カルテの電子化が進んでいます。既に多くの総合病院、個人医院でもカルテが電子化され、検査結果、画像検査の結果、処方や会計レセプト処理も一括してコンピューター上で行われるようになっています。カルテがなくなると当然診察室にはコンピューターしか存在しなくなります。個人のファイルとして目に見える形で存在していた綴じられた紙の束はコンピューターサーバー内の架空のファイルに統一されて、その実莫大な数の磁気的なプラスマイナスの集合体として存在するだけになります。
紙に書かれたカルテは燃えたり破れたりすれば消滅してしまうけれども、形が残っていれば100年たっても読む事が出来ます。電子カルテはバックアップがあれば良いけれども、磁気が破損すれば二度と読めないし、コンピューターのオペレーションシステムやソフトが変ると読めなくなります。法律的にカルテの保存は5年なのでOSの改編が5年ごとにあっても一つ前の分まで読めるようにしておけば何とかなる、という考えではありますが・・
我々医師は、紙カルテであれば初めて診る経過の長い患者さんの厚いカルテであっても2分もあればおおまかな掌握ができます。電子カルテは誰かがサマリーをまとめない限りそのような芸当はできません。また紙カルテは画像の要点、検査の要点をフリーハンドで大小さまざまな形で書き込んで大事な所、注意すべき所を強調することも自由にできますが、電子カルテは日常の書き込みでそれをするにはそれらの強調をいちいち入力しないといけないので、かなり手間がかかってしまいます。
患者さんを診察中、言葉で話した内容を医学に精通した秘書がコンピューター上に適切に記録してゆくようなシステムがあれば、電子カルテも有用だと思います。昔の大学病院で教授が外来をしている時にベシュライバー(ドイツ語の書記)として研修医がカルテを横で書いていたのと同じようなシステムです。少し前までは電子カルテやオーダーシステムを導入した大学で教授がコンピューター音痴(さすがにここ数年でもういなくなったでしょうが)の場合、研修医達がコンピューター入力を行なっていた所がありました。またアメリカなどでは医療秘書が診察中にこのような仕事をやってくれるので、医師が日本のように「患者の方を殆ど見ないでコンピューターの操作ばかりしている」といった馬鹿げた事態は起りません。
最近ではiPadを用いて回診時にベッドサイドで患者さんの情報をサーバーから引き出しながら説明や指示、カルテ記載を行なってゆくといったやりかたも出てきました。多くの患者さんが並んで治療を受けている透析センターのような所ではこのやり方はかなり便利だと思います。
電子カルテの最大の弱点は停電とサーバーダウンです。さる大学病院では外来を含めて全て機能停止状態になり大混乱を来した事があります。危機管理という点では電子カルテは弱いと言わざるを得ません。
我々臨床医にとってカルテの電子化は望ましいものでしょうか。答えは現状のコンピューターにおいては「否」です。少なくとも勤務医は誰もカルテを電子化して欲しいなどと言っていません。1990年頃、コンピューターが個人で使用できるようになってきた時、研究のデータ整理や学会発表のために当時まだ数十万円した高機能ワープロ(ワードプロセッサー)専用機やマイクロコンピューターを積極的に取り入れてきたのは臨床医達でした。私もマッキントッシュクラシックが20万円を切って発売された時に喜び勇んで購入しました。システム2メガ、ハードディスク40メガ位だったと思います。頑張って100メガの外付けハードディスクをボーナスで買い足したりしました。だから我々にとって本当にカルテが電子化に適した存在ならば我々の方から進んでカルテを電子化して行ったでしょう。
しかし現実にはカルテの電子化は行政サイドからの指導でなされていて、患者さんにとって良いと言う無理やり取ってつけたような利点と電子化による補助金が出たりしているのが現状で、医師達にとって本当に楽になった、良かったといった感想は全く出ていません。「人間がコンピューターに合わせろ」と完全でないソフトやシステムに現実がついていってない部分は、現実を曲げて架空空間の存在であるコンピュータに合わせているのが現実の姿です。インターネットのWebで見られるような見やすいコンテンツが、各人の電子カルテ上に容易に再現されるとすればそれは理想的な電子カルテとなるでしょうが、見やすいWebやホームページが数分の診察時間の中で次々と患者さん毎にでき上がってゆくはずがない位のことは実際にコンピュータで仕事をしている人ならばすぐ理解できると思います。医者はプログラマーではないのですから。
実臨床において、腹腔鏡手術やロボット手術、各種のコンピューター化された画像検査など、医療が高度化されるにつれてコンピューターが医療現場に導入され、実際に患者さんに触れる現場に係わってきています。しかしその分、医者は古来から徒弟制度で教えられてきたような名人芸的な技量が必要なくなってきたか、というとむしろその真逆でかつて以上にアナログ的な手の感覚、視覚の訓練を要求され、ちょっとした小技(tips)や経験が物を言う世界になっています。「コンピューター化された」ということは先端技術を駆使していることは真実なのですが、患者さんにとって得られる結果は電子カルテと同様、コンピューター化される前と実は何ら変る物ではなく、むしろ同じ結果を得るために医師側に新たな訓練と技術習得が要求されているのが現実であり、時々「人間がコンピューターに合わせる」ことができないために「腹腔鏡手術で出血死」とか「ロボット手術で膵臓損傷」といった事故例が報告されることになります。
私はこれらの新しい技術の導入に反対するつもりは毛頭ありませんが、何でもコンピューター化されていれば「良いもの」「より人間に利益になる」と結論づける風潮には大いに疑問を呈します。何事にも「利点」「欠点」があるのであり、それらを「思考する」過程を省くことは「愚かなこと」だと私は軽蔑しているのです。