rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

米国にとって第二次大戦は倫理観に基づく正義の戦争にしておきたいのである

2013-05-24 20:14:18 | 社会

橋下大阪市長の慰安婦についての発言が国際的に問題になっています。日本国内においては一部のエキセントリックなレトロ左翼の人達による「意図的に曲解して女性蔑視につなげよう」とする無理筋な批判を除いては、橋下氏の発言について「常識的な内容だけど、立場上敢えて今言わなくてもよかったのに」くらいに捉えている人が多い(自分も含めて)と思います。

 

しかし米国のメディア報道や政府報道官の発言は、普通の理性的、合理的思考を超えた「この問題はこう解釈しないといけない」的な、例えばユダヤホロコースト問題は「ナチスによる600万人の虐殺」という解釈以外は受け付けない、といった事と同様の「かたくなさ」を感じさせるものです。「アメリカだって戦後日本に慰安婦を求めたでしょ。」とか「沖縄の米兵の状態はどうよ。」といった議論は受け付けず、普段rationalであることを他人に強制して、アジア的慣例みたいなものを散々蔑んでいるのにどういうこと?と思う人は多いのではないでしょうか。

 

911に際してブッシュ大統領が「悪の枢軸(axis of evil)」とイラクなど戦争しようとする相手を単なる善悪を超えた倫理的悪の意味を含めた表現を用いたのは、戦争が合理的な思考に基づいて、国益の増進に貢献するかどうかの判断ではなく、神との契約で問題となる倫理的善悪の問題として許せない相手を懲罰するためのものである、という意味があると以前指摘しました。合理的判断に基づく戦争であれば、国益にそぐわないものは行わなければ良いのですが、倫理観に基づく戦争は「絶対にやらねばならない」戦争であり、相手は徹底的に叩かねばならない(相手の人権を無視してでも)ものである事を意味します。だから相手がテロリストであればボストン爆破事件の容疑者もミランダ法の適応を除外しても良いし、テロの容疑者はグアンタナモで拷問を行っても良いことになってしまうのです。

 

そして今回改めて感じたのは、米国にとって第二次大戦(特に対日戦争)は倫理的な悪(ファシズムに基づきアジアを侵略し、アメリカを真珠湾でだまし討ちにした日本)に対する正義の戦争であった、というスタンスを絶対に崩したくない、という強い決意です。そこには合理的で総合的、立場を置き換えた判断とか再検証といったものはしない、つまりratioで考えることはしない、という「かたくなさ」があるという事です。だから日本に原爆を落とした事も許されるし、戦後日本を支配し、社会構造改革(憲法を含めて)を行ったのは倫理的な善行なのである、という公的な政治上のスタンスは絶対に変えないのだと思います。

 

合理性(rational)に基づいて判断される問題においては、話し合いや法的論争で譲歩をすることもあるのでしょうが、「神との契約に通じる倫理観」に基づく判断はそれが非合理的であっても譲歩はしないというのが彼らのエトスなのだと思います。逆に言うと、譲歩したくない事柄は「これは倫理的な善悪に基づく決断だから」と言ってしまえば合理性はどうであっても譲歩しなくてよい、という極めて都合が良い理屈になっているのです。一方で通商交渉のような法に基づく事案では「理不尽でも合法であれば正しい」として法の遵守(コンプライアンス)を求めてくるのですからたまりません。

 

先日韓国の新聞で「日本への原爆投下は神罰」という記事が出てさすがに日本国内のメディアも非常識だとして批難し話題になりましたが、意外と米国では違和感なく受け入れられる意見なのかも知れません。それは対日戦争が「テロとの戦い」と同様に「倫理観に基づく正義の戦争」と定義されているからです。パク大統領がアメリカに行って反日を語るのも、今回の中央日報の記事も米国の日本に対するエトスを理解しての所業と思われます。そのあたりを理解して日本も反撃を試みないと「論理的にきちんと説明し論破すれば良い」では済まないように思います。彼らにとって一番困るのは「倫理観に基づく正義の戦争」という定義を崩される事です。そこを突かない限り何も変わらないでしょう。

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合理的であることも邪魔になってきたアメリカ社会

2013-05-16 19:11:50 | 社会

キリスト教文明の社会では、倫理的な善悪の判断は「個人と神との契約」に反するかどうかで決まり、日常的な物事の正邪は倫理観とは関係なく合理的(rational)であるかどうかで決めている。だから利害が対立する場合はより合理的であるかどうかを裁判などの法の解釈で判定するから判定が下されたからにはその決定に従うよう「法の遵守(compliance)」が求められているのだ、という事を以前から主張してきました。また倫理的な善悪と合理性が「正しい事」を判断する所業から分離されたのは日常生活において教会法からの解放がなされたルネッサンス以降の事だろう、と推察しました。イスラム社会においては日常生活と宗教は宗派によって世俗性の違いがあって程度の違いはあるものの、キリスト教社会ほどは分離されていない(日々の生活は倫理観と密着)と思われ、日本の社会も法を守る事も含めて、事の善悪と倫理的善悪は殆ど一緒に扱われていると私は思います。

 

この解釈が私個人のドグマなのか、ratioの思想に詳しく、ルネッサンスについても探求している副島隆彦氏に失礼ながらメールによる質問の形で意見を伺いました。答えとしては「大まかな考え方としてはこれで良いのではないか」と賛同していただきました。氏によると合理性、理性の追求というのはルネッサンス後に限らずキリスト教やユダヤ教の教え自体に含まれる概念ということで、確かに神学という学問体系の各所に合理的思考が含まれていると思われます。氏の返書に、「合理を突き詰めると強欲になる、それが周囲に災いをもたらします。金融取引、金融市場がそうです。爆発するしかない。・・イスラームはそれらの合理と理性を信仰する者達を見ていて本気で、本当に深く嫌がった人達なのだと、分かります。・・合理なくしては今の世界も成り立たないでしょう。でももう本性が分かった。もう騙されたくないよ、という考えに今の副島隆彦はどんどんなりつつあります。」と書いておられました。面識のない私のような者の質問にもきちんと答えてくださる副島先生は一般受けはしないかも知れませんが素晴らしいと思います。感謝です。

 

私は氏が本心から「もう騙されたくないよ」と言っておられる事が分かるような気がします。現在の金融支配者達は「合理性」を主張していても結局それは「強欲」を成就する方便でしかなく、「客観的に非合理であると判断されれば敢えて目先の利益を無視して(損をしてでも)合理的な判断に従うか」と言えばそうなっていないのが21世紀に入ってからの世界ではないかと思われます。

 

前回のブログでアフガニスタンにおいてアル・カーイダを支援するタリバンと戦争しながら、シリアで反政府軍に加わるアル・カーイダに武器支援をしたり、軍を派遣して一緒に戦うのはいくら何でも矛盾しすぎていてできないだろう、と書きましたが、現在のアメリカ社会は利益を追求する上で「合理性」を求める事自体がもう面倒・邪魔な概念になってきているように見えます。

 

アフガン侵攻、イラク戦争のきっかけとなった911事件自体が様々な非合理(飛行機がぶつからないのにビル崩壊・ペンタゴンに突入した飛行機が見当たらない・突入した飛行機の乗客とされた人が後にイタリアで逮捕された、などなどあまりに多数)を示しているのに合理性の追求がなされません。最近のボストン爆破事件でも犯人二人を捕まえるのに軍隊を動員して戒厳令状態にする合理性はありません。しかもその犯人を指名したとされる両足切断の被害者の損傷捏造疑惑がビデオ付きでuploadされる始末。NPR(national public radio)ニュースなどによると撃たれて声が出ない容疑者には市民への脅威が残る間は憲法で保証された権利であるミランダ法(黙秘権や弁護士の同席による取り調べ)も適応されないとか。合理的であることや法によって正邪を決定することがもう面倒くさくなり、「テロへの対応」と言ってしまえば水戸黄門の印籠のように「それを見せれば何でもOK」という社会にしたいということのようです。

 

興味深い図があるので紹介します、hardthinkとうブログからの引用です。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で知られる社会学者のマックス・ウエーバーは秩序を重んずる「管理社会」に対抗するものとして、合理性を戦わせることでより良い社会を建設する「市民社会」というものを想定していたことが分かります。ニーチェが「末人」として蔑んだ「精神のない専門人」「心情のない享楽人」が秩序過剰とされる社会の究極に描かれています。20世紀のアメリカ社会は過剰な裁判社会と言われながらも一応この図では合理性を闘争的に追求する左上の「市民社会」を目指していたように思えます(ナチズム下の社会は多分左下)。それが21世紀のアメリカ社会は次第に右下の方向、(もう合理性の追求は諦めて管理社会として秩序だけ重視する)に向かっているように見えます。その方が1%の富裕層が99%の大衆を支配するには都合が良いからではないでしょうか。

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当たり前の事を語る難しさ

2013-05-07 18:07:20 | 社会

連休中にyou tubeでアメリカの番組でインタビューを受けるイラン大統領のアフマディネジャド氏と殺害されたカダフィ氏を見ました。アフマディネジャド氏は「ユダヤのホロコーストはなかった」との発言は問題であるという司会者の追求にそれでは3つの質問をこちらから発してみます、と返しています。

 

1)      第二次大戦で6千万人が亡くなったと言われるのに何故ユダヤ人の600万人だけを問題視するのか。兵士が200万人亡くなったとして残りの5千万人は一般市民が犠牲になっている。こちらをもっと問題視するべきではないのか。

2)      数世紀も前の事件は現在でも様々な検証が行われ、より正確な事実の解明がなされているのに、何故ホロコーストを再検証しようとすることは禁じられているのか。教訓として後世に正しく伝えるには何度でも検証を加えることでより正しい歴史が残るはずではないのか。

3)      ホロコーストは一体どこで行われたのか。少なくともパレスチナではないはずである。何故パレスチナの人々が国を追われ、悲惨な生活を強いられてホロコーストの償いをしないといけないのか。

 

1については戦争の犠牲とホロコーストの犠牲は別であると苦しい答弁を司会者はしていましたが、以降の問いには答えようがなかったようです。同じくyou tubeではジュネーブで国連主催の人種差別撤廃についての会合で、アフマディネジャド氏が演説している際、やはりホロコーストに疑義を呈してパレスチナの人達が虐げられているのは人種差別であると言い出したとたんに西欧諸国の代表達が一斉に席を立って退場するという場面がありました。マッカーサーは日本人を小学生と揶揄しましたが、欧米ユダヤ・キリスト教圏の人達が「おとな」になるための超えなければならない壁がここにある、と見せつけられる瞬間でした。

歯に衣着せぬ発言で有名な米国のイスラム指導者ファラカーン氏は、ナイジェリアの政権が腐敗しているから欧米からの干渉が必要なのだというコメントに「ナイジェリアの政権は腐敗しているけれども、アメリカほどではない。広島や長崎に原爆を落としていない。自国の原住民を根絶やしにしてなどいない。一番世界を不幸にし、一番腐敗しているアメリカが偉そうに彼らを指導する資格などない。」と明言。全くその通りです。

 

カダフィ氏は「アルカイダはニューヨークにいる」というインタビューで、911で貿易センタービルに突入した飛行機はサウジから飛び立ったのではなく、NYから飛んだのだ。犯人が訓練をしたのはアメリカだ。ビンラディンの指示だと言うが、アルカイダの司令官と称するゲリラを10人以上捉えているが、ビンラディンを頂点とする指揮命令系統などないではないか。と冷静に答えています。カダフィは狂犬のように恐れられていましたが、ある時から欧米政権に歩み寄るようになり、石油利権によって国民を豊かな生活に導くようになっていました。そしてアフリカで誰よりもアルカイダ系のゲリラに対抗していたのがカダフィだったので欧米からの信頼も一時は篤かった訳です。しかしアラブの春で反政府側(メインはアルカイダ)が勢力を延ばすと最終的に殺されてしまう結果になりました。その際、反政府側に武器支援をしていたのがアメリカのリビア大使館であり、昨年の911でカダフィ支持の民衆(とされる部隊)にリビアの大使が暗殺されて市中引き回しになりました。アメリカがアルカイダに武器を渡して支援していたことを追求されそうになったCIA長官のDペトレイアス(アフガニスタン派遣米軍の元司令官)は醜聞問題を理由に辞任、国務長官のクリントンも倒れて政界から実質的に去るということで蓋をしました。

リビア反体制派のアルカイダはその後ナイジェリアやシリアの反体制派として戦争継続をしていますが、シリアの反体制派支援のために米軍を送る事、武器援助をすることをアメリカが嫌がるのは「アルカイダを支援しているタリバンと戦争するためにアフガンに出兵しているのにシリアでアルカイダに武器援助するの?アルカイダと一緒に戦うの?」という矛盾にさすがに耐えられないからだと思われます。

 

「煩悩に支配され、何をしても自分が正しい」で済ませている「こども」はいつか自分で自分のクビを締める結果になり、いつかは「こんなことではいけない」と気がついて「おとな」になってゆくのでしょうが、「こども」が世界を支配できる「金と武器」をもってしまっている現状をどうすれば良いのか、私には答えが見つかりません。一つ言えるのは「当たり前の事」を普通に皆が言えるようになることが大事であることは確かです。しかし現在の日本のマスコミは益々当たり前の事が言えなくなっているのが悲しい現実です。

コメント (2)
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