rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

親しみやすさのJoe Magnarelliと小林香織さん

2009-07-30 00:22:19 | 音楽
本日は書き流しの勝手なJAZZの感想です。

You TubeのAmit Golan Quartetで見るJoe Magnarelli(tp)はどこか床屋のおじさんのような風情でトランペットもメナードファーガソンのような超絶技巧という訳ではなくフレディハバードのような安定感もないのですがその演奏は親しみやすい感じです。I decidedというアルバムの発売に合わせて体育館のような所で演奏会をしているビデオですが、なんかローカルな所が良い。彼はNY Hard Bup quintetを名乗るアルバムにも参加していますが、ハードバップの名の通りメロディを重視して曲を展開していて親しみやすい感じです。Sunny Valentineという曲はリズミックで明るい曲調(緩和)にトランペットとサックスが持ち場をこまめに変えながら展開していて面白い緊張感です。他にもけっこういろいろなアルバムに参加している所を見ると現代的な親しみやすさが買われている実力派なのかも知れません。

夜静かな部屋で聞くには北欧系のJazzであるLars Jansson Trioが良いですね。どこか哲学的な緊張感がありますが、奇をてらうところがなく穏やかな気分で聞ける所が日本人向けかも知れません。皆良い出来ですが、数あるアルバムの中でも「Hope」が最高傑作だと思います。中でも「Why was it under the sky」は美しいメロディをそう展開してそうリズムを刻むかと思わせる珠玉の逸品と個人的に思ってます。日本人的親しみやすさでしょうか。

小林香織さんの存在は最近You Tubeで知ったのですが、saxが本格派だなあ、とまず感心。Diana Krallの影響か近ごろ日本にもアイドル系?ジャズミュージシャンがぽろぽろ出てきているのですが「これはアルバム出せる実力じゃないね」と素人の小生にも断言されそうな人が多い中で彼女は○です。初めは後ろでマルタが吹いてるのかと思った位でした(曲調やポンタさんなどのバックミュージシャンの傾向がかぶっているせいか)。聞かせるサックスを演奏できるのだからあまり「アキバ萌え系」のような成りで演奏しないで欲しいと言うのがおじさんの希望ですが、コンサートに来ている人達はアキバあたりで見かけそうな人が多い(私自身の見た目もそうです)。「かみさんの若い頃に似てるから」とか言ってビデオを見ていると「結局若い方が良いのね。」とか「私の方が可愛かった」とかいろいろ横から言われて落ち着いて見れないので一人で見る事にしています。ロック系との所謂フュージョンでバックはバックに徹した構成の崩れない音楽なので緊張感なく聞ける親しみやすい音楽なのだろうと思います。今は一曲毎に丁寧に一生懸命演奏している所が良いのですが、(実質10年選手ながら)あと10年15年経ってより実力がついた時にどんな音楽を聞かせてくれるのか楽しみなミュージシャンです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

儲けは一部の人に、犠牲は全員に、立ち直ったら儲けはまた一部の人に

2009-07-22 23:37:50 | 社会
米金融大手6社とも黒字、4~6月期 先行きは不安(朝日新聞) - goo ニュース
ーーーーーーーーーーーーーー

米国の実体経済の成長を伴わない資本主義は人類を幸福にしない原始的な資本主義であると以前批判しました。その本質は「儲けは一部の人に、犠牲は全員に、立ち直ったら儲けはまた一部の人に」という言葉に象徴されるものであり、今回の経済破綻も犠牲を払わされて最も苦しんでいるのは経済的な弱者や弱小国家であることは明白です。

ゴールドマンサックスなどバブルの元凶でありハゲタカの悪名をもった米国金融大手は最近黒字に転じた由にて米国の株式市場など経済の指標にとっては明るい材料であると喧伝されています。しかし国民全体が抱く好況感にはなかなか反映されないと言う指摘もなされています。

今回世界人類に大きく影響するほどの不況をもたらしたそもそもの原因について、米国は十分に反省を行ったと言えるでしょうか。バブル経済の原因は投資におけるレバレッジにあり、「ハイリスクーハイリターン」を謳いながら実際にはリスクはCDSなどのしかけで負わなくてよいという「いんちき」をしてしまったために現実には「やった者勝ち」になっていたことをきちんと総括していない状態ではないでしょうか。

人類全体が幸福になるような資本主義経済を目指すものでなければ、犠牲を払った全員が希望が持てません。米金融大手が黒字になったからといってまた一部の人達だけが儲かる経済が復活するだけならば何の意味もありません。全ての労働者の可処分所得が増えて消費が増加して始めて実体経済が活性化するのであって、信用経済が見かけ上改善したように見えても少しも好況感がもてないのは当たり前のように思います。

卑近な例ではありますが、40台の男性が治癒不能の進行癌でこの春から入院しています。正月頃から明らかに症状があったそうですが「入院などすると派遣が切られるから」といよいよ動けなくなって救急車で運ばれるまで受診しなかった由です。現在もう解雇された上、生活保護になり余命も危うい状態なのですが「やった者勝ちで使い切れないほど儲けた人達」はこの患者さんと比較できるほどの犠牲を払ったのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 「数字で見るニッポンの医療」

2009-07-19 22:51:47 | 書評
書評 「数字で見るニッポンの医療」読売新聞医療情報部編(講談社現代新書―2008年)

普段日本のマスコミの偏った医療報道に苦言を呈している私ですが、この本は客観的な数字を元に日本の医療を解りやすく解説した良書と言えます。医師の私からみて変に欧米の医療を礼賛することなく、また日本の医師を精神論で批難するようなこともなく、私も普段からおかしいと感じているような事例にも具体的に正しく取り上げられていて「マスコミも良く勉強すればまともな報道ができるではないか。」と思わせる内容です。

マスコミも省庁と同様縦割り社会であり、医療のことを知らない社会部の記者が偏った報道をしても事情を良く解っている医療担当の記者が訂正できないということは聞いています。だから医療者はマスコミに対する時は「マスコミを上手く使うようにしなさい。」と言われます。こちらが初めから敵対してかかったり警戒しすぎたりすると却って悪いように報道されてしまうのであり、マスコミが知りたい所を良く説明しつつこちらの知らせたい内容を報道してもらうように仕向ける工夫が必要だと言います。

第一章では日本の医療の全般的な数字が紹介されている。つまり日本の医療費は安いのか、手術件数と手術死亡率は関係あるのかなど論じられている。日本の医療が効率的であるけれど診療費が安いのであって諸外国より薬にかかる医療費が多いといった指摘はその通りだと思う。私の事例の紹介ですが、先日腎外傷で出血がひどいため、夜中に腎動脈塞栓術を行いました。時間外に出てきた放射線科医や泌尿器科医の手当ては一人3000円足らずですが、一本十万円以上する塞栓用コイルを20本も使用したので治療費は車一台分近くになりました。医療費が高いといってもそれは医者がもらう賃金ではないということが良く解ると思います。

本にもどります。心臓手術の症例が少ない病院の手術死亡率は多い病院の2倍というのは真実ですが、死亡率自体が1.6%が3.8%になるだけであって田舎の病院でも96%の人が助かるのであれば医療レベルは十分に高いと言えるのではないでしょうか。30%が60%に跳ね上がるならば手術できる病院を制限するべきですが、交通事情など田舎の病院の方がハンディもあるのですから数字だけで批難するのは片手落ちであるとこの件では本書を批判しておきます。

その後身近な医療費、がんと生活習慣病、心の病気などの話題が続きます。これらの内容はその通りだと思います。日本の癌医療は遅れているなどと言いますが、緩和医療や「死に向き合う患者さんの心のケア」といった面では問題はあるけれど日本の「癌治療」そのものは諸外国と比べて全く遜色ない。日本で癌の死亡率が減らないのは一つの癌を治しても同じ人が死ぬまでに3つ4つの癌にかかるからで米国ではそうなる前に心臓や脳血管障害で死亡しているだけの違いです。本書で紹介されている「外国で承認されている画期的な新薬といっても延命効果が2-3ヶ月延びるだけである」といった解説は国民全体に知らしめるべき真実だと思います。

7章の「医師の姿」も普段私が主張している通りですし、8章の「検査大国」も理学所見よりCTという行き過ぎたデータ尊重主義の姿を紹介していて共感します。終章にかけてメタボとコレステロールの話題を取り上げていますが、「コレステロールを下げた所で1000人に薬を飲ませて1年で一人心筋梗塞が減る程度なら国民をあげて大騒ぎするほどのことか」という問いかけに私大いに賛成します。

日本人は薬好きであり検査データ好きですが、この本を読んで正しい医療データを知って欲しいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新たな交付金は地域医療再生につながるか?

2009-07-15 23:47:11 | 医療
2009年6月17日(日経メディカルネット)

 厚生労働省は6月5日付の医政局長通知で、地域医療再生計画作成の方針を公表した。この計画は、今年4月に政府が定めた「経済危機対策」の一環として今年度の補正予算で付けられた、「地域医療再生臨時特例交付金」を受けるために必要となるもの。
 交付金の額は30億円70地域、100億円10地域の合計3100億円規模。通常の交付金と異なり、単年度でなく複数年にまたがって使えるほか、国庫補助率の規定がないため、地方自治体に予算の余裕がなくても受けられるのが特徴だ。
 使用目的について、担当となる厚労省医政局指導課は、「モデル例は示したものの、地域で本当に困っている内容と解決策を挙げてもらい、そこに対して交付金を出していきたい」としており、特にに制限はかけない模様。医療圏単位での医療機能の強化の目的ならば、建築物、大学への寄附講座、医療秘書の雇用、職員の退職引当金など何に対しても充当できる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「このままでは優秀な日本の医療が崩壊してしまう」というメッセージを我々医療者が発し続けて数年経ちましたが、やっと医療崩壊という言葉がマスコミにも日常的に取り上げられ、このように行政にも医療再生のための特別予算が計上されるようになってきました。日常診療においても「我々も休みがなければ身体が持ちません」という話しを患者さんにも違和感なく理解してもらえるようになったと感じます。

このような予算が付く事は勿論良い事であると思うのですが、では「これで本当に地域医療が再生されるのか」というと?の部分があります。それは医療崩壊の原因を分析究明した上での対策ではないからです。

地域に限らず現在危惧される医療崩壊の原因は「安い給料でリスクの高い医療を行う勤務医が不足している」ことであることは前々から指摘してきました。勤務環境が悪い大学病院に若い医師が入局せず、大学病院や基幹病院の勤務医が「立ち去り型サボタージュ」で次々に開業し、勤務医が減少したことで地方に出向していた大学からの医師達が引き揚げて地域医療が崩壊したのです。また都市部では救急医療を含む今までの医療水準を維持することが人手不足のためにできなくなってきました。そこに「日本の病院の9割が赤字」という診療報酬の引き下げによる医療費抑制政策が重なり、病院職員の拡充や機能の向上が不可能になることで医療崩壊に一層拍車がかかったのです。

勤務医達が立ち去り型サボタージュを起こした原因は、「医療を行った結果が悪ければ犯罪者」という出鱈目な医療への司法の介入が起こったからで、「開業医に比べて給料が安くても最新の医療を行うことで日本の医療を世界一に保つ」という自負と誇りに支えられて頑張ってきたことが世の中から否定されたことが最大の原因です。おまけに自分の給料は変わらないのに常に病院の経営を考えさせられて馬車馬の如く働くことを強要され、「そんなに経営について考えさせられるのならば開業して自分のために働いた方が良い」と勤務医達が考えるようになったからです。

地域医療を含む日本の医療崩壊を防ぐ方途は「病院が赤字にならないようにすること」と「司法の医療への介入を止め、勤務医をおだてること」の2点です。病院が赤字にならないようにするには「まっとうな病院」の診療報酬点数を現在の一点10円から15円に引き上げればよいだけのことです。また2点目については医療バッシングをマスコミ主導で行ったことと逆のことをマスコミ主導ですればよいのです。司法は世論に弱く世論の反発を買ってまで医療に介入はしないでしょう。また勤務医はエリート意識が強くて純粋な人が多いので「おだて」たり「感謝」したりすれば「簡単に木に登る」ものです。

すでにこの3100億円のおこぼれに預ろうと一部の病院や機関では取らぬ狸の皮算用を始めています。それはそれで有効に使って地域医療を魅力のあるものにしてゆけば人材が育ってゆくことになると思われますが、やはり根本問題を解決しなければ真の改善に結びつかないと思われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国の意に沿わぬために

2009-07-15 21:34:09 | 政治
日本人の労働によって稼ぐ金は米国が収奪しないといけない。決して日本人の賃金が上がる形で内需を拡大させてはならず、米国の企業が株主であるような企業が収益をあげて配当の形で米国が収益を簒奪せねばならない。日本の企業の株を買うのは日銀から安い金利で円を借りればよい。日本人は金利がゼロでも金を借りずに銀行(郵貯)に預けているのだから集まっている金は米国が借りて日本の企業の株を買えば合法的に収益を奪えるのだ。

日本の経済学者はバカだから「資本家に配当がまわるように会社を経営するのが正しい資本主義だ」と米国に都合が良いように説いた学説を丸のみして自分達にとって何が得策なのか考えようともしない。あれで自分が専門家だと思っているから米国にとっては好都合というものだ。

社会保障費を増やされても、福祉に携わる連中の所得になるだけでそれらは米国が株を持っている大きな企業体とは異なるから社会保障費は節減させないといけないのだ。建設や機械、家電などが売れて配当が増えないと米国に金が潅流しないから、「景気対策とは建設や機械が売れる事」だと規定しないといけない。「社会保障費を増やす事も日本人の所得を増やし、社会に必要な産業構造に変革させ、内需を拡大する立派な景気対策である」などとバカな日本人に気づかせてはいけない。

北朝鮮は日本と戦争する気などないのに何発か安物のミサイルを日本の上空に飛ばしただけでマスコミが大騒ぎして「核や生物兵器を打ち込まれる」と日本人を震え上がらせて、その何百倍もする高いミサイル防衛システムを買ってくれそうだ。日本製の部品を沢山使っているのに部品代の何百倍もの値段で組み上がった製品を買ってくれるのだからボロい儲けだ。北朝鮮のミサイルも元は日本人が使ったパチンコ代なのだから「日本人は世界の貢君」だな。

コイズミに郵政を民営化させてやっと郵貯の中身を自由に使えるようになると思ったら直前になっていろいろ邪魔する奴が出てきた。どうもコイズミの後の総理達は自爆テロの「辞めてやる」攻撃でコイズミが盤石の優位を作った自民党を「ぶちこわす」戦略に出たようだ。麻生も自分の思い通りにならないと分ると一番自民にとって都合が悪いタイミングで総選挙になるように仕組んだようだ。民主政権になったら1年半はいろいろなことが遅れる。遅れているうちに世界の情勢も変わる。そうしたら新生自民がもう少し自分たちの国益に適う政治をするつもりだろうか。そうさせないためにも民主政権の間も官僚達の首根っこは掴んでおかないとね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二次大戦の反省を最もしていない国はどこか

2009-07-07 23:48:51 | 政治
暴動で「840人死亡」=世界ウイグル会議(時事通信) - goo ニュース
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本は第二次大戦の反省が足りないなどと言い募る輩が日本国内にもけっこういる。反省というのは現在と未来に活かすものであって過去について謝罪や補償を繰り返すことではない(それはもっともらしい理由をつけた新たな搾取でしかない)。「過ちを改めざるをすなわち過ちと言う」というのは二千年来の真実である。そして第二次大戦の反省とは「他民族を政治的経済的に支配してはいけない」ということにほかならない。日本及びドイツは第二次大戦の反省を踏まえて戦後他民族を政治的経済的に支配することは行っていない。戦後世界において第二次大戦の反省をもっとも行っていない国は実は戦勝国たる連合国群であることを指摘する日本人は少ない。

旧帝国主義国家の英仏蘭は戦後殆どの植民地が独立戦争を経て(決して自主的に独立を認めたのではない)独立し、かつての帝国主義たる栄光を失い、本来の国土と国民の姿に戻った。しかし米ソ中の三国は第二次大戦の反省を一切行わず(旧来の帝国主義国家群でなかったこともあり自分たちが反省などする必要すら感じなかったであろう)、他民族を政治的経済的に支配し続けていた。しかしながらソ連はロシアになった時点で長年の宿痾をある程度取り除くことができたと言えるかも知れない。第二次大戦の反省を全く行っていないのは残る米中である。

米国はイスラム世界という異世界に土足で踏み込んで自分たちの思い通りにならない集団を「テロ組織」と決めつけて支配と殺戮を何の躊躇も反省もなく行っている。そして中国はこのザマである。抗議行動で死者が出るのは権力者が殺戮をしかけた場合のみである。中国は天安門、チベット、そしてウイグルにおいて一切の反省もなく(漢民族は他人がやることは赦せないが自分たちがやることはOKであると考えているらしい)支配と虐殺を行ってきた。

第二次大戦の反省を最もしていない国は米中の二国である。いまだに日独のみが第二次大戦の反省をすれば良いと考えているような「うすらバカ」はもう相手にする必要さえない。自分たちに自覚があるかどうかは別として所詮その連中は戦後の戦勝国による敗戦国支配を容易ならしめるための権力者の「イヌ」に過ぎない。米中に猛省を促す世論を第三世界を含め日本の庶民は喚起すべきである(日本国政府は米国に表立って楯突くことはできないだろうから)。第二次大戦の反省は過去ではなく「現在および未来」に活かしてこそ、数千万の犠牲者達の魂が浮かばれるというものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この手の「吊り」はもうやめたら?

2009-07-02 00:29:35 | 政治
「国旗・国歌、嫌いなら辞めよ」=起立しない教員に-上田埼玉知事(時事通信) - goo ニュース

ーーーーーーーーーーーー
表題だけ見るととんでもないタカ派知事のように見えますが、質問自体がこの手の回答を引き出すための「吊り」だし、恐らく教師志望だった知事は教育よりも組合活動優先の日教組専属教員に対して普段からこのように思い、発言していたのでしょう。この人の経歴や知事当選後の活動を見ると県民にとってマイナスになることはしていないと思われます。「教育より活動優先」「県民のためより自党の利益優先」は批難に値することです。また「吊りに乗ってキワモノ発言で有無を言わさず辞職追い込み成功」といった「マスコミと連携した選挙によらない反民主主義的活動」を糾弾するメディアがそろそろ現れても良いと思うのですがね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高級官僚にしっぺがえしされる言ってはいけないこと

2009-07-01 21:49:12 | 社会
【ノンフィクションと教養】封印された?橋洋一証言(1)(gooニュース) - goo ニュース

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
共に国策捜査によって社会的に葬られたと言われている佐藤優氏と高橋洋一氏ですが、佐藤氏は鈴木宗男議員からみの政治的理由から、破廉恥罪で告訴された経済学者の植草氏なども明らかに小泉竹中グループに都合が悪いからという政治的経済的理由から無理やり社会の第1線から外されたと言えるでしょう。

現在「宮沢りえーサンタフェ論議」で国会が盛り上がっている児童ポルノ禁止法なども、本来の学童を対象にしたポルノ規制という目的から外れて、「初めに法律ありき」で本来の目的は別となり、「法律で決まったからには18歳以下という基準に従いなさい」「16-17歳のポルノも持っているだけで有罪です」という話しになってしまっています。「この法律における児童とは13歳以下を対象とする」「販売・頒布を目的にした所有を禁止する」という一文を入れれば法の目的も明確になり、揉める事もなくなるのですが、法案提出者達はこの法律を「破廉恥罪を仕立て上げる国策捜査」に利用でき、誰にでも罪を問う事ができるように定義を曖昧にして罪の間口をわざと大きくしようとしているようです。そしてこの法律のもう一つの大きな目的は「インターネットの規制」にあります。「児童ポルノ禁止法上有害とみなされるサイトを規制する」という前例を作ってしまえばそれを他のサイト規制に流用することは非常に容易です。

さて、佐藤氏と高橋氏の対談で、佐藤氏は高橋氏が国策捜査で窃盗罪という破廉恥罪を着せられて社会から葬られたのは、財務・旧大蔵といった「自分たちは日本一である」と自負している高級官僚達が日常「たし算すれば気がつく程度の財務上の誤り」すら見逃している(ほどバカだ)と指摘したからだろう、と推論しています。私はちょっとニュアンスが違うように感じます。高級官僚達もたし算すれば気がつく程度の齟齬は日頃から十分に分っているけれども、「それを敢えて指摘しないのが官僚たる矜持」と共通認識しているのを高橋氏は「言わずもがなのことを敢えて公言した奴」だからこそ許せなかったのではないか、と思うんですね。

高級官僚にとって言わずもがなのこと、とは例えば天下った先でやる仕事などは東大出ている必要などない殆ど頭使わない仕事でしょうが、「東大出てそんなどうでも良い仕事して金もらってるんだ」というのはやはり言ってはいけない。厚労省の医系技官に対しては「医学部出たのに臨床医としては一人前になれなかった」的なことは言ってはいけない。私も臨床を離れて行政職をしていたことがあるから理解できますが、「自分の仕事は社会にとって必要」と思いつつも「お医者さんとして一人前でない」という状態にはエリートとしての矜持を汚されたような忸怩たる思いが常にある。自分では「家族が病気になっても頼りにしてもらえなくてね。」なんて卑下してみせるのですが、改めて臨床医から公言されれば「こいつ赦せん!」と思うことでしょう。

東大出て中央省庁に入って、日本を引っ張ってゆく気概でそれこそ庁舎の床に寝泊まりしながら生活してきて、それでも官庁のしきたりやらしがらみに縛られながら「さまざまな矛盾」も敢えて許容しながらずっと頑張ってきた所で、同僚(と思っていた人)が上から目線で「それおかしいんじゃない」と言わずもがなのことを「公言」されてしまったのが許せない原因ではないかと思います。

勿論矛盾はいつか指摘されねばならないし、国益に反することは正されなければならない、自浄能力がないのなら外から変えねばならないとは思いますが、正義とか善悪とかを除いて官僚達にとって許せないと思う事とはきっと「いわずもがなの事を公言したこと」ではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする