rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ユダヤ人は何故嫌われるのか

2008-05-26 21:17:12 | 社会
 映画シンドラーのリストはヒトラーの時代のドイツにおけるユダヤ人への迫害を扱った記録に残る名画である。しかし、「人種差別と迫害ありき」の前提で話を追うのみで、その奥にある「何故ユダヤ人が嫌われるのか」「嫌われ具合はどの程度なのか」といったことを理解して鑑賞した日本人はそんなに多くないのではないかと思う。実は私もシンドラーの映画を見たときは感動する部分もあるのだけれど、見た目で区別が付かないユダヤ人を何故迫害しないといけないのかがわからないので今ひとつのめりこめない印象でした。

 ヨーロッパの歴史を語るときは宗教を知らなければならない、特に一神教について知らなければ彼らの対立や物の考え方について理解できないことになります。本来同一であるヤハウエ、エホバ、アッラーを信じていながら何故対立しないといけないのか。仏教にもいろいろな宗派はありますが、あそこまで根深い対立はないように思います。日本など神と仏がごちゃまぜになって仏教も道教が混在して「適当」な状況になっています。

 ユダヤ教は一神教の元祖ともいえる宗派なのに何故あんなに嫌われるのか。私は一つの理由としてユダヤ教の許容性のなさに一つの原因があるように思います。神ヤハウエとの約束を守ることによってユダヤの民だけが救われることになっているようですが、古代エジプト・メソポタミア文明あたりの古い信仰からユダヤ教が生まれるにあたって、何故もう少し寛容な皆が救われるような教義にしなかったのか。その辺を解説している文献があったら調べてみたいと思っています。キリスト教にしろイスラム教にしろ、深いところではユダヤ教に対する嫉妬というか後ろめたさのようなものがあるように見えるんですね。しかも救われるのは自分たちだけとユダヤの人たちが固く信じているものだから後からできた2宗教としては面白くないのだと思います。

 東洋の宗教は救われる道は説いても、自分たち以外の宗派は地獄に落ちるというような意地悪なことをあまり言わなかったから宗教的対立で殺しあうことはしてこなかった。これは非常に誇れる文化だなあと思います。昨日のブログの結語で共産主義も行過ぎた資本主義もともにユダヤ人の思想であると言いましたが、寛容性がなく、周りの者も救われるという思想がないところはユダヤ的なのかも知れません。もっともこれは多神教の文化と一神教の文化の違いなのかも知れませんが。
コメント
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