受精卵取り違え、「なぜ」あまりに多く(読売新聞) - goo ニュース
他人の受精卵を移植した疑いがあったために中絶をしたことに対して、患者が納得せず訴訟をおこしたという事件で、「人工受精において取り違えが何故起きたか」という部分が問題になっています。また読売の記事では受精卵が他人のものっであったという確証がないまま「中絶」を行ったことは拙速ではないか、という問題提起もされています。私はもう一歩進んで、検査で受精卵が取り違えであることが解ったとして、それではと簡単に中絶処分してしまってもよいのか、という問い掛けもしたいと思います。「受精卵」というからには精子は注入後であって。父親も他人ということなのでしょうが、注入(ICSI)前に取り違えたのならば父親は正しいことになります。いずれにしても、強姦されて妊娠した場合まで「中絶反対」というのは行き過ぎですが、望まれて生まれてくる子供が「ちょっと親を間違ってしまったので」といって簡単に殺されてしまうのはいかがなものか、と思うのは私だけでしょうか。
勿論、他人の子であることが解っているのに妊娠を続けることはこの場合妥当ではないことは明白ですが、女性の気持ちとしては他人の子であっても自分の腹の中で生きている命を殺してしまうことに何の痛痒も感じないはずはありません。他人の子だったからと簡単に殺しておいて、次に自分の子供を妊娠した時に何も感じないで出産できるか疑問です。その意味で今回患者側が「精神的苦痛を受けた」と訴えたことは理解できるように思います。また補償金をもらえば納得という訳でもないだろうと推測します。
医療というのは、本来人間が生まれついて持っている「病気を治す力」を助けるものであれば間違いなく「良い医療」であると言えます。感染を治す、怪我を治す、癌を治す機能も不完全ながら持っています。これら天地創造の「神が定めた」とも言える「もともと持っている力を助けるための医学」が発展していた間は「医学の進歩」=「倫理的にも善」であったといえます。しかし現在はこの「神が予想した能力」を超えた医療が増えつつあるのです。不妊治療、臓器移植、遺伝子治療、血液透析、など神の決めた運命や寿命に逆らって人間の勝手都合で生命の行く末を変えていると言えます。こういった医療は恩恵を受けている当人達にとっては「善」であるかも知れませんが、人類全体、或いは遠い将来に渡っても人類にとって「良い事」と言い切れるかは全く解りません。自然淘汰と自然進化を否定することが人類にとって良い結果になるのか、マスコミは幅広く国民に問い掛ける「度胸」を持っても良いのではないでしょうか。「子供を持つなと言うのか」「透析患者は死ねというのか」といったストレートな批難が怖くて大手マスコミは疑問を呈することさえはばかられるのが実情でしょうが、取り返しがつかない事態が起こってから根本的疑問を呈しても遅いのであって、今のうちからいろいろと考えておくことは大事だと「物言う医療者」としては感ずるのですが。
「神の予想した医療」の範囲では、人間がもともと持っている能力が邪魔になることはないのですが、予想を超えた医療、例えば移植においては人間が持っている免疫反応が邪魔をして移植した臓器が拒絶されてしまうためにわざわざ免疫を押さえ込む薬剤を必要とします。その結果逆に感染に弱くなったり、癌になりやすくなったりします。血液透析ではいままで世の中に存在しなかった新しい病気(透析骨症など)が出現し、その治療に難渋しています。また実際に透析治療に携わっている医師として、果たして全ての患者さんにとって透析で生き永らえているのが幸せなのかなあ、と感ずることも多いのが事実です。不妊や遺伝子治療では厳密に言えば新しい人類を作り出していると言えるかも知れません。クローン技術を含めて、遺伝子治療の分野では畜産や農業の分野の方が数歩進んだことを行っていますが、これらが自然の生態系に何も影響していないのか本当の所は解っていないと言えます。
今回の不妊治療の問題を「単なる医療ミス」或いは「人手不足の問題」として騒ぐだけではいけないのではないかと感ずる次第です。
他人の受精卵を移植した疑いがあったために中絶をしたことに対して、患者が納得せず訴訟をおこしたという事件で、「人工受精において取り違えが何故起きたか」という部分が問題になっています。また読売の記事では受精卵が他人のものっであったという確証がないまま「中絶」を行ったことは拙速ではないか、という問題提起もされています。私はもう一歩進んで、検査で受精卵が取り違えであることが解ったとして、それではと簡単に中絶処分してしまってもよいのか、という問い掛けもしたいと思います。「受精卵」というからには精子は注入後であって。父親も他人ということなのでしょうが、注入(ICSI)前に取り違えたのならば父親は正しいことになります。いずれにしても、強姦されて妊娠した場合まで「中絶反対」というのは行き過ぎですが、望まれて生まれてくる子供が「ちょっと親を間違ってしまったので」といって簡単に殺されてしまうのはいかがなものか、と思うのは私だけでしょうか。
勿論、他人の子であることが解っているのに妊娠を続けることはこの場合妥当ではないことは明白ですが、女性の気持ちとしては他人の子であっても自分の腹の中で生きている命を殺してしまうことに何の痛痒も感じないはずはありません。他人の子だったからと簡単に殺しておいて、次に自分の子供を妊娠した時に何も感じないで出産できるか疑問です。その意味で今回患者側が「精神的苦痛を受けた」と訴えたことは理解できるように思います。また補償金をもらえば納得という訳でもないだろうと推測します。
医療というのは、本来人間が生まれついて持っている「病気を治す力」を助けるものであれば間違いなく「良い医療」であると言えます。感染を治す、怪我を治す、癌を治す機能も不完全ながら持っています。これら天地創造の「神が定めた」とも言える「もともと持っている力を助けるための医学」が発展していた間は「医学の進歩」=「倫理的にも善」であったといえます。しかし現在はこの「神が予想した能力」を超えた医療が増えつつあるのです。不妊治療、臓器移植、遺伝子治療、血液透析、など神の決めた運命や寿命に逆らって人間の勝手都合で生命の行く末を変えていると言えます。こういった医療は恩恵を受けている当人達にとっては「善」であるかも知れませんが、人類全体、或いは遠い将来に渡っても人類にとって「良い事」と言い切れるかは全く解りません。自然淘汰と自然進化を否定することが人類にとって良い結果になるのか、マスコミは幅広く国民に問い掛ける「度胸」を持っても良いのではないでしょうか。「子供を持つなと言うのか」「透析患者は死ねというのか」といったストレートな批難が怖くて大手マスコミは疑問を呈することさえはばかられるのが実情でしょうが、取り返しがつかない事態が起こってから根本的疑問を呈しても遅いのであって、今のうちからいろいろと考えておくことは大事だと「物言う医療者」としては感ずるのですが。
「神の予想した医療」の範囲では、人間がもともと持っている能力が邪魔になることはないのですが、予想を超えた医療、例えば移植においては人間が持っている免疫反応が邪魔をして移植した臓器が拒絶されてしまうためにわざわざ免疫を押さえ込む薬剤を必要とします。その結果逆に感染に弱くなったり、癌になりやすくなったりします。血液透析ではいままで世の中に存在しなかった新しい病気(透析骨症など)が出現し、その治療に難渋しています。また実際に透析治療に携わっている医師として、果たして全ての患者さんにとって透析で生き永らえているのが幸せなのかなあ、と感ずることも多いのが事実です。不妊や遺伝子治療では厳密に言えば新しい人類を作り出していると言えるかも知れません。クローン技術を含めて、遺伝子治療の分野では畜産や農業の分野の方が数歩進んだことを行っていますが、これらが自然の生態系に何も影響していないのか本当の所は解っていないと言えます。
今回の不妊治療の問題を「単なる医療ミス」或いは「人手不足の問題」として騒ぐだけではいけないのではないかと感ずる次第です。