気で田舎者で純朴な若者達という印象で映画などに登場する事が多かったと思うのですが。

私は、戦後OSSの後継として軍とともに暗躍するようになったCIAの存在が米軍のありようを変質させていったのではないかと思います。

「CIAとビンラディン 9.11から10年目の真実」 宮田 律 著 ワニブックスPLUS新書2011年刊 はイスラム政治に詳しい著者が豊富なアフガニスタンやパキスタンにおける人脈や資料から、米国の中東戦略と特にCIAとの関連を詳述した好著です。911やビンラディン殺害に関する非合理的な事実関係について冷静に追求している所も読み応えがあります。またCIAは何故米国内の同じ公的組織である麻薬取り締まり局や警察などと対立してまで諸外国の麻薬取引に関与して活動資金を得ようとするのか不思議に思っていたのですが、この本を読むと、これらによって得た資金で米国にとって都合の良い反体制派などへ資金援助をしたり、麻薬を拡散させて社会を不安定化させたりしていた事が分かります。南米、ベトナム、アフガニスタンも全て麻薬がらみであり、米軍が出張る事で当地の麻薬生産量が飛躍的に増加し、それが世界に散撒かれて行ったのが歴史的事実です。当然その過程で米軍の内部でも麻薬が多量に流通するのであり、どんなに表向き立派な建前をかかげていても兵士達の中に麻薬が入り込んで行く事は妨げられないという事でしょう。

 

私の知る限り、我が自衛隊においては、「隊内の不祥事」といえるのは外の社会を反映して多少「いじめ」や「窃盗」などの事案がある程度で、組織的に大きな問題となるような事はなかったと思われます。しかし隊員達が士気の高い状態で参加できる「国連平和維持活動」や「人道支援活動」とは異なり「米軍の先兵」となるような事案に駆り出されるような事が将来出てくれば、隊内の犯罪などについてもどうなるか分かりません。専守防衛と平和的な国連活動に限った「現在の憲法の範囲内」における自衛隊のあり方が私は望ましいと考えます。

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