rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Mig-15 Airfix 1/72

2019-04-30 14:34:19 | プラモデル

 今回は1981年にAirfix製のプラモデルをグンゼ産業から発売になったシリーズのやはり古いモデルを作製しました。Mig-15は朝鮮戦争において、東側代表として初めて西側のジェット戦闘機同士の空中戦を戦った機として有名ですが、航続距離が短いなどの短所はありましたが、構造が頑丈であり、37mm機関砲を装備して速度も早く、戦後共産圏諸国において広く使用された機体です。

 

Mig-15 Airfix 1/72

 20年くらい前に作った好敵手のF-86F(多分フジミ製1/72)と並べてみると、Mig-15の方が一回り小さいながら、戦前のドイツの技術を取り入れて設計された点でも良く似た姿であり、誤射を防ぐために西側のF-86は黄色の帯を胴体や翼に描くようになりました。F-86との空戦ではパイロットの技量もあってF-86に軍配があがることが多かったようですが、他の西側の飛行機が相手では不意打ちを食らわすMigに苦しめられたようです。

 

F86FとMig-15                              飛行中の実機

 模型の制作の面では、シンプルな外面に模型自体もシンプルなのであまり作りがいがないのですが、前車輪なので粘土で錘を機首に入れて空気取り入れ口の整形をするなど必要になります。40年前のデカールはさすがに使用不能で、水で濡らしても全く剥げない状態であったので、最近購入した他のソ連機のデカールを流用しました。

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通貨と支払い手段

2019-04-24 16:35:59 | 社会

通貨の三大機能とは、1)交換(支払い)の手段、2)価値の尺度(経済の指標)3)価値の保蔵の3つと言われています。デジタル通貨(暗号通貨crypt currency)がこれらの機能を満たすかについては種々の議論がなされていますが、十分に機能を満たすという結論には達していないのが現状でしょう。

 

 そのような中でスマホ等を使った支払いによるキャッシュレス化を推進する風潮がマスコミを中心に盛んになって来ています。政府、経済界が推進しているという点で既に国民の本当の利便性無視の「管理する側・儲ける側」に都合が良い代物という本質が見えてしまっていますが、一部の国民がこの手の風潮を歓迎しているようであるのも危険(歓迎しているという偽ニュースを流しているだけかもしれませんが)な事だと思います。勘違いしている人も多いようなのですが、そもそも「・・ペイ」なるものはデジタル通貨ではない、ペイという名前の通り「ただの支払い手段に過ぎない」ことを理解しないといけません。

 

 支払い手段でかなり流通しているものに「SUICA」があります。SUICAはJR東日本が発行する自動改札で「旅客運賃を支払う手段としてのカード」ですが、ほぼ日本全国の交通機関で使用可能で、学会や旅行で地方に行った際にもSUICAさえ持っていれば切符を買う必要がなくとても便利だと私も思います。場所によっては電子マネーとして買い物の支払い手段として利用することもできます。しかし基本的には通貨のチャージが必要で、使わないとどこかで期限切れになって価値が消失するという点でクレジットカードとは本質的に異なります。つまりチャージしてある価値(金)を使用するので「通貨」を持ち歩いているのと同じですが、あくまで通貨の代わりを担っているのであって「通貨の支払い手段としての役割」を果たしているのみです。クレジットカードは使うことで個人がカード会社に借金をする事が許されるのであって、利息は取られませんが(分割返済では利息も取られる)月末に一括して銀行経由で返済を迫られます。これも「支払い手段としての通貨の役割」を代用しているにすぎないと言えるでしょう。

 

 今流行の「・・ペイ」はSUICAの様なカードの代わりにスマホを用いるだけで、店でQRコードを読み取るという面倒な操作が必要でしかも「・・ペイ」とやらに予め銀行などからチャージしておかないと使うことができない代物です。日常のこまごまとした買い物にはSUICAの方が数段使い勝手も良いしスマートです。大きな額の買い物はクレジットカードの方がチャージなどの手間もなく後から確認もできるし信用も置けます。問題なのは「・・ペイ」が通信手段を使うことで自分の消費性向などがビッグデータとして知らないうちに他人に使われ、その情報に値段が付いてしまうことにあります。個人を特定して後追いすることもいくらでも可能です。そのような「管理社会」に特化したような使い勝手の代物を喜ぶなどというのは「思考停止」以外の何物でもありません。しかも大災害などで停電となり、電波をはじめとする管理システムが停止している状態では、現金による売買ができなければ経済活動が止まってしまう「災害に弱いシステム」であることも認識しないといけません。大災害に備えるべき時期である現代において、時代に逆行したトレンドと言えます。

 

 通貨に変わるものとして、デパートなどの商品券や地域商品券、ビール券などがありますが、通貨の三大機能としての価値の尺度としては「限られた状況で同額の通貨と同じ価値が保証されている」に過ぎず、地域・状況限定であり、半分にちぎって釣り銭にすることもできません。また労働の対価として価値を保蔵することも商品券ではできません(イスラエルで不況のため百貨店の給与がその百貨店限定の商品券で払われたことに出くわしたことはありますが)。デジタル通貨のビットコインが一時流行りましたが、最近某巨大企業のCEOが145億円摩ったという報道もあり、「価値の尺度」が乱高下するような代物は貨幣としては使い物にならず、失格です。

 

 通貨は「同額の通貨は価値の量が同じであると信じている」人類社会が「共有する幻想」に過ぎないのですが、やはり国家が価値を保証する法定通貨でないと「共有する幻想」としては弱いのではないでしょうか。グローバリズムにおいては世界共通通貨(GESARA Global Economic Security and Reformation Act)とか言う怪しげな話も出ていますが、「世界が共通の幻想」を確実に共有するためにはそう簡単に事が運ぶとは思えません。Bit coinを始め様々な暗号通貨が世の中に出ましたが、踊った人は一部のみでそれも殆どの人は損をして終わったのではないでしょうか。現在推進されようとしている「・・ペイ」は中国の様に現金の信用がなく、また現金の所持が個人や店舗では盗難などの怖れがあり危険でできない、データ階層社会・管理社会として支配者に都合が良いという社会では重宝されるけれども、基本はSUICAと同じという認識をしっかり持っておいた方が良いと思います。

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病院の英語訳はSick Houseですね?

2019-04-21 12:33:48 | 医療

 2019年4月21日まで第107回日本泌尿器科学会総会が名古屋で開かれており参加してきました。その中で20日の学会長指定企画 鼎談「長寿社会の医療を考える」という一般市民参加もOKという企画がありました。名古屋にある大学の学長・理事長2名と中日新聞・東京新聞顧問で元新聞記者である小出宣昭氏が高齢者医療について医療者、市民の立場から語り合うという内容でした。現在厚労省が推進する「地域包括ケアシステム」において高齢者の医療介護を実践する上で病院と地域の在宅や介護の連携がスムーズでない現状について話す中で外国経験の長かった小出氏が英国の医療事情などを紹介する中で出てきた言葉が「日本の病院の英語訳はHospitalでなくSick Houseですね」という内容でした。

 

 それは必ずしも皮肉めいた内容ではなくて、日欧の文化的背景の違いから来るものという話の流れで、Hospitalというのは教会に巡礼に来た参拝者達を「もてなす場所」hospitalityから来ているので、外国の病院はそこに病気の人が快癒を祈ってやってきたりした者を、医学的知識を持った尼僧や医師が介護や癒しを施したことが始まりだった。日本ではそれを介護院とか救護院でなく「病院」と訳してしまったから病気を治す事に特化した施設として進化してしまった、という説明でなるほどと思いました。

 

 また「下の世話」を嫌がる雰囲気も「下半身」を忌むべきものとする風潮が日本の文化にあることも影響しているという話。外国では食事中「おなら」より「げっぷ」の方が無作法とされるし(イスラムはご馳走様の意味ですが)、手より足を優先するサッカーがあれだけ盛んなのも下半身への蔑視がない影響ともいえるという。まあオムツ替えについての抵抗感は心理的なものと体力的なものの両面あるので一概には言えませんが、市民の立場(かなりのインテリではありますが)の小出氏からこういった話が聞けたのはなかなか有益でした。また高齢者がいきいきと暮らすには「生きがい」特に「社会や人の役に立つ(つながりを持ち続ける)」事の重要性を3人とも強調していたのは共感できる内容でした。名古屋保健衛生大学では住宅都市整備公団と協力して古くなって高齢者が多くなった「団地」の4-5階を若い人向けに改装してもらい、学生寮として有料で使わせてもらい、同時に団地住民として高齢者たちと協力する場を持つ工夫をしているという試みを紹介、高齢者施設と幼児保育施設の併設による幼児教育への参加なども各地で試みられていますが、地域でのこのような取り組みが今後大事になってくると思いました。

 

 日本人は宗教に無関心か?

 

 上記の話と直接関連はありませんが、宗教が病気との向き合い方や人生観そのものまで影響しているかという点では日本人は無宗教と言えるかもしれませんが、全く宗教に関心がないかというとそうでもないという印象を学会に行く新幹線で感じました。たまたま横に座った60代の女性が「話しやすい」と感じたのか私にやたら話しかけてきまして。

「これから京都にさる寺々の桜見物に日帰りで行く・・」と。「・・の寺は・・天皇が建立されて云々」となかなか詳しい。私も暇でもあったので少し面白がって「本来皇室は神道のはずなのに、奈良時代に振興する目的があったとはいえ何故京都には寺ばかり多いのでしょう?」と水を向けてみました。「それは曽我氏と物部氏の抗争から始まって・・」と説明。おう、結構知識豊富だなあ・・。「でも今上天皇は最後に寺ではなくて伊勢に行きましたね。」「そりゃあなた、日本を始めたご先祖様だもの。」「日本を治める手段として利用するならば世界の本質は無であると説く純粋な仏教よりも儒教の方が支配者の道徳として使いやすかったのでは?」と意地悪な質問をぶつけてみたのですが、「儒教を中心にしたら中国や韓国のような社会になって嫌な世間になったでしょ。」と返されて「これは一本」と思いました。

小一時間こんなけっこう面白い会話をしながら過ごしたのですが、世の中、思考停止の人ばかりではないし、宗教についても種々の角度からいろいろ勉強している人も多いなと感心しました。だから高齢者医療について考えて行く上でも日本人的な宗教観や死生観に根差した無駄のない、また納得できる医療介護の在り方というのが模索できるのではないかと感じた次第です。

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Republic P-47 D Thunderbolt Hasegawa 1/72

2019-04-15 18:39:16 | プラモデル

 P-51ムスタングと並ぶ第二次大戦時の米国陸軍(当時は空軍はなかった)の花形戦闘機でD型のみで12,000機以上が作られたと言われています。プラモデルとしても定番の一つで各社から様々なスケールで種々のノーズアートのデカールを付けて発売されています。今回作ったのは大分前に購入していたHasegawa 1/72で1988年の金型のやや古い物です。P-47としては中学時代にベビーモーターを入れてプロペラを回るようにしたレベルの100円だった1/72、その後作ったAirfix 1/72などあって同じP-47のプラモ制作としては3機目です。

P-47 D Thunderbolt Hasegawa 1/72                               英国空軍博物館に展示された実機(訪れた際に撮影)

 P-47は星形9気筒2列を配した強力エンジンと排気タービンを擁したずんぐりした胴体、大きなプロペラ(直径4m)、翼に8丁の12.7mm機銃を装着した重装備が特徴です。スタイリッシュなP-51とは対称的ですが、戦中派だった高校の英語教師が「厚木にP-47が降りて来た時、あんなでかいプロペラの戦闘機には(日本の飛行機は)絶対かなわないと思った。」と授業中感慨深く話してくれたことを思い出します。プロペラが大きい事は欠点にもなっていたようで、離陸時にはプロペラが地面を打たないよう、飛び立つ間際まで機首を起こしておく必要があったと記されています(フライトシミュレーターも慌てて離陸するとプロペラを損傷します)。

Hawker Tempest V とP-47                      英国空軍博物館のテンペスト

 ロンドンの英国空軍博物館で実機を見ましたが、やはり爆撃機のようなエンジンとプロペラは大きいと感じました。大戦後期の高性能機はレシプロエンジンの高性能化もあって機体も大型になる傾向があり、以前作ったホーカーテンペスト(Airfix 1/72 古くて埃まみれです)と比べても同様の大きさでした。テンペストは博物館では空中に展示されていて大きさの実感はなかったのですが、特徴的な大きな機首ラジエーターはよく解りました。シルバーの質感を模型で自然に出すのはいろいろと試しているのですが、今回はシャインシルバーのスプレーを使用しました。ややラメが入ったわざとらしい銀色になって写真と実際はまた異なるのですが、テンペストの写真に見られるような実機に近い渋いシルバーは普通の銀色の塗料を薄く2-3回筆塗りするのが良い様にも思いました。大きな模型には塗りムラができないようにやはりスプレー塗装が良いとは思います。

英国空軍博物館の入り口 観覧は無料

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Brewster B-239 Buffalo Hasegawa 1/72 & Spitfire Floatplane PM model 1/72

2019-04-09 16:36:21 | プラモデル

 フィンランド空軍のBrewster B-239は昔、中山雅洋 著の北欧空戦史 (学研M文庫)をわくわくしながら読んだ頃からいつか作ってみたいと思っていたモデルです。弱小国のフィンランド空軍が寄せ集めの戦闘機を巧みに使いながら圧倒的優位のソ連軍の侵略を戦い抜いた「冬戦争」で、最も活躍した飛行機と言われるのがアメリカから輸入したBuffaloでした。当地ではブルーステルの愛称で親しまれて50機程度しかなかったものの大切に使い回してソ連機を20機以上撃墜したエースも生まれています。米国ではF-2Aとして海軍で発注されましたが、殆ど活躍することもなく、後継のグラマンF4Fなどに取って替わられたぱっとしない戦闘機ですが、フィンランドにおける活躍は伝説的とも言えます。少数機ずつ似た様な地形の湖の陰などに隠しながら神出鬼没でソ連軍を苦しめて勝利とまではゆかなくとも引き分けに持ち込んだフィンランドの戦いぶりは小国が大国と戦争をする際の手本となるものであった様に思います。モデルはさすがHasegawa製で細かい所まで奇麗に作り込まれていました。99年の金型で外国向けには青い鍵十字のデカールは付いていなかったかも知れませんが、もともとフィンランドの青い鍵十字はナチスと関係がない王族の家紋と言われているので問題ないはずと思います。当然このデカールを使用しました。

 

Hasegawa B-239 1/72                   レストアされる実機

 Spitfire floatplaneは名機SpitfireのV型を海軍が活用できないかと試作し、数機が運用されたという珍しい機体で、プラモ自体もPM modelというトルコのメーカーの珍しいものです。HasegawaやTamiyaのプラモは車で言えばトヨタ、日産のような物で出来具合もしっかりしていて安心して作れますが、トルコのプラモデルはさすがに荒削りな感じでした。実機のフロートは後ほどプラモを作ろうと思っているBlackburn Roc の水上機型フロートを流用したということで、左右に振れるなどやや安定に欠けた様です。何より大きなフロートがついたままでは戦闘機としての俊敏性も活かせず、航続距離ももともと少ないので実用化されなかったのだろうと思います。まあ珍しいということでコレクションに加えました。

Spifire floatplane 1/72 PM models                                         水上滑走する実機

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権威主義という罠

2019-04-06 00:06:00 | 書評

 岩波の雑誌「世界」4月号の特集は「権威主義という罠」という題名で、なかなか興味深い内容でした。権威主義というのはあまり聞き慣れない言葉ですが、wikiなどによると、「民主主義」と暴力による独裁である「専制主義」の間にある支配体制であり、「権威に自発的に民衆が従う事によって支配階級に都合が良い社会になるように仕向ける」構造の事を言うそうです。そして現代こそは、この権威主義全盛の時代であり、グローバリズム(の勝者)、トランプ、プーチン、習近平の中国など大なり小なり権威主義を利用しており、民衆は権威に自発的に従うことで必ずしも自分達の利益にならない事にも賛成し、自らの権利を支配者達に差し出している、と警告します。

 それでは、統治の理想とされる「民主主義」はポピュリズムや衆愚政治とは異なる、と説明されていますが、古今東西理想的民主主義を実践した社会などというものがあったか、というと極めて心細い。民主主義を謳いながらも現実には代議制であり、国家がリバイアサンとしての絶対的権力を持ち、常に支配者と被支配者に別れて社会が存在していたというのが現実であるように思います。トランプ政権や欧州のナショナリズムを「ポピュリズムである」とグローバリズムの立場からは批判しますが、グローバリズムこそ民主主義からはほど遠い「強欲資本主義」という単一価値観による強制的な世界支配でしかない、「勝ち組以外は被支配者」であるという現実に目を向けない社会構造である事を自覚していない言質であると言えます。

 岩波の「世界」と言うと昔から左寄りの雑誌で内容もリベラルとされる主張がセットになって載っているだろうと想像がつくように感じていました。しかし以前から私が主張している様に、現代は20世紀的な括りでの右左のセット理論では世の中の動きは説明不能になっています。今回「世界」を読んでみると旧来のリベラル的な主張もあるのですが、もっと是々非々でそれぞれの事象を冷静に観察した上でこれはこの点で良い、これは悪いと判断を下していて旧来のセットでステレオタイプに批判をするような知性の低俗さがなく、違和感無く読む事が出来ました。元共同通信記者の伊高浩昭氏の「ベネズエラで何が起きているか」と言う記事も複雑なベネズエラ情勢を2015年のオバマ時代からの米国のマドウーロ政権打倒の陰謀を解り易く解説していて濃い内容でした。

 太田昌国氏の「独裁と権威主義をどう批判するか」という論説もグローバリズム、民族的排外主義の台頭を独裁と権威主義の潮流としながら、これらを批判する左翼勢力にも独裁と権威主義が現れている事に警鐘を鳴らしています。また宇山智彦氏の「進化する権威主義」という論説でも「民衆が抵抗感なく自発的に従属」しやすいよう権威主義自体も巧妙に進化している事を示しています。その中で実体は権威主義の状況でも一方の権力に対してオルタナティブとして存在する勢力があること(欧米に対する中ロのような)は、リテラシーを磨く上で本質を見た上で大切という指摘は頷けると思いました。

 それぞれの論説内用は幅広く内容も深いので一言ではまとめられませんが、今井宏平氏の「強い大統領エルドアンに導かれるトルコ」などは事象を理解する上での資料としても有用であると思われました。

 

白人至上主義とは何か

 

ニュージーランドクライストチャーチで2019年3月15日白人至上主義者がモスクを銃撃して50人の死者を出した事件では、犯人のオーストラリア人ブレントン・タラントが白人至上主義から移民であるムスリムの人達を憎み、モスク襲撃に至ったとされています。しかし日本人には白人・黒人間の差別くらいは理解できますが、アラブ人やヒスパニックが非白人としてどう差別されているか、東欧からの移民への差別、同じ白人でもカソリックとプロテスタント間の差別、カソリックでもアイルランドとフランス人との扱いの違いなどはまず説明できない様に思います。雑誌「選択」4月号では、白人至上主義団体に世界中で数百億円単位の活動資金が大富豪達から流れ込んでいる実体が記事として紹介されています。その白人富豪は多くのユダヤ人が含まれるとか。白人至上主義でも本来反ユダヤのネオナチは対して資金が豊かでないけれども「反イスラム」の白人至上主義団体には「反イスラム産業」と言える程の潤沢な資金が流れ込んでいるという。ニュージーランドは来るべき第三次大戦でも生き残る最期の楽園と富豪達に信じられていて、戦争避難のシェルターとして富豪達が土地を買いあさっている実態があると言います。そこにイスラムが多数移住することはシェルターとしての価値を損なう(そこも戦場になるから)という理由で反イスラムテロには陰で潤沢な資金が提供される現実があると説明されます。

 

トランプがプーチンと仲良くすることを何とか阻止したい、第三次大戦をロシアも交えて起こしたいと目論む「グローバリスト軍産複合体勢力」が仕掛けた実態のない「ロシア疑惑」はようやくトランプ勝利で終焉を迎えました。シリアにおけるトルコ対ロシア、インド対パキスタンの開戦による第三次大戦は失敗に終わっています。ベネズエラもマドウーロが乗ってこず、グアイドは排除されつつある。イスラエルはネタニヤフが検察に起訴され、強硬派はトランプがゴラン高原などの態度を明確にするほど欧州から嫌われるという逆効果に苦しんでいます(トランプ流世界多極化としてうまい政策だと思います)。北朝鮮は軍部がどう動くか未定ですが、しばらく動きはないでしょう。アメリカはこれから未曾有の水害に苦しむことになりそうで、戦争をする余裕などなさそうです。北朝鮮軍部がとんでもない暴発でもしない限り今の所第三次大戦はおきそうにありません。

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